めいすいの写真日記

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ドラマ「雪国」・・・川端康成 原作

2022-04-20 | 読書

                                  NHK BS4K 2022/4/16
 国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった。

 ノーベル文学賞を受賞して没後50年、川端康成の名作のあまりにも有名な出だしの部分である。
 物語の舞台は新潟県の越後湯沢であるが、メインロケ地は福島県の会津地方、撮影期間が大雪だったので、
 雪国の様子と昭和初期の温泉街のひなびた、たたずまいがよく表現されている。

その中で、雪国で暮らす女性、駒子(奈緒)と妻子持ちであるが生への執着が希薄であ文筆家の島村(高橋一生)との
やりとりや会話が、長期間に渡る情景の中に描かれていく。

 駒子の三味線での謡いに愛情を感じる島村

温泉場での駒子と島村

 長い逗留から都会に戻ろうとする駒子と島村のところに(森田望智)が走り寄ってくる。
そして、「駒ちゃん、早く帰って、行男(高良健吾)さんの様子が変よ」と言う、

 行男の幼なじみで、許嫁、とも言われる駒子。
    しかし。駒子は帰ろうとしない。「ねえ、すいません、この人を帰して下さい。」
 と葉子。「早く帰れよ。馬鹿」と島村。「いや、私は帰らない」と駒子。
                                       
  降って沸いたような熱い3人のやりとりは、このドラマのミステリー的な要素として後の進行に
大きな影響を与える。

実は、原作に隠された真実は、当初の駅での行男に寄り添う葉子の姿から始まっていたのだった。

演出 渡辺一貴 ディレクター 

 (了)


朗読「山桜」・・・ 藤沢周平作

2021-09-04 | 読書

 前回の記事で映画「山桜」を掲載しました。
 その翌日、Yutubeを見ていたら、池上伴湖さんという方の「山桜」の朗読が載っていました。
 私のブログに映画「山桜」が掲載されたのをAI?が見つけ、Yutubeに載せたものと思われます。
 これまで数限りなくYutubeを見てきましたが、一度も朗読をYutubeで見たことがありません。
 何か不思議な気がしました。

 私は、藤沢周平さんの原作「山桜」を読んでいませんので早速、この朗読を聞いて見ることにしました。

 

   やはり、朗読は物静かで、なかなか良いものだと思いました。
 特に女性が主人公の場合は雰囲気が良く出ます。
 池上伴湖さんは、朗読のベテランなのでしょうか?落ち着ちついていて聞きやすい。

 映画(1時間41分)と原作(朗読53分)と比べると映画には一部内容が付け加えられている部分があります。
 手塚が諏訪を切り捨てる立ち回りの場面の表現が軽くしか触れないのが一番です。
  その他、城内の会議で、諏訪のやり方に反対する意見が出るところ、野江が磯村家を出て行く場面、
 野江が神社で「お百度」を踏む姿など・・・映画で表現しやすい場面が付け加えられたようです。
 しかし、朗読は野江の内面の世界が上手く伝わってくるような気がします。映画とはあらすじが異なっている
 ことは無いのですが、改めて、藤沢周作が「山桜」で表現したかったことがじわりと伝わってきました。

 なお、Yutube の 配信期間2021年5月31日~2022年5月30日 です。


世界で1番美しい本・・・「ベリー候のいとも豪華なる時祷書」(フランス)

2020-05-10 | 読書

                        BS4K 2020.5.3放送       本の冒頭の1ページ

パリの郊外にある中世の趣を残す「シャンティ城」

 その中に3万点もの美術品を貯蔵する「コンデ美術館」があります。壁一面に飾る方法は19世紀のまま、伝統を頑なに守るやり方です。 

壁一面所狭しと飾られているのは、フランス近代の傑作やルネッサンスの名画の数々。

 その古い城の奥深く、一般客の立ち入りが禁じられた部屋で「世界で1番美しい本」は大切に守られており、600年の間、人の眼に触れることがありませんでした。
 美術の専門家さえ目にすることの許されない門外不出の本です。
 今回、NHKの超高精細8Kカメラでの撮影が許されたということです。

