めいすいの写真日記

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スタリ・モスト(石橋)・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(4)

2012-07-31 | 旅の写真

ボスニア・ヘルツェゴビナという国

15世紀後半から19世紀後半まで、ボスニア・ヘルツェゴビナは、オスマントルコの支配を受けました。スロベニアとクロア チアは
オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク家の支配でした。産業や文化振興に力を尽くしたハプスブルグ家と農業の振興のみだった
オスマントルコと の違いが、その後に大きく影響しているようです。
このため、ヴォスニア・ヘルツェゴピナの経済は、スロベニア、クロアチアに比べると失業率は高く、平均所得も少ない。
農業もボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年~1933年)後は、農地や羊の放牧地に地雷が埋まっているため、
多くが使用できないようです。鉱物資源は豊富とのこと。

◇ モスタル (Moster ) の街

                     聖ペーター教会の鐘楼
「そろそろ、モスタルに着きますよ。あの鐘楼はモスタルの教会のものです」とのガイドさんの話があり、
バスの中から撮りました。
パスから降りて、この教会の前を通りましたが、新しかったので紛争以降に建設されたものでしょう。 

紛争後20年近く経ち、モスタルの町の復興が進んだようですが、こうした建物がまだ所々に残るのは、
戦闘の激しさを物語っています。目抜き通りの大きなスーパーは破壊されたままで、廃屋になっていました。

 正午過ぎで、気温は35度を超えていました。焼け付くような道路に物乞いの幼い少女が座っていたりしたので、
この立葵の花がもの悲しげに見えました。

 モスタルは、トレヴァ川の両岸の台地に発達した、人口ではボスニア・ヘルツェゴビナの5番目の都市。
 15世紀中頃にオスマン帝国の支配化に置かれて、軍事上の要衝となりました。
 街の中心の頑丈な石橋スタリ・モストは1566年トルコ人によって架けられ、両岸の人々の生活に欠かせない橋として
親しまれてきました。モスタルとは橋の意味。スロヴェニアやクロアチアとはガラリと雰囲気が変わり、オリエンタルな街並が
橋の両側に続きます。
 1993年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でスタリ・モストは砲撃によって破壊され、落橋しましたが、ユネスコや民間からの
援助により、2004年、往時の姿に復元されました。


 2005年、スタリ・モストと周辺の建物群世界遺産に登録されました。


 上の写真はスタリ・モストまで続く土産物店、イスラム風の手芸品などが並びます。私はここで、1ユーロでフェズ(帽子)を
買いました。 

スタリ・モストの橋のたもとから撮したもの。
この橋には、年1回飛び込みの競技会があります。何年か前にNHK特集で、この飛び込み競技会の技術向上への悩み
と紛争後の人種問題への若者の心の葛藤を描いた番組があり、興味を持って見ていたので、この橋には親しみがありました

スタリ・モストの上の様子、幅員は4.5m、長さは29m。夏の乾燥期は水面からの高さは21m。
30ユーロ集まると飛び込む人がこの日もいました。一番右側の裸の人。

 スタリ・モストの上からはネトレヴァ川の下流の渓谷美を一望できます。水は澄んで美しい。

また、スタリ・モストの上からは、1619年完成のコスキ・メフメド・パシャ・モスクも見えます。
モスクは12mの正方形をしています。
反対にもすくのテラスやミナレットの上からスタリ・モストを見るのは、絶景ポイントのようです。

早速、買ったフェズをかぶりました。「よく似合う、現地人のようですね。」とは、ツァーの人たちの言葉。こちらは、橋を渡った左岸側の商店街。

 上流に向かい、土産物店の中を数百メートル歩いて行くと、スタリ・モスト撮影のの絶景ポイントがありました。

 詳しくは「めいすいの海外旅日記 スロベニア、クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ 第4日」をご覧下さい。


玉虫

2012-07-29 | 自然の風景
 
 昨日、近所に住む中学生のF君が「お宅の木に玉虫がいるので採らせて下さい」と虫網を持って訪ねて来ました。
 しかし、うまく捕まえられなかったようです。「やはり、2時頃が一番飛ぶようです。高いところを飛びキラキラ光り美しい」と言っていました。
 調べてみたら、確かに日差しの強い時に飛ぶようです。天敵の鳥は、キラキラ光り色が変わるので怖がって採らないということです。
 今日、長さを継ぎ足した虫網を持って、再び訪ねて来て、捕まえることができたといって、見せてくれました。
 
