めいすいの写真日記

いつもご訪問ありがとうございます
500万アクセスを達成しました

刺身定食 ・・・ 豊洲「万福食堂」

2011-09-30 | 外での食べ物

私の勤務する会社のすぐ近くにあるので、同僚とよく食べに行く「万福食堂」豊洲駅前店
( 東京都江東区豊洲5-5-1 豊洲シエルタワー1F TEL  03-3536-0129) 
刺身定食(800円)は、ちょっと刺身が少なめですが、新鮮でとても美味しい。

食材は毎朝、旬の素材を顔なじみの仲卸業者から直接し入れているとのこと。和・中・洋・定食は100種類以上とメニューは豊富。
お昼の定食、夜の居酒屋ともに賑わっています。混んでいて入れないこともあります。座席数も70と広くて、ゆったりと食べられます。
築地市場に近いのですが、平成26年12月には、築地市場がすぐ近くの豊洲市場に移転することが決まり、工事が始まっています。
そうなると、さらに新鮮な刺身定食が食べられるかも知れません。


フレデリクスボー城に咲いていた花々

2011-09-28 | 

デンマークの首都コペンハーゲンの近郊にあるフレデリクスボー城の花壇に咲いていた美しい花々。
花の名板がありましたがデンマーク語で書かれていましたが、日本名には出来ませんでした。
こちらは木槿の花。冬になると寒さが厳しいので、温室に移動するとのことでした。

芙蓉の花のような気がするのですが・・・・。

紫陽花の仲間のような気がします。

清楚で可憐な花ですが・・・・。名前は分かりません。

ガーベラ?葉の形が少し異なるようですが・・・。


北欧の旅から (22)・・・フレデリクスボー城

2011-09-25 | 旅の写真

クロンボー城からフレデリスクボー城へ。ともにデンマークを代表する城となっています。

バスを降りてフレデリスクボー城へ向かう道。栃の木(マロニエ)がうっそうと茂っていました。

裏門から入ってすぐのところに、蓮池がありました。

蓮の花が咲いて、良い雰囲気です。

その先には小さな池があり、小鳥のさえずりが、とても良く聞こえてきました。

 湖畔に浮かぶ美しい城、 フレデリクスボー城。フレデリックスとは平和、ボーは城なので、「平和な城」の意味になります。
 16世紀中頃、フレデリックⅡ世が地方貴族から、この城を入手し、その息子のクリスチャンⅣ世が1560年から60年かけてルネッサンス様式の住居として作り替えました。
 しかし、1859年の火災により城の大部分が消失してしまいます。
 その後、ビール王として知られるカールスーベア社の創業者、J.C.ヤコブセンが王室の許可を得て、修復しました。現在は、デンマーク国立博物館となっています。

 今回は城の内部には入りませんでしたが、広間や結婚式も行われる教会は、装飾が豪華なようです。

フランス庭園を見習って作られたバロック庭園があります。城の前の広い池からは、遊覧船が発着します。

フランス庭園の脇にあるパズスチューレンと呼ばれるミニチュア版の城。狩の休憩所として使用されました。

入場門へと続く道。

 城のの入場門。フレデリクスボー城の見学を最後に、予定されていた北欧の旅の見学コースはすべて終わりました。


北欧の旅から(21)・・・世界遺産「クロンボー城」

2011-09-23 | 旅の写真

 コペンハーゲンの北44kmにある港町、ヘルシンオア。この町の北東の岬にクロンボー城があります。
 ここはオアスン海峡となっていて、スウェーデンのヘルシンボリとの間は5km、最峡部は4kmしかありません。
 そして、バルト海と北海とを結ぶ重要な航路となっています。
 バルト海から北海に出るために、この海峡を利用する国々は、スウェーデン、フィンランド、ロシア、エトスニア、ラトビア、リトアニア、ポーランドと数多くあります。
 ヘルシンオアは11世紀に出来た町で、1429年エリック7世がここに砦を築き、海峡を通過する船から通行税を取るようになり、経済的にも政治的にも重要な町となりました。
 1574年にデンマーク国王・フレデリクII世の命により、通行税の徴収拠点とするため砦をルネッサンス風のクロンボー城として再建し、1858年完成しました。
 当時、デンマーク領だったヘルシンボリの城と一体となり、高速艇で通行税を逃れようとする船を確実に捕らえたということです。
 1857年通行税が廃止されるまでの数百年間、通行税はデンマーク王国に財政の3分の1にも当たる莫大な富を与えました。

