東大の「新たなるコモンウェルスを求めて」のシンポをきいて、
母の病院によって、今日の宿に戻ってこれから夕食。
安田講堂のしだれ桜が見事だったのですが、
お花をアップする余裕がないので、
昨日作っておいた記事を紹介します。
記者の目:比女性は高齢日本の救世主=大澤文護 毎日新聞 2008年3月28日 0時11分 「フィリピンは日本の救世主になる」と言ったら、どれだけの人が賛成してくれるだろう。テロと犯罪、汚職天国--さまざまなマイナスイメージを背負い込んだフィリピンだが、そこには日本の将来を支えてくれる可能性のある人たちが住んでいる。「少子高齢化で労働者不足。将来どうすれば」と身内だけで深刻に論議をしているより、海を挟んだ南の隣国に「助けてください」と声をかければ、たちまち駆けつけてくれる人々がいるのだ。 06年に合意した日比経済連携協定は、日本がフィリピン人の看護師や介護福祉士を受け入れる内容が盛り込まれ注目された。しかしフィリピンでは大きな話題にならなかった。2年間で1000人という枠組みがある上、難しい日本語を学んで日本の看護師や介護福祉士の国家試験に合格しなければ、3~4年で日本から追い出されるシステムだからだ。 その一方、日本行きを熱望する数万人のフィリピン人女性がいる。かつて日本政府はフィリピンで、年間8万件もの「興行ビザ」を発給してきた。対象者のほとんどは、歌も歌えず、ダンスもできない若い女性たちだった。 「芸能人」の肩書で訪日した彼女たちは、日本各地のナイトクラブで接客に明け暮れる日々を過ごした。米政府の「興行ビザ発給は人身売買の温床」という指摘を受けた日本政府は05年、ビザ審査を厳格化した。年間8万件だった興行ビザ発給は、8000件に激減した。 かつて日本で「芸能人」として働いた女性たちの中に日本人男性と恋に落ち、子供を産んだ人がいた。今も幸せに暮らす女性がいる一方、日本人男性が子供の認知・養育を拒否したため、子供を抱えてフィリピンに戻る女性が相次いだ。働き口のない母子は、母の故郷で極貧の生活を強いられた。「新日系人」と呼ばれる子供たちの多くは、貧困や母親が帰国後に子供のフィリピン国籍申請をしなかったことなどが原因で、学校に通えなかった。成人しても安定した就職先を見つけることはできない。そんな子供たちの未来を切り開こうと、06年2月、フィリピン在住の日本人らが非営利組織・新日系人ネットワーク(本部・セブ島)を作り、父親の行方捜しや子供を育てるため「どんな厳しい仕事にも耐える」という覚悟を示す母親たちの日本での職探しを始めた。 日本政府は当初、元エンターテイナーの母親たちの日本再渡航を渋った。支援団体は、そんな政府のしりをたたき続け、活動開始から2年たった今日28日、母親たちが、日本に旅立つ。 新日系人の母親たちが、「子供のために働く」と覚悟を示しているのに、日本政府は、彼女たちが再び夜の世界に戻り、違法就労に走るのではないかと警戒している。しかし明らかに需要を上回る、年間8万件もの興行ビザを発給しておきながら、日本人の血を引く子供の未来を自らの手で切り開きたいという母親たちの希望を聞き入れないのは筋が通らない。かえって、日本語を話し、日本の生活習慣を身につけた元エンターテイナーの女性たちは、どの国の外国人労働者より、日本社会に上手に溶け込むのではないか。 私は、日本で反発の強い外国人家政婦や家庭内介護を担当する外国人介護助手についても、まずはフィリピンから、早急に受け入れるべきだと考えている。看護師や介護福祉士の不足も心配だが、もっと深刻なのは、日本から伝わってくる家庭介護の様子がお寒い状況だからだ。家に寝たきりのお年寄りがいれば、日本では一般的に、介護の重荷は家事に忙しい主婦など女性の肩にのしかかる。もし老人夫婦だけの家庭なら介護の困難さは、より深刻だ。そこに大家族の中で育ち、幼い時からお年寄りや子供の世話を身につけ、ナイトクラブで接客術を学んだフィリピン人女性が入っていったらどうなるだろう。暗く沈んだ日本の家庭が一気に明るくなるはずだ。 何より、今まで介護と家事でへとへとだった日本の女性たちが元気と余裕を取り戻し、社会に出て行く意欲を取り戻すきっかけとなるのではないか。その女性たちが、今、深刻な不足が指摘される小児科や産婦人科の医師・看護師だったら、日本の産業界をけん引するIT産業のエキスパートだったら、日本の人材不足のかなりの部分は緩和するのではないか。 そんな夢のような日比関係が実現する日が来ることを願いながら、4月から日本に戻り、新日系人と母親たちの日本での奮闘を取材しようと思っている。(マニラ支局) 毎日新聞 2008年3月28日 0時11分 |
14日の分もあったのですが、見当たりません。
「比看護師」誕生、都が支援…合格へ日本語指導 国家資格取得めざし100人受け入れへ 東京都は来年度、フィリピンから計約100人の看護師と介護福祉士を都立病院などで受け入れる方針を固めた。 日本とフィリピンが昨年9月に締結した経済連携協定(EPA)に基づくもので、自治体が外国人看護師らの受け入れを表明するのは初めて。国家資格の取得が最大の難関とみられるが、厚生労働省は支援策を打ち出していない。個人教師の派遣など、都は国に先駆けて具体的な支援プログラムを策定し、フィリピン側にアピールしたい考えだ。 厚労省などによると、看護師は全国で4万人以上、都内でも約3000人不足している。高齢者や障害者の介護を行う介護福祉士など、介護職員も人手不足が深刻な状態で、少子高齢化がさらに進む10年後には、全国で40万~60万人が足りなくなるという。 EPAに基づく制度では、厚労省の委託を受けた国際厚生事業団が、日本での勤務を希望するフィリピン人の看護師らを、受け入れを希望する全国の病院に振り分けることになる。受け入れ数は、看護師400人、介護福祉士600人の計1000人を予定する。 この制度では、半年間の日本語研修の後、看護師は3年、介護福祉士は4年、助手として病院などで働きながら、国家試験の合格を目指す。特例のビザが発行され、資格取得後は、希望すれば永続して働けるが、期限内に合格できなければ、帰国しなければならない。このため、受け入れる側の支援体制の充実が課題となっている。 試験に出る医療関係の用語は、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)、膀胱(ぼうこう)、大腿部(だいたいぶ)など、日本人にとっても難解なものが多い。都では「このままでは合格者が出ない恐れがある」(福祉保健局)と判断した。資格試験用の日本語教材を英語訳したり、専門教師を派遣したりするなどの教育プログラムを策定し、入国後から受験まで手厚く支援する。 EPAは、フィリピンの国会で批准後、発効されるが、都は「発効は時間の問題」としており、今月、プログラム策定の参考にするため、都職員を現地に派遣し、現地の看護師協会などで聞き取り調査を実施した。来年度予算にも支援費用を盛り込む方針だ。 都では、都立病院など都施設で約10人を受け入れ、残る約90人は、都医師会などを通じて、民間で受け入れるよう働きかける。 経済連携協定(EPA) 工業品や農産物などの関税を削減・撤廃する貿易自由化のほか、労働力の受け入れや知的財産権の取り扱いを定める包括的な取り決め。日本はタイやフィリピンなど8か国と締結済みで、現在、別の七つの国・地域と交渉している。 (2007年11月14日 読売新聞) |
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