本の名は「ベリー候のいとも豪華なる時祷書」。「時祷書」とは日々の日課をまとめた本のこと。この本は15世紀国王の弟、べリー候チャンが作らせました。

 本の冒頭に描かれているのは1年12ヶ月の中世フランスの暮らし。季節ごとに繰り返される行事や仕事の全てが、現代のフランスにもスローライフとして引き継がれています。
 そこには、ラテン語の細かな文字で祈りの言葉が書かれています。印刷技術の無い時代のため一文字、一文字が全て手書きで丁寧に書かれています。
  紙は子牛の皮をなめして作った当時最高級の牛皮紙。
  挿絵には金やラピスラズリ※ の顔料が惜しげも無く使われています。まさに贅の極みといえます。この本はベリー候の存命中には完成せず80年近くをかけ複数の画家により描ききりました。

※ ラピスラズリの青い色は世界で最も高価な顔料で金よりも貴重とされています。
「海を越えた」という意味の「ウルトラマリン」とも呼ばれて、芸術家に重宝されていました。
  画家ミケランジェロの初期の作品「キリストの埋葬」は未完のままこの世に残っていますが、「キリストの埋葬」が未完なのは、絵を描く上で使うウルトラマリンの顔料をミケランジェロが手に入れられなかったからだと言われています。一方で、ラファエロはウルトラマリンの顔料を絵の仕上げに使い、フェルメールはふんだんにウルトラマリンの顔料を使ったが故に家族を借金の泥沼に陥れていました。

  この時祷書の中でも最も貴重とされるのが冒頭からの12ページ。月ごとの生活を描いた細密画です。
  そこで、この12ヶ月の細密画の中からいくつかを・・・

● 1月

 宮殿で新年の宴が開かれています。召使い達は宴のために忙しく立ちまわっています。画面の右、青い色の服を着ているのがこの本を作らせたベリー候ジャン。後の金文字は「近う、近う」。気さくに声をかけています。
 左上、顔が隠れている黒い服を着た人物とその隣、灰色の帽子をかぶっているのが、この絵を描いたランブール兄弟。

● 2月

 暖炉に当たる農民達。奥には寒さをこらえて薪作りににいそしむ男達。

 当時、農民の絵が描かれることはありませんでした。雪が描かれているのも西洋絵画では初期の頃だそうです。

● 4月

 新緑の色が鮮やかな世界。城を背景に貴族の男女が婚約指輪を交わしています。 
 男性は青のガウンに金色の王冠の刺繍が描かれています。女性は長くて赤い珊瑚のアクセサリーをつけています。すみれ色のローブを春一番に咲くスミレに合わせています。侍女達もすみれを摘んでいます。

● 7月

男達は小麦の収穫。川の手前、女達は、羊の毛を刈っています。

● 9月

 葡萄の収穫。待ちきれず中央の少年は葡萄を食べています。葡萄は城内で葡萄酒を作ります。

● 11月
    豚はドングリを食べて、十分に太ってきました。男は、棒でどんぐりをたたき落としています。これらの豚は新年の大切な料理に使われます。どんぐりで育った豚は味が良いとのことです。

 「時祷書」は、本の大半が福音書の引用や聖母マリアに献げる言葉からなっています。
   祈祷の習慣が行われるようになるにつれ、暦、運勢、占いなど、手の込んだ時祷書が造られるようになりました。中世では人気があり、誰もが持つようになりました。なお、祈りは1日8回行われていたといいます。
  ベリー候はこの時代、芸術への最も有力な支援者でした。写本や美術品にお金をかけ、多くの時祷書を持っていました。この本はその中で最高のものだということです。


小説「薔薇の名前」・・・ウンベルト・エーコ

2018-09-03 | 読書

中世のキリスト教世界は暗黒時代と言われますが、小説「薔薇の名前」は、その時代に北イタリアの山奥の修道院で起こる
連続殺人事件のミステリー。今日の夜からの「100分で名著」で4回にわたり放映されます。
先週の予告編での修道院の写真に興味をそそられてテキストを買って読み、レンタルビデオ店でブルーレイディスクを借り見ることに。

