めいすいの写真日記

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第90回箱根駅伝(2014年) 往路は東洋大学、設楽兄弟が共に区間賞

2014-01-02 | スポーツ

 今年の箱根駅伝が8時スタート。歴史と伝統の人気スポーツは、年を追うごとにヒートアップし、さらに大きな注目を浴びるレースとなっている。
  今年はどこのチームが栄冠を手にするのか。どんなドラマが待っているのか。
  優勝候補は駒大、東洋大、日体大というところ。
  東洋大の設楽兄弟、早大の大迫選手、日体大の服部選手など、各校のエースは期待通りの活躍をするだろうか。
 特に山登り5区、最近はここでの成績が勝負を決することが多くなっているという。注目の服部翔大選手、設楽啓太選手の
走りはどうなるだろうか?1区は区間新のペースでレースは進んでいる。(8時25分) 

 今回のレースもなかなか楽しめました。早大の1区大迫選手が期待通りの走りが出来ませんでしたが、2区の高田選手が区間賞を取り
まずまずの結果。また、日体大は前半に離されて、5区の服部選手に好位置でつなげませんでした。やはり予想とは違ったことも起きます。

 そして、東洋大が設楽兄弟の活躍で往路優勝。しかし、5区設楽啓太選手が区間賞で走りましたが、駒大の馬場選手が頑張り59
秒差で明日の総合優勝の可能性を残しました。
 残念だったのは山梨大2区のオムワンパ選手が疲労骨折で途中棄権したこと。途中まで良いペースで走っていたので本人も悔しい思いを
したでしょう。 (14時45分)


東京マラソン2012

2012-02-26 | スポーツ

今日は、東京マラソン2012が行われるというので、見物がてら、写真を撮りに行きました。
マラソンのスタートは都庁前を9時10分ですから、他のマラソンに比べて早い。
まずは私の家からは、電車で1本の飯田橋駅へ。

5Km地点付近の飯田橋を走る第2集団。右側ゼッケン13番が2位になった藤原新選手。

その後、地下鉄有楽町線で飯田橋から有楽町まで移動し、日比谷交差点付近で選手を待ちました。
中間点やや手前、日比谷交差点を走る先頭集団。中央緑色のユニフォームが優勝したマイケル・キピエゴ(28、ケニア)選手。

優勝記録は2時間7分37秒でした。2位の藤原新選手は2時間7分48秒の好記録(日本歴代7位)。

同じく日比谷交差点付近を走る第2集団。中央赤いランニングの川内選手(埼玉県庁)、右端に藤原新選手の顔も見えます。
川内選手に頑張ってもらいたかったのですが、今回は残念でした。給水の失敗が影響?

それにしても3万5千5百人のマラソンランナーの数は多いです。一般市民ランナーはどこまでも、どこまでも続くといった感じです。
日比谷交差点にて、後ろの緑の斜面は皇居。


第88回箱根駅伝(2012年) 東洋大、往路優勝 5区、柏原区間新

2012-01-02 | スポーツ

 第88回箱根駅伝(2012年)が大手町・旧読売新聞社前を午前8時に全20チームが揃ってスタートした。
 今年は、優勝候補が駒澤大、東洋大、そして早稲田となっているが、果たして結果は?
 年々、各校の実力は接近し、昨年シード争いは、何校もがほとんど差が無く、シード落ちはその差3秒。
 今年も激戦の面白いレースが見られるのを期待したい。これまで一生懸命練習してきたどの選手も実力を発揮し、
ブレーキなどないように祈りたい。
 特に、5区箱根山登り、「山の神」柏原選手が区間新で走ってくれることを期待している。

 1区、早稲田大のエース大迫は改心の走りで2位以下に1分以上の大きな差を開くことが出来るのだろうか。
 1区結果 ・・・ 1位早稲田大、3位駒澤大(24秒差)、4位東洋大(31秒差)

 2区 東洋大の設楽(右)、早稲田大をとらえて首位に立つ。
 2区結果 1位東洋大、2位早稲田大(12秒差)、5位駒澤大(54秒差)

