お仕事の合間を見つけて、公開されたらぜったい観にいこうと思っていた
映画「アリスのままで」を観てきました。
50歳でアルツハイマー症を発症した、
言語学者のアリスが主人公で、当事者である
アリスの視点から描かれた映画は見ごたえがありました。
他人事でなく、もしもわたしがアリスだったら・・・
と、思いながら観ていました。
50歳を過ぎた人も、まだ50歳になっていない人も、
まだアルツハイマー症になっていない人も、
わたしだけは大丈夫と思っている人も、必見です。
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映画「アリスのままで」を観てきました。
50歳でアルツハイマー症を発症した、
言語学者のアリスが主人公で、当事者である
アリスの視点から描かれた映画は見ごたえがありました。
他人事でなく、もしもわたしがアリスだったら・・・
と、思いながら観ていました。
50歳を過ぎた人も、まだ50歳になっていない人も、
まだアルツハイマー症になっていない人も、
わたしだけは大丈夫と思っている人も、必見です。
シネマの週末・この1本:アリスのままで 冷酷な現実、気高く闘う 毎日新聞 2015年07月03日 難病もの映画は数あれど、主人公がアルツハイマー症というのは一番残酷かもしれない。徐々に記憶を失い治療法もなく、人間の尊厳もなくしてしまう。「アリスのままで」では、50歳になったばかりで若年性アルツハイマー症と診断された言語学者アリス(ジュリアン・ムーア)の、病との懸命な戦いを描く。 知的で理性的なアリスは、進行を止められないなら、せめて先回りして身の処し方を決めようとする。講義の最中に簡単な単語を忘れ、ジョギングの間に自分がどこにいるか分からなくなると、医学博士の夫ジョン(アレック・ボールドウィン)に内緒で診察を受ける。診断を聞いて動揺するのはむしろジョンと3人の成人した子供たちで、アリスはいざという時の準備をし、最期の迎え方を自分に伝える動画まで用意する。 その頂点が同じ病気の患者の集会で「世界の一部であり続けたい、瞬間を精いっぱい生きている」と演説する場面。過酷な運命を受け入れる覚悟と気高さが胸を打つ。しかし後半になるとアリスは病に追いつかれ、なすすべなく坂を下っていく。 物語はアリスの病状が悪化していくばかりの単線で、結末は明らか。にもかかわらず引きつけられるのは、ひとえにムーアの好演ゆえだ。冷静さを保とうとするアリスの、抑えきれない不安と恐怖を繊細に演じて、映画を突き動かす動力にして最大の見どころとなった。さらにリアリティーを加えたのが、家族が一致団結して支えるという定型の感動とは微妙にずれた人物配置だ。ジョンは自身の将来を優先し、遺伝病だと知った長女は及び腰になる。冷酷な半面、それが現実だろうと納得させられる。 映画は切なく痛ましい。それでも、アリスは病魔を相手に善戦した。避けられないものならば、せめてかくありたいと、願わずにいられない。ムーアはアカデミー賞主演女優賞。リチャード・グラッツァー、ウォッシュ・ウェストモアランド監督。1時間41分。新宿ピカデリーほかで公開中。(勝) ◇もう一言 病が進行する過程をアリスの主観で段階的に描いた演出が、怖いほどリアルという意味で絶大な効果を上げた。理想的な家族の中では異端児的な存在の次女役、クリステン・スチュワートの好演がきらり。(諭) ◇さらに一言 抑制の利いたタッチで描かれるからこそ伝わる。言葉を愛し、仕事にしてきた人間が記憶を失う過程の恐ろしさ。家族の物語も描かれるが、核となるのは最期の時まで自己を保とうとする主人公の姿だ。戦いの全てを体現したムーアが素晴らしい。(細) ◇技あり 写真家でもあるデニス・ルノワール撮影監督は、アリスのアップを丹念に撮って、その美しさをしてグラッツァー、ウェストモアランド両監督に「魔法だ!」と言わしめた。 例えばジョギング中にパニック状態になったアリスを、アップで捉え周囲を執拗(しつよう)に回る。 集会の演説で、ユーモアまじりで堂々と話す姿をやはり回り込んで映す。あるいは症状が進み靴ひもが結べなくなって暗然とした表情を、このショットだけ明暗を強調して撮った。写真家らしい綿密な撮影は、ムーアのオスカー獲得に大きな力となった。(渡) ============== ■今週の執筆者 勝田友巳(勝)▽高橋諭治(諭)▽鈴木隆(鈴)▽渡辺浩(渡)▽細谷美香(細)▽最上聡(最) |
