めいすいの写真日記

いつもご訪問ありがとうございます
500万アクセスを達成しました

角川武蔵野ミュージアム

2021-11-30 | 見学記

埼玉県所沢市、武蔵野台地に日本を代表する建築家・隈研吾氏がデザイン監修して建てられた5階建ての
現実離れした建物」があります。1200トンもの花崗岩2万枚を使用して「地殻が地表に突き出したイメージを出したかったという」
近くからでは全体が写せず、広角レンズを使用して撮影しました。

この建物の中には本棚劇場(4,5階)、浮世絵劇場、漫画・ラノベ図書館などの施設があり
それぞれ入場料が別料金になっています。

ミュージアムの入り口は2階から。私達は、今回は本棚劇場のみの見学にしました。

 入ってすぐのところには、本を自由に手に取って読めるスペースがあり、小さな机と椅子・クッションも置かれています。
 私も何冊かの写真集や図鑑を手に取り30分ほど時間を過ごしました。

奥には5階までの吹き抜けの空間があり、360度本に囲まれた呼び物の「本棚劇場」
があります。ここの蔵書は3万冊あるのだとか。(広角撮影)

正面の棚には時間によりプロジェクション・マッピングが行われ、画像が映し出されます。(広角撮影)

 五階から下を覗いたところ、「身を乗り出して下(4階)を覗くのは危険です」とありました。
本棚劇場正面の壁の半分ほどが写っています。

企画展として、「俵万智 展」が、4階別室で開かれていました。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

   これが、一世を風靡した俵万智の詩歌。新しい文学の息吹
  桑田投手が初完封をした時にスポーツ紙が「桑田記念日」とトップ記事にした新聞が
室内に飾ってありました。

   「嫁さんになれよ」だなんて缶チューハイ二本で言つてしまっていいの
     万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

(了)


世界遺産「富岡製糸場」を訪れる

2019-05-30 | 見学記

町会の日帰り研修会として、次に訪れたのは世界遺産の「富岡製糸場」。平成26年に登録されました。ここは正門。

富岡製糸場は、明治初期の殖産興業の代表的な工場。フランス人ポール・ブリュナが指導者として雇われ、 建設事業から

製糸の先進的な的な手法を教えました。フランスの製糸技術など産業全般がいかに高度だったか も知ることが出来ます。

 入場するとすぐに、東置繭所があります。レンガ造りです。明治4年に工事に着手しましたが、当時日本にはレンガがありま

せんでした。「木骨レンガ造り」工法を採用。レンガはフランス人技師の指導を受けて瓦職人が造りました。目地は石灰で造ら

れた漆喰を用いました。平成26年に「国宝」に指定されました。

1階は、事務所・作業所。2階には乾燥させた繭を貯蔵しました。(写真は東置繭所の2階)

操糸所。繭から生糸を取る作業を行っていた場所。

操糸所の内部。創業当初はフランス式の操糸器300釜が設置されていました。当時は世界最大規模の操糸所でした。

広い空間が必要なため、屋根を支えるために木造のトラス構造となっています。平成26年に「国宝」に指定されました。

特に学問を受けていなかった工女の横田英。努力によって製糸場の一番優秀な人となりました。日常を記した「富岡日記」が

残っています。こうした人達の活躍があって製糸業を始めとする日本の近代化が進みました。

日本人工女に、機会による糸取りの技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の宿舎として建設されました。