  3区結果 1位東洋大、2位早稲田大(1分3秒差)、6位駒澤大(1分43秒差)

  4区結果 1位東洋大、2位早稲田大(1分54秒差)、4位駒澤大(2分27秒差) 東洋大1位で柏原にタスキ

5区柏原が区間新の快走で、東洋大が往路優勝、しかも往路新記録!!
5区結果 1位東洋大、2位早稲田大(5分7秒差)、3位明治大(5分21秒差)、4位駒澤大学(6分44秒差)

 今日のレースは東洋大の快勝という結果になった。東洋大は練習場所が埼玉、出身高校も何人かが埼玉、という
こともあり、私の住まいが埼玉のため応援していた。テレビ放映を楽しんでみることが出来た。


なでしこジャパン ・・・ 聖地フランクフルト、競技場と新聞

2011-07-20 | スポーツ

私と女房は、10日から19日まで、北欧(フィンランド、スウェーデン、ノルウェィ、デンマーク)の旅に出ていました。

なでしこジャパンのワールドカップの試合、準決勝のスウェーデン戦オスロで、決勝のアメリカ戦コペンハーゲンで迎えました。
事前情報では、ホテルのテレビで放映する予定(ドイツとの時差はない)でしたが、
実際には見ることが出来ず、インターネットのリアルタイム速報で、試合の状況を知るしかありませんでした。
しかし、ネットでもかなりの情報を知ることが出来、旅の仲間とともに喜び合うことがが出来ました。
17日午後11時過ぎに優勝が決まり、祝杯を挙げて眠りにつきました。

翌18日は、ホテルのロビーでホテル従業員の「なでしこジャパン優勝おめでとう!アメリカを倒してくれてありがとう」と祝福を受け出発しました。
午前中は観光地巡りをした後、コペンハーゲンから15時45分に成田に向けて直行便で帰る予定でした。

しかし、コペンハーゲンの空港に着いて目にしたのは帰る予定のスカンジナビア・エアラインズSAS 0983便(コペンハーゲン~成田)は機体故障のため欠航
帰国は一日延期の19日となり、SASの用意したホテル泊まりとなりました。

航路はコペンハーゲン~フランクフルトSAS639 便フランクフルトを経由し、それからフランクフルト~成田のルフトハンザのLH710 便で帰国することになりました。

コペンハーゲンからフランクフルトへのSAS639 便は運良く窓際のF席に座りました。

小さな丸窓から外を眺めていたら、フランクフルト空港へ着陸態勢に入った時、まずフランクフルトの中心部が見えました。
そして次に、白っぽい大きな建築物が目に入ったので、写真に撮ることにしました。
後でルフトハンザの乗務員に聞いたら、それが、わずか1日半前になでしこジャパンがアメリカと決勝で死闘を演じたフランクフルトのサッカー競技場だったのです。

宮間選手と沢選手が同点に追いつくゴールを決め、GK梅堀選手がアメリカのPKを2つ止め、まさに「なでしこジャパンの聖地」となったサッカー競技場 ・・・。
地鳴りのような歓声が響いたと言います。

そして、フランクフルト空港のLH710 便 の待合コーナーには19日朝のドイツ語の新聞がたくさん置かれていました。
これは、その一つ地元紙の「FRANKFURTER ALLGEMEINE」スポーツ欄。
なでしこジャパンチームの勝利の喜び溢れる表情と熊谷選手の優勝を決めたPKの写真、
肩を落とすアメリカのエース、ワンバック選手の写真と記事が全面に載せてありました。
ドイツ語で書かれているので、ほとんど内容が理解出来ないのが残念ですが・・・。

そして、このLH710便、世界一大きい二階建ての旅客用ジェット A320-80は、前日になでしこイレブンが日本に乗って帰った便だったのです。

機体の故障で欠航になり、経由地が増え、一日遅れての帰国になってしまいました。
しかし、なでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝の余韻が残る” 聖地 ”となったフランクフルトへの神のお導きによる巡礼になった一日でした。