このミステリーに 修道士 ウィリアム(ショーン・コネリー)と見習い修道士 アドソ(クリスチャン・スレーター)が臨みます。

修道院の北側にある異形の3階の建物、2階写字室と3階文書庫は知の迷宮と言え、そこで連続殺人が発生します。
作者エーコの複雑に絡み合わせたテーマが虚構の世界を築き上げています。

さらには、ウィリアムとアドソが属するフランチェスコ会(皇帝派)と教皇庁との対立があり、枢機卿を擁する教皇派に
ウィリアムは窮地に追い込まれるなどの見せ場もあります。大げさな脚色はないのですが、時代に合わせた迫力はありました。

小説は1980年にイタリアで発表され、日本語翻訳は1990年、映画化は1987年ということですが、当時は世界を
熱狂させたようです。本当は、この後で小説を読めばいいのでしょうが大部なので逡巡しています。

「100分de名著」第1日の話では、この本は高度に知的な書物であるが故に、途中で読むのを断念する人が多いとか。
物語は7日間の話になっていますが1日目を読み切るまでが大変だそうです。放送を見て読み直す人もいるかも知れません。


松本清張スペシャル「点と線」・・・100分de名著

2018-03-31 | 読書

 今年3月の「100分de名著」は「松本清張スペシャル」
「昭和とは何だったのか」、「底辺からの視覚が隠れた歴史をえぐり出す」という
キャッチフレーズに誘われ、4つの選ばれている本の内の一つ「点と線」を読むことにしました。
 実はこの推理小説「点と線」がちょうど文庫本になり、ベストセラーとして評判になった当時、一度読んでいます。
 「東京駅13番線から隣のホームに当たる15番線を見通すことが出来る時間はたった4分間しかない」このノンフィクションをフィクションに取り入れたことは、当時からたいへん有名で私も45年以上も前の話を良く覚えています。
 また、このような時刻表のトリックなどを利用し、殺人を情死に見せかけた頭の冴えた陰の真犯人が女性だったということも、はっきりと覚えています。さらには黒幕として汚職に絡む国のある省庁の高級官僚が・・・ということも。


 また、描かれた時代は地方格差も含め、日本社会の貧富の差が大きかったこと、いったん一億層中流と言われたものの、バブル崩壊を経て、現在が持てるものと持たざるものと格差社会になっている。100分で名著の指摘はなるほどと思いますが、当時は何も感じませんでした。。
 学生時代の最後の夏に周遊券で九州一周をしましたが、まだ東京から九州(私は佐世保まで乗車)へ二等で乗れる直通の急行があり、乗車したことがあります。警視庁の三原警部補が北九州や北海道などへの出張は2等の急行であり、帰ってから2日間は疲れがとれない、寝台特急「あさかぜ」に乗れるのは上流階級、という貧富の格差があったこと、福岡署の鳥飼刑事は家での風呂は、いまでは使われることもない五右衛門風呂だった。ことなどは実際に当時は歴然としてあったことでした。
  また三原警部補は東京に帰ってこないとコーヒーらしいコーヒーを飲めないという地方格差も改めて指摘されるとなるほどと思わざるを得ません。
 ただ「点と線」という推理小説そのものは、読みやすく書かれており、面白く読むことが出来ました。


枕草子(3)・・・100分de名著

2014-10-21 | 読書

NHKのEテレで放映されている「枕草子・・・100分de名著」の3回目を前回に続き書くことにします。表題は現代に生きる清少納言?