診療所。

ここでの工女の労働条件は1日8時間。日曜日は休み、月給制などが採用されるなど良好だったようです

診療所などの施設が整っており、勉学も可能で、病死した人はいなかったということです。

製糸工場というと「ああ、野麦峠」などで知られる「女工哀史」(岡谷製糸工場)など悲しいイメージが頭に浮かびます。

富岡製糸場についても、同様のイメージを、持ってしまいがちですが、ここ富岡製糸場は国営で、武家の子女などを採用、

全国各地の製糸場の指導者を育てる役割を担っていたようです。

指導者のポール・ブリュナが住んでいたブリュナ館。後に学校となりました。ここで、読み書き、洋裁などを教え、企業内教育の先駆

となりました。


渋沢栄一(新一万円札肖像)の故郷を訪れる

2019-05-29 | 見学記

町会の日帰り研修会で深谷市を訪れました。

新一万円札の肖像に決まった大実業家である渋沢栄一(1840-1931)の人となりを知るためです。

まず訪れたのは深谷市の「渋沢栄一記念館」、なかなか立派な建物です。

建物の裏側に回ると渋沢栄一の銅像がありました。深谷駅にあったものを駅の改修工事のために

移転させたものだそうです。高さは3m以上もある巨大な銅像。右手に持っているのは「論語」。

記念館の1階にある資料館。貴重な資料が並んでいます。撮影は禁止。入り口の右側に立ってるのが渋沢栄一の等身大の像。

身長は1m55cmだったそうです。江戸末期から明治にかけての男性の身長では一般的だったようです。

渋沢栄一の生涯を書こうとするとあまりにも足跡が偉大すぎます。500の会社を設立、社会公共事業は

600を超えるとは想像も出来ないほどの活躍です。

さらに、死の間際でしたが日本女子大学の学長をつとめ女子の高等教育にも力を尽くしたこと。

養老院(現、東京都健康長寿医療センタ)の院長もし福祉事業にも尽くしたことなど、現在にも通じる視野の広さ

も特筆すべきことです。一体どのような時間管理をしていたのでしょうか?

旧渋沢邸の「中の家(なかんち)」の正門。7年かけて造ったとか。扉はケヤキの一枚板。


敷地内にある若き日の渋沢栄一の像。「中の家」の家は農家だったが「名字帯刀」を許されていました。
この頃は、役人の強引な税の取り立てに腹を立て、尊皇攘夷派の活動を続けましたが
徳川慶喜に使えるようになり、欧米視察に随行するなど次第に活動の場を
拡げて行くことになります。

母屋。千坪の敷地内には、他にいくもの蔵がある。染め物の藍、藍玉と養蚕で財をなした豪農だったらしい。現在の額にして年に数億の利益があったとも。

屋敷の内部。

近くの道の駅「おかべ」で売っていた渋沢栄一像の10万円?札。100円(税込み)。額に入れて飾ると良いとのこと。

富岡製糸場・・・世界遺産登録へ

2014-05-04 | 見学記

 世界遺産登録の見通しが開けた「富岡製糸場」。このゴールデンウィークには多くの人が訪れているようです。
以前、元職場の人達と一緒に訪れたことがあるので載せることにしました。

 富岡製糸場は、明治初期の殖産興業の代表的な工場。フランス人ポール・ブリュナが指導者として雇われ、
建設事業から製糸の先進的な的な手法を教えました。フランスの製糸技術など産業全般がいかに高度だったか
も知ることが出来ます。

 入口から入ると正面にあるのが重要文化財の「東繭倉庫」で、明治5年の建築で、木材の骨組みの間に煉瓦積みを並べる「木造煉瓦造
の珍しい建物です。また長さは104.4m、はば12.3m、高さ14.8mでかなり大きい。

その東繭倉庫前での記念写真。

 この建物、正面向かって右手内部は、ガイダンス展示となっています。さらに正面通路を通り抜けると奥には
同規模の「西繭倉庫」があり、これも重要文化財となってます。

 そして、富岡製糸場の最も重要な建物である繰糸場。これも重要文化財になっています。
建物規模は長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m。

 繰糸場の内部。繰糸場は繭から生糸を繰る作業が行われていた場所で、創業当初はフランス式の製糸器300釜が設置され、
 世界最大規模の工場でした。現在の機械は昭和40年代当時のものが置かれています。
 建物の屋根の部分は「トラス構造」になっていて、当時の日本の建築技術にないものでした。

 「女工館」は重要文化財で、日本人の工女に糸繰りの技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居です。
 天井は格子状に組まれたり、二階のドアなどは西洋風で、当時の日本建築にはないものでした。
 他にも、検査人館、指導者ポール・ブリュナが家族とともに暮らしていたブリュナ館が重要文化財となっています。
 製糸工場というと「ああ、野麦峠」などで知られる「女工哀史」など暗いイメージが頭に浮かびます。ここを訪れる多くの人々
と同様に富岡製糸場についても、同様のイメージを、持っていました。
 しかし、ここ富岡製糸場は国営で、武家の子女などを採用、全国各地の製糸場の指導者を育てる役割を担っていたようです。


