めいすいの写真日記

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パガニーニ作曲「バイオリン協奏曲第1番」・・・フランチェスカ・デゴ(Vn)

2022-01-26 | クラシック音楽

                                      NHK Eテレ  2021/1/23

 パガニーニは「悪魔の化身」(演奏技術を魂を売り渡して手に入れた)と言われ、
 入場料を3倍にしても、いつも完売、演奏会場は1時間前に超満員、演奏中に女性客が気絶、
  弦1本でも演奏、目にも止まらぬ超速弾き・・・・と形容する言葉が有り余るパカニーニ像。
 その彼の作品を「明るく優美なメロディーと超絶技巧でバイオリンの魅力が際立つ作品」
として披露しようとするN響第1944回演奏会 ファビォ・ルイージ(次期N響首席指揮者)指揮果たして・・・ 

独奏者フランチェスカ・デゴの言葉と注釈
パガニーニのコンクール入賞以来、かれこれ13年間この曲を弾き続けていることになります。
この曲にはとても愛着があり私を代表する曲だと思っています。
N響との初共演で演奏出来るのは幸せです。           

■パガニーニの愛器 ガァルネリ・デル・ジェス「イル・カンノーネ (大砲)」

  フランチェスカ・デゴは一度弾く機会を得たようです

 バイオリニストの王が使っていた楽器を弾くのは信じがたい感動です。
 楽器には彼の手や顎を乗せた傷跡が残っていたり、小さな傷なども修理されることなく当時のまま
残っていました。その感動たるやまさに強烈なものです。彼が作曲した時に聴いていた音なのです。
  パガニーニは「イル・カンノーネ(大砲)」を40年間使っていたそうです。彼の功績、彼の音楽全てを
「イル・カンノーネ」で成し遂げたということですよね。
   彼のことを語る上で最も身近なものであるということです。
その感動があまり人強すぎて初めて楽器を渡されたときには、座り込んでしまい涙が出て来ました。本当に。

【注釈】 賭博で賭けたヴァイオリンを取られてしまったバガニーに1802年ヴロンという商売人が
このグァルネリのヴァイオリンを演奏会で使用してほしいことを申し出た。パガニーニはそれを承諾し、
演奏会でこのヴァイオリンを使用したところ演奏会は予想以上の成功を収めた。
あまりの素晴らしい響きに驚嘆したリヴロンは、貸与したヴァイオリンをパガニーニに譲渡する。
パガニーニはリヴロンの好意に対し「今後このヴァイオリンを他人には使用させない」との誓いを立てる。
以後パガニーニはこの楽器を音の大きさから「カノーネ(大砲)」と命名し、終生愛用した。

■パガニーニ作曲 バイオリン協奏曲第1番

   パガニーニを知り、愛するためにはイタリア・オペラ、特にロッシーニを愛することが必要だと思っています。
   ロッシーニは「パガニーニがオペラを作曲していたら、僕らはみんな失業だ」と語っていました。
パガニーニがイタリア式の旋律と歌心を巧みに取り入れていたかを示すものです。後にベルカントと呼ばれました。

   第1番の後半は,私はその先を行っているのではないかと思います。その後のヴェルディにみられる
ようなある種のドラマ性に到達しているのではないかと。あの暗く陰うつな色彩がすでにあるのです。
非常に劇的な迫力がありオベラ的な曲でこの点も考慮すべきだと思います。バイオリンの演奏ではなく
声楽に着想を得る方が良いのではないかと思うのです。
この曲の演奏は曲芸ではなく本物の舞台なのです。
   パカニーニノ演奏は見事だったに違いありません。私も見てみたかったです。
   パガニーニは偉大なる劇場人でしたから。
   ですから、ぜひ劇場のオベラ作品のようにこの曲を聴いてみて下さい。

【注釈】  
 シューベルトはパガニーニがウィーンに来た時、家財道具を売り払ってまで高いチケットを買って
 パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の演奏を聴いている。
そして、「第二楽章のアダージョでは天使の声が聞こえたよ」と感激した。派手な超絶技巧よりも
イタリアオペラに近い音色の美しさをとらえるシューベルトの鋭い感性が覗える。フランチェスカ・デゴの言葉にも近い。
 なお、この曲の第三楽章には「鐘のロンド」を持っていて、晩年リストがこの曲を元に「ラ・カンバネラ」を作曲した。

【アンコール曲】
  パガニーニ作曲 24の奇想曲(カプリース)から第13番
 俗称「悪魔の微笑み」として知られる曲である。適切な選曲であった。

【感想】  パガニーニの新たな面を知ることができて有意義な演奏会を見ることができたと思う。

    なお 映画「パガニーニ・・・愛と狂気のバイオリニスト」(めいすいの音楽随想)にも詳しい話が載せてあります。


ショパンコンクールのレジェンド達

2021-10-25 | クラシック音楽

                                                                                                                              NHK Eテレ 2021/10/10

 きっと誰もが,その名を知る世界で一番有名で権威のあるコンクール。5年に1度若き
天才ピアニストたちがホーランドのワルシャワに集い,その腕を競い合う。審査するのは、
現代を代表する一流のピアニストたち。どんな才能が出て来るのか、世界のファンが熱い視線を
注ぐコンクールである。
 すでに今年2021年の優勝者、入賞者は決まってしまったが、その発表前に放映された
「ショパンコンクールのレジェンド達」から6人ほどのレジェンドを選んでみた。

 ■ マウリツィオ・ポリーニ  当時18才だったポリーニ。

  精密機械のような正確なテクニックが生み出す洗練されたショパンの演奏は、聴衆を圧倒した。
  名録音は,ショバンの解釈を決定的に変え、ショパン演奏の道しるべとなった。

ポリーニの代表的な録音である「練習曲」

  この番組で紹介された音楽評論家の林田直樹さんの話「ポリーニと握手した瞬間、
グローブのような、なんて力強い手だなと思え、指の関節の一つ一つが筋肉でパンパンに膨れていて、
凄まじい握力でした。
 これまで、いろいろなピアニストと握手をすることを心がけて来ているが、ポリーニほどの
ごつい手はこれまでになかった。あの手だったら、あの演奏が出来るだろうと思った。」

  また、別の機会に取材していた時、ポリーニは林田さんに向かって、作品の核をこの手にしたいと、
顔の前で手に強くつかみ取るような仕草をしたという。
 若き日のポリーニの練習量や執念を知るエピソードも、またすごいものであることを知ることになった。

       2002年サントリーホールでの円熟のポリーニ演奏

 私の好きな録音は、ベートーヴェンのソナタ28番「ハンマークラヴィーア」、17番「月光」。
   80才近くになった今も、現代曲に取り組む姿が番組にはあった。

■ マルタ・アルゲリッチ

  24歳でショパンコンクールに優勝したアルゲリッチ。同時にマズルカ賞も受賞。音色が美しく、
打鍵は極めて強く、リズム感が抜群である。
 最初に優勝した女性ピアニストでもある。ショパンコンクールの優勝者は18回のコンクール
で2人のみ(もう一人は2010年、45年ぶりのユリアンナ・アヴデーエワ)である。
 実力もさることながら、打鍵が強かったことが優勝した理由のひとつであろう。ショパンの曲には
力強いタッチを必要とする旋律が多いからである。また、優れたピアニストでいられる理由でもあると思う。
 
   経歴はスペイン大統領府でアルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン大統領が、マルタに
留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダに習いたい」との申し出に従って、アルゲリッチの父を
外交官に、母を大使館職員にそれぞれ任命し、1955年初頭(13才)から一家でウィーンに赴任させた。
これに伴って家族とともにオーストリアに移住したアルゲリッチは、ウィーンとザルツブルクで
2年間グルダに師事した。1961年にはイタリアでベネディッチ・ミケランジェリにも師事している。
ただミケランジェリはレッスンを嫌がり、4回しか行わなかったとか。
1957年ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニスト部門優勝。

 

 

 アルゲリッチの名盤はなんと言っても、受賞記念の現地での演奏であるピアノ協奏曲第1番である。
 この演奏はショパンコンクールの優勝者の中でも傑出したものである。これまで、幾度となく、
優勝者のこの曲の演奏と聞き比べてきたが、人を惹きつけて止まない曲想、美しい音色は。他を
寄せ付けない。ショパンコンクールでの優勝が喜びに満ち、これから世界に向かって羽ばたいていこう
という気持ちが表れていて見事。
  オーケストラの音が今ひとつであり、会場のノイズも入っているが、ピアノの音は当時としては極めて良質な録音である。

 もうひとつの私のアルゲリッチのショパンのCD愛聴盤はソナタの2番と3番。
  「この2つのソナタはアルゲリッチの真骨頂が発揮されている1枚である。
女性とは思えぬほどの力強いタッチと激しい情熱がみなぎり、また新鮮な叙情や詩的な表現など、
ショパンの音楽に鋭く深く迫っている名演である(CD解説)」

この番組ではなぜか、NHKのアルゲリッチの良い映像が放映されなかった。
NHKのアーカイブスにはないのかな?