第3回 マナーのない人、ある人

マナーに欠ける人」については、第26段の「にくきもの」に列挙されています。字数にして1700字にも及びます。
なお、「にくい」ということばは、現代語では相手に何か害を与えてやりたいというように攻撃性のある言葉ですが、
平安時代は「気に入らない」「しゃくに障る」くらいの意味で自分自身の中に止まる感情です。

1.マナーの無い人

第26段の中から、ごく数カ所。

第26段 にくきもの
にくきもの。急ぐことあるをりに来て、長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、
さすがに心はづかしき人、いとにくくむつかし。

憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言ってでも帰すこともできるが、
さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、ほんとうに憎らしく不愉快だ。

なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返し、押しのべなどして
あぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火をけの端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままに
おしすりなどはすらめ。

大した人でもないのに、にやにや笑いながらやたらとしゃべりまくっているとき。丸火 鉢の火や、炭櫃などに、かざした手のひらをしきりに
ひっくり返し、しわを伸ばしながらあぶっている者。若々しい人が、いつそんなことをしただろうか。年寄 りじみた者に限って、丸火鉢の縁に
足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりするようだ。

また、酒飲みてあめき、口をさぐり、髭ある者はそれを撫で、盃(さかづき)こと人に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。
また、「飲め」と言ふなるべし。身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへひきたれて、童(わらは)べの「こふ殿(との)に参りて」
など歌ふやうにする、それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。

また、酒を飲んでわめき、口の辺りをこすり、ひげのある者はそれを撫で、盃を他人に取 らせるときのようすは、とても憎らしく見える。
また、「飲め」ということか、身震いをし、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「守殿にお伺いして」な どと歌うような格好をする。
それが、本当に身分の高い立派な方がなさったのを見たので、ああいやだと思ったわ。

わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひ出でなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。
まして、さしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。

自分と深い仲になっているのに、前に親しくした女性のことを褒める男、やっぱりしゃくに障る。モトカノのことなんて
褒めたりしないでよ。でも、嫉妬の心がわかず、「にくし」と思わない場合もある。

終わりの部分、無理に断定しないところが清少納言のよいところ?

第26段の最後
あけていで入る所、たてぬ人、いと憎し。

開けて出たり入ったりするところの戸を閉めない人は許せない。寒いときなんか風がビュービュー入ってくるんだから。

しつけの出来ていない親子

第146段 ひとばへするもの
  人ばへするもの。ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しわぶき。はづかしき人に物言はむとするに、先に立つ。
  あなたこなたに住む人の子の、四つ五つなるは、あやにくだちて、物取り散らしそこなふを、引きはられ、制せられて、心のままに
もえあらぬが、親のきたるに所得て、「あれ見せよ。やや、はは」など引きゆるがすに、大人と物言ふとて、ふと聞きいれねば、手づから
引きさがし出でて、見さわぐこそ、いとにくけれ。 それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ、そこなふな」などばかり、うち笑みて言ふこそ、
親もにくけれ。われはた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。 

 人が傍にいると調子づくもの。とくにこれと言ったこともない子で、それでも可愛いと甘やかしている様子。
 咳、こちらが恥ずかしいほど立派な人に何か言おうとするとき、咳が先に立つ。
 近所に住む子で、四、五歳位なのは、イタズラ盛りの困ったもので、ものを散らかしたら壊したりする。それを引っ張って止めていると、
思うようにいたずらも出来ずにいるのが、母親が来たのに勢いを得て、「あれ見せてよ、ねぇ、お母さんたら」などといってはは親の体を
引っ張って揺すぶる。けれど、母親の方は、大人相手のおしゃべりに夢中で、子供のいうことなどはすぐには聞き入れない。すると子供は、
勝手に自分の手で探して引っ張り出してきてひろげて騒いでいるのは、ほんとに癪に障る。それを親は、「だめよ!」と言って取り下げも
しない。「そんなことしないでちょうだいな」とか「壊さないでね」なんていう程度に笑顔で言うにいたっては、母親まで憎らしい。

清少納言の筆は冴え渡り、現代に生きる私達にも思い当たることが多く。自分もこんなことをしたかなと反省したくなるエチケット集であります。

2.清少納言の説くマナーのある人

  第29段 心ゆくもの
 つれづれなる折に、いとあまりむつまじくもあらぬ客人の来て、世の中の物語このごろある事の、をかしきも、にくきも、
あやしきも、これかれにかかりて、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆく心地す。

