めいすいの写真日記

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響膳「海の恵み」・・・響 有楽町店

2015-04-27 | 外での食べ物

 今日は、元職場の友人と「響 有楽町店」で昼食会をしました。 困ったことに、いつも鞄に入れている「コクパントデジカメ」を忘れ
てしまいました。本来は一眼レフで撮りたいところだったのに・・・・。しかたなく、いつもは撮らないスマートフォンで撮ることにしました。

「 響」は東京に12店舗ある、ウィスキー「響」の名を持つ、サントリーのチェーン店。

料理名は「海の恵み」。瀬戸内郷土料理というふれ込みで、竹籠に入った料理。

メーンの「鯛のうーめん」

デザート(アイスクリーム・ケーキ・ぎゅうひ)とコーヒー。せっかく質の良い料理なのに、カメラがそれを捉えてくれませんでした。


ハナミズキの花

2015-04-26 | 

通勤時に利用する遊歩道のハナミズキの花がきれいに咲きました。遠くからみると木全体が真っ白です。

花をクローズアップしてみました。ハナミズキは上に向かって咲くので木の下部にある花しか上手く撮れません。

この遊歩道には、一本だけ赤い花の咲く大きなハナミスキがありました。


ヒラリー・ハーン ブラームス作曲 ヴァイオリン協奏曲

2015-04-22 | クラシック音楽

4月19日(日)Eテレの「クラシック音楽館」で放映された、ヒラリー・ハーン(Vn)、エサ・ペッカ・サロネン指揮フィルハモニア管弦楽団
「ブラームス作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77」を見ました。

 私は、クラシック音楽に親しむようになった40年以上も前から、ブラームスのヴァイオリン協奏曲が好きで良く聞いていました。
 「めいすいの音楽随想 私の好きな3つの協奏曲・・・1973.3.17」
 オイストラフとクレンペラーフランス国立放送管弦楽団のLP、クレーメルとカラヤン指揮ベルリンフィルのCD、他に演奏会やテレビ放送など
何人もの演奏者でこの曲を聴いてきました。


 第1楽章のカデンツァを演奏するハーン

 今回は、現代を代表する名ヴァイオリニストといわれるヒラー・ハーンが、どのような演奏をするのか期待を持って見ることにしました。
 第1楽章は冒頭のオーケストラの演奏が長めですが、初めのヴァイオリンの音色から引きつけられました。彼女の演奏は豊かな響き、逞しくて、
緻密な響きを備えています。牧歌的な第2楽章の透明で美しい音、第3楽章のリズミカルで迫力ある演奏も軽やかで素晴らしい。


 第2楽章 冒頭のオーボエの演奏に聴き入るハーン

 今回の放送の演奏を見て知ったのは、コミュニケーション能力です。彼女の演奏する姿を見ていると、小さな動作の中に指揮者や
オーケストラ団員との間で行っている意思疎通がよく分かります。ヴァイオリンをしなやかに演奏する姿、第3楽章での軽いステップ、
指揮者を見る魅力的な眼やコンサートマスターの方を向いて伴奏に頷いてる様子などなど、”オーケストラと対話しながら演奏する姿も音楽”
であると感じさせてくれます。
 これは、もちろん10年以上にも前から、サロネン指揮フィルハーモニー管弦楽団とハーンが共演を重ねてきたからということもできるでしょう。
 あまりに素晴らしい演奏であったため演奏が終わった後、すぐに録画をもう一度、聴き直しました。NHKで放映した演奏では、近年では屈指
の名演奏であるといえると思います。この演奏を聴き、ヒラリー・ハーンのファンになりました。
 アンコールで弾いた 「バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第3番ホ長調からジーク」も素晴らしい演奏でした。

● ハーンとサロネンのインタービューの言葉

ブラームスの協奏曲・・・ヒラリー・ハーン
「最近の演奏会で感じたことですが、この作品には、すごく強引なところと細やかな感性とが入り交じっています。
こうした特徴は他のバイオリン協奏曲には見られません。オーケストレーションも見事で楽器間の対話がいたるところで行われています。
私もその対話に加わることができるので本当に面白いです。オーケストラは単なる伴奏ではありません。
ソロの役割としてオーケストラに彩りを添える程度の場合もありますし、ソロとオーケストラの間で主導権を相互に受け渡す場面もあります。
美しく力強い音楽であると同時に大変緻密に書かれています。ですが、そういった細かい点はあまり重要ではありません。
相乗効果の結果として生み出される全体像に面白さがあるのです。」

