「政治哲学者アントニオ・ネグリ来日』の記事を紹介しましたが、
予定していたアントニオ・ネグリの来日が中止になりました。
直前になっての、法務省入国管理局の横槍のようです。
楽しみにしていた人が多いのに(わたしもその一人です)、
とても残念な思いです。
3月17日の記事で紹介したのですが、以下のように訂正します。
政治哲学者・アントニオ・ネグリ氏下旬に来日/
東大では、上野千鶴子さんと姜尚中さんが討論者(3/17)
<緊急連絡・ネグリ氏の来日中止に関して>
3.20にアントニオ・ネグリ氏の来日中止が招聘団体である
国際文化会館より報じられました。
詳細については国際文化会館のHPをご参考ください。
3.29の東京大学安田講堂での講演会は、プログラム内容を
変更のうえ、開催いたします。
詳細につきましては、今後決定次第HP上でお知らせいたします。
(3月21日09:40 ネグリ氏東大講演会事務局)
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国際文化会館のHPより 2008年3月20日 アントニオ・ネグリ氏来日中止について 財団法人 国際文化会館 常務理事 降旗高司郎 このたびのアントニオ・ネグリ氏の招聘計画につきましては、多大なご協力を賜り、誠にありがとうございます。当会館は、民間レベルで文化交流・知的協力を推進することを目的に、さまざまな知識人・文化人の交流を推進してまいりました。その一環として企画いたしましたネグリ氏の初来日につきまして、誠に残念ながら、中止となりましたので、ご報告いたします。 当初、アントニオ・ネグリ氏の入国は、在フランス日本大使館より、査証(ビザ)なしで入国可能とのことで、私どもは受け入れ準備を進めて参りました。しかし、ネグリ氏がフランスを出発する予定であった3月19日の2日前の3月17日(月)に外務省から私どもへ連絡が入り、アントニオ・ネグリ氏は、査証なしで渡航することになっているが、昨今の入国管理をめぐる諸事情を鑑みると、査証なしで来日すると入国の際に拒否される可能性が非常に高いとの説明を受けました。私どもでは、ネグリ氏の日本入国を20日に予定しておりましたので、ネグリ氏に至急査証申請手続きを在フランス日本大使館でしていただきました。翌18日になって、再度、外務省より、今回のネグリ氏の査証発給に関しては、法務省入国管理局との協議の上で行われているとの連絡が入りました。つまり、入国管理局の許可なしには、在仏日本大使館は、ネグリ氏に査証を発給することはできないということです。 その後、法務省(入国管理局入国在留課)より、アントニオ・ネグリ氏の日本入国には、彼が政治犯であったことの正式な証明が不可欠であるとの連絡を受けました。ネグリ氏は、過去に、イタリア国内での政治活動に対して有罪判決を受けたことがあり、日本の「出入国管理及び難民認定法」の「上陸の拒否」の項目(第5条4項)に、「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は、「本邦に上陸することができない」とあるからです。ただし、この条項には、但し書きがあり、「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」というものです。ネグリ氏の場合は、出入国管理法が定める「例外」に当たるため、それを証明する公式文書を提出するように、ということでした。入国管理局としては、この書類がない限りは、ネグリ氏の日本入国は認めることができないとのことでした。 私どもといたしましては、数日遅れたとしても書類が整えばネグリ氏の来日が実現できるということで、八方手を尽くしましたが、来日を実現するその書類(ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類)の入手そのものが難しいことが判明いたしました。その結果として、今回の招聘は断念せざるを得ないということになりました。ネグリ氏ご自身も、訪日できなくなったことは非常に残念であるが、過去の経歴の詳細に焦点があたる形での来日を実現することに対し懐疑的でおられる旨、伝えてこられました。この間、法務省や外務省、在仏日本大使館のの方々にはネグリ氏の来日を実現すべく懸命に動いていただきましたが、このような残念な結果となりました。氏の来日プログラムの準備にこれまでご尽力・ご協力を下さった方々に感謝の意を表すると同時に、このたびの来日の中止に関しご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏からのメッセージを以下に記します。 ------------------------------------------------------------------ 日本の友人たちへの手紙 皆さん、 まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。 およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。 ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。 飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。 大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。 数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。 パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。 友情の念と残念な思いを込めて…… 2008年3月19日 パリにて ジュディット・ルヴェル アントニオ・ネグリ (訳 市田良彦神戸大学教授) |
【社会】 A・ネグリ氏の来日中止 「ビザなしの入国困難」 中日新聞 2008年3月20日 19時03分 反グローバリズムの象徴的存在として知られるイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏(74)が、査証(ビザ)なしでの入国が困難として、予定していた初来日を中止したことが20日、分かった。 ネグリ氏は財団法人国際文化会館(東京)の招きで20日に来日し、4月4日までの滞在中、同会館や京大、東大などで労働問題などをテーマに講演する予定だった。 ネグリ氏は過激派テロ組織「赤い旅団」による元イタリア首相暗殺事件をめぐり、言論活動での影響を問われ有罪となり、一時フランスへ亡命。1997年に帰国し、2003年まで服役した。 国際文化会館によると、外務省から17日「昨今の事情で、ビザがないと入国できない可能性が高い」と、ビザを申請するよう連絡があった。 入管難民法は1年以上の懲役や禁固刑を受けた外国人の入国を禁じる一方、政治犯を例外としている。しかし、ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類を準備するのは困難で、ビザを申請しても発給されない可能性があるという。 (共同) (2008.3.20 中日新聞) ------------------------------------------------------------------- イタリアの政治哲学者、ネグリ氏の来日が中止に 来日予定だったイタリアの政治哲学者で、『帝国』の共著で知られるアントニオ・ネグリ氏の来日中止が20日、決まった。 招いた国際文化会館(東京・六本木)がホームページで報告した。 ネグリ氏は1979年、「赤い旅団」によるモロ元首相誘拐暗殺の嫌疑をかけられ、逮捕・起訴された。後に関与なしと判明したが、政治運動への影響力の責任を問われ、有罪になったことがある。 (2008年3月20日22時14分 読売新聞) ----------------------------------------------------------------- 「〈帝国〉」の著者ネグリ氏、来日を延期 朝日新聞 2008年03月20日13時18分 世界的に反響を呼んだ「〈帝国〉」の著者の一人でイタリア人哲学者のアントニオ・ネグリ氏(74)が日本政府から入国できない可能性を示され、来日を延期したことが19日、わかった。 ネグリ氏は、財団法人国際文化会館の招きで20日に来日し、約2週間の滞在中に東大など3大学で、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定だった。 同会館によると、17日、外務省から7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており、ビザを申請するよう説明を受けた。同氏は在住するパリの日本大使館に18日、ビザを申請したが、発給待ちの状態が続いている。 同氏は79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕されたあと、83年にフランスへ亡命。殺害事件は無罪となったが国家転覆罪で禁固刑が確定した。97年に帰国後、03年まで刑に服した。その後執筆のほか、各国で講演活動をしている。 入管法では、国内外の法律に違反し1年以上の懲役や禁固刑を受けた外国人の入国を禁じている。政治犯に関してはこの限りでないとしているほか、事情により法相の特別許可を受けることができる。国際文化会館はその方向での入国の可能性を探っている。 しかしこの場合、現地の日本大使館にビザ申請し、過去の資料をもとに本人から話を聞くなどの審査を経る。「常識的に考えて、数日間で出る可能性はきわめて低い」(関係者)といい、今回の来日日程にあわせるのは難しそうだ。 (2008.3.20 朝日新聞) |
5年間で22カ国を訪問したけれど、こんなことは初めてとのこと。
国のやり方に憤りを感じるとともに、
「日本」という国に住んでいることが恥ずかしい思いです。
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