指導者のポール・ブリュナが住んでいたブリュナ館。後に学校となりました。ここで、読み書き、洋裁などを教え、企業内教育の先駆となりました。
労働条件も日曜日は休み、月給制などが採用されるなど良好だったようです。 右端に写っているのは、富岡製糸場のガイドさん。

診療所や病室なども設けられていて、西洋の当時の良好な工場が再現されていました。 こうした良好な職場環境があり、一方で岡谷の製糸工場などでは劣悪な職場環境下、 「女工哀史」と呼ばれる悲劇が起こった歴史があるのは残念なことです。  

(追記)日本初の官営工場として富岡製糸場は1972年(明治5年)開業しましたが、1892年(明治25年)に民間に払い下げられました。
     その後は、徐々に労働環境は悪化していったようです。


山手七福神巡り

2014-02-03 | 見学記

 先月の28日に「初春の花」のとして、このブログに載せました。
 「山手七福神巡り」をした時に見た花々ですと書いたら、何故、「七福神」を撮って載せないの?
という声が多数ありました。そこで、写真に収めた七福神を少々。

 コースは、地下鉄南北線白金高輪駅→覚林寺(毘沙門天)→瑞聖寺(布袋尊)→妙円寺(寿老人)→妙円寺(福禄寿)→
大円寺(大黒天)→ 蟠竜寺(弁財天)一滝泉寺(恵比寿)一目黒不動尊→JR目黒駅 です。

これは、瑞聖寺の布袋尊です。

 これは大円寺(大黒天を祀る)にあった「七福神」全員の像。仲間うちで、これは何、これは・・・。
と言い合い、分かったつもりでしたが、いざ、書こうと思ったら分からなくなりました。

右から、布袋尊、弁財天、大黒天、恵比寿、毘沙門天(後)、福禄寿、寿老人?

 ところで、七福神巡りは元旦から七草(1月7日)までにおこなうもので、この期間を過ぎると
七福神が収納されてしまうお寺もあります。また、お堂の奥で暗くて写真には撮りにくいという
神様もおられます。朱印帳の押印も七草までのところが多いようです。
 なお、山手七福神では、この時期には、小さな七福神のダルマを販売、中にはおみくじが入っているとのことです。

 蟠竜寺に祀られている七福神でただ一人女性の「弁財天」。岩窟の中にあり「岩窟弁財天」といわれます。
 ただ、古い弁財天のため琵琶を持っていません。

 山手七福神巡り中、最大のお寺の目黒不動尊。祀られている「恵比寿天」は、本殿から、ちょっと離れたところにあります。

 話の続き・・・。それじゃあ、何故、私達の「散策部会」(会員65名、今回参加23名)は、七草までに行かないの?
 正月早々は忙しい、それを過ぎた7日までだと会社の挨拶回りで出れないという人が多いという事情があるのです。
 なお、これまでに「深川七福神」、「柴又七福神」に行きました。

 ところで、この「山手七福神巡り」。調べてみたら、白金から廻ると「長寿」、目黒から廻ると「金運」ということ。
 「幹事さ-ん、僕は目黒から廻りたかったなあ!」、「でも白金には大勢が入れる飲み屋さんがない・・・・」。なるほど。


スカイツリー、第一展望台からの風景

2012-05-29 | 見学記

左、ディズニー・シーの火山や建築物。かすかに姉ヶ崎など、石油コンビナートの白いタンク群が見えました。

荒川河口と葛西臨海公園の観覧車、江東清掃工場の白い煙突那賀も見えました。

こちらは東京ゲートブリッジ、そして手前には辰巳の国際水泳場。

右に目をやると、新宿副都心のビル群、中央は都庁舎。残念ながら富士山は、もやって見えませんでした。

スカイツリーの直下を走る東武鉄道の特急スペーシア。

街の中にスカイツリーの影が長く伸びていました。


首都高速 中央環状品川線の工事現場見学

2011-12-12 | 見学記

 機会があって、現在、建設中の中央環状品川線の工事現場を見学させてもらいました。
 見学場所は臨海高速鉄道、品川シーサイド駅で下車15分ほど、大井ジャンクション近くのシールドの発進立坑の周辺です。