■ スタニスラフ・ブーニン

  当時19才だったブーニンは「圧倒的なパッションと切れ味の鋭いテクニックで聴衆を熱狂させた。

 ブーニンが一躍、名声を博した伝説の名演奏がこれ、リズム良く演奏され、あたかもショパンがサロンで
演奏しているかのような、女性の心をわしづかみにする演奏だった。首を振りながら拍子を取る姿が愛らしい。
 普通は曲目の間では拍手はしないコンクールであるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり
聴衆が拍手をはじめてしまうほどであった。 
 日本には翌年来日、圧倒的な人気となり「ブーニン・フィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。
日本に文化振興を果たしてくれたことになる。
  1988年ソヴィエト国内では思うように音楽活動が出来ないため、西ドイツに亡命した。
 しかし、メジャーなレーベルとの契約は困難を極め、1990年以降、活動には勢いがなくなった。CD録音は日本で主に行っている。
「ブーニン・フィーバー」以来、彼は日本に好意を持つようになった。妻は日本人であり、家も日本にある。

■ アルトゥール・ルビンシュタイン

 アルトゥール・ルビンシュタインは、ショパンコンクールには出場していないが番組ではレジェンドにされている。
 ショパン弾きとしては、外すことが出来ないピアニストであるからだろう。

私はこの番組で初めてホールで演奏する姿を見たが、すっきりとした演奏姿勢が印象的である。

 ルービンシュタインの演奏はホーランド生まれゆえのポーランド的な高貴さを持ち
 見事なオクターブのテクニック、力強い表現を持っている。まさに20世紀を代表する
ピアニストである。ワルシャワでピアノを学び10歳でベルリンへ、ポツダムでデビューし、成功を収める。
1905年ニューヨークにデビュー。アメリカ合衆国市民権を取り、ニューヨークとパリに居を構え。ヨーロッパとアメリカで演奏活動した。

 ルービンシュタインの録音は数多く、ショパンの曲はとりわけ数多い。
  私の愛聴盤は「夜想曲集」である。ショパンの曲を優雅に聴ことの出来る素晴らしい名盤である。

■ 小山実稚恵

 1985年ショパンコンクール4位入賞。
 本人の話では、ワルシャワでの滞在が3週間あり、ショパンの国の音楽を感じることが出来、その後のショパンの演奏に大きな影響を与えたという。

  ピアノコンチェルトを演奏した時のホールの響きが力強く感じられ、土がぐっと足に付いていて、誇り高い精神が迫ってきた。
 そして私のショパンの観念が「はかない美しさ」から「強さと優しさをたたえた美しさ」に変わったという。
 その後は、人生の節目、節目でピアノ協奏曲第2番第2楽章(ラルゲット)を弾くという。

■ イーヴォ・ポゴレリッチ

  予選でのポゴレリッチの演奏は聴衆を魅了し、誰もが入賞は確実だと思われた。
 しかし、結果は予選敗退であった。
 番組での映像を見る限り、指の動きは滑らかで速く、圧倒的に力強かった。
 ポーランドは当時はまだ、第2次世界大戦後のロシアの支配下にあり、共産圏の審査員が極めて低い点数0~1で
評価したためである。半年も前から優勝はタイのダン・タイソンに決まっていたとの話もある。
 ポゴレリッチの演奏は個性的すぎてショパンコンクールにはふさわしくない演奏というのが予選敗退
の理由であった。

 このため、アルゲリッチ他、数名の審査員が決勝の審査を辞退することとなった。
  アルゲリッチは「彼は天才よ」との言葉を残して帰国したという。
  これが、ショパンコンクールを揺るがす大スキャンダルとなった。
  アルゲリッチが辞退した影響は大きく。ポゴレリッチは審査員特別賞を受けることになった。
  その後ポゴレリッチはドイツ・グラムフォンと契約。レコードの売り上げを伸ばし
今も名ピアニストとして活躍している。
   彼は楽譜を徹底的に読み込むため楽譜は書き込みだらけ、また5年以上練習した曲でない
と演奏会では演奏しないという。

  一方、ダンタイソンは決勝に臨むにあたり、オーケストラとの共演をしたことがないので、
2つの協奏曲から一つを選ぶに当たって、短くて覚えやすい2番を選択したという。
 彼は受賞後、音楽の勉学のため、モスクワに渡った。ソヴィエトを出るのに時間がかかり、カナダに渡って、
ピアノ教師になる。この後、ショパンコンクールの審査員を務めている。自身のこともあり、
「公平な審査」が出来るよう心がけているとのことである。
 なお、彼はまた今年優勝した ブルース リウ のカナダにおける教師でもある。

(了)


第18回ショバン国際ピアノコンクール 反田恭平2位、小林愛美4位入賞

2021-10-21 | クラシック音楽

 

 第18回ショパン国際ピアノコンクールの結果発表が2021年10月21日午前9時過ぎ
(日本時間)にあり、反田恭平が2位、小林愛美が4位に入賞しました。

 写真は本選でショパン作曲ピアノ協奏曲第1番を演奏する反田恭平。
 本人の話では「自分としては完璧な演奏ができた。」とのことでした。

   「人の夢が叶う瞬間は,それぞれ瞬間かも知れないし、5秒かも知れない。
僕の場合は12歳から憧れてきた。このファナルのステージ、コンサートではなくコンクールで
弾きたいという思いが強くて、40分間夢がかない続けた最高の瞬間だった。」  

 結果発表を聞いて喜ぶ反田。
  「世界一のレベルの高いコンクールだと実感した。率直に嬉しい。
  これからも、ショパンについて、より音楽家として理解を深めていけたらと思っている。」

    反田恭平は東京都出身。27才。 2012年、日本音楽コンクールにて男性では史上最年少となる第1位。
 ロシアを経て、現在ポーランドに在住(ショパン国立音楽大学在学)。

 

 写真は同じく本選でショパン作曲ピアノ協奏曲第1番を演奏する小林愛美。

 早熟の天才と言われていた小林愛美、前々から期待されていました。
   彼女はは山口県出身の26歳。前回のショパンコンクールでも10人のファイナリストに進みましたが、入賞はできませんでした。
  その後の話では、なぜか思い通りのコンクールの練習がでできなかったという話をしていたと思います。

  「 4位入賞出て来て素直にうれしい。自分が理想とする音楽に近づけた
 日本だけじゃくな海外でも演奏していけたらうれしい。」

 今回は十分に練習を積めたのではないでょうか。
   2013年9月より、米国カーティス音楽院に留学

    なお、優勝はカナダのブルース・リュウ(24)でした。

  今日の発表は、とても嬉しいことでした。これからの二人の活躍を心より期待します。
     今後はまず、ショパン。そしてモーツァルトやベートーヴェンなどいろいろな作曲家の名演奏も聴かせてほしい。

 (了)敬称略


ベートーヴェンのピアノ曲・・・ 「ベートーヴェン生誕250年」

2020-12-22 | クラシック音楽

 今年2020年は、「ベートーヴェン生誕250年(1770~1827)」である。このため、 NHKでは「Beethoven250」という特集を組み,幾つもの番組を放映した。こうした特集では彼の音楽を流すだけでなく、彼の人となり、曲の解説が豊富に語られることが多く、彼の様々な面を知ることができた。
 とりわけ誕生日が12月16日?(17日洗礼日)なので、年末にかけて番組が集中的に放映されて頭の中が混乱するほどの情報が集まった。
 そして、彼の音楽の素晴らしさと多様性を改めて知ることになったと思う。原稿募集を依頼された時期ともちょうど重なったわけである。


 彼は父親からその才能をあてにされ苛烈極まるスパルタ教育を受けた。一時は音楽に対して強い嫌悪感を持つようになったという。8歳の頃ケルンの演奏会に出演、11歳の時にクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェニ師事した。16歳の時にモーツァルトを訪問、21歳の時にボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りを許される。
 20代過ぎから音楽家としては致命的な耳の病気(難聴)に罹り、高音が聞こえなくなり始め50代には全く聞こえなくなってしまう。耳が聞こえなくなるのにどうして作曲が出来たのか?
 最近になって知ったのは、「絶対音感」があれば作曲ができるということ。そして若い頃(20代前半)からはウィーン随一のピアニストとして知られ、「即興演奏」がまさに絶賛されるほど優れていたということである。それらはモーツァルトと同じように父親の教育などにより、彼のなかに音楽が蓄積され、育っていったからということである。もちろん、ただそれだけでベートーヴェンが作曲した膨大な量と質の高さを伝えることなど、とても出来そうにはないが・・・。
 ここでは、ベートーヴェンが最も身近に使用した楽器であるピアノの名曲を取り上げながら、少しだけでもベートーヴェンを語ることにしたいと思う。
 ピアノはベートーヴェンの時代には著しい進歩の途上にあり、機構が変化し、鍵盤の数が増え続けた。したがって年代により異なるピアノを使用したことになる。ピアノの製作者は、第一人者の彼のところにまず届け、さらなる改良のため、感想を聞いた。彼の手元には最新のピアノが常にあったということになる。
 また、耳の悪い彼のために強い音が出るよう、普通は1音にビアノ線3本の所を4本としたり、正面上部に箱を作り、頭をその中に入れ音が良く聞こえるようにしてもらったりもした。
 ピアノは彼の最も身近な楽器であり、56年の生涯のうち40年もの間ピアノ・ソナタを書き続けたので、彼の人生そのものであったといえよう。交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、宗教曲、オペラなどなど幅広いジャンルの膨大な作品の礎の役割を果たしていたことは間違いない。

