めいすいの写真日記

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新河岸川の桜 2015

2015-03-31 | 

今日は暖かい日で、志木市のいろは橋下流の新河岸川の桜は満開になりました。

子供連れも多く、春休みを楽しんでいました。

お昼時であったので、お弁当を持ってきている人もいました。土、日に重ならなかったのが、ちょっと残念でもあります。

水も温み、川の中瀬で遊んでいる少女達もいました。


モロッコの旅(5)・・・サハラ砂漠をラクダで行く

2015-03-31 | 旅の写真

サハラ砂漠のラクダ

 この日は、サハラ砂漠の日の出を見ようと、朝4時のモーニングコールで起床。
 8台の4WD車で4時30分にエルフードのホテルを出発しました。
 日の出は6時半なので、2時間前に出発です。私の乗った車は、三菱の「パジェロ・スポーツ」 


目的地は50kmほど離れた「メルズーカ」という村、4WD車で45分ほどかかり、ラクダステーションに到着。
まだ、暗闇です。ほとんどのラクダはおとなしく鳴きませんが、鳴き声は独特で迫力があります。

東の空が、明るくなり始める頃、長いラクダの隊列が続くのは、素晴らしい光景になります。
ただ、あたりが暗いので、揺れるラクダの上で、片手で撮るのは難しく、手ぶれしてしまいました。残念!

東の空がさらに、明らんできた時に、ラクダ使いの人と撮影。

サハラ砂漠の日の出が始まりました。

帰りはラクダに乗るのも慣れて、ゆったりと元来た道を戻ります。

ラクダ使いの人に写真を撮ってもらうことにしました。

元来た道を戻る隊列、朝日を受けて長い影が砂地に伸びていました。

詳しくは 「めいすいの海外旅日記 モロッコ第6日・・・ラクダに乗りサハラ砂漠を行く トドラ渓谷 カスバ」 をご覧下さい。


ひなたぼっこしよう・・・オリジナル曲

2015-03-29 | コンサート

オリジナル曲「ひなたぼっこしよう」は幼子に思いを寄せた歌です。作詞は私の元職場の同僚の
三津山喜久雄さん、作曲、弾き歌いは女房の水川まゆみ。すでにYutubeに載せてある「さくら恋」、「みんな夢の中」、「風の便り」「学び舎」」に続く第五作です。

写真は、三津山喜久雄さんの撮影、撮影地は千葉県柏市付近です。
録音・編集は私、SONY PCM-D50、マイク audio technica AT9943を使用しました。。

HDにしてありますので、出来れば「全画面表示」で、ご覧下さい。

歌詞は、
1.はるちゃん、まどちゃん
  ひなたぼっこしよう
  きたかぜさんに かくれんぼして
  ひなたぼっこしよう
  ほうら ほっぺも おみみも
  ぽっか ぽか
2.けんちゃん だいちゃん
  ひなたぼっこしよう にしかぜさんに かくれんぼして
  ひなたぼっこ しよう
  ほうら おてても おむねも
  ぽっか ぽか

  ぽちも みけも
  みんな みんな ひなたぼっこしよ     (2015年1月8日原作)

 


モロッコの旅(4)・・・ イスラン 西欧風の街とコウノトリ・アトラスライオン

2015-03-28 | 旅の写真

フェズからサハラ砂漠へ向かう途中、アトラス山脈の中腹、標高1650mにあるイフレンという街で休憩を取りました。
イフレンはフランス統治下で1929年保養地として建設されました。その後は、王族、政府要人、富豪の別荘地となっています。
 冬は、雪が積もるため、スキーが出来、最近はアルペン・リゾートとして人気が出てきたようです。
 街並みは、清潔で美しく、ここがモロッコだとは思えない地域で、「モロッコのスイス」と呼ばれています。

この町には、コウノトリが多く見受けられました。モロッコでは、これまで、いろいろな都市で街路脇の電柱などに巣を作るコウノトリを見かけました。
ただ、走るバスからコウノトリを見つけての撮影は難しく、撮ることは出来ませんでした。

今回は、狙いを定めての撮影でしたので、飛翔する姿も写すことが出来ました。コウノトリが巣とするための枝を運んでいます。

この街の広場には、アトラスライオンの彫刻がありました。アトラスライオン(バーバリライオンともいう)は、大型のライオン
北アフリカに広く分布していましたが、1922年モロッコで最後の野生の一頭が射殺され絶滅してしまいました。
古代ローマのコロッセウムなどで剣闘士と戦わせるなど見世物として重宝されました。
カエサルは戦勝パレード用に400頭のアトラスライオンををローマに連れて来たとといいます。

