上野で2月21日まで行われている「始皇帝と大兵馬俑」展を見に行きました。
高校時代の世界史で「秦」のことは学びはしましたが、1974年に兵馬俑が発見されて以来、秦の始皇帝の陵墓の周辺で数々の史跡が
発見され、「秦」という国がどのような国であったかということが明らかにされつつあります。
そして明らかになった史実を知るにつれ、紀元前247年から210年の始皇帝の時代は、政治機構、経済、文化が驚くほど
高度に発達していた時代だったということが分かります。
展覧会場を壇蜜さんの音声ガイドで見て回り、会場で購入したガイドブックを帰ってから読んでみると興味深い内容が満載です。
現代はコンピューターの発達によって、昔に比べて格段の情報処理が出来る時代になりましたが、2200年以上前の秦の時代
の政治、経済、文化よりどれだけ進歩したのかと考えざるを得ない面もあります。
特に2台の銅馬車( 始皇帝の先導車と始皇帝の御用車)は2分の1の模型ということですが、2000個もの部品から
成り立ったいる精巧な工芸品です。始皇帝の御用車の内部には豪華な彩色の模様が施されています。
また、実物が発見されたというより模型が発見されたということが凄いことだと思います。実物の設計図はあったのでしょうか。
中国では、幾度となく王朝が変わり、そのたびに前王朝の文化はほとんどが破壊または廃棄されたため、各王朝の宝物はほとんど
現存しないのですが、8000体もの兵馬俑といい、この2台の銅馬車といい良く残ってくれていたと思います。
中国では、この兵馬俑と銅馬車は「国宝中の国宝」といえると思います。
なお、会場に飾られていた銅馬車はケースの中に入っていなかったので変だと思いましたが、複製品でした。
会場内は撮影禁止ですが、一角だけ撮影の許可されている場所がありました。
8000体の兵馬俑はすべて異なり、一体、一体がとても写実的で個性が良く表れています。そのため、どのような軍団だったが分かります。
兵の身分に応じた人相もなるほどと思わせられます。また、これらは彩色されたいたとのことです。実際に彩色された兵馬俑の例がありました。
8000体すべてのが彩色された光景が見られたらさぞ壮観だったことでしょう。
最後になりますが、「秦王朝」は始皇帝の死後3年で滅びてしまいました。始皇帝個人の才能がいかに豊かであったかが分かります。
始皇帝は秦王朝がいずれ無くなるであることを見越して、「永遠を守る」ため、巨大な陵墓・兵馬俑そして銅馬車などを生前から作ったのでしょう。