一枚目はPENTAX K7 +smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6ED ALでで撮影


アジアカップ・・・日本サッカーチーム優勝

2011-01-30 | スポーツ

日本サッカーチームがカタール・ドーハで行われたアジアカップに優勝しました。厳しい戦いの連続であったけれども粘り強くプレイし栄冠を獲得しました。素晴らしいの一語に尽きます。優勝おめでとう。!! 日本選手の活躍ぶりで、サッカー観戦を本当に楽しませてもらいました。写真はオーストラリア戦で決勝ゴールを決める李忠成選手。

私は、序盤のリーグ戦の第3試合のサウジアラビア戦からテレビで見始めました。戦前の予想では優勝候補の一角にあげられていたサウジアラビア。ただ、この時は決勝リーグに出ることができなくなっていたサウジは、日本に前半に得点されてると戦意喪失したようにも見え、岡崎選手のハットトリックなどもあり、日本の華麗なサッカーが冴え渡って5-0で完勝しました。このときは、テクニック面の素晴らしさが目立ちました。

決勝トーナメント準々決勝はカタール戦、後半バックスのレッドカードで、一名少なくなった直後に得点され1-2となりました。開催国であるカタール戦は完全アウェイ。分が悪くなったと思いました。しかし、香川選手などの活躍により、逆転勝利しました。まさに、不屈の精神力で勝ちました。この時の日本チームはメンタル面で本当に強くなったと思いました。

準決勝は韓国戦。休みが一日少ない韓国は疲労が日本より蓄積しているのではないかと思っていました。前半はその通り、日本の素早いパス回しで韓国を圧倒、しかし、不運なPKにより失点。しかし、韓国バックスを崩して本田→長友→前田とつなぎ見事な得点としました。後半は徐々に盛り返す韓国。延長戦で、今度は日本が幸運なPKで逆転。しかし、韓国の信じられないフィジカル面の強さで延長後半は猛攻を受けてついに、終了間際に同点にされてしまいます。けれどもPK戦はGK川島の好セーブで韓国のシュートは、3回とも入らず3-0で勝ちました。やはり、韓国とは、何時やってもギリギリの試合になると思いました。

決勝はオーストラリア戦。FIFAランクのアジアカップ出場国の唯一上位のチーム。身長も平均で4cmも高く、その実力を発揮し、前半からパワープレイを仕掛けてきました。しかし、危ない場面もありましたが、GK川島のファインセーブの連発などで相手チームの得点をよく防ぎました。そして最後長友→李と、見事なセンタリングに、これまた見事なボレーシュートで決勝点となりました。オーストラリアチームの選手はやや高齢化していたこともあり、延長戦になると日本チームもフィジカル面で負けない状況になり、李選手のシュートにつながったと思います。写真はノーマークでシュートを放つ、李選手。

サウジ戦を除き、どの試合もかなりの苦戦、接戦でしたが、勝利を予感させる雰囲気が日本チームにはありました。決定力不足といわれ続けたてきましたが、日本チームには戦力的にも力不足と感じさせない攻撃力ができてきたと思います。また、多くの若い選手の台頭も楽しみです。ブラジル・ワールドカップに向け期待を抱かせてくれる日本チームの勝利でした。

ザッケローニ新監督は就任後8試合負けなしですが、選手起用も上手ですし、何よりインタビューで的を外さない発言は好感が持てます。さすがセリエAで何回も優勝チームを率いてきた経験が生きているようです。日本チームは有能な監督を持ったといえるでしょう。

日本チームは、テクニック、メンタル、フィジカル (やや高さで劣る面がありますが・・・) の三拍子揃ったサッカーに磨きをかけて、さらに強くなってもらいたいと思います。

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第87回箱根駅伝(2011年)。5区東洋大柏原、早稲田を捉えて1位

2011-01-02 | スポーツ

今年、平成23年の箱根駅伝が8時にスタートしました。箱根駅伝は新年のテレビ番組の中でも特に魅力のある番組。新年のスタートにふさわしい気持ちにもなります。さあ、どんなドラマが待ち受けているのでしょうか。楽しみです。 (午前8時10分記)

5 区、東洋大柏原 2分54秒差でトップだった早稲田大の猪俣を捉える。さすが箱根の山登りの柏原。(午後1時20分記)