近年、モロッコ国王ムハンマド5世が純血種の個体群を飼育していたということが判明しました。
2012年開園のラバトの動物園には32頭が飼育されています。

詳しくは 「めいすいの海外旅日記 モロッコ 第5日・・・イフレン サハラ砂漠への出発点エルフードへ」 をご覧下さい。

 


モロッコの旅(3)・・・歴史の街、フェズ

2015-03-27 | 旅の写真

フェズは人口が140万人の都市。808年にムーレイ・イドリス2世により建設されたイスラム王朝の都市で、その後1000年以上、モロッコ
の中心として信仰、芸術、商業の面で栄華を極めてきました。しかし、近年は、経済はカサブランカにその地位を譲り、政治の中心はラバト
となっています。フェズ出身の有能な人材は、これらの都市に移り住むむようになりました。
 しかし、メディナ(旧市街)は、世界最大の迷路都市として世界遺産に登録されています。

● 陶器工房

工房では、お皿などの食器、壺、タジン鍋、瓦、タイルなど多くの製品を作っています。
その中で興味を引いたのは、街角に設置される泉、小さなタイルを並べ、隙間を埋めて裏返しにします。

そうすると上の写真のような泉が出来上がります。
このようにして作られた、フェズの旧市街、ネジャーリン広場にある大きな噴水は、とても魅力的です。

フェズで生産される陶器は、北アフリカ (マグレプ地方・・・モロッコ、アルジェリア、チュニジア)では人気が高いようです。
特に、この食器の青は、、「フェイズ・ブルー」として有名です。

● ミントティー

 モロッコでは、アルコールはイスラムのため御法度。ミントティーが喫茶店などで、よく飲まれています。
 ツアー一行は邸宅にミントティーの試飲に行きました。

ミントの葉を用意します。

そして、中国茶葉。

それを急須に入れ、何回か入れ替えます。味を出すための作業です。

● 細街路

メディナ(旧市街)は細街路が入り組み、迷路のようになっています。
車は通りませんが、ラバ、ロバ、リヤカー、バイクなどが通ります。ラバが通る時には道を空けなければなりません。

フェズの細街路で最も狭いところ。人一人がやっとです。

● 皮なめし工房

フェズ川沿いにある皮なめし工房。20家族で行っていますが、14世紀の手法を今も保っています。

上は染色桶、手前は皮の干し場、日によって色を変えるのだとか、この日は黄色の皮でした。

砂漠の山羊は、遮水性、防火性があるとのこと。軽くて丈夫でお勧め品との説明がありました。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記 第4日 フェズ」 をご覧下さい。


モロッコの旅(2)・・・幻想的な青い街、シャウエン

2015-03-24 | 旅の写真

幻想的な青い街、メルヘンチックな街といわれるシャウエン。細い路地を一人で歩くと迷いそう。

 シャウエンはモロッコの北部、地中海沿いの小さなリフ山脈があり、その北の麓のティスカート山(2050m)とメッグ山(1616m)との
山肌にあります。
シャウエンとは角の意味、街の名前の由来は二つの山がちょうど角のように見えるからつけられました。正式名はシェフシャウエン
(Chefchauen)。
 地中海沿いの村々はスペインのアンダルシア地域と同じように、白壁の街が多いのですが、シャウエンは白壁の上に青い塗料が
塗られていて異彩を放っています。何故青く塗られているかという理由は明確ではありませんが、虫除けに塗られているらしい。

シャウエンのメディナ(旧市街)は、中世の街と同様に城壁で囲まれています。
新市街のハッサン2世通りでバスを降り、6つの門の一つ、アイン門からメディナに入ります。

この日は、到着が、午後1時半となったため、昼食を撮るレストランへといそぎました。

店が連なる坂道を登ります。

 

横町には、壁が青く塗られたシャウエンらしい風景が見られます。

昼食のレストラン、「BAB SSOUR」につきました。

モロッコの名物料理のケバブが出されました。ただ、このレストランにはアルコール類がありません。
イスラムの国だから、仕方がないとガマン。今回の旅では、こういうレストランがいつくかありました。

食事の後、メディナの中心にあるウタ・エル・ハム広場に出ました。中央はアルカリアという木。この広場に面して、グランドモスクとミナレット、
カスバ(砦)があります。正面の北側には、迷路となっているメディナの街並みがあります。

 このホテルは、近々王妃が宿泊されることになっているとのことで、青い色が新しく塗り直されていました。

自撮り棒で撮影しようとする外国人観光客。ガイドさんによるとここは写真スポットとのこと。

細い坂道というのも旅情を誘います。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記 第3日 ラバト、シャウエン」 をご覧下さい。

 


