マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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名張市鵜山のナリバナ

2013年04月25日 06時50分36秒 | もっと遠くへ(三重編)
三重県で有名なオコナイに伊賀市島ケ原の観音堤寺正月堂の修正会(県指定文化財)がある。

同県の西方、名張市の地に鵜山がある。

鵜山の名称がある地は奈良県山添村にもある。

両県に跨る同名地の鵜山は明治のころ(と思われる)に行政区割りされ奈良県と三重県側に二つが存在することになった。

山添村大塩の住民K氏は奈良県側を西鵜山、三重県側を東鵜山と呼んでいる。

三重県側から言えば山添村の鵜山は大和鵜山と呼ぶ東大寺の所領地である。

西鵜山から峠を越えたすぐ近くに福龍寺がある。

真言宗醍醐派の福龍寺は伊賀四国八十八カ所の第51番札所である。

本尊十一面観音立相像は古くから妊婦尊敬として親しまれてきた子安観音だ。

この日は正月初めに行われる修正会。

いわゆる村行事のオコナイである。

早朝に村の人が持ち寄ったクロモジの木には玉子、或いは大きな繭のような形のモチを付けている。

その数は1本につき100個以上もある。

まるで白い花を咲かせたようにみえる。

鵜山の村は18戸。

それぞれの家が持ってくる「ナリバナ」である。

話によれば1本につき1升のモチを付けているという。

搗きたてのモチは柔らかい。

千切って丸くするモチをクロモジの木にくっつけていく。

ナリバナのモチは新芽がつくという意味がある。

豊作、多産の願いがナリバナに込められているのだろう。

一週間前に山添村広瀬の住民T婦人が話した「ナリバナがあって、食べたらすぐに身ごもった」というありがたいナリバナ。

婦人の出里が名張の鵜山。

子安観音にナリバナを捧げて願いが叶ったというわけだ。

ナリバナを持ちこむ時間はさまざま。

村人の都合次第であるから揃って来るわけではない。



ナリバナを受け付けるのは区長以下寺手伝いの人たちだ。



ナリバナを受け取ればお返しに数個のモチを付けた小さなナリバナを渡す。

一方、公民館には数本のナリバナが欄間から吊るされていた。



垂れさがるナリバナは一面に花が咲いたように見える。

村からは2本の提供があるナリバナである。

子供が生まれた家も2本のナリバナを捧げる。

圧巻な景観にしばし見惚れる。

かつては頭屋家へ捧げるナリバナであったが現在は公民館。

平成元年の頃は頭屋の家で行われていた記録がある。

公民館が新しくなって場を替えたそうだ。

寺や神社の行事、なにかにつけての寄り合いはここでするようになったと話す。

区長と頭屋、それぞれが2本ずつナリバナを持ってきた。

頭屋となるのは男の子が生まれた家。

実に久しぶりだと話す。

福龍寺本堂にはナリバナ以外に飾りつけを待つオコナイの品々が数品ある。



一つはフシの木を削った「ケズリカケ」だ。

3月に行われる東大寺二月堂で行われる修二会のケズリカケ(お水取りの神事の際にお松明の着け木に用いられる)によく似ているが削りは荒い。

フシの実は青い色になるそうだ。

十津川村の山の神にも供えられるケズリカケがあるそうだ。

もう一つは「サラエ(若しくはサライ)」である。



竹の先を6本に割いて直角90度に曲げたサラエに交互に取り付けた紅白の花。

ケズリカケと同じフシの木を使っている。

「ハナ」の別称があるサラエは曲げが戻らないようにマメフジの蔓で縛っている。

奈良市都祁針の観音寺で行われるオコナイの「ハナ(華)」と同じような形であるが針では7本割きだ。

針では曲げの部分を火で炙って曲げていたが、鵜山ではそうすることなく難なく曲げると製作者のS組長が話す。

奈良市都祁上深川の元薬寺で行われる初祈祷がある。

ここでもハナ(華)があるが、竹割りは三方である。

上深川においてもナリバナがある。

大当家が作って奉納するクロモジのナリバナ(モチバナとも呼ぶ)も見事な大きさだったことを覚えている。

それはともかく持ち寄ったナリバナを挿す台がある。

藁俵を丸く敷いた上に竹で編んだ籠を逆さにした台である。

台が倒れないように籠の中には枯れ葉を詰め込んで重たくする。

