2年前の祇園祭の日、ひょんなことから京都で夕食をごいっしょした。
ふたりで話す時間があったので、「ご本、読んでいます」と言ったら、
連絡先を交換してくださって、わたしの本も読んでみたいと言われ
『市民派政治を実現するための本』をお送りした。
親交があるというほどではなかったけれど、
わたしのほうが、彼女に思いを寄せていた。
野に咲く花のような、自然体でステキな方だった。
昨日の朝、新聞で訃報を知って、
記事を書こうと思ったのだけど、悲しくて言葉がでない。
昨年、刊行された『さよなら、日本』を読んで、
感想とお礼を送りしようと思っていたところだった。
年を越してしまったけれど、彼女なら不死鳥のように
また帰ってくると、わたしは勝手に思っていた。
(ロッキング・オン/2007.7)
訃報を知って、読みなおした。
柳原和子さんが「30年近く生きて、歩いて、書いてきた日々」を、
わたしたちに遺したことばを、かみしめながら。
・・・・・・・ 個人としてあること、現場、この大切さを改めて思う。
一つのささやかな現場、ひとりのささやかな人生はまぎれもなく時代そのものを刻印しているという信念。
もちろん、知識、資料、統計、集団としての力、未来を模索する俯瞰した姿勢が重要であることを疑うものではない。が、書き手に限らず今、わたしたちが失おうとしているのはどのようなひとりであっても、そのひとりの生が現場であり、時代を刻印しており、今、呼吸をしている日々こそが現場であり、誰もがおそらくは時代を予見するなにかを確実に抱えている、感じている、という確信のようにものではないだろうか。
それをとりもどすためになにをなすべきか?
本書を小さな議論の種に使ってくれたら、と思う。
なによりまた、本書を世に送り出すことができて、うれしい。
いくど目かの入院を控え、病床で初校を終えて今、こころから生きた、生きてきた幸福を噛みしめている。
ノンフィクション作家 柳原 和子
さよなら、柳原和子さん
最後まで読んでくださってありがとう
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