 なお私事ですが、妻との婚約時代、誕生日にバックハウス盤の「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集」(LP10枚組)をもらったのが今でも良い記念になっている。当時の全集ものには詳しい解説書が着いており素晴らしい。

 以下に、7つほど私の好みの作品を掲載したい。なお、()内の順位は、「らららクラシック ベートーヴェン音楽ベストテン」によるものである。    

● ピアノソナタ第8番「悲愴」(第3位)

                                                        反田恭平の弾く「悲愴」第2楽章

 ベートーヴェンの初期のソナタの中でも、とりわけポビュラーな作品である。
「悲愴」という題名はベートーヴェン自身が付けたものである。彼自身が付けた愛称を持つ作品は少ないが、その,数少ない作品の中の一つとなっている。第一楽章冒頭は悲壮に満ちた悲劇的な曲想となっているが、後の作品に見られるような深刻なものではなく、あくまでも若きベートーヴェンのものである。
 スコットはこの曲を「ロメオとジュリエット」における青春の悲しみや苦しみと共通のものといっている。
 CDはバックハウス盤、完璧な技巧で極めて豪壮に弾気挙げたスケールの大きな演奏である。


● ピアノソナタ第14番「月光」(第4位)
 ベートーヴェンの32曲のソナタの中でも最も有名で広く知られている曲である。
 1801年に作曲された当時、激しい恋をしていた伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに献げられている。ジュリエッタはベートーヴェンとの結婚を望んだが父親に反対されてしまった。
 月光という名前の由来は、いろいろな説があるがルードヴィヒ・レルシュタープという詩人が第一楽章を聞いて「スイスのルツェルン湖にたゆとう小舟のごとく・・・」と表現したことに端を発しているようだ。私はスイス旅行の際、ルツェルン湖のほとりのホテルに泊まったが、その日は曇りで月は見えなかった。、
 それにしても、第一楽章は幻想的でロマンチックである。おそらくジュリエッタ・グイチャルディへの思いが込められているのであろう。
 第二楽章、リストは「二つの深淵のあいだの一輪の花」と呼んでいる。曲は妖精の踊りのような軽快な旋律から始まる。
 第三楽章は、前の二つの楽章が詩的な静かな楽章であったのと比較して、奔流する情熱、男性的な力強さが圧倒的である。失われた愛を乗り越えて生きていこうとするベートーヴェンの強い気概が感じられる。
 CDは正確無比な技術力と純粋な美しさを持つ表現力のポリーニの演奏が素晴らしい。


● ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(第10位)

グレン・グールド テンペストのCDジャケット

 1801年~翌年にかけて作曲した3曲のソナタのひとつ。これらは当時のベートーヴェンの成長ぶりをよく示した内容となっていて、、劇的な要素と幻想的な雰囲気と大胆な楽想を持っている。弟子のシントラーがこの曲を理解するためのヒントをと尋ねられた時シェークスピアの「テンペスト」を読みなさいといったという。しかし、この曲との結びつきはあまりないようである。
 第3楽章が印象的で、馬が疾走するような動きが特徴的である。
 CDはグレン・グールドの演奏が魅力的である。特に第3楽章は驚異的な速さである。 一般的には6分を超えた時間で演奏するのが普通であるが、なんと4分32秒、しかも、そんなに速いとは感じない安定した表現となっている。グールドの類いまれなる才能を示した演奏と言えよう。

● ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」(第18位)
 1802年に音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くが、この苦悩を乗り越え、1804年には交響曲第3番を発表する。それを皮切りに,その後10年間にわたってベートーヴェンにとっての「傑作の森」(ロマン・ローラン」と呼ばれる時期となる。この曲はちょうどその時の作品。
 ベートーヴェンが過去の大作曲家たちの影響から完全に脱皮し,独自の作風を確立した時期の所産のひとつとして挙げられるピアノソナタである。雄大な構想とダイナミックな曲想が見事な力作となり、ベートーヴェンらしさを強く印象づける作品となった。CDはバックハウス盤、完璧な技巧で豪壮に弾き上げたスケールの大きな演奏

● ビアノソナタ第23番「熱情」(第11位)
 これも「傑作の森」の時の作品。
 ベートーヴェン自身が「気に入っている作品」と言ったという。
 ベートーヴェンらしいたくましさ、力強さ、何ものも燃やし尽くすような情熱がある。私の最も好きな曲である。
 CDはなんといってもリヒテル盤が素晴らしい。リヒテルは私の一番好きなピアニストである。この演奏は「ファンタジーが翼をひろげたような幻想的でスケールの大きい」ものである。
 この曲をLPレコードの時代から擦りきれるほどよく聞いた。CDではSACD版(PRD/DSD350 066)が録音・演奏ともに素晴らしい。「今回のベートーヴェンのピアノソナタのCDの中で1枚だけ推薦せよ」言われた場合は、躊躇無くこの盤にする。カップリングは第17番テンペストなど


● ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」
 ベートーヴェンのピアノソナタは28番から後期に入る。構成が一段と自由になり、ピアノ音楽の深遠な境地を確立した。その頂点がこの「第29番ハンマークラヴィア」である。1817年の秋から書き始め、19年に「ハンマークラヴィアのための大ソナタ」として出版された。
 この曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で最大の規模を持ち、技巧的にも極めて難しい。この曲を書いた頃のベートーヴェンは精神的にも物質的にも最悪の状態にあったが重圧をはねのけ空前のソナタを書き上げた精神力の偉大さには圧倒される。本当に信じられない神の領域である。
 第一楽章の冒頭の和音から惹きつけられる。第三楽章アダージオ・ソステヌートは屋敷の奥深くに連れて行かれて、哲学的な世界を垣間見せられている気がする。もはやピアノ音楽の世界とは異なるような世界である。私は、この第三楽章がベートーヴェンのピアノソナタの中でも最も高邁な曲想であると信じている。
 ピノニストの反田恭平が番組「らららクラシックベートーヴェン音楽ベストテン」で「私の第

1位」は番外になってしまったが「ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」といったのは納得できる話であった。
 CDはなんといってもポリーニである。この哲学的な世界を表現出来るのは彼を置いて他にはいない。


● ピアノソナタ第32番(19位)

 ピアノソナタ第32番を弾くマウリツィオ・ポリーニ

 ベートーヴェンの最後のピアノソナタである。後期の作品によく見られるように2楽章に圧縮された形となっている。第一楽章は嵐のような激しさと近況感がみなぎっており、第二楽章では敬虔な祈りの気持ちを表現している。この2つの楽章では、それぞれ「反抗」、「屈服」という晩年の思念が表れ,枯淡の域ともいえる彼の心情が満ちている。
 CDはポリーニ。曲の内面をよく掘り下げて演奏している。

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● エリーゼのために(8位)
   ベートーヴェンの作品の中でも最もよく耳にする曲といえよう。
  ピアノ学習者がまずは弾けるようになりたいと思う曲である。
  ヴァイオリンでは、ロマンス第2番がそれに当たる。
  テレーゼという女性に手渡したという、楽譜の業者に渡したのではなく
 彼女に対する恋文のようなものだったらしい。エリーゼとなったのは彼の文字が乱雑だったためという。 

                                〈 完 〉


いまよみがえる伝説の名演奏・名舞台・・・2020/8/16

2020-08-20 | クラシック音楽

 この日の2時間番組、「いまよみがえる伝説の名演奏・名舞台」に登場する4人の指揮者は、まさに巨匠中の巨匠。
 テレビ番組で、4人が揃って登場するなどということは前代未聞であり驚きである。
 この中の誰か一人が同じ曲を演奏したとするならば、それだけで、クラシックファンは満足したであろう。もちろん、全曲でなく、一つか二つの楽章ということは残念なことであるが・・・・。

1973年フィルハーモニー(ベルリン)での演奏

 最初に登場するのはヘルベルト・フォン・カラヤン。この人の名前を聞いたことの無いクラシックファンはいないであろう。
 彼は交響曲・管弦楽曲・協奏曲、オペラの分野全てで彼ほどレパートリーが多く、どの曲も水準を超えた演奏をし、安心して聞ける指揮者はいない。
 彼は、スキーはウェーデルンをビシビシ決め、スボーツカーを乗り回し、飛行機を操縦することが出来るスボーツマンであった。
 音楽評論家の吉田秀和は「カラヤンのベートーヴェンの第6番「田園」を聞くと、スボーツカーで田舎を廻っているような気持ちになる」と形容している。
 私の好きなカラヤンの演奏は、リヒテルとの共演「チャイコフスキービアノ協奏曲第1番」、ロストロポーヴィチと共演したドボルザークの「チェロ協奏曲」、トリスタンとイゾルデ「前奏曲と愛の死」の入った「ワーグナー管弦楽曲集(1&2)、R.シュトラウスの「英雄の生涯」・「ティルオイレシュピーゲルの愉快ないたずら」、ロッシーニ序曲集、ビゼー歌劇「カルメン」ハイライトなどなど。
 カラヤンはとたえ小曲であっても盛り上げの上手な指揮者であった。
 今回のビデオは、腕や指などの微細な動きを見ることが出来て驚いた。カラヤンのビデオは目を閉じ、ほとんど動きがないものが多く、ベルリンフィルとの長い間の関係で以心伝心で指揮をしているのかと思いっていたがそうでもないようだ。