 中央環状品川線は、東京をぐるりと取り巻く中央環状線の一部で大井ジャンクション(品川区)と大橋ジャンクション(目黒区)間の延長約9.4Kmで車線数は往復4車線で設計速度は60Km。
 総工費は4000億円弱で、事業者は東京都と首都高速道路(株)。大橋方面行き車線は東京都、大井方面行き車線を首都高と施工分担しています。

 現在、東京都は「3環状(中央環状、外環、圏央道)の整備」に取り組んでいますが、そのうちの一つの中央環状がこの品川線の完成により全線開通となります。完成は平成24年度中(平成25年3月迄)を目標としているとのことです。

 整備効果は都心を抜ける車の多くが目的地外で中央環状線を利用すると都心の渋滞が緩和することになること。
 また例として①羽田空港→新宿が都心環状利用だと40分、中央環状利用だと20分。
         ②用賀(世田谷区)→ディズニーランドが都心環状利用だと50分、中央環状利用だと30分。
 と時間の短縮効果も大きいとのことでした。

補助29号線大井北部陸橋から見た大井ジャンクションとの取り付け部、高架橋からトンネルへ移行する部分を望みました。

同じく 補助29号線大井北部陸橋から見た大井北立坑、手前はURUP工法(地上発進、地上到達のシールド工法)によるトンネルのセグメント部分が見えます。

 大井工事事務所での説明を受けた後、ヘルメット、トンネル内に入るためマスクと無線レシーバーを身につけ、品川線の大部分を占めるトンネルのシールド工法による現場を見学することになりました。

  シールドは直径12.53m。延長8.4Kmを掘進します。(写真はシールドトンネルを掘る泥土圧式シールドマシーン)


 中央の女性と比べると大きさが分かります。掘進中はビット(先端のツメ)の交換なし。現在は8.2Kmまで掘り進み、残りは200mで、12月中には掘進が完了します。
 ツメの摩耗は問題なかったとのことです。
 月進量は500m、最大実績値は630m。シールドの掘進のスピードは技術革新により、ますます速くなってきました。
 また、中央付近で折れ曲がるようになっているため、曲線のトンネルも掘ることが出来ます。

 なお、すでに完成している池袋~大橋間を加えると中央環状線のシードトンネルは世界最大級になるとのことです。

 

立坑上部の建屋、セグメント置き場や土砂運搬のベルトコンベアのベルト整備場所があります。
また、この上部には主にシールドマシンを管理するための中央制御室があります。 右側は工事用エレベーター

トンネルを覆うセグメントは8分割。幅2m、重さ10トン。これ以上分割を少なくするのはアーチを構成する力の関係で困難とのこと。

発進立坑(大井北立抗)の内部 左はベルトコンベア、右は換気ダクト

シールド内の状況、すでに道路用のコンクリート床版(この部分が道路になる)が出来上がっています。この下をセグメントを運ぶ電気トロッコが走っているとのこと。左中央にはベルトコンベアが走り、土砂を運搬してきます。それにして8kmも先から土砂がベルトに載って運ばれてくるというのも、大変なことだと思います。

ベルトコンベアで運ばれてきた土砂は隣接の京浜運河に面した土砂運搬施設から手前のバージ船(500㎥積載可) によって運搬されます。大型10トンダンプトラックの積載量が5~6㎥ですから、船は一艘でダンプ100台分程度になります。トンネル全体の掘削土量は100万㎥×2、霞ヶ関ビル2杯分で、横浜の南本牧埋立地に利用されているとのことです。中央は羽田モノレール。

最後に、中央制御室を見せてもらいました。多くのモニターやパソコンが並んでいました。
トンネルの掘進が24時間体制なので、ここも社員が24時間常駐しているとのことでした。

中央制御室の心臓部のシールドマシーンの管理モニター。


赤穂浪士の墓・・・高輪、泉岳寺

2010-12-13 | 見学記



東京、高輪にある泉岳寺(東京都港区高輪2-16-34)。曹洞宗のお寺ですが、赤穂浪士のお墓があるお寺として有名です。

明日、12月14日は赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入った日です。いわゆる忠臣蔵の日。泉岳寺では「義士まつり」が行われ、義士装束の行列が到着するのは午後2時ということです。この日は境内や通りに露天が多く並ぶということでです。

