大晦日の年越しそばです。
天ぷらは女房が揚げた、海老、いか、きす、きねさやえんどう。
蕎麦は義兄から送られてきた兵庫県豊岡市「湖月堂」のもの、一把茹でたらたっぷりの量になりました。
お酒は山形の親戚の「くどき上手」です。
今年は孫が一人増えたり、長男一家が4年間の佐渡での勤務を終えて戻ってきたりしました。1年間の無病息災に感謝です。
大晦日の年越しそばです。
天ぷらは女房が揚げた、海老、いか、きす、きねさやえんどう。
蕎麦は義兄から送られてきた兵庫県豊岡市「湖月堂」のもの、一把茹でたらたっぷりの量になりました。
お酒は山形の親戚の「くどき上手」です。
今年は孫が一人増えたり、長男一家が4年間の佐渡での勤務を終えて戻ってきたりしました。1年間の無病息災に感謝です。
年も押し迫ったので買い出しに、近隣の町・ふじみ野市にあるトップ「角上魚類」に行きました。車で40分くらいの所です。新潟船泊港から運んでくる新鮮な魚が豊富にあるという話を、スイミングスクールの仲間から聞いたからです。
暮れの3日間はかなり混むようですが、今日、28日(月)の開店すぐだったので、まずまずの人出でした。
この店の目玉商品は”鯛”のようです。大型が1600円(普段は1400円)です。
おみせのひとに、はらわたを出してもらい冷凍にしてお正月に塩をかけて食べるようにしたいといったら,傷んでしまうので、その食べ方はよくない。元旦も店を開いているので来なさいと言われました。それで、鯛一匹は止めにしました。その代わりに「鯛のアラ」300円を買いました。
また、推薦のあつた「寿司十貫」を買い、持ち帰り昼食としました。ネタが良いので美味しく食べられました。小型の鮑が1100円だったので買い,バター焼きにしました。
角上魚類 店内の様子
右上、 鮑のバター焼き。火が通っているか調べているうちに美味しそうなので撮影前に思わず食べてしまいました。(^_^;)
右下、「鯛のアラ」を「ぶり大根」ならぬ「鯛大根」しました。薄味にしたら、さっぱりとした良い味になりました。「鯛のアラ」はじつは骨が少なく、ほとんど半身の切り身と変わりの無いほど身が付いていました。塩焼きにして食べても十分なほどの内容です。
他には、伊勢エビの代わりのロブスター。伊達巻き、かまぼこ、数の子、昆布巻き、黒豆、田作り、栗きんとんなどを買いました。
クリスマスのメイン料理はチキンパエリア。そして、リース型海鮮サラダ、唐揚げとセロリ他のコンソメスープ。
やっばり、シャンパン(スペイン産)は開けた途端、机の上に、こぼしてしまいました。
デザートは志木駅近く、朝霞市の「パティスリー・ ロアレギューム」で買いました。新作のケーキを作るのが得意のようです。
2020年7月に閉店し10月にリニューアルオープンしました。
とても美味しかったのですが、抹茶ケーキ、チョコケーキともに良いお値段だったとのこと。
今年2020年は、「ベートーヴェン生誕250年(1770~1827)」である。このため、 NHKでは「Beethoven250」という特集を組み,幾つもの番組を放映した。こうした特集では彼の音楽を流すだけでなく、彼の人となり、曲の解説が豊富に語られることが多く、彼の様々な面を知ることができた。
とりわけ誕生日が12月16日?(17日洗礼日)なので、年末にかけて番組が集中的に放映されて頭の中が混乱するほどの情報が集まった。
そして、彼の音楽の素晴らしさと多様性を改めて知ることになったと思う。原稿募集を依頼された時期ともちょうど重なったわけである。
彼は父親からその才能をあてにされ苛烈極まるスパルタ教育を受けた。一時は音楽に対して強い嫌悪感を持つようになったという。8歳の頃ケルンの演奏会に出演、11歳の時にクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェニ師事した。16歳の時にモーツァルトを訪問、21歳の時にボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りを許される。
20代過ぎから音楽家としては致命的な耳の病気(難聴)に罹り、高音が聞こえなくなり始め50代には全く聞こえなくなってしまう。耳が聞こえなくなるのにどうして作曲が出来たのか?