 今回のビデオを見ると流麗な指揮ぶりを見せていると思う。楽団員もこうした動きの方が演奏しやすいだろう。
 私は、カラヤン・ベルリンフィルの演奏をNHKホールのこけら落とし(1973年)の際の演奏会を2日間聞いている。初日のベートーヴェン「田園」、「運命」、三日目のドボルザーク第8番交響曲、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死」、歌劇タンホイザー序曲である。ともに、S席で聞いた。良くチケットが取れたと思う。苦労して並んだという記憶は無い。当時はクラシック音楽にまだ、造詣が浅く、聞き流してしまったような気がしている。できればもう一度聞いてみたいというのがいまの気持ちである。もう50年近く前20代後半の時であり、致し方ない。

 1979年9月 ウィーン国立歌劇場での演奏


 アメリカ出身のバーンスタインが世界に羽ばたくことになった記念碑的演奏。
 今回のこの番組で、最も感動出来る演奏だと思う。

 バーンスタインの意気込みが脈々と伝わって来て、画面からバーンスタインがはみ出しそうな感じがする。彼はベートーヴェンの演奏が得意だが、マーラーの交響曲をニューヨークフィルと全曲録音している。こちらの方がもっと得意である。
 バーンスタインは映画「ウエストサイドストーリー」の作曲家としても超有名だ。組曲として「シンフォニックダンス」というCDもある。だが、このウエストサイドストーリーの成功を彼は喜ばなかった。彼はマーラーのように交響曲などのクラシックの曲で作曲家としての名声を得たかったようだ、しかし、交響曲3曲、ミュージカル「キャンディード」などを作曲しているがクラシック音楽の作曲者としては大成しなかったといえるだろう。
 しかし、指揮者としての活躍は素晴らしいものがあった。ヨーロッパでもたいへん人気があった。
 私が、バーンスタインの生演奏を聴いたのは1974年9月1日,東京文化会館での演奏会だった。この時のチケットは、CBSソニーのレコードの抽選券が当たって、送られてきたものだった。なんとも幸運なことだった。
 ところが、どうしたことか団員の演奏会用の礼服が航空機の遅延のため届かず、平服で演奏会に登場してきた。1曲目はバーンスタインのピアノの弾き振りでモーツァルトのビアノ協奏曲第25番、なんとなく盛り上がりに欠ける演奏だった。「ああ!今日の演奏は盛り上がらずに終わってしまうのか」と思ったのだが、マーラーの交響曲第5番の演奏が始まるやいなや、素晴らしい音が飛び出してくる演奏になった。やはり服装はどうあろうと演奏には関係ないようだ。
 さすが、バーンスタイン指揮のニューヨークフィル演奏のマーラーだと感動出来る演奏だった。マーラーの5番は4楽章がアダージェット、映画「ベニスに死す」に使われていて有名だが、この曲の美しさに酔いしれたことをいまでもよく覚えている。

1973年 ウィーン学友階ホールでの演奏

 クラシックの音楽の聴き始めはモーツァルトの交響曲などから入っていく人が多いのではないか、その中でも交響曲第40番は最右翼ということになるだろう。
 ご多分漏れず、私も20歳を超えて社会人になったばかりの頃は、LPレコードでベームのモーツアルト関連の演奏を数多く揃えていったものだった。
 40数年経った今は、NHKの「クラシック音楽館」や「プレミアムシアター」で映像を見ながら音楽鑑賞をすることになったので、LPレコードやCDによる音だけの演奏はほとんど聴かなくなってしまった。
 しかし、私にとっては、若い頃に何度も聞いたペームの演奏はいつまでも心の中に残っていて、モーツァルトの標準演奏となっていることが今さらながら良く分かった。
 また、ベームが小さな動きで、眼光鋭く指揮をしているというのも初めて分かった。
番組の中で高崎健さんがベームは「俺をちゃんと見ろ」とたびたび言い、団員の集中力を高めていたという話は興味深かった。
 ベームの生演奏も一度聞いているのだが、残念ながら時期と場所は覚えていないし、どんな運送だったかもほとんど記憶にない。
 ただ一つ、この頃ベームが「日本の聴衆は若い人がとても多い、ヨーロッパでは若い人が少なく中年から高齢者が多いため、日本の方が刺激的で魅力がある」と語っていたことを思い出す。当時20代だった私もその中に入っていたと思うと嬉しい思いでいっぱいになる。
 さて、今の状況をベームが生きていたとするとどう言うであろうか?
 日本のオーケストラの演奏者は若い人が多いと私は思うが、観客の方はどうなのだろうか? 
 ペームはモーツアルト関連の演奏が素晴らしいが、私の持っているウィーンフィルとの「ベートーヴェン交響曲全集」も素晴らしい。買った一番の目的は「田園」だったのだが、一番気に入ったのは3番「英雄」だった。雄大さを感じることの出来る演奏だ。
 ブルックナーの演奏も定評がある。特に4番の「ロマンティック」は名演奏だ。

1991年10月ウィーン学友会協会ホールでの演奏

「好きな指揮者は誰?」と聞かれた時に、私が答えるとしたら、やっはりカルロス・クライバーということになるだろう。
 彼は美男子だし、その指揮ぶりは、本当に「かっこいい」と思えるから。
 特に50歳~60歳の頃の指揮ぶりが素晴らしい。他の指揮者を寄せ付けないと言いたくなるくらい指揮ぶりが見事である。その指揮ぶりを言葉にするのは、とても困難だ。あの音楽評論家の吉田秀和さえもカルロス・クライバーのことを「指揮する姿が音楽だ」といったほどだから、多くの人が認めていることではあるが・・・。
 レナード・バーンスタインは、クライバーの演奏する「ラ・ボエーム」を見て、「私が聴いた演奏の中で最も美しいものの一つである」と語ったという。 「クライバーの指揮ぶり」を真似しようとする人が多いと聞く。しかし、鍛え上げた音楽そのものから生まれ出たものであるから、表面上は真似が出来ても、彼の音楽を伴ってまでの演奏を真似るのは至難であろう。

 私は、1981年9月のミラノ・スカラ座来日公演の時のオペラ「オテロ」を指揮する姿を実際に見た。NHKホールで行われたため、オーケストラボックスが浅い。そのため、指揮する姿がよく見えた。その時のオテロはドミンゴ、演出はフランコ・ゼフィレッリであった。

 そのほかにも、テレビでもシンフォニーなどを指揮する姿を何回か見た。1992年には、ニュー・イヤーコンサートでウィーン・フィルを指揮したので、この時の姿を見ている人は多いと思う。しかし、ともに残念ながらビデオにとってはない。

 彼の名演奏はベートーヴェンの交響曲第五番「運命」。私は星の数ほどある「運命」のCDの中では彼ものが最高だと思っている。強烈なリズム感と流れるようなテンポ。持って生まれた感性から来る指揮ぶりで、ウイーン・フィルを魔法にかけてしまったのではないかと思わせるほどである。これはスタジオ録音であるので、この指揮ぶりをビデオでは見ることは出来ない。

 お父さんはエーリッヒ・クラバー。私がLPレコードを集め始めた頃、モーツァルトの「フィガロの結婚」とベートーヴェンの第六番「田園」の名盤としてエーリッヒ・クライバーの名前が載っていた。今でも、名盤と言えるだろう。エーリッヒは息子に指揮者になることを勧めず、クライバーは大学で化学を学んだようだが、血は争えないようで結局は指揮者になってしまった。 

 彼はオペラを指揮するのも得意で、ヴェルディ「椿姫」、J.シュトラウス「こうもり」「薔薇の騎士」などの演奏はオペラとしての「にぎわい」がよく出ているし、曲の生き生きとした表情が伝わって来る。これらのLPを買って、随分と聞いた。

 オペラなのでLPの場合は、箱に入っていて、解説書も厚くてずっしりくる。レコードに針を落とす優雅なひととき、素直によい演奏を聴いているのだという気分にしてくれる指揮者であった。
 特に「椿姫」は良く聴きいた。しかし、このオベラのDVDがないのが残念である。スタジオ録音かも知れない。

 クライバー指揮のJ.シュトラウス「こうもり」のDVDは序曲を指揮するクライバーの姿が見え、舞台の出演者の動きを見ることも出来るので迫力がある。後に「ばらの騎士」DVDも購入した。
 これらのDVDはクライバーの素晴らしい指揮ぶりを見るのにもっとも適したものだと思う。まさに、優雅な指揮が見られられ、メリハリのある演奏が聞ける。
 いずれのDVDもグラムフォンのものである。もしかすると、今回のように35mmフィルムで冷凍保存されているかも知れない。これらが8Kにリメイクされれば素晴らしいのだか・・・。最も35mmフィルムからのリメイクは幅広にならないようなのでその点は我慢しなければならない。
 
 クライバーはあんなに美しく、楽しそうに演奏しているように見えるのだが、ものすごい集中力で臨んでいるらしく、いちどの演奏で精神的に酷く疲労するようだ。そのためか キャンセルが多く、演奏回数が少ない。そこはカラヤンとは大きな差である。そしてお酒を飲み過ぎて身体を壊してしまい肝臓ガンで亡くなった。

  今回のビデオでも、もちろん彼の華麗な指揮ぶりがよく見られる。晩年に近づいてきており、より指揮の仕方が細やかになっている気がする。しかし、若い頃の笑みがやや少なくなっており美男子ぶりにも少々陰りが見られるのは残念である。


反田恭平のピアノ演奏・・・FAZIOLIというピアノは?