都営浅草線「泉岳寺駅」で降りると、A2出口にある赤穂47士の名前が書いてある木板が飾ってあります。

境内に入り、47士の墓に向かう途中に吉良上野介義央の首を洗ったという井戸があります。

墓所へのアプローチが立派に作られていました。左手に「赤穂義士記念館」があります。

赤穂四十七士の墓所。入り口付近から。右手奥に「大石内蔵助義雄」の墓があります。この日は一つ、一つの墓に菊の花が置かれていました。

墓所の配置図。写真をクリックすると拡大

大石内蔵助義雄の墓。墓所全体に参拝者のお線香の焚かれて消えることがないほどです。

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東京ガス・ガスミュージアムを訪れる

2010-04-08 | 見学記


 東京ガス(株)の「ガスミュージアム」(東京都小平市大沼町2-590)を訪れました。
 建物は2つあり、左手は「ガス灯館」で明治42年建築の東京ガス本郷出張所の建物を移築したもの、
 右手は「くらし館」で明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室を移築したものとなっています。
 手前は東京や横浜にあったガス灯とハーブの花壇が整備されていて美しい庭園になっています。入場無料。
 


 訪れた時は夕方に近く時間も限られていたので、ガス灯館だけに入り、ガス灯について説明を受けました。
 右手、ろうそくの明るさに比べ、ガス灯の明るさが数段上であること。
 さらに、左手のガスマントルが発明されると一段と明るさが増し光も安定したとのこと。
 明治時代、ろうそくの光しか知らなかった人々は、その明るさに大変驚いたようです。
 ただ、ガスマントルはすぐに電球に取って代わられてしまいました。
 一番右手は花形をしたガス灯。

 

 銀座通りのガス灯(中央)の錦絵と実際のガス灯(右手)。銀座通りには、ガス灯のためのガス管が敷設され、
ガスの工場からガスが圧送されていたとのことです。「文明開化」の雰囲気が伝わってくるようです。



 これらのガス灯は「点消方」という人がいて、一つ一つの街灯に夜になると点灯し、朝方には消していたようです。
 
二階はギャラリーになっていて、いわゆる「鹿鳴館時代」の雰囲気の漂う明治時代の錦絵がたくさん飾られていました。
 「錦絵」には、ガス灯が書き込まれていることがあり、企業としてこれらの絵のコレクションを行ったそうです。 

明治という古き佳き時代、特に「ガス灯」という柔らかな光をつぶさに見ることができ、大変有意義なひとときを過ごすことができました。

PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影

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葛飾・柴又を行く (4) ・・・ 寅さん記念館

2009-09-16 | 見学記
 柴又公園の小高い丘、見えている建物が「寅さん記念館」(葛飾区観光文化センター・・・葛飾区柴又9-22-19 03(3657)3455 )への入り口です。この建物から、エスカレーターで下ります。また、階段を上がり左手に向かうと矢切の渡しに行くことができます。



 寅さん記念館の入場料は500円。山本亭の入館料とセットで買うと50円引きになります。



 入るとすぐに、撮影現場の雰囲気の部屋になります。こうして撮影していたんですね。



 寅さんも映画の中ではどうらんを塗っていたようです。



 記念館の中には、帝釈天への参道がつくられています。時代は昭和30年代?映画「三丁目の夕日」にも通じる世界です。



 丁寧に帝釈天の山門までつくられていました。ずいぶんと三社札が貼ってあります。



 くるま菓子舗のセット。何やらここにいると、さくらさんや諏訪さん、おいちゃん、おばちゃんが「寅はいつ帰ってくるのやら」と話をしていて、寅次郎がフラリと帰ってくるシーンが蘇ってきます。



 ここで草団子を頼んで食べていたら、もしかするとマドンナ、私の好きな竹下景子さんに会えるかも知れないと思ったのですが、残念ながらこれもセットでした。顔を出している女性は見学客。



 寅さんのユニフォーム。「夏でも冬でもこれ一着の着た切り雀」との解説がありました。



 明治32年から大正2年8月まで、金町と柴又間の1.5kmを人力の鉄道が運行していて、帝釈天への参拝客を運んでいたとのこと。その模型が動いていました。現在の京成金町線の前身ということでしょうか。乗客は誰?