 

 また、クロンボー城はシェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台、「エルシノア城」としても知られています。

 2000年に世界遺産(文化遺産)として、登録されました。

 

 クロンボー城に入ってすぐのところに、鉄製の模型があります。
 この模型のようにクロンボー城の本体は方形になっています。

 クロンボー城の城壁には、今も海峡に向けて大砲が設置されていました。沖を行くのは、ヘルシントとスウェーデンのヘルシンボリを結ぶフェリー。

方形の城の一部、豊かな財政に支えられて見事な装飾がなされています。
この一角にシェークスピアのレリーフが設置されていました。
デンマークとイギリスはそんなに離れてはいませんが、、シェークスピアがこの地を訪れたことはないようです。

 シェークスピアの代表作として知られる「ハムレット」。
「to be or not to be. that is a qestion.」の言葉は、あまりにも有名です。
 モデルは、この城の王子「AMLETH」で、無声音のHを前に出して「HAMLET」の悲劇として作られました。
 レリーフにもその文字が・・・。
 ガイドの話によれば戯曲「ハムレット」は悲劇として終わりますが、「アムレット」の方はハッピーエンドだったそうです。 

 一つ上の写真の通路の左側の小さな窓に、可愛らしい人形が飾られていました。
 ハムレットの恋人オフェーリアを意味するものなのでしょうか?

内部には北欧一といわれる大広間、厳かで豪華な礼拝堂があり、航海博物館も設置されているとのことです。

この中庭では、毎年、シェークスピアの演劇などが行われるます。
一階右側、小さな突起が並んでいる部分があり、ここに舞台が作られるそうです。

クロンボー城の堀、白鳥とその幼鳥が優雅に泳いでしました。


北欧の旅から (20)・・・アンデルセンの童話

2011-09-21 | 旅の写真

デンマークを代表する童話作家のアンデルセン(1805-1875)。アンデルセンの童話は世界中の人々に広く読まれています。
「マッチ売りの少女」、「みにくいあひるの子」、「人魚姫」、「おやゆび姫」、「夜泣きウグイス(ナイチンゲール)」など、
誰もが一度は話を聞いたことがあると思います。

私は2005年、「アンデルセン生誕200年」の年に出版された「アンデルセン童話集」(荒俣宏訳、新書館)を
を買い、時々手にとって読んだりしていました。
童話ですが、大人が読んでも楽しめる内容です。
それだからこそ、長い間、世界中で楽しまれているのだと思います。

写真のページは「夜泣きウグイス」。

コペンハーゲンのニューハウンの一画には、アンデルセンが住んだことのある家があり石版が取り付けられていました。
彼はニューハウンの雰囲気を好み、この付近に3回居を構え、18年間住んでいたとのことです。

なお、アンデルセンが幼少時代を過ごしたのは、フェン島にあるデンマーク第3の都市であるオーデンセ。
ここには「アンデルセン博物館」、「アンデルセン幼年時代の家」があります。

アンデルセンの童話「人魚姫」を元にした像。コペンハーゲンのシンボルです。
1913年彫刻家エドワード・エッセンによって作られました。
依頼したのは、カールスバーク・ビール会社の2代目社長。
王立劇場で行われていたバレエ「人魚姫」に感動して、像を造ることを思いついたいいます。
モデルとなったのは、その時人魚姫を演じていたプリマドンナのエリーネ。
その時の縁で、彫刻家エッセンとエリーネは結婚しています。
本来は腰から下が鱗状になるはずなのですが、そうならなかったのはモデルのエリーネの足があまりに美しかったらだということです。
誰かが、「世界三大がっかり観光地」の一つなどと言っていましたが、可愛らしい人魚は、一見に値すると思います。

コペンハーゲンの北、クロンボー城で見かけた白鳥とその幼鳥。
「みにくいあひるの子」は最初は貧しくかったが世に認められていくアンデルセンの生涯を描いていると言われています。