 神寺などに詣でて物申さするに、寺は法師、社は禰宜などの、暗からず、さはやかに、思ふほどにもすぎてとどこほらず聞き
よく申したる。

 何もすることがなく退屈な時に、それほど親しく付き合っているわけではない客が着て、世間話をし、近ごろ起こった面白い話や奇妙な
話など、あれこれ話題豊富に話をする。宮中のことでも家庭の私事でも、すこぶる事情に通じていて、しかも聞きにくくなくさらりと話して
くれたのは「ああいい気持ち」と満足感を憶えるわ。 

 神社やお寺などに行って、祈願をしてもらうときに、お寺では法師、神社では禰宜などが、自分の言ったことをよく呑み込んで、明快に
流暢に、こちらの予想以上に、よどみなく聞きよく願いを申し述べてくれた時、胸がすうっとするような気がするの。 

 第247段 たのもしきもの
 心地などのむずかしきころ、まことまことしき思ひ人の、言ひなぐさめたる。

 気持ちがすぐれないときに、本当に誠実で、愛する人が、話をしながら慰めてくれるのは、頼もしく感じるわ。

 第251段 よろずのことよりも情けあることこそ
 よろづのことよりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、
いとほしきことをば「いとほし」と も、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひて
言ふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにし がな、と常にこそおぼゆれ。

 数々のことよりも思いやりがあることは、男は言うまでもなくて、女でも魅力的に感じるわ。
 何でもない言葉だけれど、心底そう思い込んでいるというわけでなくても。気の毒なことには「お気の毒に」とも言い、
かわいそうなことには、「ほんとにどんなにかおつらいでしょう」などと言ってくれたということを、人づてに聞くのは、面と向かって言われた
のよりも、うれしいわね。

 第281段 陰陽師のもとなる小童べこそ
陰陽師のもとなる小童べこそ、いみじう物は知りたれ。祓などしに出でたれば、祭文などよむを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち
走りて、「酒、水、いかけさせよ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主に物言はせぬこそ、うらやましけれ。
さらむものがな使はむ、とこそおぼゆれ。

 陰陽師のもとで使われている小さな子供達ときたら、何でもよく心得ている。陰陽師と祓えなどしに出かけると、主人の陰陽師が
祭文などを読むのを、多の人はただぼんやりと聞いているのだけれど、その子供はすばやく走り回って、陰陽師が「酒、水を注ぎ
かけなさい」とも言わないうちに、やってのけてまわる様子がいかにも作法をわきまえている。少しも主人に余計な口を利かさせ
ないで済ませるところが全くうらやましい。 このような者がいればねえ、使いたいと思いますよ。

でも、平安時代でなくても、現代でも、これだけの子供はなかなかいないでしょう。主人の望むことを先読みすることが出来るのは
もちろん能力があるということです。

 以上、少し多くなりましたが、私が興味を惹かれた内容を載せてみました。


枕草子(2)・・・100分de名著

2014-10-14 | 読書

NHKのEテレで放映されている「枕草子・・・100分de名著」の2回目を前回に続き書くことにします。

第2回 魅力的な男とは?女とは?

 平安時代の貴族の結婚形態は「一夫一婦多妾制」で、法律的な妻は一人ですが、多くの妾妻を持つことが認められていました。
当時の貴族達は、自由に恋愛を楽しむことが許されていたようです。
  もう一つは「通い婚」、男性が女性の家に通う。男性は11時頃までに女性の家に行き、3時から5時ころの間の暗いうちに家に帰る。
誰のところに行ったか分からないようにするためとのことです。
 「枕草子」が書かれた時代、特に貴族社会では、現代と風習がかなり異なっていたことは確かなのですが、書かれていることは今なお
普遍的なことが多いのは、古典ならではと言えます。

 清少納言が描く魅力的な男

①イケメン


  第31段 「説教の講師は」

説教の講師は、顔良き。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひがめしつれば、ふと忘るるに、
にくげなるは、罪や得らむとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし年などのよろしきほどは、かやうの罪得方のことは書き出でけめ、
今は罪、いとおそろし。