2020-05-19 | クラシック音楽

                                                                    2019.1.30 CHABOHIBA HALL(東京都立川市)

 曲目は オール・ショパンプログラムで
       アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 作品22
       マズルカ ハ短調 作品56 第3
               ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58

 反田恭平の演奏は素晴らしいということは知っていたが、演奏会はもちろんのこと、 NHKの放送でもじっくりと聞いたことが無かったので、5月18日(月)のNHK BSプレミアム「クラシック倶楽部」で録画し、じっくりと聞くことが出来たのは、幸運であった。
 彼の演奏は、体幹がしっかりしているのか、身体にぶれがなく、基本に忠実な演奏で、安心して聞いていられる。無理をしなくてもフォルテがらくらくと出せるのが良い。曲の合間に入る説明もわかりやすく的を得ていた。
 一曲目の「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」ではショパンらしい煌びやか演奏を聴かせてくれた。
 「ピアノソナタ第3番」は、これまでアルゲリッチやポリーニの「2番」、「3番」のカップリングされたCDを買い、親しみを持とうと努めてきたが、三楽章に「葬送行進曲」の方に意識がいきがちで、完成度の高いと言われる3番は避けがちであった。今回の反田の演奏を何度か聞くうちになるほどと思うことが出来るようになってきたので収穫だったと思う。ただ、第三楽章の夜想曲といっても良い美しい歌謡楽章では、甘美で陶酔されるよう演奏することではポリーニに1日の長があるように思えた。 
 
 ところで、ビデオ画像にするとピアノは何を使っているのかが気になる。スタインウェイ全盛のピアノの世界。たまにYAMAHAのピアノだとなんとなく喜びが湧いてくるものであるが、今回は大きな白い文字で「FAZIOLI」と書かれていた。しかも、このグランドピアノなんだか長いような気がする。初めてなので「このピアノって何?」とWEBで調べることにした。

 FAZIOLI(ファツィオリ)は1981年に創業したイタリアのピアノメーカーのもので、綿密な手作業を各所に導入し、独特のこだわりを持ったピアノらしい。生産はグランドピアノを限定としている。
 あのジュリアード音楽院では1924年から名器としてスタインウェイ以外は学内への納入を認めない体制を貫いてきたが(学内300台弱全て)2010年、それがほどかれ、同院ではファツィオリを第一線の名器として認定、注文・納入を開始したというから、よほどのピアノらしい。 ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールなど数多くのコンクールでも使用し始められいるようだ。ピアニストの人気も高いらしい。
 また、現時点で世界最長サイズ(奥行き308㎝)のモデルも製作している。 なお、308㎝モデルのみ、「左側に4番目のペダル」の特殊な設計が標準仕様となっている。
  こうしたことが分かったので、ペダルは幾つあるのかビデオ画像を見たら4つある。反田も第4ペダルを多用していた。そうするとFAZIOLIで一番高価な308のようだ。日本には数台しかないだろう。テレビでは、一切ピアノのことは触れられなかった。おそらく反田自身が選択したものと思われるが、いずれにしても、なぜ使ったのかは一切不明である。 (敬称略)

   また、CHABOHIBA HALL(東京都立川市)も後ろ側が下部に石庭が見えるのがとても粋に思えた。100人程度の小ホールらしい。NHKが録画したくらいだから、かなり音響効果が良いのだろう。


TVアニメ「ピアノの森」

2019-03-13 | クラシック音楽

3月8日(金)に放映された「ららら♪クラシック」meets ピアノの森を見ました。

 アニメ「ピアノの森」は、

 森に捨てられたピアノをおもちゃ代りにして育った主人公の一ノ瀬海が、かつて天才ピアニストと
呼ばれた阿字野壮介や、偉大なピアニストの父を持つ雨宮修平などとの出会いの中でピアノの才能を
開花させていき、やがてショパン・コンクールで世界に挑む姿を描く、感動のストーリー。

 ららら♪クラシックでは、このアニメのピアノ演奏は、反田恭平他、若手成長株のピアニストが演奏し
ていて、録音の後、アニメ制作をするとのことでした。また、ショパンコンクールのファイナルの演奏は、
実際と同様のワルシャワ・フィルの演奏を録音としたということです。

 しかし、このアニメの放送は、1期分はすでに放映済みで、2期分もすでに24回のうち19回放映されて
しまっているとのこと。
  とても興味のわいてくる作品なのに、これまでコミック本を含めて全く知らなかったことを多いに後悔しました。

 ららら♪で、もっと早く紹介してくれれば良かったのに・・・・。

追記 第一シリーズの再放送が決定 2019年4月7日(日)Eテレ 19時~スタート

 良かったですね。「ららら♪クラシック」meets ピアノの森 で放映したのですからね。  


メンデルスゾーン・バイオリン協奏曲、スクリャービン・法悦の詩他、新日本フィルハーモニー交響楽団。

2017-09-23 | クラシック音楽

コンサートのチケットを友人からいただき、久しぶりにクラシックの生演奏を
すみだトリフォニーホールで聴くことになりました。
曲目は、 シューマン作曲 序曲「メッシーナの花嫁」
     メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲」
     ドビッシー作曲「牧人の午後への変奏曲」
     スクリャービン作曲「法悦の詩」
マルティン・ジークハルト指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

最初の曲目の 序曲「メッシーナの花嫁」は、ピアノ曲、歌曲、交響曲ではないので
シューマンにこのような曲はあったのかなと思ってしまった私の知らない曲。
解説によれば、シチリア島のメッシーナという街で起った、王家の兄弟が生き別
れた美しい妹をそれと知らずに愛してしまい、弟が兄を殺して自殺するという悲劇。
これを序曲としてシューマンが音楽的なひらめきで表現したということです。

シューマンのオーケストレーションは、どことなく渋く感じられますが、悲劇を
描くということで、さらに情熱的で暗く、時に劇的に聞こえてきました。

2曲目のメンデルスゾーン作曲ヴァイオリン協奏曲は竹沢恭子(Vn)さんの
演奏。女性なのでやわらかくロマンチックな演奏になるのかなと思っていましたが、
とても力強い演奏で、私の抱いていたイメージとちょっと異なりました。

アンコールで弾いた、バッハの無伴奏バイオリンソナタ・パルティータ第三番ガボット
は自信に満ちた素晴らしい演奏で、感動しました。

三曲目のドビッシー作曲「牧人の午後への前奏曲」は、CDや放送などで何度も聴いている曲
ですが、考えてみると生演奏は初めて、フルートを始めとする木管楽器やハープがとても
良い音で聞こえてくるので、ああやっぱり生演奏は良いものだと思いました。
演奏そのものも良かったと思います。

第4曲目は、スクリャービン作曲「法悦の歌」。曲名は聞いていましたが、演奏そのもの
を聴くのは初めて、ラフマニノフと同じ時代のロシアの作曲家ですが、近代音楽への道
を開いたとも言えそうなオーケストレーションの壮大な音楽です。
法悦とはエクスタシーのこと。「パンフレット」に「エクスタシーでもいかが」とあります。
ホルンやハープ、そしてオルガン、そしてトランペットの輝かしい響きと大音響で圧倒されます。
ただ、このプログラムを演奏する予定だったフランス生まれのルイ・ラングレという
指揮者が病気で急遽、この日の指揮者と交代していることを考えると、もう少し訴えの
ある演奏になったのではないかという気がしました。
それと、オルガン演奏付きなのでこのホールのオルガンは一体どのような音がするのか、
どの部分で演奏するのかとても気になりました。演奏されたのは、後半のわずかな部分で大音響
の演奏にかき消されオルガンの低音の響きが、わずかしか聞こえてこなかったのは残念でした。

以上、久しぶりのコンサートでしたが、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

 


ピアノの巨匠 リヒテル・・・ららら♪クラシック

2017-04-17 | クラシック音楽

4月14日(金)に放映された ららら♪クラシック「解剖!伝説の名演奏家 ピアノの巨匠 リヒテル」

古今東西、私のいちばん好きなピアニストである「スヴャトスラフ・リヒテル」
私の愛聴盤はとりあえず3つあげるとして
ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ第23番「熱情」
チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲第1番 カラヤン指揮ウィーン交響楽団
バッハ作曲 平均律クラビア曲集
であるが、数多くの名盤を残している。 
 ららら♪クラシックの新シリーズでまず、伝説の名演奏家として取り上げられたのがリヒテル
でした。