旅の仲間の人達をアンデルセンの銅像の前で記念撮影。道路を隔てた右側は「チボリ公園」、左は市庁舎。


北欧の旅から (19)・・・ コペンハーゲンの街

2011-09-19 | 旅の写真

ノルウェイのベルゲンからコペンハーゲンへ。コペンハーゲンはデンマークの首都。デンマークは北欧4ヶ国の内では最も南の国です。

空港に着陸する前、窓から、首都コペンハーゲンのあるシェラン島と南スウェーデン最大の街マルメを結ぶオアスン海峡橋が見えました。
2000年に開通した自動車と鉄道の専用橋です。総延長は16km。瀬戸大橋(香川県坂出市)とは姉妹橋になっています。

搭乗した航空機は88人乗りのボンバルディア CRJ900 NG。
この航空機はカナダのボンバルディア・エアロスペース社が製造・販売しているジェット旅客機です。
NG というのは new generation の略。
ドアが昇降階段になっているのがユニークです。あまり、お目にかからない航空機でした。

コペンハーゲンを代表する景観として知られ、活気のあるニューハウン
運河に沿って色鮮やかな建物が並びます。
かっては長い航海を終えた船乗り達が、羽を伸ばした居酒屋街だったところです。
多くのヨットや観光船が係留され、この運河を行き来していました。
船乗りの伝統はバイキングの時代と変わらず、デンマーク人は海を好ということです。
ニューハウンとは「新港」の意味。国王、クリスチャン5世により、1670年代に建設されました。

アンティークショップや飲食店があり、アイスクリームなどを販売する露天もあって、観光客で賑わっていました。

デンマーク王国のアマリエンボー宮殿は8角形の広場のまわりに配置された4つのロココ調の建物からなります。
本来の宮殿であった、クリスチャンスボー城は1794年に焼失したため、4人の貴族のために造営した宮殿を王室が購入して使用しているとのことです。
正面の建物が宮殿ですが、マルグレーテ2世女王は夏期静養中で不在、そのため屋根の中央のポールにはデンマーク国旗が翻っていません。

黒い大きな帽子の近衛兵

コペンハーゲンの目抜き通りである「ストロイエ」。
ストロイエとはデンマーク語で歩くこと。その名の通り、歩行者天国になっています。
様々なブランドショップやレストラン、カフェなどが建ち並んでいます。ヨーロッパでも屈指のショッピングストリートです。

この中でも一番人気は陶磁器のロイヤル・コペンハーゲンのお店。でも、6時に閉まってしまいます。

こちらは、ロイヤルコペンハーゲンのコーヒーカップ。

歩行者天国とあってパトロールのお巡りさんは、馬に乗っていました。

クリスチャンスポー城。1167年にアブサロン司教が建てた城塞がこの城の前身。
当時、コペンハーゲンは砂州の中に作られた砦に過ぎなかったと言います。
その後、コペンハーゲン城となり、何度も建て替えられました。
1730年クリスチャンⅥ世により、コペンハーゲン城は取り壊され、クリスチャンスポー城として建設されます。
1733年には、デンマーク王室の居城となりましたが、1794年、1884年と2度の火災に遭いました。
そのため、王室の居城はアマリエンボーン宮殿に移りました。

現在は、デンマーク王室および政府の迎賓館として使われていいます。
国会議事堂、内閣府、最高裁判所など三権もここにあり、まさに国政の心臓部となっています。

ホテルの部屋から見たクリスチャンスポー城(左手)とコペンハーゲンの中心部の遠景。

 


北欧の旅から (18)・・・世界遺産、ベルゲンのブリッゲン地区

2011-09-17 | 旅の写真

人口26万人のノルウェイ第2の都市であるベルゲン。町の歴史は古く、12世紀から13世紀まではノルウェイの首都でした。
ベルゲンの中心部に建てられた木造の建物が並ぶ地域はブリッゲン地区と呼ばれ、世界遺産(文化遺産)となっています。
木造家屋の様式は13世紀から16世紀までに確立されたもので、ハンザ商人たちの家や事務所として利用されていました。
木造のため、これまで幾度となく火災が発生し、そのたびに再建されてきました。

