めいすいの写真日記

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世界遺産「富岡製糸場」を訪れる

2019-05-30 | 見学記

町会の日帰り研修会として、次に訪れたのは世界遺産の「富岡製糸場」。平成26年に登録されました。ここは正門。

富岡製糸場は、明治初期の殖産興業の代表的な工場。フランス人ポール・ブリュナが指導者として雇われ、 建設事業から

製糸の先進的な的な手法を教えました。フランスの製糸技術など産業全般がいかに高度だったか も知ることが出来ます。

 入場するとすぐに、東置繭所があります。レンガ造りです。明治4年に工事に着手しましたが、当時日本にはレンガがありま

せんでした。「木骨レンガ造り」工法を採用。レンガはフランス人技師の指導を受けて瓦職人が造りました。目地は石灰で造ら

れた漆喰を用いました。平成26年に「国宝」に指定されました。

1階は、事務所・作業所。2階には乾燥させた繭を貯蔵しました。(写真は東置繭所の2階)

操糸所。繭から生糸を取る作業を行っていた場所。

操糸所の内部。創業当初はフランス式の操糸器300釜が設置されていました。当時は世界最大規模の操糸所でした。

広い空間が必要なため、屋根を支えるために木造のトラス構造となっています。平成26年に「国宝」に指定されました。

特に学問を受けていなかった工女の横田英。努力によって製糸場の一番優秀な人となりました。日常を記した「富岡日記」が

残っています。こうした人達の活躍があって製糸業を始めとする日本の近代化が進みました。

日本人工女に、機会による糸取りの技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の宿舎として建設されました。

診療所。

ここでの工女の労働条件は1日8時間。日曜日は休み、月給制などが採用されるなど良好だったようです

診療所などの施設が整っており、勉学も可能で、病死した人はいなかったということです。

製糸工場というと「ああ、野麦峠」などで知られる「女工哀史」(岡谷製糸工場)など悲しいイメージが頭に浮かびます。

富岡製糸場についても、同様のイメージを、持ってしまいがちですが、ここ富岡製糸場は国営で、武家の子女などを採用、

全国各地の製糸場の指導者を育てる役割を担っていたようです。

指導者のポール・ブリュナが住んでいたブリュナ館。後に学校となりました。ここで、読み書き、洋裁などを教え、企業内教育の先駆

となりました。


渋沢栄一(新一万円札肖像)の故郷を訪れる

2019-05-29 | 見学記

町会の日帰り研修会で深谷市を訪れました。

新一万円札の肖像に決まった大実業家である渋沢栄一(1840-1931)の人となりを知るためです。

まず訪れたのは深谷市の「渋沢栄一記念館」、なかなか立派な建物です。

建物の裏側に回ると渋沢栄一の銅像がありました。深谷駅にあったものを駅の改修工事のために

移転させたものだそうです。高さは3m以上もある巨大な銅像。右手に持っているのは「論語」。

記念館の1階にある資料館。貴重な資料が並んでいます。撮影は禁止。入り口の右側に立ってるのが渋沢栄一の等身大の像。

身長は1m55cmだったそうです。江戸末期から明治にかけての男性の身長では一般的だったようです。

渋沢栄一の生涯を書こうとするとあまりにも足跡が偉大すぎます。500の会社を設立、社会公共事業は

600を超えるとは想像も出来ないほどの活躍です。

さらに、死の間際でしたが日本女子大学の学長をつとめ女子の高等教育にも力を尽くしたこと。

養老院(現、東京都健康長寿医療センタ)の院長もし福祉事業にも尽くしたことなど、現在にも通じる視野の広さ

も特筆すべきことです。一体どのような時間管理をしていたのでしょうか?

旧渋沢邸の「中の家(なかんち)」の正門。7年かけて造ったとか。扉はケヤキの一枚板。


敷地内にある若き日の渋沢栄一の像。「中の家」の家は農家だったが「名字帯刀」を許されていました。
この頃は、役人の強引な税の取り立てに腹を立て、尊皇攘夷派の活動を続けましたが
徳川慶喜に使えるようになり、欧米視察に随行するなど次第に活動の場を
拡げて行くことになります。

母屋。千坪の敷地内には、他にいくもの蔵がある。染め物の藍、藍玉と養蚕で財をなした豪農だったらしい。現在の額にして年に数億の利益があったとも。

屋敷の内部。

近くの道の駅「おかべ」で売っていた渋沢栄一像の10万円?札。100円(税込み)。額に入れて飾ると良いとのこと。

華厳の滝と中禅寺湖(4)・・・ ホテル四季彩の食事

2019-05-16 | 旅の写真

宿泊した「ホテル四季彩」は日光国立公園内にあります。この季節、部屋のテラスからは木々の間に中禅寺湖の湖面が見えます。

小鳥も飛んできたりするので、部屋にはバードウォッチング用の小さな望遠鏡が置いてありました。時々は猿もいるので戸を開け

たら必ず閉めるようにして下さいとの話もありました。

夕食

食事は「ダイニング 彩(いろどり)」で取りました。

先付 若竹煮 (上部小鉢)