興南 春夏連覇 強かった ! ! ・・・ 第92回全国高校野球選手権大会

2010-08-22 | スポーツ

                    島袋投手、最後のバッターを三振に打ち取り試合終了

 今年の夏の高校野球は、私の住んでいる埼玉県の代表校の本庄第一が、早々と負けてしまったので
半分興味を無くしてしまいました。
 本庄第一高校が負けた試合を見られなかったので、勝った相手の明徳義塾を見ようとしたその相手が興南高校でした。
 私は春の選抜は全く見ていないので、興南高校が優勝したことは知りませんでした。
 
 その試合をみて、島袋投手のピッチングが小気味よく、140キロ半ばの速球を外角低めに投げ込み三振をとる姿に、
すっかり魅力を感じてしまいました。一方、打線は強力で、「このチームは本当に強い」と思いました。

 その後、興南高校の試合は出来るだけ見ることにしましたが、三回戦の仙台育英高校戦、準々決勝 聖光学院戦、
準決勝 報徳学園戦 共に見事な戦いぶりでした。

 島袋投手は、ヒットを打たれても連打されない、相手チームに得点圏にランナーがいる時も最小限の失点に
抑えるところが見事でした。また前半に打ち込まれても後半にピッチングの組み立てを替えて、立て直すこと
の出来るクレバーな投手だったと思います。1m73、65kgと小柄ながら甲子園通算の奪三振が歴代二位というのも凄い。

 特に、報徳学園戦は5-0となった時には、「さすがの興南もこれで終わりか」と思いましたが、
逆転し6-5で勝った時には、逆境にも強さを見せることの出来る精神力の強い、
「受けて立つ」こともできるチームと感心しました。

 決勝戦は春夏連覇に向けて、集中力を高めて、打線が爆発、島袋投手も力まず淡々と投げ終え、
春夏連覇が出来た「王者」のチームらしい試合ぶりでした。

 私は、沖縄の歴史を思う時、個人的には沖縄のチームに今回は優勝させてあげたいという気持ちを持っていました。
 この期待に応えての堂々の優勝、興南高校おめでとう ! !

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無念!でも良くやったジャパンイレブン!・・・ワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント第1戦

2010-06-30 | スポーツ

   延長戦の前、日本チームはスタッフ、控え選手も含め、ピッチ上で円陣を組み、必勝を誓ったが・・・。

 ワールドカップ南アフリカ大会、日本はパラグァイと戦い、延長戦でも0-0のまま決着が付かず、PK戦の末敗れました。
 残念ながら、ベスト8の夢は消えました。しかし、その戦いぶりは見事で、私たちに感動を与えてくれました。
 特にワールドカップ出場チームの中でもチームワークが良かったのが、素晴らしかったと思います。

 良くやった日本チーム! 胸を張って日本に帰ってきて下さい。

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凄い!見事だ!ジャパンイレブン!・・・ ワールドカップ南アフリカ大会1次リーグ第3戦

2010-06-25 | スポーツ

                   本田選手 (右端)、37mのフリーキックを決め先取点 

 ワールドカップ南アフリカ大会、一次リーグ第3戦は見事な勝ち方で日本がついに決勝トーナメント進出を決めました。

 その勝ち方は、世界を驚かせる勝ち方だったと思います。
 1次リーグでこんなに見事なフリーキックを2本も決めたチームは日本だけです。
  (追記 ワールドカップでは1試合に2つのフリーキックが決まったのは44年ぶりとのことです)
 また、3点目は、相手をあざ笑うかのような岡崎選手の余裕のシュート。その本田選手のアシストぶりは、
彼の持つ才能が世界一流だと見せつけました。

 この勝利で、日本サッカーに明るい未来が見えてきました。日本の組織プレイはフィジカル面を補うことが出来る
ということを世界に見せたことは素晴らしいことでした。

 次のパラグァイ戦も全力を尽くして戦ってほしい。頑張れ日本!行けるぞ日本!