最近になって知ったのは、「絶対音感」があれば作曲ができるということ。そして若い頃(20代前半)からはウィーン随一のピアニストとして知られ、「即興演奏」がまさに絶賛されるほど優れていたということである。それらはモーツァルトと同じように父親の教育などにより、彼のなかに音楽が蓄積され、育っていったからということである。もちろん、ただそれだけでベートーヴェンが作曲した膨大な量と質の高さを伝えることなど、とても出来そうにはないが・・・。
ここでは、ベートーヴェンが最も身近に使用した楽器であるピアノの名曲を取り上げながら、少しだけでもベートーヴェンを語ることにしたいと思う。
ピアノはベートーヴェンの時代には著しい進歩の途上にあり、機構が変化し、鍵盤の数が増え続けた。したがって年代により異なるピアノを使用したことになる。ピアノの製作者は、第一人者の彼のところにまず届け、さらなる改良のため、感想を聞いた。彼の手元には最新のピアノが常にあったということになる。
また、耳の悪い彼のために強い音が出るよう、普通は1音にビアノ線3本の所を4本としたり、正面上部に箱を作り、頭をその中に入れ音が良く聞こえるようにしてもらったりもした。
ピアノは彼の最も身近な楽器であり、56年の生涯のうち40年もの間ピアノ・ソナタを書き続けたので、彼の人生そのものであったといえよう。交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、宗教曲、オペラなどなど幅広いジャンルの膨大な作品の礎の役割を果たしていたことは間違いない。
なお私事ですが、妻との婚約時代、誕生日にバックハウス盤の「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集」(LP10枚組)をもらったのが今でも良い記念になっている。当時の全集ものには詳しい解説書が着いており素晴らしい。
以下に、7つほど私の好みの作品を掲載したい。なお、()内の順位は、「らららクラシック ベートーヴェン音楽ベストテン」によるものである。
● ピアノソナタ第8番「悲愴」(第3位)
反田恭平の弾く「悲愴」第2楽章
ベートーヴェンの初期のソナタの中でも、とりわけポビュラーな作品である。
「悲愴」という題名はベートーヴェン自身が付けたものである。彼自身が付けた愛称を持つ作品は少ないが、その,数少ない作品の中の一つとなっている。第一楽章冒頭は悲壮に満ちた悲劇的な曲想となっているが、後の作品に見られるような深刻なものではなく、あくまでも若きベートーヴェンのものである。
スコットはこの曲を「ロメオとジュリエット」における青春の悲しみや苦しみと共通のものといっている。
CDはバックハウス盤、完璧な技巧で極めて豪壮に弾気挙げたスケールの大きな演奏である。
● ピアノソナタ第14番「月光」(第4位)
ベートーヴェンの32曲のソナタの中でも最も有名で広く知られている曲である。
1801年に作曲された当時、激しい恋をしていた伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに献げられている。ジュリエッタはベートーヴェンとの結婚を望んだが父親に反対されてしまった。
月光という名前の由来は、いろいろな説があるがルードヴィヒ・レルシュタープという詩人が第一楽章を聞いて「スイスのルツェルン湖にたゆとう小舟のごとく・・・」と表現したことに端を発しているようだ。私はスイス旅行の際、ルツェルン湖のほとりのホテルに泊まったが、その日は曇りで月は見えなかった。、
それにしても、第一楽章は幻想的でロマンチックである。おそらくジュリエッタ・グイチャルディへの思いが込められているのであろう。
第二楽章、リストは「二つの深淵のあいだの一輪の花」と呼んでいる。曲は妖精の踊りのような軽快な旋律から始まる。
第三楽章は、前の二つの楽章が詩的な静かな楽章であったのと比較して、奔流する情熱、男性的な力強さが圧倒的である。失われた愛を乗り越えて生きていこうとするベートーヴェンの強い気概が感じられる。
CDは正確無比な技術力と純粋な美しさを持つ表現力のポリーニの演奏が素晴らしい。
● ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」(第10位)
グレン・グールド テンペストのCDジャケット
1801年~翌年にかけて作曲した3曲のソナタのひとつ。これらは当時のベートーヴェンの成長ぶりをよく示した内容となっていて、、劇的な要素と幻想的な雰囲気と大胆な楽想を持っている。弟子のシントラーがこの曲を理解するためのヒントをと尋ねられた時シェークスピアの「テンペスト」を読みなさいといったという。しかし、この曲との結びつきはあまりないようである。