●リヒテルの履歴など
スヴャトスラフ・リヒテル1915年生まれ 父はドイツ人のピアニスト
9歳の時からビアノを始める。
(リヒテルの話、当時90才)
「音階の練習なんて必要?一度もやらなかったね。基礎はまっぴら 何から始めたと思う?
まずショパンのノクターン第1番 次にエチュードホ短調」
22才でモスクワ音楽院入学 師事したのは当時最高の教師ネイガウス。
(リヒテルの話)「ネイガウスの前でリストを4度目に引いた時、クラス全員がいたんだ
が、彼は言った《もう言うことはない》」
しかし、順調にキャリアを歩み始めた時、悲劇が起こる。
独裁者スターリンの粛清の嵐が始まり、ドイツ人であった父がスパイ容疑で逮捕され、
銃殺刑で亡くなる。リヒテル自身も国家からの監視を長い間受けた。 
東西冷戦のさなか、「鉄のカーテン」により、「100年に1人といわれる凄いピアニス
トがソ連にいる」という噂だけが広がり、「幻のピアニスト」と呼ばれていた。
1960年、ニューヨークへ。45歳カーネギーホールでデビュー。西側社会に大きな
衝撃を与える。
日本へは、1970年に大阪万博の時に初来日、55才、以来リヒテルは大の日本好き
になり8回来日する。訪れた都市62、演奏回数162。

●ブルースリーの筋肉質の身体とリヒテルの背中そして  ff(フォルテッシモ)
(リヒテルのロシア語通訳 河島みどりさんの話)
 映画「燃えよドラゴン」などで知られるブルース・リー
 リヒテルは「ブルース・リーは肉体的に(世界で)いちばん美しい  筋肉の動きの
美しさ 、顔も美しいあんな美しい人間は世の中にはいない」とすごい感激していた
 私はいつもリヒテルの演奏の時、舞台の影で見ていた。背中しか見えないんです。
 ブルース・リーの筋肉の美しさと似ています。背中じゅうの躍動感が・・・と話したら
「あんな美しい男性と私を一緒にするな。ブルース・リーに悪いと、うんと怒られた。」

「華美なもの 余計な音は要らない。ピアニッシモを静かにするのが大事。 大きな音
を大きく叩くことは誰でも出来る。そぎ落とした芯の音を」と話していた。
(ゲスト反田恭平さんの話)
背中は特に重要な部位、肩の柔軟性とその重みで(音の)強弱をつける
ピアニッシモは 大事なのが指の第1関節
 指をねじ込むように  鍵盤の下から指が出るようなイメージで弾きなさいとモスクワ音楽院の教師に指導を受けた。

 私のリヒテルの魅力の第1はff(フォルテッシモ)の素晴らしさだとと思う。
大きな身体と大きな指から生まれる音は他の追随を許さない。

●pp(ビアニッシモ)
(2016年12月18日放送のN響第1846回定期演奏会 ベートーヴェン作曲
 ピアノ協奏曲第3番をドゥガン・ソヒエフの指揮で弾いた ロシアのベテラン女性
ピアニスト エリザベート・レオンスカヤの言葉)・・・ ららら♪クラシックとは別番組ですが
 2台ピアノで初めてリヒテルと演奏した時、彼は私に 「もっと弱く もっと弱く 
もっと」と言うのです。 当時の私には出来ませんでした。 力みがあって自由に弾けて
いなかった。 1年経って、やっと分かりました。ピアニッシモが途方もなく無限な世界
であることを」

リヒテルが名演奏家と言われるのは  pp(ビアニッシモ)あってのff(フォルテッシモ)
だということが改めて理解できました。

参考までに過去に私が書いたリヒテルの文章をここに掲載します。 

めいすいの写真日記 リヒテル演奏 ベートーヴェン、ビアノソナタ第23番「熱情」SACD版

めいすいの音楽随想 私の好きな演奏家 スヴャトスラフ・リヒテル


五嶋みどりバッハを奏でる・・・無伴奏バイオリンソナタとパルティータ(全曲)

2017-01-30 | クラシック音楽

BSプレミアムで1月30日未明に「五嶋みどりバッハを奏でる・・・無伴奏バイオリンソナタとパルティータ(全曲)」が放映されました
 バッハは1717年からドイツのケーテン(現在人口3万の町)で、7年間、宮廷楽長をつとめました。「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ」は30代の彼がこの地で、日常生活の中で完成させた作品です。
 五嶋みどりは1816年8月にバッハゆかりのこの地を訪れ、現在も残るケーテン城の部屋で演奏し、テレビ用に録画されたのが、この日の放送でした。
   「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ」は「バイオリニストのバイブル」とも言われる作品ですが、全曲演奏は2時間以上もかかるので、全曲演奏が行われる機会は少ないと思います。しかし、ソナタとパルティータ6曲からなる、この曲は、その一部が演奏会で演奏される機会はとても多く、人気があります。バイオリン協奏曲を演奏した後のアンコール曲としてもよく演奏されています。
 私は全曲版のCD(ヘンリク・シェリング)を持っていますが、全曲を集中して聴くのは難しく、何曲かを選んで聴くことになってしまいます。
 テレビの映像を見ながらだと演奏する姿を見ながらなので、よく集中しながら聴くことが出来ます。また、演奏者のこの曲への思いなどが途中に入っているので親しみを感じることも出来ました。

 「この曲が人の内面から沸き上がったものであるということに、とても感動します。
他の音楽からの引用や旅から得たひらめきで作られたものではなく、バッハ自身が内に秘めていたものから作られています。 私は、音楽というのは私たちの中に生きているものだと思っています。この偉大な作品は、偉大な作曲家から生まれたもので私はそのことに、どこまでも感動するのです。ニ短調のパルティータは開放的な曲で時に冒険に赴かせてくれます。装飾的な要素は見事です。アルマンドで始まり、クラント、サラバンド、ジーグ、そしてシャコンヌ。通常なら4曲で終りかと思うところ5曲目としてシャコンヌが登場します。 この最終曲は それまでの4曲をすべて足したものに相当する長さです。
パルティータ第2番は私にとって特別な作品で弾き終わった後しばらくは、この曲の余韻にひたっていたいのです。(五嶋みどり)」
 今回の放送では1番と3番とのソナタとパルティータが演奏された後、休憩があり、2番のソナタとパルティーが演奏されました。これは、演奏者の思い入れでシャコンヌで終わる形を取ったのだと思います。

「バッハは解釈の幅がとても広いと思っています。そして、どこまでも探求し続ける機会を与えてくれるのです。探求に飽くことは決してなく、これは私が共に生き続けている音楽なのです。(五嶋みどり)」
   彼女の「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ」への取り組みの言葉はとても印象的です。このことが良い演奏で私たちを感動させてくれる源となっているのでしょう。

 なお、「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ」の中で、私の好きな曲は明るく陽気で、華やかな「パルティータ第3番の第3楽章 ガヴォット・ロンド」です。シャコンヌに次いで有名な曲です。


ルービンシュタイン ショパン「夜想曲全集」・・・ Chopin The Nocturnes

2016-12-27 | クラシック音楽

                         最近発売になった新しいCD

 アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1985 , ポーランド出身 )のこの曲集は、私が就職してからの20代の前半、クラシックの多くのLPレコードを買い、ステレオで聴くようになってから、折に触れ、何度も、何度も聴きました。聴いていてとても優雅な気持ちになり、至福の時間を過ごすことが出来る、優れたLPレコードだったからです。
 ショパンがパリのサロンで活躍していた頃、そしてショパン存命中も、このノクターンがショバンノ曲の中で一番人気があったようです。
 
 先日来、大手通販から、この12月に、このCDが発売されると何回もメールがありました。ジャケットのデザインも以前のLPと同じ、しかも「ブルースペックCD2・・・CD発売から30年、最大の技術革新による高品質CD・・・24bit/192KHz Remastering 」ということなので、購入することにしました。確かに音質は格段にクリアーになっています。昔の至福の時間が蘇った気がしました。そしてルービンシュタインの演奏はショパンのピアノ演奏の”世界遺産”と言われることもあるのが、よく理解できました。

                          若い頃、繰り返し聞いたLPレコード
  
 先日、「題名のない音楽会」で 仲道郁代と五嶋龍が対話している中で、ルービンシュタインの弾くショパンの演奏が話題になり、仲道郁代は「夜寝る前にルービンシュタインのバラードを何度も何度も聞ききました。」と話したら、五嶋龍が「部屋を暗くして、私はルービンシュタインのノクターンをよく聴きました」と話していました。有名音楽家もわたしと同じような聴き方をしているのだと納得できた感じがしました。

【 追記 】
 ところで、この曲集の中には、残念なことに「第20番嬰ハ短調遺作 」が入っていません。作品番号のない曲を録音しなかったようです。また、録音された当時はあまり評価されていなかったのかも知れません。ショバンのノクターンは全21曲で、カップリングされているのは19曲。
 しかし映画「戦場のピアニスト」(2002年公開)で、この曲がオープニングに使用されてから異常ともいえる人気となりました。
 私は「戦場のピアニスト」が公開された時、暗そうな映画だからと見ませんでした。しかし、1.2年経った頃だったと思いますが、すべてのクラシック音楽のリクエストのベストテンとかいう番組で「ノクターン第20番嬰ハ短調遺作 」がなんと1位になりました。
 このリクエスト番組で流れる曲は、すべて知っている曲ばかりなのに、なんと慣れ親しんでいたはずショパンンのノクターンに聴いたこともない曲があり、しかもリクエスト第1位ということは大きな衝撃でした。
 すぐにレンタルビデオ店に駆け込み、映画「戦場のピアニスト」を借りてきて見ました。
幸せな日々を送っていたユダヤ人ピアニストが第2次世界大戦でナチスの迫害を受けて、つらい日々を送るという内容ですが、映画でいくつか流れるピアノ曲が妙に新鮮でした。
 さらに、サントラ盤のCDも買いました。この曲の哀感漂う美しい旋律は、この映画を見事に引き立てています。
 ノクターンといえば、有名なのは昔から「第2番変ホ長調」でしたが、現在人気は「第20番嬰ハ短調遺作 」の方かも知れません。代表的な演奏はアシュケナージということになるでしょう。


