めいすいの写真日記

いつもご訪問ありがとうございます
500万アクセスを達成しました

ランチ・・・フォレスティーユ精養軒(東京文化会館内)

2016-02-11 | 外での食べ物

「始皇帝と大兵馬俑」展を見に行った際に、女房に連れられて昼食に立ち寄った「フォレスティーユ精養軒」。

コンサートなどでお馴染みの東京文化会館内にあるとは知りませんでした。

中はちょっと暗めですが、窓からは上野の森の緑がよく見えます。

右側の窓からは、お隣の西洋美術館が望めます。コルビジェの設計で世界遺産の候補にもなっています。

カリフラワーのポタージュ。

ブリのレモン ハープ焼き、赤海老添え タルタルソース 、 牛バラ肉のシチュー きのこソース。パン。

コーヒーを頼まなかったので、ちょっと様になりませんが・・・・。


「始皇帝と大兵馬俑」展

2016-02-09 | 博物館を訪れる

上野で2月21日まで行われている「始皇帝と大兵馬俑」展を見に行きました。

高校時代の世界史で「秦」のことは学びはしましたが、1974年に兵馬俑が発見されて以来、秦の始皇帝の陵墓の周辺で数々の史跡が

発見され、「秦」という国がどのような国であったかということが明らかにされつつあります。

そして明らかになった史実を知るにつれ、紀元前247年から210年の始皇帝の時代は、政治機構、経済、文化が驚くほど

高度に発達していた時代だったということが分かります。

展覧会場を壇蜜さんの音声ガイドで見て回り、会場で購入したガイドブックを帰ってから読んでみると興味深い内容が満載です。

現代はコンピューターの発達によって、昔に比べて格段の情報処理が出来る時代になりましたが、2200年以上前の秦の時代

の政治、経済、文化よりどれだけ進歩したのかと考えざるを得ない面もあります。

特に2台の銅馬車( 始皇帝の先導車と始皇帝の御用車)は2分の1の模型ということですが、2000個もの部品から

成り立ったいる精巧な工芸品です。始皇帝の御用車の内部には豪華な彩色の模様が施されています。

また、実物が発見されたというより模型が発見されたということが凄いことだと思います。実物の設計図はあったのでしょうか。

中国では、幾度となく王朝が変わり、そのたびに前王朝の文化はほとんどが破壊または廃棄されたため、各王朝の宝物はほとんど

現存しないのですが、8000体もの兵馬俑といい、この2台の銅馬車といい良く残ってくれていたと思います。

中国では、この兵馬俑と銅馬車は「国宝中の国宝」といえると思います。

なお、会場に飾られていた銅馬車はケースの中に入っていなかったので変だと思いましたが、複製品でした。

会場内は撮影禁止ですが、一角だけ撮影の許可されている場所がありました。

8000体の兵馬俑はすべて異なり、一体、一体がとても写実的で個性が良く表れています。そのため、どのような軍団だったが分かります。

兵の身分に応じた人相もなるほどと思わせられます。また、これらは彩色されたいたとのことです。実際に彩色された兵馬俑の例がありました。

8000体すべてのが彩色された光景が見られたらさぞ壮観だったことでしょう。

最後になりますが、「秦王朝」は始皇帝の死後3年で滅びてしまいました。始皇帝個人の才能がいかに豊かであったかが分かります。

始皇帝は秦王朝がいずれ無くなるであることを見越して、「永遠を守る」ため、巨大な陵墓・兵馬俑そして銅馬車などを生前から作ったのでしょう。


手作り恵方巻き ’16

2016-02-03 | 家での食べ物

今日は節分ですが、女房が昨年、初めて「手作りの恵方巻き」を頑張って作りました。 ・・・「手作り恵方巻き’15 」
比べてみると、少し進歩があるようです。今年の方角である「南南東」に向かってかぶりつきで食べました。
右側は、今日女房が私の妹と観劇に行き、もらった「川崎名物 手巻きの大師巻き」。節分に関係あるのかどうか分かりませんが・・・。


節分豆まき・・・志木市・敷島神社 ’16

2016-02-03 | 志木市・・・・我が街の紹介

今日は2月3日、節分の日。地元の氏神様「敷島神社」で午後3時半から、恒例の節分祭がありました。毎年やっているのですが、
2009年以来7年ぶりです。市長など地元の名士の他、力士が2名来て、豆をまいていました。
かけ声は「福は内」だけ、「鬼は外」と言わないのは、神社には鬼はいないからなのだそうです。

 

豆まきの様子。Yutube 49秒

撒かれた「福豆」とみかんを知り合いが、撮影中に持ってきてくれました。