観光客が多いこともあり、現在は、ちょっとした服飾品のショップ、民芸品などの工房が多く見受けられます。

建物は奥に向かい、細長い長屋形式となっていて中世の面影を感じることが出来ます。

路地は板張りの部分が多く、階段のある部分などは狭くなっています。

中央には、ちょっとしたスペースなどがあったりもして、変化に富んでいます。
正面のお店では、ノルウェィの自然や伝統柄をあしらった手作りのクロス製品を扱っていました。

階段、通路の渡り廊下なども、実にユニークに造られています。


北欧の旅から(17)・・・スタインダールの滝

2011-09-15 | 

スタインダールの滝はノルウェィ国道7号線ノルヘイムスンの街の近くにある滝。
落差80mと規模はそれほど大きくはありませんが、滝の裏側を通ることが出来るので人気があるようです。

滝の写真撮影の定番、スローシャッターで撮りました。
パッケージツァーなので三脚は持ち歩くのが困難です。そのため、一脚を柵などに固定し撮影しました。

こちらは、滝の裏側の様子です。

YuTubeの映像はめいすい ( shingashinokaze ) が撮影し、編集したものです。


北欧の旅から(16)・・・ハダンゲルフィヨルドとホテル

2011-09-13 | 旅の写真

ハダンゲルフィヨルドは、ノルウェイ第2の都市ベルゲンの南東に位置していて、果樹の栽培など牧歌的な風景が拡がっています。
全長は179Kmで、ソグネフィヨルドに次ぐノルウェイで2番目のフィヨルドです。
このハダンゲルフィヨルド地区には、コンクリート製の主塔の「巨大な吊り橋」が建設されていました。
これは、首都オスロと第2の都市ベルゲンとを結ぶ国道7号線がハイダンゲルフィヨルドで途切れてしまうので、建設されているようです。
自然景観を重視するノルウェイ政府が、フィヨルドに橋を架けるということは、よほどのこと。
やはり、首都と第2の都市をむすぷ陸路の大動脈に橋が必要となったのでしょう。

私達も、この橋の近くで、フィヨルドを渡る時にフェリーにバスとともに乗りましたが、時間が短縮されることは確実です。
橋が完成すれば、この区間のフェリーは無くなることになるでしょう。

建設現場のすぐ近くを通りましたが、かなり工事は進んでいるようです。
残り工事は桁の架設、取り付け道路工事といったところでしょうか。1、2年で完成するものと思われます。
バスはハダンゲルフィヨルドにそって、今夜のホテルのあるロフトフースに進みます。 

泊まったホテルは、ハダンゲルフィヨルド地区ロフトフースにある、「 ウレンスヴァング」でした

ホテルの部屋からは、ハダンゲンフィヨルドが広く展望出来ました。

この日は曇りでしたが、こうした天気の時も北欧らしさが出ると思います。

ホテル内に飾られていた、ハダンゲル地方のお祝いごとの様子。

民族服を着た女性の肖像。

ホテルの庭にはグリークの作曲小屋がありました。隣には、グリークと二人の女性の木彫りの彫刻があります。

作曲小屋の内部。
グリークの作曲小屋というと、1884年に住家として建設した、ベルゲン郊外のトロールハウゲン(妖精の丘)のものが観光地として有名です。
グリークの年譜によれば、「1877年から1880年まで、ハルダンゲル地方に住み、民族音楽、民族楽器へと傾倒していく」との年譜があることから、この作曲小屋はこの時代のものと思われます。解説板にも、1877年建設とあります。
グリークの作曲小屋は一つではないということのようです。そして、グリークは、このハダンゲルフィヨルドの風景を愛したそうです。

ロピーより一階下の閲覧コーナーにはハダンゲルバイオリンが陳列されていました。この、バイオリンは、「ハダンガーフィドル」などとも呼ばれるノルウェーの1500年頃の国民的楽器です。
4弦の下に、さらに4本の共鳴弦が貼られていて、一人で弾いても二人で弾いているのと同じようなハーモニーが生まれるようです。透明感があり、哀愁を帯びた音を奏でることが出来ると言います。
グリークも、この地方にいた時に、このヴァイオリンの音に魅せられ、何曲か作曲しているとのこと。
有名なペールギュント「朝」の一節も、このヴァイオリンのために書かれた楽譜があるとのことでした。
飾られているヴァイオリンは装飾も見事なものでした。