「説教してくれるお坊さんは、やっぱり顔がよくなちゃ。美男のお坊さんの顔をじっと見つめていてこそ、説教のありがたみもあるというものよ。
顔が良くないとついよそ見をしてしまう。そうすると説教の内容なんかたちまち忘れちゃうから、顔の悪いお坊さんの話、不信心の罪を犯す
ことになるのでは、と心配になるわ。
でも、、もうこの話は止めるわ。だって私の年じゃあ、来世の罪が恐ろしいもの!」

当時は、仏教への信仰心は現在とは比べものにならないくらい重要なことだったはずですが、こうしたことを大胆に言い切るのは、清少納言の
面目躍如たるところ。若い女性には、喝采を受けたことでしょう。

②ファッションセンス

第79段 返る年の二月二十余日
桜の綾の直衣の、いみじうはなばなと、裏のつやなど、えも言わずきよらなるに、葡萄染のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく
織り乱りて、紅の色、打目など、かがやくばかりぞみゆる。白き薄色など下にあまた重なりたり。せばき縁に、片つ方は下ながら、すこし
簾のもと近う寄りゐたまへるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたき事に言ひたる、これにこそはとぞ見えたる。

 頭中将の斉信は、全体を赤系のグラデーションでまとめ上げています。上には、全体として桜の花びらのようなピンクに見える直衣を
着ている。直衣の下からは光沢のある紅の下着が、シャツ出しルック風にみえている。下半身には、藤の折枝模様を織り込んである
赤紫の色濃い指貫、後には、白や薄紫色の裾が長くたなびいている。
 ピンク、紅、赤紫、薄紫と、赤系の濃淡で衣装をまとめています。それを際立たせるように、白も配色してあります。何とも派手な
衣装です。しかも、すべて絹ですから、色彩が派手なだけでなく光沢もある。斉信の姿は、まるでオーラが出ているように
まばゆかったに違いありません。なんてステキなファションのうえにポーズもきまっています。

平安時代の貴族の男性の服装が、こんなにも鮮やかであったなんて思ってもみませんでした。女性は十二単の美しい衣装
という話を聞いてはいましたが・・・・。それだけ、財力もあったということでしょう。
それと第1回の時も触れましたが、この素敵な男性は清少納言の恋人なのです。さすがですね。

③逢瀬の余韻を大切にする

第182段 好き好きしくて人かず見る人の
好き好きしくて人かず見る人の、夜はいずくにかありつらむ。暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど硯取り寄せて、
墨こまやかに押し磨りて、事なしびに、筆にまかせてなどはあらず、心とどめて書くまひろ゛に姿もをかしきみゆ。

色好みで、多くの女性と関わりを持つ人は、夜はいったい、どこに行っているのだろうか。暁に帰えって、そのまま起きている、
眠たそうな様子だけれども、墨を念入りに押し磨って、おざなりではなく、筆任せでもなく、心込めて書いている姿は面白く見える。

女性の家から自宅に帰った男性は、すぐに「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」(逢瀬の翌朝の手紙)と呼ばれる手紙を書かなければなりません。
「昨夜は楽しかったね」「昨夜のあの話はこうゆうことだったのかな」など逢瀬の余韻を楽しみながら、心のこもった手紙を女性に出すわけです。

通い婚というのは、常に恋人同士でいるという感覚なのでしょうから、香を身にまとい、見栄えのする衣装を着て、翌朝には心のこもった
手紙を送る。考えによっては、昔のモテモテの貴族は、今よりは相当な努力をしていたと考えられます。


枕草子(1)・・・100分de名著

2014-10-03 | 読書

秋も深まってきました。「読書の秋」です。私は、最近Eテレの番組「100分de名著」のテキストを買って良く見ています。
10月は「枕草子」ということで、小学館の日本古典文学全集の「枕草子」を注文し、しっかりと読んでみることにしました。
初めて知ったことですが、枕草子は300段ほどの大部の書物だということは驚きでした。
また、50年以上も前に使った高校一年の国語の教科書(角川書店)には、枕草子が掲載されていました。
高校時代の国語の教科書だけは、しまってあったのです。、調べてみたら、とりわけ有名な第1段の「四季の興」として