FPENTAX K7 + SIGMA AF17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO で撮影

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井の頭自然文化園・・・「干支展」の牛

2009-01-04 | 見学記


 井の頭自然文化園に出かけてみました。お正月ということで、「干支展」を開催中です。売店の屋根などがホルスタイン模様に変えられ、藤棚には牛の模型が並んでいます。



 一画には、いつもは、いない牛が飼育されていました。八王子のファームから連れてきた小牛、「干支展」の期間だけ文化園で過ごすとのこと。2年ぐらいで子供を産んで母牛になり牛乳を出すのだそうです。
 白黒の模様の牛がホルスタイン種で名前は「メリー」。薄茶色の牛がジャージー種で名前は「しずく」。ホルスタインは乳をたくさん出します。つまり生産性が高いということで日本で飼育されているほとんどの牛がホルスタインです。
 ジャージーはホルスタインより小柄ですが、乳の乳脂肪率が高い。つまり「ジャージー牛乳」といわれるように、美味しいので人気があります。

 
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACROで撮影

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正福寺地蔵堂(都内唯一の「国宝」建造物)を訪れる

2008-11-01 | 見学記
 都庁でもらった「東京を旅しよう 東京都文化財ウィーク2008」の分厚いパンフレット。この中で、私が最も興味を持ったのは、都に「国宝」建造物が一つしかないということ。その建造物は東村山市にあり、鎌倉時代に建てられた「正福寺(しょうふくじ)地蔵堂」ということでした。私は、その名前を知りませんでしたので、今日、訪れてみることにしました。
 本当は、明後日11月3日(月)の文化の日に、「地蔵まつり」が開かれ、内部の千体の地蔵が年に一度公開され、東村山市の無形文化財である雅楽「浦安の舞」も行われるということなので、その日に合わせていこうと思ったのですが、残念ながら、どうしても都合がつきませんでした。
 私の家から、電車を乗り継いで1時間ほどで西武新宿線「東村山駅」に着きました。
駅の西口には、「地蔵まつり」の貼り紙があり、外に出ると「地蔵まつり」の旗が道の両側に20mおきぐらいに立っています。
 道の反対側を歩いていた老夫婦が大きな声で話をしています。「『地獄まつり』たあーなんだ。縁起でもねー。」「お父さん、いやですよ。地獄ではなく、地蔵ですよ。地蔵。」 歩いて10分ほどで正門に着きました。
 
 

 「正福寺地蔵堂」の正門。石柱には「国宝 金剛山正福寺千体地蔵堂」とあります。
 「正福寺地蔵堂」は応永14年(1407)に建立された禅宗様(唐様)建築の代表的な建造物です。
 一説には、「北条時宗が、この地に鷹狩りに来ていた時に病に倒れた。しかし、夢枕に地蔵菩薩が現れ、丸薬を飲めば病魔は去るとのお告げがあり、実際に全快したため、飛騨の工匠を招いて、ここに伽藍を造営した。」と伝えられているようです。
 東村山市には「鎌倉街道上道」が通っています。鎌倉街道とは「いざ、鎌倉」と御家人が鎌倉に駈け参じた当時の幹線の道。関東には何本かの道があり、「上道」「中道」「下道」などがあります。
 


  国宝「正福寺地蔵堂」。 同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が良く似ています。円覚寺舎利殿も神奈川県唯一の「国宝」建造物です。この二つの建物を鎌倉街道が結んで言えるといえるでしょう。