夕食はいつものようにバイキングなので、魚を中心にしました。何故か、牛肉類は美味しくありませんでした。
お酒はジャガイモの蒸留酒(アクアビット)45度を頼みました。ウェイターがこのお酒を頼んだだけなのに「お酒強いんですね」と私に言いました。日本の芋焼酎のように癖はなく美味しく飲めました。右側のグラスに入ったものがアクアビット。ノルウェイのお酒は高いのが玉にキズ。
日本には、ジャガイモの蒸留酒があると聞いたことがありません。製造してみたら、けっこう売れるのではないかと思います。
アクアビットは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェイ、ドイツで製造されているようです。


北欧の旅から(15)・・・フロム山岳鉄道

2011-09-11 | 旅の写真

1940年に開通したノルウェイの国鉄の最高傑作といわれる山岳鉄道。
フロム駅から終点 ミュールタ゜ール駅まで、約20Km、約1時間の列車の旅です。

発車するとすぐに右側にフロム村が見えてきます。その中心がフロム教会。教会のまわりには墓地があります。

車内の様子。
後ろにあるテレビモニターには、英語、ドイツ語、日本語での説明があります。3つの言語の中の一つに日本語なので驚きます。

このフロム山岳鉄道は、 深い渓谷に沿い、険しい山を20個、総延長6kmのトンネルで抜けて行きます。
トンネルは手堀。1メートル掘り進むのに線路工夫が1ヶ月かかる計算だったと言います。
1940年に開通、1988年にフロム開発社が国鉄から買い取り、ノルウェィでは珍しいという私鉄になっています。

28パーミリ以上の急傾斜区間が80%もあり、列車のブレーキは5段多重システムとのことです。
フロム駅の標高2mからミュールダール駅の標高865mまで登っていきます。

終点に近く、二つのトンネルの間にある「ショースの滝駅」に15分ほど列車は停車します。
フロム山岳鉄道のハイライト「ショースの滝」を見学のためです。
 海抜630m、落差は93mあり、上流のラインウンガ湖を水源とする、とても水量が多い滝です。
この落差を利用し、設置された導管から発電所へと落ち込み、フロム山岳鉄道の電力として使用されているとのことです。
この滝、冬期には凍り付くようです。

YuTubeの映像はめいすい ( shingashinokaze ) が撮影し、編集したものです。

フロム山岳鉄道のアトラクションとして、この滝のそばで、山の妖精が現れて音楽に合わせて踊ります。
このあたりの民話にでてくる「山の妖精フレドル」で、しばしば旅人に声をかけ、たぶらかして岩陰に誘い込んだといいます。

標高が1000m程度でも残雪があります。

フロム山岳鉄道は前後に電気機関車が着いています。この鉄道は一日4往復で運転されており、夏期には8~10往復まで増便されます。

ミュールダールの駅に到着しました。そのあとベルゲン鉄道に乗り換えてヴォスまで向かいました。


北欧の旅から(14)・・・ネーロイフィヨルド(世界遺産)とアウリランフィヨルド

2011-09-09 | 旅の写真

ネーロイフィヨルド


ソグネフィヨルドの枝分かれの最奥部には、ネーロイフィヨルドとアウリランフィヨルドがあります。
このうち、ネーロイフィヨルドは世界遺産(自然遺産)になっています。延長は17Kmで、最も狭いところは250mです。

このネーロイフィヨルドのクルーズは旅のハイライトです。

グドヴァンゲンの船着き場から出るフェリーは、ネーロイフィヨルドとアウリランフィヨルドの両方を見て回る観光船となります。
フィヨルド観光の最も人気のある人気のコースで、土曜日と言うこともあり、グドヴァンゲンの船着き場は混み合っていました。
終点はフロムで航行時間は約2時間です。 