第3楽章が印象的で、馬が疾走するような動きが特徴的である。
CDはグレン・グールドの演奏が魅力的である。特に第3楽章は驚異的な速さである。 一般的には6分を超えた時間で演奏するのが普通であるが、なんと4分32秒、しかも、そんなに速いとは感じない安定した表現となっている。グールドの類いまれなる才能を示した演奏と言えよう。
● ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」(第18位)
1802年に音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くが、この苦悩を乗り越え、1804年には交響曲第3番を発表する。それを皮切りに,その後10年間にわたってベートーヴェンにとっての「傑作の森」(ロマン・ローラン」と呼ばれる時期となる。この曲はちょうどその時の作品。
ベートーヴェンが過去の大作曲家たちの影響から完全に脱皮し,独自の作風を確立した時期の所産のひとつとして挙げられるピアノソナタである。雄大な構想とダイナミックな曲想が見事な力作となり、ベートーヴェンらしさを強く印象づける作品となった。CDはバックハウス盤、完璧な技巧で豪壮に弾き上げたスケールの大きな演奏
● ビアノソナタ第23番「熱情」(第11位)
これも「傑作の森」の時の作品。
ベートーヴェン自身が「気に入っている作品」と言ったという。
ベートーヴェンらしいたくましさ、力強さ、何ものも燃やし尽くすような情熱がある。私の最も好きな曲である。
CDはなんといってもリヒテル盤が素晴らしい。リヒテルは私の一番好きなピアニストである。この演奏は「ファンタジーが翼をひろげたような幻想的でスケールの大きい」ものである。
この曲をLPレコードの時代から擦りきれるほどよく聞いた。CDではSACD版(PRD/DSD350 066)が録音・演奏ともに素晴らしい。「今回のベートーヴェンのピアノソナタのCDの中で1枚だけ推薦せよ」言われた場合は、躊躇無くこの盤にする。カップリングは第17番テンペストなど
● ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」
ベートーヴェンのピアノソナタは28番から後期に入る。構成が一段と自由になり、ピアノ音楽の深遠な境地を確立した。その頂点がこの「第29番ハンマークラヴィア」である。1817年の秋から書き始め、19年に「ハンマークラヴィアのための大ソナタ」として出版された。
この曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で最大の規模を持ち、技巧的にも極めて難しい。この曲を書いた頃のベートーヴェンは精神的にも物質的にも最悪の状態にあったが重圧をはねのけ空前のソナタを書き上げた精神力の偉大さには圧倒される。本当に信じられない神の領域である。
第一楽章の冒頭の和音から惹きつけられる。第三楽章アダージオ・ソステヌートは屋敷の奥深くに連れて行かれて、哲学的な世界を垣間見せられている気がする。もはやピアノ音楽の世界とは異なるような世界である。私は、この第三楽章がベートーヴェンのピアノソナタの中でも最も高邁な曲想であると信じている。
ピノニストの反田恭平が番組「らららクラシックベートーヴェン音楽ベストテン」で「私の第
1位」は番外になってしまったが「ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」といったのは納得できる話であった。
CDはなんといってもポリーニである。この哲学的な世界を表現出来るのは彼を置いて他にはいない。
● ピアノソナタ第32番(19位)
ピアノソナタ第32番を弾くマウリツィオ・ポリーニ
ベートーヴェンの最後のピアノソナタである。後期の作品によく見られるように2楽章に圧縮された形となっている。第一楽章は嵐のような激しさと近況感がみなぎっており、第二楽章では敬虔な祈りの気持ちを表現している。この2つの楽章では、それぞれ「反抗」、「屈服」という晩年の思念が表れ,枯淡の域ともいえる彼の心情が満ちている。
CDはポリーニ。曲の内面をよく掘り下げて演奏している。
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● エリーゼのために(8位)
ベートーヴェンの作品の中でも最もよく耳にする曲といえよう。
ピアノ学習者がまずは弾けるようになりたいと思う曲である。
ヴァイオリンでは、ロマンス第2番がそれに当たる。
テレーゼという女性に手渡したという、楽譜の業者に渡したのではなく
