「岐阜に来てるので会いたい」と電話があり、岐阜まで迎えに行った。
昨日は、有名な長良川花火(岐阜新聞)の日。
道は渋滞気味で、長良川の河川敷は人で埋め尽くされていた。
Mくんが震災にあって、父親と岐阜に来たのは11歳のとき。
父親に連れられて転々としていて、学校にも行ってなかった。
2年間岐阜にいて、受け入れてくださるFさんちから学校に通い、
小学校を卒業したが、中学のある日、とつぜん父親といなくなった。
どうしているのだろうと心配していたら、3年前、父親の元を飛び出して、
今度はひとりで、わが家を探して岐阜にやってきた。
成人して、学校に行っていないことに焦りを感じ、このままではいけない
と、父親から離れる決心をしてのことだった。
彼にとって、多くの人の温かさが詰まった岐阜の地は、
忘れられない土地のようだ。
父親は彼を連れて失踪したまま行方知れず。
3年前は、ひと月ほど岐阜にいて、
ずっと彼を探し続けていた大阪の母と兄の連絡先を見つけ出し、
紆余曲折を経て、劇的な再会をはたし、ふるさとに帰っていった。
彼はどこかで生きていると信じ、彼の部屋はそのままにしてあったという。
その後、きちんとした字で年賀状や暑中見舞いを送ってくれていたが、
お世話になった人たちに、と「お土産」持参でやってきた(嬉)。
成長して25歳になったMくんと、3年ぶりに再会した。
無口でただ微笑むだけのかわいい男の子だったが、いまは、
昼は食品会社でアルバイトをしながら、母の家から夜間中学に通っているという。
夜間中学は、戦後補償のために建てられ、在日の人が半数くらい、
中国残留孤児の人や年配の人が多く、若い人はMくんくらいで、
もう夜間中学の役割は終わったということで、
橋下大阪府知事は、今年は補助金のカット、来年には全廃の方針とのこと。
署名運動をしたけれど時期が遅く、政策変更は難しいらしい。
夜間中学生への就学援助、廃止へ 生命線の年2万円(2008.7.26 朝日新聞)
大阪府内には公立の夜間中学が7市に計11あり、日本人、在日韓国・朝鮮人ら約1300人が在籍。半数が60歳以上だ。就学援助は学校教育法で対象が学齢期の子に限られているため、府は71年度から、各市が低所得の生徒を援助する事業に半額を補助してきた。
ところが橋下知事は「就学援助は本来、国と市町村が担うべきだ」として、今年度の予算を10%カット、来年度からは補助を廃止するとしている。このため、近畿の夜間中学に通う生徒らが3万4千人分を超える反対署名を集め、6月に知事に提出した。
勉強して夜間中学を卒業したい、というMくんは憤りをこめて
しっかりとした口調で話してくれた。
一度も花火を見たことがないMくんが、花火を見て帰りたい、というので、
お世話になったFさんちを訪ねてから、長良の「さがみ」で夕食を一緒に食べた。
Mくんは、「うな重」をおいしそうに食べていた。
自分で働いてかせいだお金で岐阜に来たという。
朝とつぜん思いついてやってきた、というので、
ゆっくり会いたいから今度は連絡してきてね、と、Mくんを見送った。
帰り道、車のなかから、燃えるような夕焼けを見た。
西の空に広がる夕焼けが、とてもきれいだった。
とおくに、ドンドーンと花火の音がひびいていた。
写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大
人気ブログランキングに参加中
応援クリックうれしいな