 「玉虫色」というと、見方や立場によっていろいろ解釈できる曖昧な表現をたとえていう言葉。
 「タンスの中に入れておくと着物が増える」、私は防虫剤の役割を果たすのかと思っていました。
 「法隆寺の玉虫厨子」は装飾螺鈿に玉虫(ヤマトタマムシ)約2600匹の羽を使ったといわれていますが、
今はほとんどなくなっているとのこと。昭和35年に作られたレプリカでは5348匹の玉虫が使われたそうです。
 人気のある昆虫なので、昔から日本人に好まれているようです。
 
 生きた玉虫を見かけることは、子供の頃から、ほとんどありませんでしたが、まさか我が家の木に住んでいるとは知りませんでした。

ポストイナ鍾乳洞・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(3)

2012-07-16 | 旅の写真

スロべニアには8500ものカルスト地形の鍾乳洞があるといわれ、ポストイナはそのうちの一つ。
規模はヨーロッパ一で、その美しさは世界一ともいわれます。
階段の左手には、POSTOJNSKA JAMA(Postjna Cave )の文字が見えます。入場口は階段を上がった右手の建物。
最盛期は年間90万人もの入場者があったのですが、内戦後は減り、今はやっと50万人まで増えてきたようです。

鍾乳洞のハイライトの区間は、1.6Kmの徒歩の区間。そこに行くのには、トロッコ電車で2Kmの区間を
10分ほど進むことになります。結構なスピードで、狭い空間を走るので、映画「インディージョーンズ」を思い出します。

トロッコの下車後は、鍾乳洞内1.6Kmを徒歩で歩きます。
中央のガイドの説明に集まる大勢の人たち。残念ながら、日本語の説明はなく、英語のみでした。

中央の「ロシア橋」を渡る人たち。第一次世界大戦の時に捕虜になったロシア人によって架けられた橋。
ロシア回廊と呼ばれる通路があり、ぐるりと廻ってこの橋の下に戻ってきます。

 白い部屋の石柱も見事です。

 いくつもある石筍ですが、1mm成長するのに10~30年もかかるとか。

美しく輝く「ブリリアント鍾乳石」。この鍾乳洞のシンボルになっていて、魅力的です。入場券にも載せられています。

、出口の手前に大きな水槽があり、ここに類人魚(ホライモリ)が入れられていました。
 この水槽は暗くて探すのには、目を凝らさなければならないほどでした。
 エラと肺呼吸で生息する両生類で、ずっと暗闇にいたために目が退化してしまっているそうです。(パンフレットから)

出口はコンサートホールになっていて、帰りのトロッコの乗り場に行くことが出来ます。
音響効果が素晴らしく、音楽会がよく開かれるようです。


スロベニア ブレッド湖の風景・・・クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(2)

2012-07-15 | 自然の風景

 ユリアンアルプスを背景にしたブレッド湖とブレッド島にある聖母被昇天教会、ちょうどその先にブレッド城。
遠い山々の中央、一番高い三角の白い山がトリグラフ山。トリグラフ山(2864m)はスロべニアの国旗にも描かれています。
(おみやげ店で買ったのA4のカードから)

 スロべニアはオーストリア、イタリア、ハンガリー、クロアチアと国境を接しています。北西部のユリアンアルプスの反対側には、スイス、オーストリアの
 山塊がありますが、豊かな自然の美しさは、これらの国に劣りません。
 また、ブレッド湖は、かってはハプスブルグ家のリゾート地として整備され、「アルプスの瞳」と称されて人々を魅了してきました。
 大きさは東西約2.1Km、南北1.1Kmで、深さは30m。国立公園になっていて、水は澄み、マスなどの魚が数多く見られます。 

 聖母被昇天教会

ブレッド島にある聖母被昇天教会はスロヴェニア人のあこがれの結婚式場。国立公園のため、湖を汚さないよう、渡る手段は手こぎボート、
カヌーなどに限られています。
手こぎボートがブレッド島に着くと99段の階段があります。結婚式には新郎は新婦を抱えて、この階段を上がらなければならないらしい。
その間新婦は、ずっと沈黙していなければなりません。負ぶるならともかく、抱いて登ることは難しそうです。

階段の先には、17世紀バロック建築の教会と鐘楼があります。

教会の中央に天井から下がっている鐘を鳴らす紐があります。この鐘を鳴らすと願い事が叶えられるということで人気です。
このYuTube の画像には鐘の音が小さく入っています。