ヒラリーハーンについて・・・指揮者エサ・ペッカ・サロネン
「彼女は周りがよく見えています。自分の世界に入ってしまうタイプではなく、音楽をみんなで作り上げようとするタイプです。
演奏中に常に意思疎通が出来ているので次に彼女が何をやりたいのかがすぐに分かります。明確なメッセージを発して
くれるので彼女の要求を察知することが出来るのです。」

エサ・ペッカ・サロネンとの共演・・・ヒラリー・ハーン
「サロネンさんは、並外れたエネルギーをすべて演奏に注ぎ込んでいます。私が新しいことをしようとすると
その一歩先まで読んでくれます。ソロからオーケストラに主題を受け渡す時など、わたとの意図した流れを、彼はすぐに察してくれます。
オーケストラの団員も耳をそばだてて私のアイディアに反応してくれます。事前に説明する必要などありません。
何かを投げかけると彼らはそれを、さらに膨らませてくれます。
大きな流れの中に身を投じて一緒に何か築き上げている実感があるのです。」


シャクナゲの花

2015-04-19 | 

口股関節置換手術を一昨年の11月に行ってから、しばらくお休みしていたゴルフ。最近になって、少しづつ始めることにしました。
昨日は、ほぼ2年ぶりにコースに出ました。スコアはぴったり100。不本意ではありますが、やむを得ないでしょう。
とにかく、もしかするとダメかもと思っていたのが、無事ラウンドできたことは、喜びです。

ところで、これから週に一度通うことにしているゴルフ練習場のシャクナゲがきれいに咲きました。

きつい原色の西洋シャクナゲに比べて淡いピンクの日本シャクナゲは、とても良い色だと思います。
ゴルフの練習再開を祝福してくれているように思えました。


朝ドラ「まれ」・・・能登の塩田の塩

2015-04-11 | 家での食べ物

朝の連続テレビ小説「まれ」で”超祭り好き”として登場する塩田を営む桶作元治(田中泯)さん、
独特のキャラクターでドラマを盛り上げています。

今日、能登のお土産ということで「奥能登 揚げ浜塩」をいただきました。
能登の塩田の塩、このように商品化されているんですね。
希の父、津村徹ではないけれど機械化したらという気持ちも分かります。
少し舐めてみたら、ちょっと甘みが感じられ、コクもありました。

奥能登の塩をもらって番組への親しみがわきました。今度はまれの作ったシュークリームを食べてみたい。


モロッコの旅(8)・・・アルジャディーダのポルトガル都市

2015-04-07 | 旅の写真

  アルジャディーダの海に面した場所に、ポルトガルの支配時代(1502~1769)の城塞都市があります。
  当時アルジャディーダはマサガンと呼ばれ、インド貿易の重要な中継地になっていました。
  このメディナ(旧市街)は2004年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。
  ヨーロッパ文化とイスラム文化双方の街並みとなっています。

  城壁都市の前面は濠になっていましたが、今は埋め立てられて道路になっています。

城壁都市のメインストリート

   街の中央付近にある50m四方の貯水槽。円柱の美しいゴシック建築で作られています。
  1514年に、この城塞の建設が始められましたが、当初は穀物倉庫でした。城壁の外の水が絶たれた時のため、1542年に非常用の貯水槽
として改造されました。地上から  雨水が流れ込み、水がたまるようになっていました。明かりは、天窓から採られています。
  この街が作られてから30年もたたないうちに改造されたということは、ポルトガル人は、早くから危機感を持っていたことになります。
  入り口が狭く、20世紀になってから、この貯水槽は発見されました。

 1769年にモロッコのスルタンによって攻め落とされ、ポルトガル人は、この街を退去しました。城塞は廃墟になりましたが、19世紀に
モロッコの王によって再建されることになりました。
 退去したポルトガル人は、本国には帰らず、ブラジルのマザゴンに向かったと言います。

 詳しくは、 めいすいの海外旅日記 第9,10日・・・アルジャデーダ をご覧下さい。

 


モロッコの旅(7)・・・マラケッシュ(2) 

2015-04-05 | 旅の写真

● マジョレル庭園

 1920年代にフランスのアール・デコの画家であるジャック・マジョレルが造園しました。
 マジョレルの死後、故イヴ・サンローランが買い取って修復し、公園として公開しました。
 竹林、ヤシ、睡蓮、サボテンといった植物が植えられています。
 園内の建物は「マジョレル・ブルー」と呼ばれる青色が多く使われています。

