めいすいの写真日記

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信州そば処 霧里

2012-08-26 | 外での食べ物

軽井沢に来た時は、お昼は信州そばを食べることにしています。2年ほど前までは、「水音」というそば屋さんで食べていました。
今回も、その店に行ったら、建物と駐車場はあるものの昨年11月に閉店しましたとのお知らせ看板が立っていました。
そこで急遽、「るるぶ軽井沢」で、そば屋さんを調べて、この「霧里(きりさと)長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1075-20
 TEL 0267-42-8585」に入ることにしました。
ちょうどお昼時でお店は混んでいました。建物の中で食べるのですが、外のテラスでも食べられるようになっています。

私の頼んだのは鴨汁のそば。
石臼でひいた、そば粉を使った手打ちそばというだけあって、とても美味しい。久しぶりに旨いそばを食べたという気がしました。
鴨汁の味も見事です。
出されたお茶も「そば茶」で、そばの香りを損なわないようにというこだわりが素晴らしい。

こちらは家族が頼んだ、天ぷらそば。大きな海老が二匹載っていました。

こちらは山かけそば。


軽井沢 万平ホテル

2012-08-23 | 旅の写真

少しでも酷暑の夏を避けようと、軽井沢に8月21日から22日まで家族4人で出かけました。
家からは車。関越自動車道、上信越自動車道経由で2時間ほどで到着しました。

泊まったホテルは軽井沢の老舗の「万平ホテル」

旧軽井沢の商店街から万平ホテルに向かう道は木立に囲まれた通りとなっています。
街灯がないので夜は真っ暗になってしまうようです。

玄関を入ってすぐのところにあるカフェ、午後3時頃のティータイムは混雑します。

ここの名物はジョン・レノンがリクエストしたというロイヤルミルクティー。ケーキが来るまで待っていたら、生クリーム
が溶けてしまいました。左はブルーベリー・ケーキ。

一階の資料室には、ジョンレノンがここのホテルに長期滞在していた時に、よく弾いていたというアップライト・ピアノが。
レノンは、このピアノが欲しいと言ったとか。

また、夏は軽井沢芸術祭が行われていて、若き才能ある音楽家たちが軽井沢に集い、教会、美術館、宿泊施設
で無料のコンサートが開催されています。そして21日は、運良く万平ホテルのロビーでのコンサートがありました。
演奏者は重岡菜穂子(Vn)さんで、曲目はバッハ作曲「無伴奏バイオリンソナタ第1番」
私のウォークマンにはヘンリク・シェリングの「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ(全曲)」
が入っていて、ウォーキングの時など良く聞いています。
しかも没頭の部分なのでので親しみを持っていますが、彼女の美しいバイオリンの響きには大きな感銘を受けました。

夕食は外のレストランに出かけていきましたが、朝食はホテル内の「京料理 熊魚庵(ゆうぎょあん)」でとりました。

京料理らしい自然食が多く並べられた朝食で美味しく食べられました。

帰ってきた翌日23日の日本経済新聞の文化欄に、万平ホテルが「日本のモダンホテル10選」
の3番目として掲載されていました。これには、ちょっとびっくりしました。


プリトヴィツェ湖群国立公園・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(7)

2012-08-21 | 旅の写真

 クロアチアの世界遺産(自然遺産)プリトヴィツェ湖群国立公園内は、16個の湖と90以上の滝が点在します。カルスト地形によりダムで区切られた、
いくつもの湖はミネラル や有機物によりエメラルド色など変化に富んだ美しい景観をなしています。
 海抜640mのプロシュチャンス湖からコナラ川に流れ出るまでの標高差は 150m。階段状になったところを流れ落ちる滝は躍動感にあふれ、
見る人の心を奪います。この日は好天に恵まれてプリトヴィツェ湖群国立公園の素晴らしい さを存分に味わうことが出来ました。

 


ドブロヴニクの街・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(6)

2012-08-17 | 旅の写真

  ドブロヴニクは地中海の東部と西部との要衝にあり、古くから海洋国家、ラグーサ共和国として栄えていました。
14世紀から15世紀に城壁都市として発展し、16世紀から17世紀には共和国として繁栄を極めました。
 今もクロアチアの南ダルマチア地方の中心都市となっています。
 紺碧のアドリア海に面し、堅固な城砦に囲まれた美しい街並は「アドリア海の真珠」と呼ばれ、多くの観光客が訪れます。
1979年、旧市街は世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ケーブルカーから見たドブロヴニクの旧市街。アドリア海の紺碧の海が拡がります。

 旧市街の西側にある、ピレ門。数世紀にわたり正面入口として用いられていました。今も、旧市街の入口のメインゲートになっています。
 現在のようなルネッサンス様式の半円形の塔が出来たのは1537年です。
 かつては門の前の木製の跳ね橋が日没後は鎖で巻き上げられて、門は固く閉ざされました。