彼女に対する恋文のようなものだったらしい。エリーゼとなったのは彼の文字が乱雑だったためという。
〈 完 〉
華屋与兵衛(志木中宗岡店)には、長男・次男の家族との10人ほどの集まりなどがあった時に食事することが多かった。席にも余裕があるのでゆったりとできるのが良い。
また、和食が主体で味もまずまずなので誰にでも親しみやすいし値段も手頃である。スイーツなどの種類も豊富で孫達にも人気がある。
しかし昨日、たまたま行ったところ、今年一杯で閉店という張り紙があった。
「えっ」と思わず口に出してしまった。もう立ち寄ることが出来無いと思うと残念である。コロナの影響があったのだろうか。飲食店の経営環境は厳しいようだから。
今回は、上海老天重刺身御飯を頼んだ。海老も三本で大型で食べ頃だった。
急に写真を撮ることになったため、蓮の天ぷらを食べてからになった(^^;)
上の三つの区切りの一つには、後で温かい「茶碗蒸し」が運ばれてきた。もうここでは食べられなくなると思うと胸が詰まった。
2階テラスから東口駅前広場
12月も半ばとなり夜が長くなってきました。歳末を飾るイルミネーションも輝きを見せています。志木駅前もイルミネーションが飾られました。
地上部から東口駅前広場のイルミネーション
丸井前の陸橋のイルミネーション
ご近所の庭に咲いている美しいパンジーの花。
バンジーはスミレ科スミレ属の花。スミレの大きめの園芸種の総称。
開花時期は秋から翌春にかけて長く咲き続けます。
可愛らしく、寒さにも強いので花壇の主役となります。
花言葉は「思慮深い」
黄色のバンジー
紫のバンジー
三色スミレの三色とは、はっきりしませんが、紫・白・黄色かも知れません。
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「和同開珎の銅が出た露天掘り跡」に向かうと岩合さんは道案内するネコ、ホームズ君に出会う。この日は沢の水が多かったようです。
岩合光昭さん撮影
「岩合光昭の世界ネコ歩き 川越・秩父」12月8日BSプレミアム放送より
岩合さんとホームズ君が道案内する
私達がホームズ君と行きと帰りに出会ったのは、ちょうどこの辺りでした。
以上はテレビ画面より
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以下の三つの写真は私達の撮った写真
① 主人公の猫ホームズ
この猫が岩合さんを案内した猫ホームズ君。女房が可愛かったのでスマホで撮影
聖神社からなだらかな坂を300mほど登り、今度は右に曲って「和同開珎の銅の露天掘り跡」へ向かう下り坂となる分岐点付近で、行きも帰りもホームズ君を見かけました。
ホームズ君は、よく動き、なかなか私達の方には向いてくれませんでした。やはり、岩合さんは猫語を話せるので親しくなれるんでしょうね。
②和同開珎の銅が出た露天掘り跡(県指定文化財)この日は沢の水はあまりありませんでした。
③「日本通貨発祥の地」の記念碑
やはり、岩合さんのカメラアングルと条件設定は素晴らしい。私達の取った写真3枚分を1枚に上手に収めてしまってますね。やはりプロは違う!
まずは、車で秩父市黒谷に鎮座する聖(ひじり)神社へ。
小高いところにあります。
右側に手水場がありましたが、コロナの時期だけに、今回は使えませんでした。
慶雲五年、西暦七〇八年、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市黒谷)から自然銅が発見され、これを喜んだ朝廷は年号を「和銅」と改元し、日本最初の流通貨幣【和同開珎】を、発行しました。
この、日本で最初に発行された貨幣『和同開珎』を氏神様としています。
銭神様と呼ばれ、金運アップのパワースポットとして有名な神社です。
金運を我が身にと、絵馬などにお金儲けの願掛けがいろいろとしてあり、ちょっとビックリ。御利益グッズもタップリ売っていました。
石段を登った右側にあるのが杉の大木のご神木。幹に手を触れるとパワーがもらえるそうです。
私も金運に恵まれるようにと願掛けしました。
この聖神社から、和銅露天掘り後と言われる県指定文化財「和銅の遺跡」に
歩いて行けます。600mほど緩い上り坂を上がって行きます。現在は工事中のため車では行けませんでした。
たどり着いた所、小さな沢が和銅の露天掘り後でした。
この付近に大岩がにょきにょきと立っていて、銅色(赤黒く光沢のある色・・・あかがねいろ)でした。昔、掘り進んで中断したところが和銅沢と呼ばれるようになったとのこと。
朝廷に上納した銅の量は定かではありませんが、大量には発掘出来なかったのでないかと思われます。
ここには、「日本通貨発祥の地」の記念碑が飾られていました。