めいすいの写真日記

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福島第一原発事故・・・3号機

2011-05-07 | その他

福島第一原発の事故。このYuTubeの3号機の爆発の解説は映像を交えてのもので、内容が素晴らしいし、よく分かります。

 3号機の使用済み核燃料プールの燃料棒が吹き飛んでいる映像をみると、3号機の爆発がいかに強力なものであったかということが 分かります。
 放射性物質が太平洋を越えハワイ、アメリカ西海岸など相当広範囲に飛び散っているなどということは知りませんでした。
 規模が小さいとはいえチェルノブイリと似たような状況だった。そして、水蒸気爆発だけではなく、核反応 らしいと説明しています。これには驚きました。
 この3号機の爆発の解説は本当にわかりやすいし、こうした説明をする科学者が日本にはいないというのが残念です。
 さらに政府はいろいろなことを知っているのではないかといっています。「健康に大きな被害はない」というだけが政府の責任ではありません。
 福島第一原発事故の深刻さを、政府も東京電力も、隠しているのではないかという疑問がつきまといます。NHKも同罪です。
 でも、真実はいずれ明らかになるでしょう。
 すでに、多くのブログでも取り上げられているようですが、たまらず掲載させてもらうことにしました。

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東日本大震災救援物資 ・・・ 東京都庁の様子

2011-03-23 | その他

 東日本大地震による被災地の復興と再生へ向け、国民みんなの暖かい支援を!


 今日東京都庁を訪れたところ、第二庁舎の一階フロアに救援物資受付会場がありました。救援物資が続々届き、50人はいると思われる都の職員が、うずたかく積まれた段ボール箱の中で甲斐甲斐しく働いていました。

 救援物資はもちろんのことですが、 段ボールも何台ものトラックに積まれて、次々に運ばれて来ています。
 ここは都民からのすべての救援物資が一旦集積されるところ、ここから被災地に車で運ばれていきます。
 いずれ被災者の元に、心のこもった救援物資が届くことでしょう。

 なお、東京都の建設局で聞いた話では、すでに被災地での道路、河川など公共施設の復旧の応援に当たるため建設局独自の事務所の設置を仙台に、そして他にも2箇所にも詰所を考えているとのこと。
 すでに4人の管理職が現地で国土交通省、東北の各県などとの会議に参加して今後の進め方を検討しているようです。
 4人の管理職がすでに現地入りしていると言うことですので、いずれ30~40人程度の都職員が2年ほど派遣されることになるのではと思います。

  これまで復旧の応援は阪神淡路大震災や中越地震などでは職員の派遣だけだったようですが、今回は力の入れ方が違うようです。 これは、建設局だけの話ですので、オール都庁でさらに多くの数の都職員が東北に向かうことになりそうです。

  こうした都職員の派遣は、家族と離れ、今までと違った生活環境におかなければならず、それぞれの人にとって大きな負担となるでしょう。しかし、東北地方の被災地の早期復旧に大いに役立つことになると思います。また、いずれはやって来るであろう首都圏の震災にも貴重な経験になるはずです。頑張っていただきたいと思います。

 

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福島第1原発 ・・・ 安定化まで、あと一歩。頑張れ「フクシマ50勇士」!

2011-03-22 | その他

 東北関東大地震により原子炉内の炉内冷却系統を失ってしまった福島第一原発。
どうなるのか心配していた矢先に、水素爆発で建屋の天井が吹き飛び、一気に危機が表面化してしまいました。そして 「制御不能」、「放射能大量放出も」という活字が新聞の紙面に踊りました。
  その後、水素爆発の原因となった使用済み核燃料プールの冷却のための、自衛隊員や東京消防庁のハイパーレスキュー隊のまさに命がけでの挑戦が功を奏し、何とかプールの温度が下がりました。隊員たちには感謝の念を表したいと思います。

 一方、復旧への最大の鍵であった1号機~4号機原子炉の本格的な冷却を目的とする外部電源の引き込みも、外国メディアに「フクシマ50勇士」と呼ばれている東電と関連企業の社員たちの地道な努力によって続けられ今日、完了しました。今後は機器の点検をしながら機能回復していくという事です。 
  福島第一原発安定化への道筋がようやく見えてきたといえるでしょう。

 しかし、ジワジワと被害が広がる放射能汚染は、ほうれん草などの野菜、牛乳の国の基準値を超えて出荷停止になりました。さらには付近の海洋汚染も広がりつつあります。

  ヨウ素とセシウムの放射能汚染は核融合による生成物ということで、原子炉の圧力容器の水面から一部露出した燃料棒からの放射線かと再び心配になります。

  でも15日の水素爆発以降は放射能の汚染は減少傾向にあり、ヨウ素の半減期の現象の似ているとの報道が、今日ありました。

 なんとか、放射能のこれ以上の放出は防ぎたい。かなりの被害は出ており、予断を許すような状況には、まだなってはいないけれど、「フクシマ50 勇士」の皆さん、国民の大きな期待を担って頑張って下さい。 そして地震による「さらなる被害の拡大」を、なんとか防いで下さい。世界が注目しています。

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計画停電 ・・・ 埼玉県志木市の状況

2011-03-14 | その他

 東日本大地震で被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。
 また、この震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りします。
 国民みんなの暖かい支援で、被災地の一日も早い復興を図りましょう ! !