 この建物の中には「千体小地蔵尊像」があります。
「正福寺千体地蔵堂と呼ばれているとおり、堂内には、多くの小地蔵尊が奉納されています。一木作り丸彫りの立像で、高さが10cm~30cmくらいのものが大部分です。何か祈願する人は、この像を一体借りて家に持ち帰り、願いが成就すればもう一体添えて奉納したといわれます。
 背面に文字があるものは、約300体でその年号は正徳四年(1714)から享保十四年(1714)のものが多く、奉納者は東村山を中心に、所沢、国分寺、小金井にまで及んでいます。・・・・・平成五年三月 東村山市教育委員会」
 また、堂内には本尊も安置されています。
「地蔵堂の本尊は、木造の地蔵菩薩立像で堂内内陣の須弥壇に安置されています。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵菩薩で、像の高さは127cm、台座部分の高さ88cm、光背の高さ175cm、錫杖の長さ137cm。
 寺に伝わる縁起には古代のものと伝えられ、また一説には、中世のものとも伝えられていますが、昭和48年の修復の際に発見された墨書銘によって、文化八年(1811)に江戸神田須田町万屋市兵衛の作であることが分かりました。・・・・・平成五年三月 東村山市教育委員会」
 近所の人の話を聞くと、「以前は、小地蔵尊は梁に釘を刺して安置されていて、数がとても多く見え、千体地蔵尊というにふさわしかった。しかし、地蔵堂が国宝になってから小地蔵尊はケースの中に集められてしまった。どうも国宝の建造物に釘はいけないということらしい。以前のままで良いと思うのだが・・・・・。」と話していました。また、「地蔵まつりは年々、賑やかになり、人出が多くなっている」とのことでした。

  PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO で撮影

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東京電力 電気の史料館の見学

2008-05-18 | 見学記
 午前中の横浜火力発電所の見学に続き、午後は電気の史料館(神奈川県横浜市鶴見区江ヶ崎町4-1 045-394-5900 )へ。



 ちょっと不便なところにあるようだが、JR川崎駅からは無料シャトルバスが出ているようだ。



 入るとロビーには皇居の二重橋の橋燈が飾られている。明治26年に点灯されて以来90年間利用されていたという。青銅製で装飾がとても素晴らしい。これを見て「日本橋」の親柱も背が高い青銅製の立派な装飾のものが設置されていたのを思い出した。



 こちらは、「日光金谷ホテル」の自家発電設備である。明治初期に開業した本格的な西洋風リゾートホテルであるが、明治41年に水力発電設備を導入したというから驚きである。機械はドイツ製であり、40年間利用されたそうである。 
そういえば女房が、この「日光金谷ホテル」に一度行ってみたいと言っていた。今でもその格式を守っているということだろう。左側が水車、右側が発電機。



 エジソンの電気自動車。100年前から電気自動車はあったということである。当時はタイヤがまで発明されていなかった。そのため、サスペンションはしっかりと付いている。 宮内庁が購入し、大正天皇をお乗せすべく試運転中に物珍しげに近寄ってきた老婆を跳ねてしまったという。これが本邦最初の自動車交通事故である。車も濠に転げ落ちてしまい、こんな危険な乗り物には陛下をお乗せすることは出来ないと計画は取りやめになったとか。



 戦後すぐに使われたというパン焼き器と電気コンロ。箱の中にパン生地と電線を二本中に入れるとパンが出来るという話であるが本当に出来るのだろうか? コンロの方はよく見た記憶がある。



 いわゆる昭和30年代から始まる高度成長期の「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫) 、それに炊飯器、トースター、レコードプレーヤー。洗濯機の手回しハンドルによる水絞り器が今となっては面白い。これらの電気機器により、主婦の労力は大幅に軽減されることになる。



 昭和45年頃の電子卓上計算機、右側にそれまで使われていた手回しのタイガー計算機。先輩達はリズミカルにこの手回し計算機を使用し、掛け算を行っていた。
 左側の計算機は、職場に一台入ってきた時は便利なものが出来たものだと感心した。今は高性能のパソコン。技術の進歩は速い。



 千葉火力発電所の1号タービン発電機。まさに、技術の固まりの機械で、ジェットエンジンに通じるものがあり、迫力満点だ。  



 50万ボルトの送電線に取り付けられるV吊型懸垂ガイシ装置(1988年から使用開始)。現在は100万ボルトの送電も行われるようになっているそうである。そのガイシは規模が大きくなり部屋には飾れないそうだ

 一時間程度の駆け足での見学だったので、エジソンの発明した品々など見逃してしまったものもある。しかし、電気関係の貴重な史料を見せていただき勉強になったと思う。
PENTAX K100D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACROで撮影


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東京電力、横浜火力発電所の見学

2008-05-17 | 見学記
 今日は、東京電力の案内で「横浜火力発電所」(TEPCO TWINY YOKOHAMA 神奈川県横浜市鶴見区大黒町11-1 TEL:045-511-3841)へ。敷地面積は東京ドームが10個入る43万平方キロメートルである。
 見学コースがいろいろと設置されていて、予約すれば誰でも案内してくれるようだ。



