めいすいの写真日記

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箭弓稲荷神社の牡丹

2008-04-28 | 
 埼玉県東松山市にある箭弓稲荷神社。創建は奈良時代(702年)というから歴史は古い。 敷地も広く、商売、勝負の神様として有名である。「やきゅう」という音のため、野球関係者が多く参拝する。特に、埼玉県所沢市が本拠地の西武ライオンズの選手達が、頻繁に訪れるとのことである。

 もう一つ有名なのが境内にある「ぼたん園」。3,500㎡の敷地に1,300株の牡丹がある。
東松山市の花は牡丹であり、その他に「東松山ぼたん園」がある。30,700㎡の敷地に5,800株の牡丹があるとのこと。こちらは駅からちょっと離れたところにあり、入場料500円である。

 「牡丹」は、中国では古代より「花の王」と呼ばれ、日本では「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれ親しまれている。私は、これまで、牡丹の花をじっくりと見たことがなく、連休を利用して牡丹咲く箭弓稲荷神社を訪ねてみることにした。
 
 神社は東武東上線の東松山駅から歩いて3分ほどの所にある、私の家は志木市、志木駅から急行に乗ると35分で東松山駅に着くので、電車に乗っていくことにした。

 駅の改札を出ると、「ぼたん祭」のはっぴを着たおばさんが二人、机にパンフレットを並べて観光案内をしている。そのおばさんが言うには、「箭弓様の牡丹は、咲くのが早く、もう散ってしまっています。野田のぼたん園に行かれれば、こちらの方が花の咲くのが遅いので、ちょうど見頃でいいですよ」という。
 「ええっ、箭弓稲荷神社ではもう牡丹が見れないの」と聞くと、「ツツジや藤の花が咲いているのでそちらは見られますが、やはり牡丹を見るのなら東松山ぼたん園の方に行ってください」という。すっかり気落ちして、どうしようかと思案する。
 さらに、駅の陸橋を降りてみると駅広に「東松山ぼたん園」行き(100円)のマイクロバスが停車している。足が一歩、乗りかかろうとしたが、「箭弓稲荷神社」に行ってみて、牡丹が見れなかったら行くことにしよう決心し、すぐ近くにある神社に向かった。



 さすがに、古い神社と言うこともあり、雰囲気は上々だ。幟が何とも言えない、いい感じ。


 
ぼたん園の奥には、池があって噴水が上がっており、「天神社」という社がある。



こちらは、その「天神社」側から眺めたぼたん園。



牡丹とツツジとふじの花が咲きそろい、なかなかの光景である。



 牡丹の木は、高さ1~1.5m。種からの栽培は手間がかかったが、戦後、芍薬の木に接ぎ木するようになってから急速に普及したのだそうだ。 



こちらは、ピンクの牡丹。



こちらは、白い牡丹。



 こちらは、黄色い牡丹。「黄色い牡丹は新種で珍しく、花が小振りで遅咲きである」と教えてくれた人がいた。品種は「金晃・金閣」ということであるが、そのうちのどちらかは分からない。

 「ほとんどの牡丹の花が散ってしまい、見れないのではないか?」と心配したのだが、まだ、花はずいぶんと残っており、牡丹の美しさを十分に堪能できた。 
 帰り際に、駅の案内のおばさんに、今年は箭弓稲荷神社の牡丹を見たが、来年は車で「東松山ぼたん園」に行きますよと言った。そうしたら、「旦那さん、東松山の焼き鳥も美味しいですよ」と「東松山やきとりMAP」をくれた。「前から知っているんだけど、食べる機会がまだ無いんです。やっぱり、焼き鳥にはビールかお酒がなくてはね。今は午後2時だから、夜まで待つのはたいへんなので次回にします。」と返答した。

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ツツジ三題・・・’08

2008-04-26 | 
ツツジ三題

 今日の朝日新聞の朝刊の三面(39ページ)には、「ツツジらんまん 東京根津神社」という記事があり美しいカラー写真が掲載されたいた。私は、根津神社に行ったことはあるのだが、ここのツツジを見たことはない。2000坪の敷地におよそ50種3000本のツツジがあるというから壮観だろうと思う。