 東日本巨大地震による東京電力の計画停電。私の住む埼玉県志木市でも大きな影響が出始めています。

 昨日計画停電がどのように行われるのかと志木市役所のホームページを見ようとしたらアクセスが集中していて繋がりません。
 ツィッターに何時も志木市が細かい情報とアクセス先を載せていることを思い出し、見てみたらモバイル用のホームページにアクセス出来ました。

 志木市は、第一グループと第三グループとに分かれています。しかし、私の住んでいる丁目が何故か、そこから外れています。よく見ると他にもそういう場所があります。
  あくまで想像ですが、たとえば市役所とか警察署とか消防署のある地域は計画停電から外しているのかも知れません。

  テレビで概略の情報を見て電車は動いていると思い7時45分に駅に着いたら、10時から運行するとのこと。
情報板をみると成増~志木駅間は10時~16時、21時~終電までの制限での運行ということが分かりました。
駅員が「この掲示板を見たり、写真を撮ったりした人は、すぐに前を開けて次の人に譲って下さい。
徒歩での成増までの経路も載せてあります。」と声を枯らしていました。
 でも4つ先の駅まで歩くとなると大変な距離です。

 一旦、家に戻り10時に再び駅に行ったところ、改札に行くための階段には長蛇の列。
大分、待ちました。しかし改札を抜けるとその後はスムーズに電車には乗れて、勤務地の地下鉄有楽町線豊洲駅に着きました。

  家から駅までの通勤途上で見た道路の状況は、東京方面に向かう道路が大渋滞をしていました。ほとんど動きません。
 周辺のガソリンスタンドには、ガソリンがほとんど無い状態。その中の車がガス欠を起こすことはないかと心配になります。

  生活物資ですが、志木市で最も大きなスーパーは昨日の午前中まで、食料品売り場にはものが溢れていました。
 しかし、昨晩は水、パン、牛乳などはすっかり無くなり、その他も品薄になっていたと言います。
 道路の状況を見ると流通のための交通は大きな支障を生じていると思われるので、生活関連物資の輸送もスムーズにはいかなくなるかも知れません。
 また、毎日3時間程度の停電が続くとなると、お店の方も開店時間が大きく制限されることになるでしょう。

 私の住む街は東北地方ようなの甚大な被害は全くといっていいほど受けていないのですが、
被災地に準ずるような状況が出てくるようになりました。
 玉音放送の「耐え難きを耐え、忍がたきを忍ぶ」の言葉のように、しばらく、生活の不便に我慢をしなければならない日々が続くことになりそうです。

 しかし、こうした状況をを乗り越えて、被災地の復興と再生、電力の早期復旧に協力し、頑張っていかなければならないと思っています。 

 

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東日本巨大地震

2011-03-12 | その他

東日本大地震で被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、この震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りします。
国民みんなの暖かい支援で、被災地の一日も早い復興を図りましょう ! !

それにしても、マグニチュード8.8 (後に9.0に訂正) の巨大地震は埼玉県志木市でさえ大きな地震でした。
 
経験したことのない大きな揺れのある地震 (震度5) でした。
一時はなにかにつかまっていないと立っていられないほど。
その後、余震も続き、ゆたーり、ゆたーりと揺れるので気持ちが悪くなってしまいました。
ただ、わずかにモノが落ちたり、倒れたりしただけで被害はありませんでした。
地震情報を見ている大型の液晶テレビがかなり揺れるので心配はしましたが・・・・。

地震が発生した時は営業で外回りをしていて仕事が早めに上がったので、運良くギリギリで家に帰っていました。
通常の帰宅時間でしたら、首都圏は電車がすべて不通でしたから、家に、帰れませんでした。
職場からは大丈夫かと電話が入りました。
 
それと携帯電話がかかりづらくなってしまいました。連絡が思うに任せません。
また、地震発生時から夜中までインターネットと光電話(AU)が通じなくなってしまいました。
 
私が生まれてからは、巨大地震は関東地方を襲ったりしていませんが、
地震の恐怖を身をもって感じました。
被害地は全部停電でしたから、情報は携帯電話のワンセグがラジオでしか得られなかったでしょう。

ワンセグテレビはすぐに電池切れになるので、車から電源を撮れるようにするとか、乾電池の充電器を持っている必要があると思いました。

乾電池のラジオも昔持っていたのですが、どこかに入り込んでしまいました。
懐中電灯は大小2つとも、点灯しましたが、単一の電池の予備がありません。ともに購入しようと思います。
食料備蓄もあった方がいいと感じました。分かっていても実行するのは大変ですが・・・。

家の近くのスーバーの水や牛乳など今回の地震でも一時的に無くなってしまいました。
その後、家電量販店では、大小の懐中電灯と単一を初めとする電池もなくなりました。
ガソリンスタンドも給油が出来なくなる店が多くなりました。輸送が困難になっているようです。

今回の巨大地震で津波の恐怖をわれわれ日本国民はイヤと言うほど知りました。
いずれ首都圏にも襲ってくると思われる巨大地震。海岸線は津波ですが、内陸部は火災。
関東大震災も阪神淡路大震災も火災が被害を大きくしました。
家屋の倒壊は仕方ないとしても、大規模火災だけは避けたいものです。
地震だ。火を消せ!」の言葉をしっかり記憶しておきたいと思います。

被害を受けられた方を前にして不謹慎かも知れませんが、
私の存命中には、周辺で、こんな恐ろしい巨大地震が起こらないことを切に願っています。

 

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