前菜 蓬豆腐 雲丹 タラの芽 ホタルイカの酢味噌和え 桜鱒タレ焼き 景山葵漬け

お椀 玉子豆腐 焼帆立 桜大根 桜人参 蕨 花弁茸

向附 生肴󠄁三点盛り あしらい一式     生わさびの摺り下ろしがついていました。

日本酒 「四季桜」本醸造酒(宇都宮市)  氷の入った大きなボールの中にお猪口とぐい飲みが入っていました。

台の物  とちぎ霧降高原牛(陶板焼き) 彩り野菜 玉ねぎソース 岩塩 レモン   赤のグラスワイン

口代わり 当館創作日光汲み上げ湯葉 ごまだれ ポン酢 薬味

湯葉をごまだれにつけたところ

蓋物 ポトフ 蛤 桜麩 じゃがいも 芽キャベツ 牛ほほ肉 スナップえんどう

食事 蕗味噌焼きおにぎり茶漬け 春の物 白たまり漬け ワインらっきょう

甘味 桜のチーズケーキ 莓

夕食の始まったのは午後6時だったのですが、7時を過ぎると辺りは暗くなって木々がライトアップされ雰囲気が出てきました。

温泉

温泉は奥日光湯元から引いた硫黄泉。白濁した温泉です。露天風呂は利用しやすく造られていました。

朝食

主食は五穀米にシジミの味噌汁。

豆腐は容器に造られたもの。量は十分にありました。

白身の魚の西京焼き。脂がのっていました。

デザートはヨーグルトにブルーベリージャム

玄関前の八重桜がきれいに咲いていましたので記念撮影をしました。

食事、温泉ともに満足のいくものでした。


華厳の滝と中禅寺湖(3)・・・ 中禅寺(立木観音) 

2019-05-15 | 旅の写真

中禅寺の山門。中禅寺は中禅寺湖畔の歌が浜にある天台宗の寺院。世界遺産に登録された日光山輪王寺の別院であり、

坂東三十三観音霊場の第18番札所にもなっています。

左手奥にあるのが立木観音堂(本堂)で、中央の杉の大木には瘤があります。

この瘤は「身代わりの瘤」と呼ばれ病気などの身代わりになってできる瘤ということです。杉の木にこのような瘤が出来るのは珍しい。

本堂にある立木観音(千手観世音菩薩)。重要文化財。高さ約6m。

日光山の開祖である勝道上人が船で湖を遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま十一面の千手観音像

を刻みました。この観音様の下には、まだ根が残っているそうです。

この「千手観世音菩薩」を本尊として、中禅寺が開かれたというのが寺の由来です。

立木観音のお守り。指で握ると色が変化します。諸願が成就し、年度ごとではなく、このまま、ずっと御利益があるとのことです。

黄緑、青、紫、等々。黄色になった時が一番願いが叶いやすいとか。


華厳の滝と中禅寺湖の旅(1)・・・ 華厳の滝

2019-05-13 | 旅の写真

小学校の修学旅行で訪れた「華厳の滝」、本当に久しぶりに訪ねました。

その昔、男体山の噴火で生まれた中禅寺湖の水が大尻川となって流れ出し、この大岸壁から一気落下する壮大な雄姿です。

高さ97m、落口幅7m、落水量0.3t/毎秒。ただ、この日は水量が少なかったようです。 

滝の周りの岩壁、春まだ浅い感じがしました。新緑はこれからのようです。

華厳の滝エレベーター乗り場。観瀑台までは、100mほどエレベーターで下ります。料金は大人550円。

2台のエレベーターが設置されていました。

観瀑台の直下には水量豊富な「涅槃の滝」があり、大谷川となり鬼怒川に合流します。

 


家族との食事会・・・第一ホテル吉祥寺 日本料理「車屋」と慶祝「令和」

2019-05-04 | 外での食べ物

今日は家族のお祝い事で食事会をしました。女房へ花束、感謝状、メッセージ入りカードの贈呈がありました。

「第一ホテル吉祥寺」にある日本料理の「車屋」で、コースは「四季の味」

まずは前菜

お椀

造り

焼物八寸

煮物

食事 香の物

デザート・・・以上です。

部屋で「令和」を記念してガラガラ抽選器のくじ引きがあり、私は空色の玉が出て「ワンドリンク券」が当たりました。

令和に入って初めての抽選に当たるとは縁起がいい。

ホテルのロビーでは 慶祝「令和」の花が飾ってありました。