 しかし、私の家のすぐ近くの家々でもツツジを植えている人が多く、今が盛りで美しい。
まずは、赤、紫の美しいツツジ。



おなじく、うす紫のツツジ。柔らかな色がとてもいい。急な坂道に面した家に咲いていた。



 そして、我が家の玄関のツツジ。女房も私も植えた記憶がない。初めは手の上に載るくらいの大きさだったと思うが、だんだんと大きくなった。お見せするようなものでもないが、我が家には大切な花となってきた。

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志木市の料理屋・・・・・川魚料理「鯉清」

2008-04-21 | 外での食べ物
志木市の料理屋・・・・・川魚料理「鯉清」

 志木市の料理屋といえば、まず川魚料理店の「鯉清」(志木市上宗岡2-15-13 TEL 048-471-1188)ということになるだろう。志木市の中心部からはちょっと離れたところにあるが昔から名は知られていた。私も何十年も前から、この店を訪れている。
 明治11年の創業というから、おそらく創業当時からしばらくは川魚は地元、新河岸川と荒川で捕れた鯉や鰻を料理していたに違いない。
 小学低学年の頃、友達が親父と一緒に置き針を新河岸川にかけておくと鯉や鰻など川魚が良くかかったという話を良く聞いた。この料理屋のある上宗岡2丁目から新河岸川までは200m程、荒川までは500m程である。
 と子供の頃から思っていたのだが、webで見てみたら、創業当時、農業の片手間に鯉を養殖したのが始まりらしい。そういえば、今の駐車場になっているところが鯉の養殖場だったかも知れない。子供の頃のかすかな記憶に残っている。





 昨日は、祝い事があり、家族共々、昼食を取るために「鯉清」に行った。



 鰻重は松。定食のセットは台湾産だが、この鰻は国産の養殖物だという。



 こちらは「鯉こく」、五年間熟成した麦味噌を使用したという伝統の味である。左は串焼き三点盛り、ひれ、肝、かぶと。



 こちらは「鯉の洗い」、これも昔からの味である。

 鯉といえば、昨年の暮れ、中央ヨーロッパを旅した時(めいすいの海外旅日記 中欧第三日)、プラハやブラチスラバではクリスマス料理のために、街頭で生きた鯉を量り売りで売っていた。中央ヨーロッパでは、フライかスープにすることが普通だという。日本人の方が、調理に関しては器用であるといえるかも知れない。

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新河岸川の八重桜

2008-04-21 | 
私の家の近くを流れる新河岸川、志木市役所付近の「いろは橋」から下流両岸500mは、ソメイヨシノの古木が沢山あり、花見の季節には大いににぎわう。



 そのソメイヨシノの時期は終わってしまい、わずかに一本だけある八重桜が、今満開である。 



 この八重桜をちょっと近かよって撮ってみた。風が強い日て葉が一方になびいていた。



この付近の河原には、アヒルやカモが数多く生息している。

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新国立劇場オペラ「魔弾の射手」

2008-04-19 | オペラ・バレエ
 4月18日(金)、新国立劇場にウェーバー作曲「魔弾の射手」を聞きに行った。 誰もが聞いたことのある「狩人の合唱」で知られる、オペラ「魔弾の射手」。

 1821年のベルリンでの初演は空前絶後といわれる熱狂的な拍手を浴び、瞬く間に世界中に広まった。 ドイツでは「魔笛」「魔弾の射手」「フィデリオ」が三大ジングシュピール(台詞が入ったドイツ語の歌芝居)といわれ、大変ポピュラーなオペラで、「フィデリオ」よりも人気がある。しかし、日本では意外に上演される機会が少なく、新国立劇場では初上演である。  このオペラは、昔からドイツが合唱の盛んな国であることにもよるが、いくつものすぐれた合唱曲が散りばめられているし、美しいアリアも数多い。 管弦楽も、後のワーグナーを生み出すこととなったといわれるほど、作曲の技法が素晴らしい。 そういえば、ウェーバーの作曲したピアノ曲「舞踏への勧誘」(ベルリオーズが管弦楽曲に編曲)も私の大好きな曲である。