「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる・・・・」 は当然のことながら載っています。

当時余りにも表現が新鮮だったので、知らず知らずに暗記し、今でも口ずさむことが出来るほどです。それは誰にでも言えることでしょう。
他に、教科書には第7段の「翁丸」第23段の「すさまじきもの」が載っていました。第一段以外にも載っていたんですね。
読み返してみると、ああ、このような内容かとわずかに憶えていましたが、第一段とは明らかに記憶の内容がうっすらとしていました。

そんなことから、この古典の水先案内人となってくれる講師の山口先生から「枕草子」の魅力をもっと味わってみることにしました。
1回から4回まで、25分ごとの講義の内容について、感想をこれから、この欄に追加しながら、書いていこうと思います。

第1回 鮮烈な情景描写

 第1段の「春はあけぼの」、清少納言が瞬時に鮮やかに切り取った、斬新な情景です。ここでは私が使った国語の教科書では、なじみの
ない段の説明から感銘を受けたものを書いてみますが、いかに研ぎ澄まされた五感を駆使した描写力であったかと驚きます。

 第280段 「香炉峰の雪」
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪
いかならむ」と仰せらるれば御格子揚げさせて、御簾を高く上げたれば、笑わせたまふ。
 人々も「さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。                   
  一条天皇の皇后である定子(藤原道隆の子)は才色兼備で、和歌、漢詩などに通じ宮中サロンを見事な手腕で運営していました。
 定子の17歳の時に、その女房として使えたのが10歳ほど年上の清少納言、こちらも父親が清原元輔で勅撰和歌集に100首も
選ばれている和歌の世界のスーバースターの子。その血を継ぎ教養豊で文才はあった訳です。でも、和歌はあまり得意でなかった
ようで韻文型でなく、散文型の人だったようですが・・・。
 定子と清少納言の運命的な出会いにより「枕草子」は書かれたと言われていますが、清少納言が白居易の詩「香炉峰の雪は簾を
かかげて看る」と理解し、機転を利かせて、定子の要望を叶えるという下りは二人ともが中国の古典に精通しあうんの呼吸だったと
知ることが出来ます。

 第216段 「月のいと明きに」
  月のいと明きに、川をわたれば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。
  牛車で月の夜、川を渡るときに、飛び散る水が、水晶が割れて飛び散るように見える。というのは、そのきらきらと光る情景が
印象的に伝わってきます。その絵画的描写力が見事です。

  第190段 「心にくきもの」
 よう打ちたる衣上に、さはがしうはあらで、髪のふりやられたる、長さおしはからる
 よく打って艶のでた衣の上に、髪がさっと振りかけられたときには、髪の長さが分かってしまう。
 えっ、本当というような話です。それだけ聴覚が鋭敏であったということですね。なお、「心にくきもの」とは、おくゆかしいものの意。
 
 たきものの香、いと心にくし五月の長雨のころ 上の御局の小戸の簾に斉信の中将の寄りゐたまへりし香は まことにをかしうも
ありしかな そのものの香ともおぼえず おほかた雨にもしめりて 艶なるけしきの めづらしげなき事なれど いかでかいはでは
あらむ またの日まで御簾にしみかへりたりしを 若き人などの世に知らず思へることわりなりや
  これは香の話、斉信の中将が小戸の簾に寄りかかって座っていたときの香りは素晴らしいものだった。翌日まで香りが御簾にしみこんで
匂い立ったのを、若い女房達もキャーキャー騒いでいるのも、無理がない。
 この時代、男女は視覚の利かない闇夜での逢瀬に鍛えられています。宮中の女性が香りに限りなく敏感であることは、何か官能的なもの
さえ感じてしまいます。 京都では、今でも独自の香を調合する店があるようですが、平安時代の雅の伝統が今も残っているのですね。

