ナルシソ・イエペス CDのタイトルから 彼は音域の広い10弦のギターを使用した。
ギター曲「禁じられた遊び」
NHKのテレビ番組「らららクラシック」で、ギターの名曲「禁じられた遊び」が「名も無き作曲家の名も無き名曲」(3月12日放送)として取り上げられました。
「禁じられた遊び」は、ギターを弾く人なら、誰もが弾けるようになりたいと思う曲です。
番組では、まず、この曲の作曲者は誰であるか。ということから始まりました。
映画「禁じられた遊び」のテーマ曲としてナルシソ・イエペスが演奏したということは、ほとんどの人が知っています。そして、一般的には、この曲は作者不詳の曲とされてきました。それは、おそらく映画が公開されてから「禁じられた遊び・・・ロマンス、ナルシソ・イエペス編曲 作者不詳」という楽譜が広く普及したことにも依るのでしょう。
しかし、実は1913年にアントニオ・ルビーラ(スペインのギタリスト)が「ギターのための練習曲(エチュード)」としての作曲したのが原曲なのだそうです。楽譜では3連符の形が違うものの曲の構造はほぼ同じで、同一の曲と考えてよいとのこと。さらに1931年にはダニエル・フォルテア(スペインのギタリスト)が作者不詳の「ロマンス」として演奏。1940年にはビセンテ・ゴメス(スペインのギタリスト)が作者不詳の「愛のロマンス」として演奏し、1941年にはアメリカ映画「血と砂」に使われています。
ですから、スペインの名だたる巨匠達によって受け継がれ、大切にされてきた名旋律だということになります。
それでも、この曲が世界的に広く知られるようになったのは映画「禁じられた遊び」の公開とナルシソ・イエペスの演奏であったのは間違いの無い事実です。
映画「禁じられた遊び」に取り組んだいたルネ・クレマン監督はテーマ曲をはじめはオーケストラ曲としたかったようですが、制作費がかさんだため、、ギター独奏曲にすることにしました。そして、当時のギター界の巨匠だったアンドレス・セゴビアに演奏を依頼しました。しかし、彼のギャラも高すぎて断念します。
そして、ルネ・クレマン監督から白羽の矢が立てられたのがナルシソ・イエペスでした。スペインの片田舎で生まれ、4才からギターをはじめ、しっかりとしたギターの音楽教育を受け、マドリードやスイスなど各地でオーケストラとの共演を重ねてはいました。しかし、まだ十分な活躍が出来ておらず、パリのカフェでの演奏を生活の糧にし、そこでの演奏で少しずつ名前が知られるようになっていたという状況でした。
ルネ・クレマン監督は、滞在先のパリのホテルに彼を呼んで、カフェで弾いているすべての曲を演奏して欲しいといったそうです。そしてロマンスが選ばれました。当時、彼はまだ24才でした。
つぎに、この曲の美しさの秘密はどこにあるのかとの解説がありました。
その一つが、楽譜に三連符で書かれているギター独特のアルペジオ(分散和音)である。 もう一つは、伴奏部は開放弦として演奏されていて伸びやかな音となっている。
とのことでした。しかし、このことは実際に音で聞いてみないと分かりませんね。
映画「禁じられた遊び」を見る
映画「禁じられた遊び」のポスター
この番組では、映画のシーンがいくつか放映されました。これまで、映画の予告編的なものをどこかで見た記憶があるのですが、全編を通して見たことはなく、いつか機会があったらばとずっと思っていました。映画は1952年の公開。
そこで、映画のDVDが通販で買えないだろうかと思って探してみたら、低廉な価格だったので購入しました。DVDはその日のうちに届きました。
(あらすじ・・・中途まで)
1940年6月、第二次世界大戦下の南仏の田舎。パリはドイツ軍の手に落ち、南へと逃れる多くの難民の群れがあった。そこに襲いかかるドイツ軍爆撃機。五歳の少女ポーレットは機銃掃射により一瞬にして両親を失い、愛犬もどこか撃たれのか痙攣していた。ポーレットは後ろから来た馬車に乗せられるが、乗っていた女が「死んでいる」と子犬を川に放り投げた。馬車から降り、川を流れる犬の死骸を追いかけるポーレット。彼女は犬を抱き上げたが、難民の列から離れ、のどかな田園の中をさまよっていた。この時、牛を追ってきた十歳の少年ミシェルと出会い彼の家に連れていってもらう。そして貧しい農家であるボア家の屋根裏部屋においてもらうことになる。
ポーレットはミシェルから死んだものは土に埋めるということを始めて知り、廃屋になった水車小屋の中に、大切にしていた小犬の亡骸をを埋め十字架を立てた。「子犬が寂しくないように仲間を探そう、そして十字架を立てよう」とポーレットはミシェルといっしょに、昆虫や小動物の墓を次々に造くっていった。そしてミシェルはポーレットを喜ばせようと教会や墓地などで十字架をこっそりと盗んでくるのだった・・・・・。
映画「禁じられた遊び」の1シーン。右、ポーレット 左、ミッシェル。ゴキブリを見つめる二人。この時の少女の叫びは戦争の無残さを伝え、胸を打つ。
この映画の素晴らしい点は二人の主人公、五才のポーレットと十才のミシェルの演技が自然で伸び伸びしていること。小さな子どもが、よくここまでと感心してしまいます。ルネ・クレマン監督やスタッフの演技指導がいかに素晴らしかったかということになると思います。
また、二人の人物設定も素晴らしい。
ポーレットの両親は自家用車で南に逃れてくる。1940年といえば、たとえフランスであっても自家用車を持ってる人は希であったろう。この家庭がいかに裕福であることが分かる。連れて行かれた家でもミシェルの姉がポーレットの着ている服の生地を見て「こんな素材が欲しい」と言ったり、ミッシェルが良い香りがしてくると言ったりする。また、ハエが入った飲み物を「汚いから飲まない」と言い、それを取り除いても、やはり飲まない。のどが渇いたというのでミッシェルが「リンゴがあるから食べなさい」というと「カフェ・オレが欲しい」と言ったりする。容貌と言葉の端はしから、田舎暮らしのミシェルにはパリから来た天使のような少女と思えたことでしょう。
一方、ミシェルは村の司祭が「祈りの言葉だったらミシェルに習いなさい。あの子は教義に詳しい」とポーレットに言うほど、賢い少年である。家庭内でもことあるごとに、ミシェルが祈りを捧げる場面が出てくる。親から勉強しろと言われ「一切れの子牛の肉が140フランなら・・・150グラムなら、いくらになるか」などといっている姿も微笑ましい。ポーレットはミシェルに絶大な信頼を置くようになっていく。
しかし、二人の幸せな時間は長くは続きません。あまりにも劇的なラストシーンが待っていました。真っ暗な画面にFINの文字が浮かび上がった時、あまりの悲惨さに、私は思わず涙を流さずにはいられませんでした。
また、随所に効果的なテーマ曲「禁じられた遊び」が流れました。この映画に使われた音楽はナルシソ・イエペスの演奏するギター1本だけでした。
(追記)
1. ポーレットは、その後どうなったのだろうかと思いたくなりますが、映画はフィクションなので知るよしはありません。しかしポーレットを演じたブリジット・フォッセイは、その後、映画スターになり活躍しました。現在69才で私と同じ年齢、生存しています。
2. ルネ・クレマン(1913-1996)監督の映画では他に「太陽がいっぱい」が有名です。
この映画に主演したアラン・ドロンは美男子俳優として世界的な大スターとなりました。同時にニーロ・ロータが作曲したテーマ曲も大ヒットしました。