第三幕 打てば必ず当たる魔弾の7発目だけは悪魔ザミエルの意思のままに 、マックスは花嫁姿の婚約者アガーテに向けて発砲してしまう。

  今回の新国立の「魔弾の射手」は、配役は特に有名な人は出ていないが、それぞれが適役であり、エッテンガー指揮東京フィルハーモニーの演奏がすこぶる良く、合唱も三沢洋史合唱指揮の新国立歌劇場合唱団も実力を十分に発揮して聴き応えは十分であった。 詳細は 「めいすいの音楽随想」no.78 オペラ「魔弾の射手」をご覧下さい。


我が街の紹介6・・・・敷島神社の田子山富士

2008-04-12 | 志木市・・・・我が街の紹介
 家から五分ほど歩いたところにある敷島神社



 子供の頃の遊び場であり、初詣の場所、志木の夏祭りの御輿の収納庫があり、子供達の七五三のお祝い、また厄日のお払いなどをしてもらった神社である。特別大きな神社ではないが、私にとっては、とても身近な神社である。



 神社にある狛犬。小学生の頃、この上に跨ってよく遊んだものだ。



 この神社にある「田子山富士」は 「ふるさと埼玉史跡100選地」である。
 ここには、「田子山富士塚」の案内板が建てられている。

「この富士塚は、古墳と言われてきた「田子山塚」の上に盛土をして築造されてものです。
 富士塚とは、富士山を模して築かれた人造の小山で、主に江戸時代から明治時代にかけて築造され、県内だけでも約百基の富士塚が現存し、市内では、このほかに一基羽根倉の浅間神社にあります。
 田子山富士築造の発起人は、後に富士講の先達となった高須庄吉で、富士山を大変崇敬していました。
 庄吉は、この地を散策中に富士山に入廷したといわれる十瀧房承海の曆応三年(1338)の逆修板碑を発見し、大いに感激して同志を募って築造に着手しました。
 工事は、明治二年(1869)十月から五年六月にかけて行われました。
 塚は、高さ十二メートル、樹木や岩石の配置に工夫がなされており、富士山に模して登山道・人穴・胎内・烏帽子岩・釈迦割石や富士山から運んだ溶岩などが置かれ、頂上の祠の中には木花咲耶姫命が祀られています。また塚のふもとには、浅間神社の祠があり承海の逆修板碑が祀られています。      志木市教育委員会」

「山の規模もさることながら、特に石造遺物の数と種類、細工は他の富士塚と比較しても並はずれて優れており、当時の引又河岸や富士山信仰を知る上で欠かすことのできない貴重な文化財である。なお、「富士塚」としては県指定第1号であり、市内における県指定文化財としても第1号である。     志木市ホームページ」



 この田子山富士の麓にはひっそりと「すみれ」が咲いていた。白いのは、散った桜の花びらである。

 こうした富士塚は東京は神田にもあったから、結構、関東各地に沢山あるのかも知れない。頂上から必ず、富士山が見えるように作られたという。この頂上から富士を見た記憶はないが、昔は私の家の二階からも見えたし、志木小学校の教室からも鮮やかに富士が見えた。お隣の町は、富士見市でもある。だから作られた当時、ここからも見えたことは確実である。
 現在は立ち入り禁止なので確かめたわけではないが、多分、頂上に立っても今は、周りに多くのビルが建ったので見えないだろう。
 それにしても、この塚を作るのに三年近くもかかっているのは驚きだ。昔は、この塚程度のものを作るのに、ずいぶんと労力を要したのだ。