 ブレッド城

ブレッド城はブレッド湖の水面からの高さが130mあります。この城の築造は11世紀、建てられてから1000年も経過しています。

ホテルに泊まった夜は、土曜日ということもあってグラーツ城のライトアップは、いつもより強めに投光されていたとのこと。
城は赤く照らされ、一方、断崖は緑色に照らされて魅惑的でした。

 前日、ライトアップされていたブレッド城、朝見るとまるで異なって見えます。
 早い時間なのに、熱気球を飛ばしていました。ちょうど、ブレッド城の上に来た時にパチリ。

場内のテラス。敵の攻撃に備えるための回廊があり、また今は民族博物館やワイナリーなどもあります。

なんといってもブレット城のすばらしさは、眼下に広がる絶景。ブレッド湖のエメラルドグリーンの湖面の色とブレッド島の聖母被昇天教会は、
たとえようもなく美しい。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記 スロべニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ 第2日」をご覧下さい。


クロアチア・スロべニア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅(1)・・・機内でクラシック音楽を聴く

2012-07-07 | クラシック音楽

今回、スロべニア・クロアチア・ヴォスニアヘルツェゴビナの旅をするにあたり、羽田からフランクフルトまでの出発便、
帰航便はともにルフトハンザのエアバス380。
席数はアッパーデッキ(二階)にファーストクラス8及びビジネスクラス98、メインデッキ(一階)にエコノミークラス420、
計526席の超大型機。そして、この日の出発便は満員。


11時間の飛行なので、音質が良いと評判のSONYウォークマンNW-866付属のイヤホーンと
エアプレーン・アダプターを持参しました。エアプレーン・アダプターは新宿の家電量販店Yで買い、
300円弱の値段でした。
元々、航空会社から配られるイヤホーンは粗悪品なので音が悪いと思っていましたが、
今回持参したイヤホーンで聞き比べてみると、想像以上に差は歴然としています。機内で音楽を聴く楽しみが
倍増しました。というよりは3倍増くらい!


ルフトハンザの航空機のエンジョイのメニューには音楽のコーナーがあり、いくつかの中、
私の選んだ一つは、「スリー・スターズ・イン・ベルリン ライブ・フロム・ワルビューヘン2011」
ワルビューヘンというとベルリン・フィルが年一回行うピクニック・コンサートが有名でNHKでも放映されますが、
これはちょっと異なり、オーケストラはエンリコ・マシアス指揮プラハ・フィルハーモニー管弦楽団。


今をときめくソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコとテノール歌手のアーウィン・ショルトとが、
共演してオペラの名曲を歌いました。

特に印象に残ったのはネトレプコが歌ったオペラ「蝶々夫人」から「ある晴れた日に」。
上の写真は「ある晴れた日」にを歌うネトレプコ。

もう一つはドニゼッティの名作オペラ「アンナ・ボレーナ」。こちらもアンナ・レトレプコが演じる
チューダー王朝の王妃アンナ・ボレーナ(実在した人物はアン・ブーリン)が、アンナの侍女ジョアンナ
を愛人にした王、エンリーコ8世に裏切られる悲劇の物語。
あらすじは知っていましたが、日本語の対訳は画面に出ないのでわかりにくかったことはありました。
しかし、2011年録画のウィーン国立歌劇場版で、音が良いのとネトレプコの熱演、当時の衣装や
簡素化された舞台もよく出来ているため3時間13分のオペラを見切ってしまいました。

上の写真はアンナ・ボレーナ役のネトレプコ。

他に、クラシックのCDコーナーには、ネトレプコの「アンナ・ネトレプコ ライブ MET」というCDもあって
11時間の飛行中は、結局「アンナ・ネトレプコ漬け」になり、長い時間を有効に過ごせました。
席はエコノミーでしたが、ビデオは小画面ながらハイビジョンで、音声も実はHiFiでした。
それなりのイヤホーンやヘッドフォンならば、クラシック音楽はもちろん、オペラ鑑賞もなんとか楽しめます。
エアバス380は超大型機ですが、国際線の航空機なら同じような音響装置でしょうから、海外に出かける時は、
今後は必ず品質の良いイヤホーンとエアプレーン・アダプターを持参することにします。

詳しくは、「めいすいの海外旅日記 スロべニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ 第1日」をご覧下さい。