 入口を入ってすぐの所のある噴水。すぐ先が竹林になっています。

 サンローランの記念碑、サンローランの遺灰は庭園内に撒かれました。
 若い頃、サン・ローランのネクタイはデザインが好きで、何本か持っていたのを思い出しました。

● バヒア宮殿

1894年から14年かけて建築された摂政(宰相)の私邸。面積は8ha。宰相には4人の奥さん。24人の妾がいました。
 宰相の死後、家具などは略奪されてしまいましたが、建物は良好な状態で保存されました。バヒアの名前は最も寵愛した奥さんの名前です。
 マラケッシュのメディナ(旧市街)にあり、世界遺産となっています。

 

 植物のある中庭

建物の彫刻は、細密で見事です。

ここは応接室

噴水のある美しい中庭。規模は小さいですが、アルハンブラ宮殿を彷彿とさせます。

● クトゥピア

 マラケッシュのシンボル、クトゥーピア・モスクのミナレット(塔)は高さ77m。
 1147年ムアヒッド朝の創始者アブド・アル・ムーメンによって着工されましたが、メッカに向いていないとして、中止。1199年、
ヤクーブ・エル・マンスールによって建て直されました。 セビリアのヒラルダの塔(97m)、ラバトのハッサンの塔(44m)も、
ほぼ同時代、同一人物によって建てられています。

詳しくは「めいすいの写真日記 モロッコ 第8日 マラケッシュ(2) をご覧下さい。


モロッコへの旅(6)・・・アイト・ベン・ハッドゥ 映画「アラビアのロレンス」

2015-04-03 | 旅の写真

● アイトベンハッドゥ

 ワルザ゜ザートから西に33Kmほどの所にあるアイト・ベン・ハッドゥ(Ait Ben Haddou)
 隊商貿易が栄えていた16世紀頃に、ハッドゥ族が築いた日干しレンガ造りのクサル(要塞化された村)。
 カスバ街道沿いには、多くのカスバ(砦)やクサルが作られましたが、このクサルは、規模も大きく、保存状態も良いこともあり、
1987年に世界遺産(文化遺産)として登録されました。

 小川のほとりの丘陵地帯に作られた、このクサルは立体的で見る人に、魅力的な空間を与えてくれます。また、周辺の景色も雄大です。
 小山の頂上にあるのは穀物倉庫。

中に入り、見張り小屋から頂上部を望んだところ。

このクサルには、まだ7家族が住んでいます。この家はそのうちの一家族のようです。

 世界遺産の旧市街(クサル)から新市街を望んだところ。新市街には電気、水道などが整備されていますが、旧市街にはありません。
 ランプを使うなど、不便を強いられますが、先祖伝来の家を守り、昔ながらの生活をしたいという人達が住んでいるとのこと。

 

 この集落で影絵の販売をしている店に映画の資料の看板がありました。
 22本ものハリウッド映画がこのアイト・ベン・ハッドゥで撮影されているというのは驚きです。
 最初の映画は、1954年の「アリババと40人の盗賊」、次に1961年の「アラビアのロレンス」とあります。
 「インディ・ジョーンズ」や「サムソンとデリラ」、「クレオパトラ」なども載っています。映画人の眼にも、ここが特別なものと写ったようです。
 世界遺産(文化遺産)の中でこれだけ映画に利用されているのは、数少ないのではないでしょうか。ワルザザートに映画スタジオが出来たのも、
このためであったのかも知れません。

● アラビアのロレンス

                         アラビアのロレンスの一場面

        ロレンスと首長アリ

  映画「アラビアのロレンス」は、1962年のイギリス映画。第一次世界大戦下のアラビアを舞台に、実在した軍人T・E・ロレンスの
孤高の戦いを描いた歴史映画であり、戦争映画です。イギリス人でありながらアラビアの人々の自由のために戦ったロレンスの勇姿、
そして奥深い人間ドラマを映し出します。
 特に広大な砂漠、照りつける太陽と影、吹きすさぶ風、蜃気楼から現れる人影、空の青さ…これらの映像がとても美しい
当然のことながらCGが使われていないのが良い。
 制作当時は、70mm 映画でしたが、最近、リメイクされてブルーレイディスクとなりました。大画面テレビで見る刻々と変わる
壮大な砂漠の風景は圧倒的です。まさに名画という名にふさわしい。

 アカデミー作品賞、監督賞、撮影賞、編集賞、美術賞、音楽賞、録音賞の7部門を受賞しています。
 舞台はエジプトのカイロ、シリア、ヨルダンなどアラブ地域ですが、今回の旅で、ガイドさんの話題に
何度もなったのが、「映画アラビアのロレンスは、ほとんどの撮影がモロッコで行われた」ということです。
 アイト・ベン・ハッドゥでもロケされたということですが、私には映画の中では確認できませんでした。

詳しくは、めいすいの海外旅日記 第7日 アイト・ベン・ハッドゥ をご覧下さい。