 こちらの写真は、敷島神社からはだいぶ離れた志木市羽根倉にある「羽根倉浅間神社」の富士塚である。



 ここの敷島神社周辺で武蔵野丘陵(左側)は終わり、新河岸川へと崖地になっている。こうした地形に富んだ地に富士塚や神社は建てられたのであろう。
 新河岸川の右岸の遊歩道を歩いて帰る途中、写生をしている人に出会った。隣町の朝霞市三原に住んでいるという。「地元の黒目川はずいぶん描きました。でも、志木市のここは、ソメイヨシノがすでに散ってしまって、ちょっと寂しい」という。でも、こうした景色を水彩で写生するのも優雅な趣味であると思う。

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我が街の紹介5・・・・名刹「宝幢寺」のしだれ八重桜、石楠花

2008-04-06 | 志木市・・・・我が街の紹介
「宝幢寺」の「しだれ桜」を先日紹介したが、ちょっと遅れて咲く「しだれ八重桜」は今が見頃である。



 八重桜は、近づいて見ても、なかなか風情がある。



 今日は天気も良く、近くのおばさんも見に来ていて「きれいですね」とにこにこしながら、私に声をかけてきた。「この八重桜もきれいだし、石楠花(しゃくなげ)もいいですね」と私も挨拶した。



 しゃくなげと言えば「夏のおもいで」の歌詞「石楠花色に たそがれる、はるかな 尾瀬遠い空」 という、尾瀬に咲いていた石楠花。そして、八ヶ岳で見た黄花石楠花を思い浮かべるが、もっと小振りで背が低かった。山に咲く石楠花は自然がそれだけ厳しいからだと思うが、それにくらべると、こちらの石楠花は大型だ。



 また、なにげなく植えられていたラッパ水仙も可愛らしかった。

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臨海副都心・豊洲地区と東京港横断「水道管用海底トンネル」の見学

2008-04-04 | 見学記
 今日は東京都水道局の工事見学会があるというので、臨海副都心の豊洲地区まで出かけた。新橋から「ゆりかもめ」に乗る。



 このモノレールは、最初はビルの谷間を抜けていく。車内で撮ったので、その影が映ってしまった。



 お台場海浜公園、テレコムセンター、国際展示場前と行った人気スポットを通り過ぎ、 「市場前」という駅に着く。ここはまだ乗り降りする人も少なく閑散としている。この地域一帯は、臨海副都心の一部、江東区豊洲である。



 駅から降りて、あたりを見渡すと「東京砂漠」といっていいような、殺風景な場所である。
 ここには4~5年後、予定では「築地」から生鮮市場が移転してくることになっている。そんなわけで、今は「工事銀座」でもあるが、一体5~10年後にはどのようになっているのだろうか?今の築地市場の中のように賑わい、少なくとも安くて美味しい寿司屋さんが1軒や2軒出来るのではないか。
この写真、後ろに見える吊り橋は、東京港の玄関口「レインボー・ブリッジ」である。中央右に小さい白いテントがあるのが、今日訪れる「水道管用海底トンネル」の現場。水道管はブリッジの下、海底を真っ直ぐに突き抜ける。





 この工事は、水道の幹線(この地域は直径1.8m)を整備し、ネットワーク化することにより、地震など有事の際、一部が破壊されたとしても都民に安定した配水が出来るようにする。また、三郷、金町といった浄水場でろ過した利根川の水を城南・城東地区に配水する際、東部丘陵地帯(標高30~40m)を迂回せずに海側低地帯を送水することにより、年に2~3億円のポンプアップのための電気代が節約できる。という目的があるようだ。



 トンネルは泥水シールド工法によって行われた。竪坑は深さ60m。そこに工事用エレベーターで下りる。



 到達竪坑の上を見ると、ずいぶん下に降りたという気がする。しかし、写真はピンぼけとなってしまった。



 シールドの外形2.8mなので、特に大規模なトンネルと言ったわけではないが、東京港の海底を通ることと、水道管のトンネルということに珍しさがあると思う。
 見学会は、延長2325mのうち、到達竪坑から約250m先まで歩き、引き返した。

 東京都水道局の職員さん、今日は、いろいろ親切に説明していただき有り難うございました。