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【インタビュー】ジュリアン・ムーア、彼女のスピーチこそ「まさに『アリスのままで』」 June 25, 2015(Thu) 本年度の映画賞レースにおいて、アカデミー賞を始めとする「主演女優賞」を圧勝ともいえる形で獲得したジュリアン・ムーア。その受賞作となる、若年性アルツハイマーに冒された言語学者を演じた『アリスのままで』が、いよいよ6月27日(土)より公開される。 オスカーを手にしたジュリアンを見届けるような形で、ALS(筋委縮性側索硬化症)のためこの世を去った本作のリチャード・グラッツァー監督について、また、少しずつ“自分自身”が失われていくアリスという女性に向き合ったことについて、ジュリアンがシネマカフェにたっぷりと語ってくれた。 ニューヨーク・コロンビア大学の言語学教授のアリスは、50歳の誕生日を迎え、まさに人生の充実期を迎えていた。だが、ちょっとした物忘れが何度も重なり、ジョギング中に自宅への帰り道が分からなくなった彼女は、やがて若年性アルツハイマー病と診断される。 不安に駆られ、「人生を捧げてきたことが何もかも消える」と夫ジョン(アレック・ボールドウィン)に感情をぶつけるアリス。もし仮に、自身がアリスと同じ病気だったとしたら、どんなふうに向き合っていだろうか。また、愛する家族にはどう伝えていただろうか。そう尋ねてみると、「ああ、分からないわ…。それは悲惨なことよね」と、一瞬、ジュリアンも言葉を詰まらせる。 「もし、それが自分の人生に起きたら、自分の性格だったら、どう反応するかというレンズで、物事を見ることは困難なこと。人によって、物事をどう扱うかは違ってくる。これが正しいやり方、悪いやり方、と決まっていることじゃない」と語る彼女は、実際に多くの若年性アルツハイマーの女性たちを訪ね、それぞれの経験を分かち合い、役作りに臨んだ。「私が会った(この病気の)女性たちから学んだことは、本人、そして家族たちがこの病気と付き合っていくその強さと能力よ」と、彼女は言う。 「アルツハイマーになったら、もうおしまい、って人々は思いがち。でも実際は、この病気と長期間、向かい合っていかなくてはならないわけよ。だから、アルツハイマーの人々はこの病気とどう共に生きていくか、それを学んでいかなくてはならないの。どうやって順応していくか、なのよ。それは本人、そして家族にとっての課題。それは簡単にできることではないわ」と語り、自身の家族にも思いを馳せた様子だ。 本作では、アリスの病気が進行していくにつれ、日ごろは疎遠だった自由気ままに生きる次女リディア(クリステン・スチュアート)が、もっとも近くで寄り添う存在となっている。 「(アリスにとって)夫は人生のパートナーだった。知的な面でも、家族生活のパートナーでもあった人。ところが結局、最後のほうではこの境遇に対処できなくなってしまう。彼のことは責められない。彼もまたどれほど苦しんでいることか、分かるから。そして、頼りにならないと思っていた娘が、結局は最後までしっかり面倒をみられる人物となる。映画は、違う見解をも提示しているの。物事は正しい、誤っていると決めつけるものではないと言いたいのではないかしら」。 これまでも、渡辺謙主演の『明日の記憶』、韓国映画の『私の頭の中の消しゴム』など、若年性アルツハイマーに関する映画は作られてきたが、あくまでもアリス目線から描かれた本作は、ひと味違う。それがもっとも顕著に表れているのが、アリスが認知症の会議で1人の“患者”としてスピーチをするシーン。やもすると、同情や涙を誘う演出になりがちだが、本作はそうではない。アリスは言語学者としての威厳とプライドを保ちながら、同時に患者としての切なる思いを込めた“ありのまま”のスピーチを披露する。 「まさに、『アリスのままで』だったわね」と、ジュリアンも言う。当初は「リチャード・グラッツァーとウォッシュ・ウェストモアランドと一緒に打ち合わせをしていたとき、私はそのスピーチのシーンがしっくりきていないと感じたの。