バーンスタイン作曲 「ウエスト・サイド・ストーリー」より「シンフォニックダンス」

2015-06-16 | クラシック音楽

 

 ウエスト・サイド・ストーリーの一場面

 同じく、ウエスト・サイド・ストーリーの一場面から、「アメリカ」

  先日(6月13日)の「らららクラシック」(NHK Eテレ)はバーンスタイン作曲の「シンフォニックダンス」が取り上げられました。
 あまりにも有名な映画「ウェスト・サイド・ストーリー」の音楽はバーンスタインの作曲として知られています。今でも「マリア」、「アメリカ」などの曲は多くの人に親しまれています。

 私は、銀座の東劇の大画面で、この映画を見た時には、美しく、迫力ある映像と音楽に圧倒されました。
 当初ブロードウェイ・ミュージカルとして「ウエスト・サイド・ストーリー」は始まったため、音楽は小さなオーケストラボックスでの演奏に合わせ、小編成のオーケストラ用に作曲しなくてはなりませんでした。
 そこで、偉大な作曲家でもあったバーンスタインは、「ウエストサイドストーリー」の音楽の中から、9曲がフルオーケストラ用に書き直されました。組曲版の「ウエスト・サイド・ストーリー」は「シンフォニックダンス」と名付けられました。特に打楽器が多く追加されています。
 曲名はプロローグ、サムホエア、スケルツォ、マンボ、チャチャ(マリア)、出会いの場、クール、ランブル、フィナーレです。曲の順番は、ストーリーの順番ではなく、演奏会で聞きやすい順になっています。


 「ウエスト・サイド・ストーリー」のDVDと「シンフォニックダンス」のCD

 私が、この音楽を知ったのは、バーンスタイン自身がニューヨークフィルを指揮しているCDでした。
 このCDには、この曲とグローフェの組曲「グランド・キャニオン」とガーシュンインの「ラプソディ・イン・ブルー※」(※ コロンビア交響楽団、Pf バーンスタイン)がカップリングされていました。
 映画は見ていましたが、CDを聞き、踊り出したくなるような、なんと歯切れの良い音楽なのかと思いました。

  以下は、番組の解説です。

 名作ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の音楽を、オーケストラ用に編曲した組曲「シンフォニック・ダンス」。
 映画化とともに、音楽が世界中に知れ渡り、人気を不動のものにした作曲家レナード・バーンスタイン。実はその成功が、彼を悩ませ続けました。
 名曲誕生の背景と知られざる作曲家の葛藤の日々を見つめます。

1.“クラシック”になった名作ミュージカル
 1940年代後半のアメリカでは、人種間で起こる問題が日々世間を騒がせていました。「ウエスト・サイド・ストーリー(以下WSS)」はそんな時代の中、初めて社会的なテーマをストーリーに持ち込んだ作品として誕生しました。メッセージ性の強い、今までにない作品を成功に導いたのは、物語をドラマティックに進行させる斬新な音楽とダンス。数年後に映画化されたことも手伝い、WSSの音楽は世界中に知れ渡りました。作曲者はレナード・バーンスタイン。彼は舞台初演から4年後、劇中ナンバーをオーケストラ用に編曲した組曲「シンフォニック・ダンス」を発表します。ミュージカル作曲には、舞台の転換時間や振付、オーケストラピットに入る演奏者の数など様々な制限がありました。当初の構想通りに出来なかった音楽を、バーンスタインはこの組曲により実現。20世紀を代表するクラシックの名曲を完成させたのです。

2.“狭間”で揺れ動く スターの苦悩
  20世紀を代表するアメリカ人俳優として、多くのファンを魅了したレナード・バーンスタイン。「指揮者」として知られたバーンスタインですが、彼自身が望んだのは「作曲家」であることでした。そのため、クラシック界に限らず、様々なジャンルの音楽を作曲しました。そしてWSSの大成功により世界中に曲が知れ渡り、「作曲家」としても名を知られるようになったのです。しかし、クラシック界からの反応は冷ややかでした。そしてバーンスタイン自身も、このまま「ミュージカル作曲家」として名が残ることを恐れるようになり、自らWSSから、そして「シンフォニック・ダンス」からも離れていったのです。そして“クラシック作曲家”としての厳格な音楽を作曲、発表。しかし、WSS以上の世界的な評価を得る日は、遂に来ませんでした。「クラシック音楽」と「大衆音楽」、この狭間での葛藤は、晩年までバーンスタインを悩ませました。舞台初演から27年。俳優として、バーンスタインが最後に出した答えは、自身の生み出した名作に再び向き合う事でした。

3.叫びたくなるラテンの「鍵」
 人種間の対立を音楽でも描こうとしたバーンスタイン。WSSの曲には「プエルトリコ系移民」を意識したラテン音楽の要素が多く取り入れられています。劇中のダンスナンバーでお馴染み「マンボ」はその好例。バーンスタインは、ラテン音楽には欠かせない「キメ(曲にアクセントを付ける為にわざと音をストップさせたり、全員で同じフレーズを弾く部分)」に当たる部分を効果的に曲に取り入れていたのです。また、そこには「クラーヴェ」と呼ばれるラテン音楽独特のリズムが隠れているなど、思わず「マンボ!」と叫びたくなってしまう秘密があったのでした。
                                              以上は番組の解説から

 

 シンフォニックダンスの「マンボ」を演奏する、グスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 このシンフォニックダンスが、世界で広く演奏されるようになって組曲としては4番目の「マンボ」では、自然発生的に「マンボ!」とかけ声が入るようになり、後に楽譜にマンボのかけ声を入れるように改訂されたとの話がありました。ただし、先ほどのCDには、「マンボ!」というかけ声は入っていません。
 番組の演奏は渡邊一正(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団になっていますが、このマンボをグスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの演奏を別途、加えています。ベネズエラ生まれのト゜ゥタ゜メルの演奏とオーケストラのラテン系らしい演奏、特に「マンボ!」という部分は凄まじい演奏で、東フィルの同じ演奏は影が薄くなります。ドゥダメルの指揮の素晴らしさ・躍動感を再認識することになりました。

 ゲストの川平慈英さん、サッカー解説で有名ですが、ウェスト・サイド・ストーリーが初舞台ということでした。加羽沢美濃さんのビアノ解説の「クラーヴェ」というラテン音楽独特のリズムでは、見事なリズム感を見せてくれました。

 

 私は1974年(昭和49年)9月1日(日)東京文化会館で、バーンスタインとニューヨークフィルが来日した時の生演奏を聴いています。
 この時は、CBSソニーのLPを買った時に付いていた、バーンスタインとニューヨークフィルの演奏会の抽選券を送ったところ、当選してチケットが送られてきたのでした。
 演奏曲目はバーンスタインのピアノの弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲第25番K503、 マーラーの交響曲第5番でした。
 この日は、楽団員の演奏会用の礼服が航空機の遅れで間に合わないため、平服での演奏でした。とても珍しいことです。
 モーツァルトのビアノ協奏曲は印象に残るような演奏ではありませんでしたが、マーラーの交響曲が始まると、マーラーの音がホールいっぱいに広がり、素晴らしい演奏になったのを今でも鮮明に覚えています。ルキノ・ビスコンティ監督による映画「ベニスに死す」(1971年)で知られるハープと弦の第4楽章アダージェットは特に魅力的でした。


ヒラリー・ハーン ブラームス作曲 ヴァイオリン協奏曲

2015-04-22 | クラシック音楽

4月19日(日)Eテレの「クラシック音楽館」で放映された、ヒラリー・ハーン(Vn)、エサ・ペッカ・サロネン指揮フィルハモニア管弦楽団
「ブラームス作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77」を見ました。

 私は、クラシック音楽に親しむようになった40年以上も前から、ブラームスのヴァイオリン協奏曲が好きで良く聞いていました。
 「めいすいの音楽随想 私の好きな3つの協奏曲・・・1973.3.17」
 オイストラフとクレンペラーフランス国立放送管弦楽団のLP、クレーメルとカラヤン指揮ベルリンフィルのCD、他に演奏会やテレビ放送など
何人もの演奏者でこの曲を聴いてきました。


 第1楽章のカデンツァを演奏するハーン

 今回は、現代を代表する名ヴァイオリニストといわれるヒラー・ハーンが、どのような演奏をするのか期待を持って見ることにしました。
 第1楽章は冒頭のオーケストラの演奏が長めですが、初めのヴァイオリンの音色から引きつけられました。彼女の演奏は豊かな響き、逞しくて、
緻密な響きを備えています。牧歌的な第2楽章の透明で美しい音、第3楽章のリズミカルで迫力ある演奏も軽やかで素晴らしい。