モロッコの旅(1)・・・カサブランカ

2015-03-21 | 旅の写真

3月9日から10日間、モロッコの旅をしました。そのときの写真を「モロッコの旅」として何回かに分けて載せて
見ようと思います。はじめはカサブランカから。

カサブランカの人口は500万人で、モロッコ第一の経済都市。第2位は首都ラバトの190万人。
リン鉱石(世界の75%を産出)と農産物の輸出港として大きな役割を果たしています。その中で一番の観光地は「ハッサン2世モスク」です。

● ハッサン2世モスク

 ハッサン2世モスクは、1986年から1993年まで8年がかりで造られたモロッコ最大のモスク。メッカ、メディナ(サウジアラビア)と共にイスラム教の
世界3大モスクの一つです。
 大西洋に面した9haの敷地に、2haの建物が建てられています。中央のミナレットの高さは200mで世界一。内部には2万5千人、敷地内には8万人が
収容可能でラマダンには、実際に集まるといいます。設計はフランス人のミッシェル・パンソー。基礎材料の大理石、御影石、石膏、瓦、タイル、木材は
国内から集められました。職人と芸術家約1000人を全国から動員した国家的なプロジェクトであり、ベージュにグリーンの色調はセンスの良さが光ります。
費用は国王の蓄財と国民の寄付によって建てられたそうです。

新しい建物なので、世界遺産にはなっていませんが、将来指定されることを目指しているようです。

海側に作られた図書館。

壁面の微細で美しい彫刻。

 ハッサン2世(在位1961-1999)は、コーランの「神の座は大水の上にある」より、「モスクを海の上に造りたい」と願い、
大西洋に突き出た形に、このモスクを建設しました。周りには大西洋の波が押し寄せていました。

● 映画「カサブランカ」 

 映画「カサブランカ」は1942年のアメリカ映画。
 第2次世界大戦中、フランスがドイツに占領されていた頃の、フランス統治下のモロッコを描いたラブ・ロマンス映画です。
 アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、撮影賞(白黒部門)、編集賞、音楽賞などを受賞しています。
 撮影はすべて、ハリウッドのスタジオやセットで行われました。
 ハリウッドには今も、1番重要な舞台となった「リックス・カフェ」が残っているようです。
 しかし残念ながら、私を含め、この映画を見てカサブランカを訪れた人の多くが、今はその雰囲気が失われていると思うようです
 また、カサブランカに住むモロッコ人の多くは、映画「カサブランカ」のことを知らないようです。

 

 カサブランカのメディナにある「リックス・カフェ」。映画「カサブランカ」のカフェを模して2004年に
造られました。私たちのバスはこの前で一時停止して写真をバスの中から撮りました。

 映画「カサブランカ」の1シーン。右 イングリット・バークマン、左 ハンフリーボガード 「君の瞳に乾杯」のセリフが
この映画を一躍、有名にしました。

詳しくは、 「めいすいの海外旅日記 モロッコ 第1、2日 旅のはじめに カサブランカへ」をご覧下さい。

 


あんこう鍋・・・季節料理「四季亭」(茨城県鹿嶋市)

2015-03-05 | 外での食べ物

鹿島神宮参拝の後は、季節料理「四季亭」 (茨城県鹿嶋市宮中6-5-15  TEL 0299-82-5511)に「あんこう鍋」を食べるために立ち寄りました。

3月4日ということで、玄関には、まだ内裏雛が飾ってありました。

部屋に入ると、今度は三人官女が飾ってありました。料理もおひな様バージョンになっていました。

初めに出てきた突き出しには、白子、三色の練り物、キンカンの上にわさび漬け、干しハマグリ、鶏、インゲンそして雛あられ。
そして右に、卵巣、胃袋、皮、本身のアンコウ(鮟鱇)づくし。そして、あん肝を入れた味噌とわかめ。

特別に見せてもらった鮟鱇の卵巣。小さな白い点が一匹の鮟鱇に成長します。8Kgの雌の鮟鱇から3Kgの卵巣が採れるそうです。
つるつるとのどごしさわやか。ただ、市場にあまり出回らないようです。食べたことのある人は少ないのでは?

