視察・研修の初日は東京都・国立市。
JR中央線国立駅には、都市計画課課長と担当職員が出迎えてくれました。
シンボルの赤い三角屋根は高架事業中で取り外してあるとのこと。
ここから景観を見ながら、まちづくりの説明を聞き、
市役所まで、あるいていく予定。
駅前ロータリー(「国立文教地区}の看板)
駅から南に伸びる幅44メートルの広い通りは一橋大学に向かう「大学通り」。
車道は都道、緑地帯はフプリンスホテル(西武)、歩道は国立市所有。
緑地帯には1・2キロにわたって288本の桜と銀杏が植えられていて美しい。
国立市のまちなみは、元々は武蔵野の雑木林だったところに、
東京商大(現一橋大学)を誘致した箱根土地(コクド)によって、
理想の「学園都市」を目ざして、1920年代につくられたとのこと。
大学周辺には、赤松の大木などの自然林が残っていて、当時がしのばれます。
市名の由来は「国分寺」と「立川」の間だから「国立」と名づけられたという。
「この地から新しい国が立つ」という意味も込められているとのこと。
キャンパスは自転車乗り入れ禁止で、
無料の自転車置き場が整備されています。
一橋大学の正門。
正門前の横断歩道を渡って駅のほうを振り返ると、
右奥が、問題になったという駅前マンション。
古木の桜並木が美しく、4月に来れば見ごたえがあるでしょう。
「桜守」のボランティアで、桜の保全・管理をしているとのこと。
国立都市景観形成条例の立て札もあちこちにあります。
道路の向こうは「国立文教地区」。
ヨーロッパのまちなみのような、落ち着いた景観。
●国立・大学通りの歴史性(子ども達の教育環境を守る会だよりNo.48より引用)
国立市は、箱根土地(現コクド)の堤康次郎社長と東京商科大学(現一橋大学)の佐野善作学長により、ドイツの大学町ゲッチンゲンを模して学園都市として建設されたまちで、その後、国立学園、国立音楽大学、日本最初の精神障害児教育施設・滝乃川学園、桐朋学園、国立高校など多くの学園が移転・開校しました。国立は文教地区の指定を受けていますが、これは単に大学や学校が多いからではありません。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発し、隣の立川市は基地があったこともあり、多くのアメリカ兵が進駐してきました。その影響は国立にも及び、アメリカ兵相手の簡易旅館や飲食店などが出現し、いかがわしい商売が始められました。環境を守ろうとする市民・学生を中心に、東京都文教地区建築条例の指定を目指して、運動が始まりました。しかし、経済的発展のためには文教地区指定は障害になる、まちがさびれ税金が高くなるという反対派との間で、まちを二分する大論争が起こり、町議会で二転三転した結果、一票差で議決、都に申請し、1952(昭和27)年文教地区の指定を受けました。これは、単なる歓楽街の進出反対運動ではなく、開発以来の理想の学園都市を目指し「開発」より「環境」のまちづくりを市民が選択したものです。
途中に歩道橋がひとつだけあったのですが、この歩道橋の設置についても、
推進、反対の住民運動が起きたとのこと。
歩道橋の真ん中から見た、国立駅方面。
駅の反対側。右手が国立景観訴訟の舞台となったマンション。
国立マンション判決から学ぶ 景観保全における住民運動の役割
(角橋徹也・立命館大学非常勤講師)
美しい町並みのなかにそそり立つマンションは異様です。
道路を挟んで立つ4階盾のアパートと高さ比べ。
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駅を出発してから約一時間、マンションから5分くらいで、国立市役所に到着。
午後2時半から部長も参加してくださって、見てきたところなどの質疑応答。
3時からは一時間の予定で、関口博市長のお話です。
とってもおもしろく、ためになったので、以下に要約を紹介します。