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惜しい!良くやったジャパンイレブン!・・・ワールドカップ南ア大会1次リーグ第2戦

2010-06-19 | スポーツ

           後半44分。FW岡崎のボレーシュート惜しくも外れる。

 ワールドカップ南アフリカ大会、日本のオランダとの1次リーグ第2戦。
 1-0で敗れはしたけれど優勝候補に良く善戦したと思います。
 シュート数がオランダを上回ったのは素晴らしいし、立派な戦いぶりでした。
 スナイデルにシュートを1本決められたけれど、闘莉王、中沢、阿部を中心とする守備も組織的で十分に対応できていました。
 攻撃のスタイルも出来てきているので、次のデンマーク戦はぜひ勝って決勝トーナメントに進出してほしい。

 頑張れ!日本、行けるぞ!日本。

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勝った!ヤッタぜ!おめでとうジャパンイレブン!・・・ ワールドカップ南ア大会初戦勝利

2010-06-15 | スポーツ

                本田選手のシュートが決まり 日本先制ゴール!

 ワールドカップ南アフリカ大会。日本はワールド・ランキング格上のカメルーンに堂々と勝った。嬉しい!
 おめでとうジャパンイレブン!
 日本は個々の運動能力に勝るカメルーンの選手に動き負けせず、貴重な先取点を奪い、よく守った。

 これは、高地対策、カメルーンの選手対策など事前準備が十分に出来ていたことが大きな要因だと思う。
 カメルーンの選手に予想された躍動感がなかったのは高地対策が十分でなかったのではないか。
 また、バルセロナやインテルで大活躍をしてきたアフリカの最優秀選手FWエトーを封じ込めたのも作戦が
上手くいったからだと思う。組織的な対応が良かったし、長友選手もよく頑張った。
 とかく問題視された岡田監督の選手起用も、本田選手が見事なシュートが決めたことにより、
選手を見る目が正しかったことになる。
 それにしても、シュートを落ち着いて決めた本田選手は期待通りで本当に素晴らしい。
  
 ワールドカップ本番で勝てば何よりそれが一番だ。これは日本サッカー界の総合力の勝利でもある。
 次の試合以降も、さらに頑張ってほしい。

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モハメド・アリ ・・・ 空前絶後の最強ボクサー

2010-05-17 | スポーツ


 つけ麺の店「つけめん番長 銀」というお店に入ったら、モハメド・アリの写真がカウンター正面の上部に、
そしてポスターが店の奥に飾られていました。
 この店の主人がモハメド・アリが好きで、彼のように最強の店にしたいという願いが込められているのかもしれません。
 私はこの写真とポスターを見て、再びモハメド・アリの魅力的なボクシングを思い出すことになりました。

 でも、元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ ( カシアス・クレイ ) の全盛期のボクシングが一体どのようなものであったか
ということを知る人は、20代、30代の人では、ほどんどいないのではないでしょうか。



Float like a butterfly , Sting like a bee 」 (蝶のように舞い、蜂のように刺す) と形容される彼の美しいボクシング。
 手をだらりと下げ、ウィービング・ダッキングで相手のパンチをよけ、華麗なフットワークでパンチを繰り出すスタイルは
とてもヘビー級ボクサーとは思えぬスピードと優れた運動神経を持つ人のものでした。




 でも、いくら言葉を尽くしても彼のボクシングの素晴らしさを伝えることは出来ません。しかし、幸いなことに今は、Yutube で、
その面影は偲ぶことが出来ます。ハイビジョンテレビの実況中継が見れたなら最高なのだろうけれど。
 この動画、初めての世界ヘビー級タイトルの防衛戦であるソニー・リストンとの第二戦 ( 1965 )、アリのパンチが速すぎて、
何故リストンが倒れたのか分からないほどです。

 ただ、残念なことにアリはベトナム戦争に反対するなど良心的徴兵拒否をしたため、世界チャンピオンのタイトルを剥奪され、服役 (その後無罪)、
3年7ヶ月後カムバックしたのですが、往年のフットワークが見られなくなってしまったのはとても残念なことでした。




 こちらの動画は世界チャンピオンのジョージ・フォアマン戦 ( 1974 ) 、アリの足は止まり、ロープを背にし、コーナーに追い詰められ、
史上最高のハードパンチャーともいわれたフォアマンの猛攻を腕でブロックして耐えしのぎ、打ち疲れたフォアマンを
最後に逆転KOする壮絶な試合です。
 ただ、晩年の試合はこのようにハードパンチを受けすぎたため、引退後パーキンソン病にかかってしまったともいわれています。

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2016年オリンピックを東京に!