それで彼らが書き直した。そして、3回目の修正版を読んだとき、まさに完璧だって感じたわ。それはリチャードが書いたものだった。リチャードは自分自身が体験していること全てをそのスピーチに注ぎ込んだのよ」。 「そして、彼女(アリス)は言うのよ。これが自分である、これが自分の対処していることで自分が気にしていることだ、って。そんな全てがあのスピーチに詰め込まれたの。彼女にとって、雄弁に話すことは困難なことだった。あるときには同じことを繰り返して喋ってしまう。それでも、彼女は自分の思いを伝えることができたの。だからこそ、感動的なスピーチになったのだと思う」とジュリアン。 アカデミー賞授賞式でも語ったように、「(アルツハイマーなどで)悩んでいる人たちは、孤立しがちなの。1人ぼっちだって感じてしまう。でも、彼らは1人ぼっちではない、って言いたいわ。同じ問題を抱えている人たちはほかにも多くいるのよ。そんな人たちに、この映画は安心や自信を与えることができると願っている。彼らがどんな思いをしているのかを目にすることで、理解を広めることができると思うの」と、本作の持つ“意義”に期待を込める。 そんな本作を共に創りあげた監督の1人、故リチャード・グラッツァーとの思い出を尋ねると、「彼について話すと長くなるわ」とジュリアン。「私が一番思い出すのは、彼がいかにワンダフルな存在であったか、ってことね」と語る。 彼女が顔合わせをしたときには、すでに監督は声を失っていたという。それでも、「興味深かったのは、私が彼と会った瞬間から彼とコミュニケーションをとることに全く問題が生じなかった、ということよ。生き生きしていて、存在感があって、あふれる情熱があったから」「しっかり彼が抱く全てのアイデアを表現できたし、iPodにタイプしながらメカニカル音声で明確に伝えて、私にしょっちゅうメールしてきた。クレイジーともいうべきユーモアのセンスがあって、ちっともセンチメンタルじゃなかったわ」。 監督は撮影中、「(いまが)人生で健康状態がもっとも下降している時期であり、同時にクリエイティブの面でもっとも満足のいく時期」と、ジュリアンに明かしたことがあるという。監督が、しだいに身体の自由を奪われていく自分自身と、記憶や認知能力を失っていく主人公アリスとを重ね合わせるように創りあげた作品だからこそ、「私がその成果の一部になれたことは、本当に素晴らしいことだった」とジュリアンも言う。 本作でジュリアンは、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞ほか各賞を総ナメ。これら主要映画賞と、カンヌ(『マップ・トゥ・ザ・スターズ』)、ベルリン(『めぐりあう時間たち』)、ヴェネチア(『エデンより彼方へ』)の世界3大映画祭の「主演女優賞」を制覇した史上初の女優となった。 「まあ、そんな。本当に? 世界3大映画祭の『主演女優賞』を制覇した史上初の女優はほかにもいるけれど、私は史上初のアメリカ人女優なのかもしれないわね。ラッキー、としか言いようがないわ(笑)。とてもとてもラッキーよ。驚異的な光栄だわ。いろいろ違う時期に、いろんな映画をやってこられたことも光栄だった」。 「本当にクレイジーとしか、言いようがないわ!」とジュリアンはその喜びをあふれさせながらも、「でもね、働けたことに感謝している。私は自分の仕事を愛しているから。いまでも仕事できることに刺激を感じて興奮するのよ」と語る。「ある役者から先日、聞かれたわ。『そろそろ、もう辞めたいって感じない?』ってね(笑)。私は『ノー』って答えたわ。『感じないわ。この仕事が好きなのよ』ってね」と、最後に笑顔を見せるジュリアン。 役そのものに真摯に向き合い、女優という仕事を愛してやまない彼女は、これからもさらなる高みへと走り続けていくことだろう。 『アリスのままで』は6月27日(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国にて公開。 (text:cinemacafe.net) |
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