船はグドヴァンゲンを後にしました。中央は私達の乗った船が出した煙です。

入れ替わりに、新しい船がグドヴァンゲンに入ってきました。山肌には、滝の流れが所々にあります。

ネーロイフィヨルドの周辺には、所々に集落があり、教会も建っています。フェリーは、地元の人たちの生活の足でもあります。

水面を見ていたら、ほんのわずかに動きがありました。そうしたら小さなアザラシが頭を出しました。
その時間は、ほんのわずかで写真に撮ることは出来ませんでした。乗客の多くは気がつかなかったと思います。
貰った地図の解説にアザラシが見られる場合があると書いてありました。

切り立った岩肌はネーロイフィヨルドの代表的な風景。

こちらも深い谷間のネーロイフィヨルドの風景。

ネーロイフィヨルドの一番大きな滝、ザーグ滝(のこぎり滝)。東山魁夷がこの滝を描いているそうです。

 ネーロイフィヨルドが終わると、今度は分岐点となり、アウリランフィヨルドに向かいます。

アウリランフィヨルドの方が幅が広く、崖地も女性的です。

アウリランフィヨルド、終点のフロムにつきました。 フロム鉄道の出発駅でもあります。夏は大型クルーズ船も入港し賑わいます。
ノルウェイ第2の都市、ベルゲンからの交通も便利でフィヨルド観光のメッカともいえる町です。


スタルハイムホテルの庭の花々

2011-09-07 | 

ソグネフィヨルド地区で絶景を見られることで有名な「スタルスイム ホテル」。
その庭には、美しい花々が咲いていました。

ガーベラ?

この花の名前は、ちょっと不明です。ゲラニウム ブルーブラッド(フウロソウ)?

百合の花。

ピンクのルビナス。

紫のルピナス。ルピナスは走るパスの中から道ばたに咲いているのを見ることもありました。
耐寒性があるので、ノルウェイでも、自然の中に放置しても繁殖するのかも知れません。

この花の名前も、不明です。

芥子(ケシ)の花。


コンサートで撮影した3本の音楽ビデオ(YuTube)

2011-09-05 | クラシック音楽

「北欧の旅」シリーズを掲載していますが、今回は先々日9月3日に和光市民文化センター・サンアゼリアホール行われた「ムジカ・ドマーニふれあいコクサート」で撮影した3本のビデオ(YuTube)を載せることにします。

1本目は、このコンサートに特別ゲストで出演してくれたオペラ歌手、秋谷あつ子さんの
歌劇「椿姫」より、ヴィオレッタの歌う有名なアリア「ああ、そは彼の人か」。
秋谷さんの了解をいただき載せさせてもらうことにしました。

2本目は女房も参加している音楽グループ「フィフティーズ」の演奏で、沖縄の歌「花~すべての心に花を~」です。

3本目は、和光市の歌姫といわれる「うたぴよ」さんの「カッチーニのアヴェマリア」。カッチー二のアヴェマリアはグノー、シューベルトのものとともにアヴェマリアの名曲として知られています。

撮影は現在、売れ行き、人気ともに一番(価格コム)のビデオカメラSONY HDR-CX560Vを使用しました。


北欧の旅から(13)・・・フィヨルドを望む絶景

2011-09-03 | 旅の写真

ソグネフィヨルド地区の小さな村バレストランドから世界遺産ネーロイフィヨルドに向かう道。
ソグネフィヨルドを見渡すストールスヴィンゲン展望台に立ち寄りました。
下に見えるのはヴィーク村、この村をパスで通り過ぎてきましたが、ここにも美しいスターブ教会があるようです。

さらに進むとスタルハイムにつきます。この地区にあるのは「スタルハイム ホテルだけ。
スタルハイム渓谷を見下ろす崖の上にあり、よく知られているホテルです。
私達はバスを降り、このホテルの展望テラスでコーヒータイムを取りました。
もちろん、この深い谷は氷河によって削られたもの。
この渓谷のつづら折りの道の先に、目指すネーロイフィヨルドがあります。


小さな村バレストランドで見かけた花

2011-09-01 | 

ソグネフィヨルド地区のバレストランドという小さな村のホテルに泊まった際、周辺を散策した時に見かけた花。

「ひまわり」のような花のですが、あまり見かけない形をしています。

こちらの花も、どこかで見たような花のように思われますが・・・・。

キキョウ科の花だと思いますが、葉の形が変わっているように思います。