 第2楽章 冒頭のオーボエの演奏に聴き入るハーン

 今回の放送の演奏を見て知ったのは、コミュニケーション能力です。彼女の演奏する姿を見ていると、小さな動作の中に指揮者や
オーケストラ団員との間で行っている意思疎通がよく分かります。ヴァイオリンをしなやかに演奏する姿、第3楽章での軽いステップ、
指揮者を見る魅力的な眼やコンサートマスターの方を向いて伴奏に頷いてる様子などなど、”オーケストラと対話しながら演奏する姿も音楽”
であると感じさせてくれます。
 これは、もちろん10年以上にも前から、サロネン指揮フィルハーモニー管弦楽団とハーンが共演を重ねてきたからということもできるでしょう。
 あまりに素晴らしい演奏であったため演奏が終わった後、すぐに録画をもう一度、聴き直しました。NHKで放映した演奏では、近年では屈指
の名演奏であるといえると思います。この演奏を聴き、ヒラリー・ハーンのファンになりました。
 アンコールで弾いた 「バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第3番ホ長調からジーク」も素晴らしい演奏でした。

● ハーンとサロネンのインタービューの言葉

ブラームスの協奏曲・・・ヒラリー・ハーン
「最近の演奏会で感じたことですが、この作品には、すごく強引なところと細やかな感性とが入り交じっています。
こうした特徴は他のバイオリン協奏曲には見られません。オーケストレーションも見事で楽器間の対話がいたるところで行われています。
私もその対話に加わることができるので本当に面白いです。オーケストラは単なる伴奏ではありません。
ソロの役割としてオーケストラに彩りを添える程度の場合もありますし、ソロとオーケストラの間で主導権を相互に受け渡す場面もあります。
美しく力強い音楽であると同時に大変緻密に書かれています。ですが、そういった細かい点はあまり重要ではありません。
相乗効果の結果として生み出される全体像に面白さがあるのです。」

ヒラリーハーンについて・・・指揮者エサ・ペッカ・サロネン
「彼女は周りがよく見えています。自分の世界に入ってしまうタイプではなく、音楽をみんなで作り上げようとするタイプです。
演奏中に常に意思疎通が出来ているので次に彼女が何をやりたいのかがすぐに分かります。明確なメッセージを発して
くれるので彼女の要求を察知することが出来るのです。」

エサ・ペッカ・サロネンとの共演・・・ヒラリー・ハーン
「サロネンさんは、並外れたエネルギーをすべて演奏に注ぎ込んでいます。私が新しいことをしようとすると
その一歩先まで読んでくれます。ソロからオーケストラに主題を受け渡す時など、わたとの意図した流れを、彼はすぐに察してくれます。
オーケストラの団員も耳をそばだてて私のアイディアに反応してくれます。事前に説明する必要などありません。
何かを投げかけると彼らはそれを、さらに膨らませてくれます。
大きな流れの中に身を投じて一緒に何か築き上げている実感があるのです。」


クラシックハイライト 2014

2015-01-02 | クラシック音楽

紅白歌合戦の裏番組として2時間半に渡って放映されるその年の日本のクラシック界のまとめの「クラシックハイライト」。
毎年必ず生放送で見ることにしています。

まずは、日本を代表する若手演奏家二人、スイスロマン度管弦楽団の首席客演指揮者の山田和樹とベルリンフィルの
第一コンサートマスター樫村大進が共演するチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
樫村大進のコンサートマスターとしての経験が演奏をリードし、山田和樹は、それを支えるといった状況でしたが、
聴き応えのある骨太の演奏になっていました。

今年生誕150年のリヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の「サロメの踊り」は。やはり劇中の白眉の部分。
妖艶なサロメが義父の王の前で踊りを披露し、ヴェールを1枚づつ脱いでいくという場面ですが、この曲を聴くと
異様な気持ちになってきます。ワレリー・ゲルギエフはマイリンスキー劇場管弦楽団の演奏能力の向上を図るため
積極的にリヒャルト・シュトラウスの作品を取り上げているようです。ロシアの作品の演奏は超一流ですが、さらなる
飛躍をしているようです。

この日は演奏会形式でしたが、ヌードダンサー的な魅力ある踊りを鑑賞しながら曲を楽しみたいものです。

今年、ロリン・マゼールと共に世を去った、追悼のクラウディオ・アバド。私はウィーンフィルと共に来日した時に、
生演奏を聴いたことがあります。ただ、メンデルスゾーンの管弦楽全集などCDでは良く聴いていたのですが、
気がついてみるとテレビ画面で見ることは少なかったように思います。
番組ではムソルグスキーをオペラも含めて、積極的に取り上げていたとの話がありました。
この日の演奏は1994年のベルリンフィルとの日本公演。さすがは、アバドという「はげ山の一夜」の演奏でした。

器楽曲の演奏では、庄司沙矢香(Vn)など何人か。その中ではアンドラーシュ・シフ。シューマンの「交響的練習曲」
個人的には「森の中の演奏会」で放映された、カティア・ブニアティシビリ(Pf)を取り上げてもらいたかった。

今年10月から、国立劇場の音楽総監督になった飯守泰治郎。今後の新国立劇場の運営に期待がかかるところです。

バイロイトで長く音楽助手をつとめていたのでワーグナーを得意としています。
飯守泰治郎は東京シティーフィルハーモニーで指揮をしていた頃演奏会に4~5回に行ったことがあります。
話手がいて、いつも飯盛泰治郎と対話形式でピアノを弾きながら、楽曲の解説をするので聴きに行きました。

新国立で、今度はワグナーを聴きたいと思っています。

こちらは藤原歌劇団80周年記念公演のプッチーニの「ボエーム」。しっかりとした演出で歌手もそろえました。
11月の公演、プレミアムシアターで3月に全曲を放送するとのことです。

クラウディオ・アバドが主催していたルツェルン音楽祭。アバドの音楽を引き継ぐともいわれているアンドレス・
ネルソンスが指揮したルツェルン管弦楽団のブラームスの第2番の第1楽章は柔らかく雄大な演奏。

フィラデルフィア管弦楽団の指揮者であるネゼ・セガン。このハイライトではマーラーの交響曲第1番の終楽章
を聴きました。指揮する動きが速く細やかで、音に切れがあるように思えました。

ともに、若手の指揮者として将来が楽しみな2人です。


一方、今年10月にNHK交響楽団の首席指揮者に就任するパーヴォ・ヤルビー。11月に演奏したドイツ・
カンマーフィルハーモニー管弦楽団との演奏は交響曲第1番の第4楽章。クラシックの中のクラシックともいえる
この曲を番組最後に持ってきたのは、パーヴォ・ヤルビーにNHKがかける期待がいかに大きいかを知ることが出来ます。

この曲の全曲放送は1月に行うとのことでした。


リヒテル演奏 ベートーヴェン、ピアノソナタ第23番「熱情」・・・SACD版

2014-12-30 | クラシック音楽

            SACD版ジャケット

 ピアノの巨匠「スビャトスラフ リヒテル」、ベートーヴェンの「熱情」の演奏は、カラヤンと共演した「チャイコフスキーのピアノ協奏曲」
と共に、最も優れたピアノ演奏として知られてきました。
 私は、特に「熱情」が好きで、まだ20代だった頃、LPレコードを擦りきれるほど聴き、もう1枚買い直したほどでした。
 リヒテルの演奏は、「ファンタジーが翼を広げた幻想的でスケールの大きなな演奏」だったからです。

 その後、CDの時代になり何年もたってから、リヒテルの演奏する「熱情」のCDが数種類、発売されたのですが、そのどれもが、
これまで聴いていたLPレコードと演奏が違い、満足できませんでした。あのLP版の演奏はCDではもう聴けないのか・・・と諦めてい
ました。
 それが突然、SACD(スーパー・オーディオCD)版となって発売されるということをアマゾンの通知で知り、すぐに申し込みました。
 今日、そのSACD版が届きました。さっそく聴いてみると私の希望通りLPレコードと同じ演奏でした。

          LPレコード版ジャケット

 LPレコードのジャケットの裏面解説によれは、ソヴィエトで活動していたリヒテルは、「幻のピアニスト」、「ピアノ界の巨人」
と呼ばれ、来日がやっと実現したのが1970年の万博の年、その頃このLPも発売されたとあるので、録音は1970年より少し前
と思われます。場所はプラハで、ライブ録音とのこと。
 その頃は、もちろんアナログ録音ですが、マスターテープの録音がよほど、すばらしい出来映えであったのでしょう。
  このSACD版はピアノの音の粒立ちが鮮やかで、セパレーションも良く、低音が豊かになっていて、今まで聞こえていなかった
音が聞こえて来ます。 まるで今、そこでリヒテルが演奏しているかのようです。
 確かにLPレコードを聴いていた頃と比べるとアンプやスピーカーの性能が格段に上がっていることもありますが、
SACD化されて、リヒテルの表現したかった演奏が、より明確になったといえます。

カップリングは、LPでは「葬送」ですが、SACD版は「テンペスト」他となっています。この「テンペスト」も素晴らしい演奏です。

私のクラシックのCDコレクション400枚、LPレコード700枚の中でも、最も大切な1枚となりました。

リヒテルについて、詳しくは
めいすいの音楽随想「私の好きな演奏家 スビャトスラフ・リヒテル」
をご覧下さい。