 ここが正門から入った「TWINY YOKOHAMA」見学者用の建物。ホールや展示室、子供用の電気を知るための遊戯施設などがある。



 この発電所は出力332.5万キロワット規模の大きな発電所。高効率で環境に優しいACC(改良型コンバインドサイクル)発電方式を採用しているという。この写真は四つある発電機の一つ、窓越しに撮ったため左側に人の影が映ってしまった。
 なお、中央操作室(オペレータールーム)の前で、説明を受けたがここでの撮影は禁止だった。



 ここには高さ200mの2本の煙突があり、「ツインタワー」と呼ばれている。この煙突は発電の際に発生する高温の蒸気を冷却発散させるために使われている。写真はこの内の一本。



 一本の煙突の内部は四本の管がセットになっている。 その真ん中エレベーターがあり、最上部には展望台(180m)がある。このエレベーターに乗り、展望台まで行ってみた。
 ここからの眺めは素晴らしい。しかし、温度が高い日の昼近くともなるともやってしまう。寒い晴れた冬の日には遠くまで眺められ、房総半島や富士山などが見えるという。その展望台のガラス越しに眺めた二つの橋。



 こちらの橋は鶴見つばさ橋。主塔が逆Yの形をした斜張橋である。全長1,020m。



こちらの橋は横浜ベイブリッジ。主塔がHの形をした斜張橋である。全長860m。
このYとHで横浜だとか。

 この発電所を見、説明を受けるとその規模の大きさと高度な技術、綿密な維持管理が採用されているのに驚く。東京電力の皆さんの努力のお蔭で豊かな文化生活を享受でき感謝します。

PENTAX K100D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACROで撮影


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臨海副都心・豊洲地区と東京港横断「水道管用海底トンネル」の見学

2008-04-04 | 見学記
 今日は東京都水道局の工事見学会があるというので、臨海副都心の豊洲地区まで出かけた。新橋から「ゆりかもめ」に乗る。



 このモノレールは、最初はビルの谷間を抜けていく。車内で撮ったので、その影が映ってしまった。



 お台場海浜公園、テレコムセンター、国際展示場前と行った人気スポットを通り過ぎ、 「市場前」という駅に着く。ここはまだ乗り降りする人も少なく閑散としている。この地域一帯は、臨海副都心の一部、江東区豊洲である。



 駅から降りて、あたりを見渡すと「東京砂漠」といっていいような、殺風景な場所である。
 ここには4~5年後、予定では「築地」から生鮮市場が移転してくることになっている。そんなわけで、今は「工事銀座」でもあるが、一体5~10年後にはどのようになっているのだろうか?今の築地市場の中のように賑わい、少なくとも安くて美味しい寿司屋さんが1軒や2軒出来るのではないか。
この写真、後ろに見える吊り橋は、東京港の玄関口「レインボー・ブリッジ」である。中央右に小さい白いテントがあるのが、今日訪れる「水道管用海底トンネル」の現場。水道管はブリッジの下、海底を真っ直ぐに突き抜ける。





 この工事は、水道の幹線(この地域は直径1.8m)を整備し、ネットワーク化することにより、地震など有事の際、一部が破壊されたとしても都民に安定した配水が出来るようにする。また、三郷、金町といった浄水場でろ過した利根川の水を城南・城東地区に配水する際、東部丘陵地帯(標高30~40m)を迂回せずに海側低地帯を送水することにより、年に2~3億円のポンプアップのための電気代が節約できる。という目的があるようだ。



 トンネルは泥水シールド工法によって行われた。竪坑は深さ60m。そこに工事用エレベーターで下りる。



 到達竪坑の上を見ると、ずいぶん下に降りたという気がする。しかし、写真はピンぼけとなってしまった。



 シールドの外形2.8mなので、特に大規模なトンネルと言ったわけではないが、東京港の海底を通ることと、水道管のトンネルということに珍しさがあると思う。
 見学会は、延長2325mのうち、到達竪坑から約250m先まで歩き、引き返した。

 東京都水道局の職員さん、今日は、いろいろ親切に説明していただき有り難うございました。