2008-12-14 | スポーツ
 12月12日(金)に「東京オリンピック・パラリンピック招致サポーター大集合!」という催しが開かれました。私は知人から聞き、WEB上から入場券を取得して参加しました。
 会場の「国立代々木第一体育館」は、1964年に東京オリンピックが開催された時の水泳会場です。今回は一階がアリーナになり、大きな会場となりました。入場者は1万人。熱気にあふれていました。



 8年後のオリンピック、次回のロンドン大会に続いて行われる大会の候補地は、今年6月、立候補都市として「東京、シカゴ(アメリカ)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード」の4都市が選定されました。そして、来年10月にはこの中から開催都市が決定することになっています。

 東京は選定の時には得点は一位で通過しました。評価点が低かったのは都民や国民の熱意が低いという一点だけでした。

 この催しでは、「招致運動」をさらに盛り上げるため、北島康介選手が登場し、東京オリンビック・バラリンビック招致応援党の党首ということになりました。北島選手は、テレビでなく近くで見ると、オーラを感じるのが不思議でした。写真は党首となった北島選手が石原都知事と握手しているところ


 他にも多くのアスリートが登場しましたが口々に「オリンピックをもう一度東京で開き、次の世代にトップアスリートの競技する姿を見せたい」といっていたことです。

 私が高校生3年の時に「東京オリンピック」がありました。この時「ボクシング」と「サッカー」を会場で実際に見ました。

 ボクシングは準決勝を見ました。ボクシングは、後にも先にもこの時しか実際に見たことはありません。
 まず感じたのは、「会場、リンク、選手のトランクスといったものがとても美しい」ことでした。その反面、パンチが本当にあたったときには凄い音がするということが驚きでした。

 日本の選手ではバンタム級に桜井孝雄選手が登場、堅実なアウトボクシングを展開し勝ちました。その後、決勝でも勝って金メダルを獲得しています。さすが地元ということもあって声援はたいへんなものでした。
 
 強い印象に残っているのは、ヘビー級でした。準決勝というものものの、おそらく、これが事実上の決勝戦であったと思います。ジョー・フレージャー選手(アメリカ)とロシアの選手の戦いでした。ロシアの選手は身体が大きく、ヘビー級としては小柄なジョー・フレージャー選手は1R、2Rと攻め込まれ敗色濃厚でした。しかし、3Rになり決定的なパンチがヒットしました。この時でした、静まりかえっていた会場にいた多くのアメリカ人が・・・こんなにいたのかと驚きました・・・ 一斉に立ち上がり拳を振り上げて強烈な声援を始めたのです。当時、アメリカとソ連は冷戦の時代、それを映し出すかのような凄まじいばかりの光景でした。ジョン・フレージャー選手はKO勝ちをしました。そして、金メダルも獲得しています。さらにプロ入りし、世界ヘビー級のチャンピオンにもなりました。

 サッカーは聖火の燃える国立競技場で決勝を見ました。中央ヨーロッパの隣国同士のハンガリーとチェコスロバキアとの試合でした。
 当時は、日本ではサッカーは人気がありませんでした。チケットは母親が譲り受けて私一人で見に行きました。今だったら、なかなか手に入らないでしょう。
 当時、サッカーは体育の時間にはプレイしていたとはいうものの、現在のようには詳しくは知らず、試合のことは良く覚えていませんが、センターライン付近から強烈なシュートを放った選手がいて、今でも強い印象に残っています。この試合はハンガリーが勝ち優勝しました。