 門から旧市街に入ると、メインストリートであるブラツァ通りに出ます。左手手前は救世主教会、左手奥は聖フランシスコ会修道院の建物。
 遠方の塔はルジャ、鐘のついた時計塔で、その前はルジャ広場。

 右手にはオノフリオの大噴水。ナポリのオノフリカ・デッラ・カヴァが造ったことから名前がついたようです。
 1438年に、12Km離れた水源から水を引いて設けられました。
 1667年の大地震で崩壊し、彫刻の多くがなくなったようですが、蛇口の頭部だけは残ったとのことです。
 清潔ですが、硬水なので、おなかを壊すおそれがあるので飲まない方がいいとガイドさん。今になってみれば、飲めば良かったと思います。

 赤いベレー帽をかぶったお兄さんが「SOUVENIRS HEART OF DUBROVNIK 2012」として小さなハートのペンダントを1ユーロで売って
いたので、私も買って首からかけて歩くことにしました。 

次に歩いたのはプラツァ通りの一本北側のブリェコ通り。プリェコ通りは、レストランがずらりと並んでいます。
時間はまだ10時を回ったところですが、お昼時には、満員になるようです。

プリェコ通りとブラツァ通りとを結ぶ狭い道にもレストランの机といすが並べられ、活況を呈していました。
道の上には、洗濯物が干されていて、そこには人が住んでいて生活をしているのだという親しみを感じます。

 ブラツァ通りの東側の終点に出てきました。そこは、ルジャ広場と呼ばれるこの街の中心。

 この広場の北面に立つスポンザ宮殿。かつては税関や保税倉庫として使われていました。
 現在は、公文書館として使われています。

  この宮殿の中で、1991年の内戦で破壊されるドブロヴニクの街の様子を撮影したビデオを見ました。
 旧ユーゴ軍が浴びせた砲弾は5000発、旧市街はほとんど破壊され、多くの市民が犠牲になりました。
 このため、世界危機遺産に登録されました。
 しかし、多くの市民の努力により、戦争の傷跡は復旧され、1998年に危機遺産の指定が解除されました。

 ルシャ広場の南面の聖ヴラホ教会。ドブロヴニクの守護聖人ヴラホを祀る教会、ドーム屋根を持つバロック様式になっています。
 毎年2月3日は守護聖人ヴラホを讃える祭りが、全市を挙げて行われます。

城砦の歩道を一周することにしました。10時45分に出発。出入り口は3カ所。私たちは北東側から入場しました。
この歩道は基本的に反時計回りの一方通行になっています。

城砦の歩道から見たルジャ広場付近。手前は鐘のついた塔ルジャと聖ブラホ教会。奥に聖母被昇天大聖堂。

さらに進んだところにある城砦の北西の角の ミンチェスタ要塞。城砦の中で最も高所にある要塞です。上まで登ることが出来その眺めは良好です。
この要塞は海抜37メートルで、海と陸の双方から街を守る役割を果てしていました。

この付近の城砦の歩道からは、フランシスコ会修道院の建物が見えます。

また、ピレ門やその先にロヴリイェナツ要塞も見えます。

さらに海側の城砦の方に向かうと、城壁は堅固に、そしてより高く造られています。右に飛び出ているのが聖ピーターの砦で、休憩所があります。

 

 城壁の歩道の一周巡り(約1時間10分)を経て、再びブラツァ通り、ルジャ広場前に戻ってきました。
 フランシスコ会修道院 の鐘楼がシンボリックに見えます。
 オノフリオの大噴水の前に集合し、再びピレ門から外へ出て、ドブロヴニクの旧市街の観光は終わりました。


アドリア海の景色・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(5)

2012-08-02 | 自然の風景

美しく澄んだアドリア海は、その時々や場所で様々な景色を見せてくれます。

クロアチア、小さな街センイ付近の海水浴場。走るバスの中から撮影。

同じくセンイの町から、背景には、クルク島の殺風景な姿がアドリア海の中に浮かんでいます。

クロアチア第2の都市であるスプリット、その街の中心に位置する古代ローマ帝国の遺跡である世界遺産のディオクレティアヌス宮殿
その宮殿内の一番高い鐘楼からアドリア海を望みました。港にはたくさんのクルーズ船が泊まっています。

ディオクレティアヌス宮殿について、詳しくは「めいすいの海外旅日記 スロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ第4日」をご覧下さい。

クロアチア、ドブロヴニクのリゾートホテルの海水浴場から小島を望みました。

同じくドブロヴニクのリゾートホテルからアドリア海に沈む夕日を眺めました。