お刺身は、鹿島灘で採れたタコ、ひらめ、インド洋のマグロ。

そして、今日の目玉であるあんこう鍋。本身、胃袋、皮、骨付きの身、あん肝など。中央の赤いのは人参です。
私は、あんこう鍋を食べるのは初めてです。とても美味しく、コラーゲンの多い魚だと思いました。

鍋が煮えるまで「あん肝」を食べます。

こちらは、鮟鱇の胃袋、皮、本身を天ぷらにしたもの。カレー粉を加えた塩で食べます。

あんこう鍋を食べた後は、うどんを入れました。

デザートは、三色菱餅の形のムースとイチゴ。

 この店は「鹿島神宮参拝、あんこう鍋を食べる会」を企画してくれたTさんの親戚が経営する店ということで、
帰りには、お土産まで持たせてくれました。
 いただいた小エビと鯉の煮付け。鯉の煮付けは、鯉の卵も入り、素晴らしい味。さすがは料亭の料理と思いました。

「鹿島神宮参拝、あんこう鍋を食べる会」の一日、充実した時間を過ごすことが出来ました。Tさんには
すっかりお世話になり感謝します。m(_ _)m 


鹿島神宮に参拝

2015-03-05 | 旅の写真

3月4日、女房の合唱仲間7人と共に「鹿島神宮参拝、あんこう鍋を食べる会」に参加しました。

鹿島神宮は関東最古の神社で、約600ある鹿島神社の総本社。香取神宮とペアで関東の東を護っています。
日本神話最強の武神、勝利の神様・武甕槌大神(タケミカヅチ大神)を祭神としています。実は、この神様は、この旅を企画してくれた
方の御先祖ということが、この日初めて分かり一同びっくりしました。

写真は大鳥居。実はこの鳥居は第二鳥居で、第一鳥居は北浦に朱塗りの鳥居があります。昔は、船で参拝することが多かったため
だそうです。又この鳥居は以前、御影石で出来ていましたが、東北大震災のときに根元から倒壊しました。3.11の2日前の3.9日の
同時刻は祭頭祭などの行事が行われ、人々でごった返しており、出店も並んでました。しかし地震当日は人はおらず出店も片づけられ
て何の被害も無かったとのこと。さすがは地震を押さえる神を祀る神社ということになったようです。

帰りの高速バス(鹿島駅~東京駅)の中から写した北浦にある第一鳥居。そういえば「安芸の宮島」の鳥居も海の中にありました。

寛永11年(1634)に徳川頼房が奉納した楼門で、「日本三大楼門」の一つ。手前左にある手水舎で清めをしてから境内に入りました。

境内で二番目の杉の古木、「次郎杉」。

拝殿。この奥に本殿があります。

拝殿本殿を右側から見たところ。右手が二代将軍徳川秀忠が奉納した本殿。神木の「杉」が見えています。樹齢1000年。
幹回り10m抱えるのに大人が6人必要とのこと。

木々がうっそうと茂る奥参道。茨城県の天然記念物「鹿島神宮の森」は植物の宝庫で、800種を超える草木があるとのこと。
森林浴に格好の場所ですとの看板がありました。

さざれいし(細石)を祀ってある場所。

「君が代」には「さざれいしのいわおとなりて」(細石の巌となりて)とありますが、小さな石が大きな石となる
のを示している石だということです。

奥宮。慶長10年、徳川家康が本殿として奉納したものを元和の造営の祭に移築したもの。この時奥参道が拡幅されたそうです。
会社関係の人が多く、ここは近づけませんでした。

大ナマズの碑。武神、武甕槌大神(タケミカヅチ大神)が大ナマズ(昔は地震を起こすのはナマズと考えられていた)を押さえつけている碑。
このテーマで錦絵が作られ、多くの家々に「地震除け」として張られていたとのことです。

要石」がある場所。

要石は頭頂部だけが露出している霊石。鹿島神宮が降臨した御座とも、地震を起こす大ナマズの頭を押さえている鎮石ともいわれています。
水戸光圀の「水戸黄門仁徳録」には、家来にこの石を掘らせてみたが、この石があまりに巨大で「7日7晩掘っても掘りきれず」との記述
があるようです。

この石の中央部に一円玉を投げてぴったり収まれば、霊験あらたかとのことでした。

参加した8名のメンバーと記念撮影。鹿島神宮は二度目の参拝ですが、ボランティアのガイドさんの説明で神社の歴史をよく知る
ことが出来ました。


ひな祭り・・・孫の初節句

2015-03-03 | 祭、神事

今日3月3日はおひな様の日。次男の孫の初節句の食事会に先日招かれました。

お祝いのために、春を彩る生花も飾られました。

 テーブルには、お嫁さんとお母さんが二日がかりで作って下さった手料理の数々が並びます。
 中央に三色のご飯に載せられたちらし寿司、ポテトサラダ、海老のフリッター、にぎり寿司、いなり寿司、
 サイコロステーキそしてテリーヌ、菜の花のおひたしに、ハマグリのお吸い物、シャンパン、甘酒。
 私には特別に泡盛の古酒まで・・・。

 

ひな祭りのケーキ。

おわりに記念写真を撮りました。