 もう一つ、「マラソン」で三位に入った円谷幸吉選手が思い出として残っています。私は、高校時代は陸上競技部員で、夏の霧ヶ峰の合宿に行ったとき、まだ無名だった円谷幸吉選手はアジア大会には出られず、同じく霧ヶ峰にある日本陸連の合宿所で一人練習をしていました。私たち三人の長距離部員が、クロスカントリーコースで何周も回っていた円谷選手と一緒に、一周走らせてもらってもいいですかと円谷選手のコーチに聴いたところOKということでした。そこで、一緒に走らせてもらいました。一周1kmほどのコースでしたが、走り出し途端に、もうついて行くことが出来なかったことを覚えています。

 円谷選手は、オリンピックの時は大歓声の中、国立競技場には二位で入ってきました。しかし、イギリスの選手に残念ながら、抜かれてしまいました。円谷選手は、あとで「追われているのに気がつかなかった」と話していました。この時の優勝はアベベ選手でした。

 以上が、私の「1964年の東京オリンピック」の思い出ではありますが、「やっぱり、オリンビックに出場するトップアスリートは素晴らしいということです。そうした人々を、次世代の人達のためにも、ぜひ東京に呼びたい」と思います。

 
 「アトラクション」では、ポスターでも少し見られるように、STAS(元松竹歌劇団)のラインダンス、市川右近・左近さんの歌舞伎の「連獅子」が行われました。連獅子はきらびやかでした。獅子が私のすぐ真横の通路を走るのをみて歌舞伎の迫力を身を持って体験出来ました。



 また、東京女子体育大学の新体操部の演技もありました。



 最後を締めたのは「鬼太鼓座(おんでこざ)」。尺八との合奏「アメージング・グレース」が素晴らしい演奏でした。
 オリンピックは、こうした日本の素晴らしい伝統文化を世界に伝えていくことにも良い機会であると思います。
 

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トルコへの旅立ちとサッカーの話

2008-07-09 | スポーツ


 今日、午後0時30分に成田を発ち、トルコに8日間のツァーに旅立つ。

 実は、6年前になるが、2002年のほぼ同じ時期に女房とトルコに旅に行くことになっていた。しかし、仕事の都合でどうしても行けなくなってしまい、当時、大学生だった息子が代わりに行くことになった。息子は大喜びで出かけていった。

 その息子の話が印象深かった。ちょうど、その時は2002年日韓ワールドカップが行われていた。
 日本はベスト16の戦いで、0-1でトルコに敗れた。
 トルコは勝ち進み、準決勝ではブラジルに0-1で負けたが、3位決定戦で韓国に3-2で勝った。そして、その参加ツァーがトルコに着いた同じ日にトルコチームも帰国したこともあり、トルコ国内は「世界第三位の快挙」とサッカーで大いに盛り上がっていたという。

 息子はサッカー好きで、旅の間、5~6着のサッカーのユニフォームを持参して、着替えていたらしい。トルコのチームの「ガラタサライ」のユニフォームもその時、買ったという。
 特にイタリアの人気チームであるインテル・ミラノの(当時)ロベルト・バッジョ選手のユニフォームを着ていたら、トルコ国内なのに「バッジョ」と声をかけられたそうである。
 また、日本人と分かると皆ニヤリとして「日本人には悪いことをした」と良く握手を求められたらしい。サッカー熱はトルコの方が遙かに高かったようだ。

 イスタンブールの観光名所、ブルーモスクの前では、英語が得意ということもあり、20人ほどの日本人観光ツァーの代表として、トルコテレビのインタビューを受け、「トルコチームをどう思ったか」とか、「イルファン選手をどう思うか」と聞かれ「素晴らしいチーム、素晴らしい選手」などと答えたという。
 実際に、テレビで放映されたかどうかは確認出来なかったようだが、おそらく放映されたのではないか。
息子は多少なりともトルコとの国際親善に役だったと思う。
 そんなことで、行けなくて、とても残念だった私は、もともと行けない運命だったのかも知れないと思うしかなかった。

 やっと機会が出来、気分一新して、トルコに行くことが出来るのは喜びだ。
 しかし、帰ってきても「めいすいの海外旅日記」トルコ編を書くため、しばらくは、このブログはお休みである。