ところで、なぜ清少納言は「若き人」と書いたのでしょうか、実は斉信の中将と清少納言の仲は・・・。


ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女

2009-05-02 | 読書
 NHKが4月4日に放送した「週刊ブックレビュー」という番組を見ていたら、読書家といわれる児玉清さんが、この「ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女」を最近読み感銘を受けたミステリー小説といって紹介しており、この本を初めて知りました。

 スウェーデン人のジャーナリストだったスティーグ・ラーソンという人が書いた本で、スウェーデンでベストセラーになりました。3作からなるミレニアムシリーズは人口900万人のスウェーデンで290万部売れ、国民の7人に一人が読んだことになるとか。ということは幼児から老人まで含んでいることになるので、実際は2~3人に一人、単行本を読む気のある人ならばほとんどの人が読んだことになります。
 残念なことにスティーグ・ラーソンはこのシリーズ4作目を書いている途中に心臓発作で亡くなってしまいました。

 その後、800万部と全世界で読まれるようになりました。映画化が進行中で2009年中に公開されるようです。そうするともっと人気が出るかも知れません。
 スウェーデンといえば巨匠イングマール・ベルイマン監督の「野いちご」や「処女の泉」を思い出します。私には、何か繋がるものがあるように思えて来るのですが・・・。



 ミステリーということだったので、ミステリー小説の好きな私は、連休中にぜひ読んでみようと思っていました。一昨日に、まず上巻を買ったのですが、とても面白くて結局、昨日といっても夜遅く今日に入ってしまいましたが、読み切ってしまいました。

 月刊誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルは、大物実業家ヴェンネルストレムの違法行為を暴露する記事を発表した。だが、名誉毀損で有罪になり、彼は『ミレニアム』から離れることになる。そんな彼の身元を大企業グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルが密かに調べていた。背中にドラゴンのタトゥーを入れ、特異な風貌をした女性調査員リスベットの働きで、ヘンリックはミカエルが信頼に足る人物だと確信し、兄の孫娘ハリエットがおよそ40年前に失踪した事件の調査を彼に依頼する。ハリエットはヘンリックの一族が住む孤島で忽然と姿を消していた。ヘンリックは一族の誰かが殺したものと考えており、事件を解決すれば、ヴェンネルストレムを破滅させる証拠資料を渡すという。ミカエルは依頼を受諾し、困難な調査を開始する。( 上巻 カバーより )

 ヴァンゲル一族の住む、陸地とひとつの橋でつながったへーデビー島が主たる舞台で、多くの人物が登場しますので、初めは登場人物の名前が書いてある栞やヴァンゲル家の家系図、へーデビー島の地図を見ながら読み進むことになります。上巻の半分位のこの部分まではちょっと読むに際しては我慢のしどころです。
 そして、人物描写が上手く、困難と思われた謎解きが少しずつ明らかになっていく過程で読者は物語の中に引き込まれていくことになります。

 第一の主人公ミカエルは、かなり年配なのに女性にもてすぎというきらいはありますが実直で好感が持てます。 
 一方、もう一人の主人公「ドラゴンタトゥーの女」リスベットは異様な風貌と過去があるのですが、文字を瞬時に画像として記憶できるなど超能力者で、あまりに事件の解決能力が高く、ちょっとフィクション性がありすぎるという感じがありました。 

 扱うテーマもスウェーデン経済、パソコンとネットワーク、福祉国家といわれるスウェーデンの暗い影の部分、性的暴力(DV)等と広く、描写も興味を引かれます。スウェーデン人の多くに支持されたということは、こうした状況が決してフィクションだけの世界でないということを意味しているのでしょう。
 「スウェーデンでは女性の46%が男性に暴力をふるわれた経験を持つ。」
 「スウェーデンでは女性の13%が、性的パートナー以外の人物から深刻な性的な暴行を受けた経験を有する。性的暴行を受けた女性のうち92%が、警察に被害届を出していない。」といった本文中のくだりは女性の権利が日本以上に高い国とされているだけに、驚きでした。

   PENTAX K20D + SIGMA 30mm F1.4 DCで撮影

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