関口博市長の話~自己紹介をかねてまちの説明 市長になる前に二期市議をしていて、三多摩議員ネットワークに入っていた。 子どもたちとの学びの広場というのをやっていた。市が都庁への交換便というのをやっていて、市のアルバイトにうかった。取り組んでいたのは、日米新ガイドライン、日本の方向性を決めてしまうということで要注意と思って勉強していた。そのことで市議会に陳情が出た。ガイドラインでは勉強していたが、議員が「めんどくさい」陳情が出たといったので、この人たちは真剣に考えているのか、こんな市議に任せるわけにいかないと思い、地方から平和の声をあげていく、ということで出た。次点と20票差で当選した。 (国立には)無所属議員が当選するという風土がある。あらゆることについて、それぞれ市民が意見を持っていて、市民が声をあげるまち。以前、合併問題があったが、国立と合併するとコンスタントに収入が入るが、うるさい人たちがいるので合併したくない、といわれた。 明和マンション訴訟の話を聞いたと思うが、人口73000人のまちで50000人の署名を集めてしまう、ようなまち。無防備地域宣言、の署名運動をして、あっという間に、法定数を達成して議員に提出。憲法を遵守した宣言であるということで住民発議。そのときにも、市民が立ち上がって署名を集めた。まちでは署名を集める姿がふつうにみられる。 重度のしょうがいしゃの比率も全国一だと思う。しょうがいしゃの活動がユニーク。社会で当たり前に暮らすことをのぞんでいる。「しょうがいしゃが当たり前に暮らすまち宣言」をしょうがいしゃグループはみずからが参加してつくる。介助者については市から補助が出るので、介助者付き参加ができている。そういうことが当たり前のまち。しょうがいしゃ自立支援法ができるとき、国会で座り込みをした中に、市民がたくさんいた。しょうがいしゃが国のレベルで施策をうごかしている。 景観についても、市民が動いて署名を集めた。最高裁は残念な結果になったが、司法で、「市民には景観利益がある」という言葉が使われた。景観法のきっかけになった。 住基ネットは、前市長の時に切って、切断をつづけている。議員の時からこの活動をしていて、前市長がつないだが、約7割の市民が不安をもっている、ということで強く迫り、漏えいの危険がある時は必要な措置を講じることがてできる、ということで切った。 情報が漏えいしたら大変なことになる。あっという間に、名寄せができてしまう。犯罪に使われる危険もある。個人情報の一元管理はこわい。昔から為政者がのぞんでいたこと。2000年の昔から、市民の情報を集めていた。 社会保障カードは、個人情報を一元管理する。便利だけど、危険なもの。国はカードを23年に導入すると計画しているようだ。国立市と矢祭町が切っているので、これを説得するという報道があった。総務省から東京都を通して説得されている。国の関与で強制的に接続しろ、という動きはありうる。国の関与はしたくないということで、そこまではいかないのでは。 住基ネットは、年金の本人確認が必要。こうれいしゃが葉書が出せないので、つないでほしいという声もある。つなぐときには、冗談じゃないという声がもっと大きくなる。 07年は4月の議員選挙の準備をしていた。2月下旬に上原さんがやめるといいびっくりした。まちじゅうが沸騰して3月20日には、上原さんの決起集会をするつもりだった。毎日のように市民があつまっていた。自公の対抗する人は、半年前からポスターを町中にはって、全戸訪問していた。 勝てる選挙じゃないということで、3月になっても決まらない。候補のひとりではあったが、きっかけは、しょうがい者の方から、毎朝「わたしたちの命を助けてください」と電話があった。小さな声を大事にしたいと思っていた。一番低い人に目線を置く、というのが、基本的な姿勢。3月17日にでる。と宣言をした。 演説を聞いてくれる人が、頑張れといってくれた。14000対13000、で1000票差で当選した。 ・・・・・(質疑応答は省略)・・・・・ (2009年1月 8日 国立市役所) |
声をあげる国立市民を誇りにしている関口市長の言葉は、
「市民自治」を実践している矜持にあふれていました。
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