これをシンドカゴと呼ぶ。

本来は三段にする藁俵。

この年は一段であった。

ナリバナ台に挿す飾りものがある。



竹に挿したクリ、コウジミカン、サトイモ、輪切りダイコンは山の幸だそうだ。

押しモチもある山の幸は閏の年は13本。

合計で26本になるようだ。

ナリバナ台の中央に挿すのは葉付きの笹竹。

力竹とも呼ぶ男竹と若い竹のメダケ(女竹)だ。

その男竹の頂点にケズリカケを挿す。



葉がある細かい女竹の枝には「スズメ」の名称がある小さな三角形の木に色紙で作った造りものも挿す。

「スズメ」は赤、緑それぞれ6個の合計で12個。

一年の月の数のスズメは閏の年では13個になる。

実った稲穂に群がるスズメは豊作を表していると考えられるのである。

シンドカゴ、サラエ、ケズリカケ、スズメ、山の幸は1対。

本尊脇の内陣両側へ左右1対に設える。

シンドカゴには御供と呼ばれるクシガキ、ヒシモチ、2段重ねモチ、クリ、コウジミカン、トコロも供える。



正月の「オガミゼン(拝膳)」の内容と同じだそうだ。

オコナイに奉られる飾りものの造物はそれだけでなく「チバイ」と呼ぶものもある。



フシの木片の四方に「ソミ」「ノシ」「ソン」「ナリ」の文字がある。

コヨリ捩じりの青、赤色紙を付けて鮮やかな「チバイ」は護符を括りつけている。

それには「ソミノシソンナリ」の文字が羅列してある。

供えた家族の人数分だという「チバイ」は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫成りという鵜山の住民たち。

この「チバイ」はオコナイ行事を終えてから受け取るのではあるが、受け取るのは6歳までの子供と決まっている。

この年は生まれた頭屋家と6歳の子供がいる2軒。

少なくなったと話す。

ちなみに鵜山でいう「スズメ」は島ケ原で「ツバメ」と呼んでいる。

島ケ原では「ソミノシソンナリ」の在り方は廃絶されただけに鵜山のオコナイはとても貴重である。

「チバイ」を本堂の柱に括りつけて午後の時間を待つ。

オコナイの準備作業をしていたのは区長と4組の組長夫婦と頭屋家とその親戚になる家人。

区長は1年任期であるが組長は2年任期だそうだ。

鵜山は18戸の集落だけに廻りが早いという。

かつては37戸もあった鵜山も徐々に減って18戸。

隣村の奈良県側の鵜山も18戸と聞く。

行事を勤めるのはたいへんだと話す。

(H25. 1.13 EOS40D撮影)

三重県鵜山ナリバナの風習

2013年04月13日 08時03分01秒 | もっと遠くへ(三重編)
奈良県山添村の鵜山からそれほど遠くない三重県の鵜山にある福龍寺。

今年は13日の朝8時ころから集落の婦人たちが木にモチをつけた「ナリバナ」を持ってくると聞いてやってきた。

18戸すべてがそうであるのか判らないがお寺の本堂に供えたナリバナは壮観だと婦人は云う。

14時ころに営まれる法要を終えれば我が家が持ってきたナリバナでなく他の人が供えたナリバナを持ち帰って焼いて食べる。

そうすれば安産或いは子供ができると伝わる。

山添村広瀬の住民婦人の出里が三重県の鵜山だ。

そのモチを焼いて食べたらあっという間に身ごもったと話す。

そんな話を聞いて立ち寄ったのである。

お寺を拝見していたときだ。

ウォーキングをされていた村の婦人にその話をしてみた。

「すっごいナリバナがあるんよ」のひと言。

まさにそのとおりだと云うⅠさんは山添村の岩屋が出里。

話題が出里になって盛り上がった。

安産に良いとされる観音さんのナリバナは今でも続けていると云う。

ナリバナの風習は福龍寺で行われるオコナイである。

かつては1月13日の初祈祷であったが、何年か前に成人の日の前日に行われるようになったようだ。

そんな話を聞いた寺横にある公民館。

ススンボの竹を集めたように思えたが・・・。

(H25. 1. 7 SB932SH撮影)

伊賀上野天神社の初詣

2010年02月02日 09時27分18秒 | もっと遠くへ(三重編)
お正月は初詣。

どこへ行けばいいのかホテルにあった伊賀上野の観光マップを開いた。

子供が小さきときに訪れた天神社。

そこなら覚えているが、写真が残っていない。

当時はカメラを持っていかなかったのだ。

それはともかく2台で神社に向かった。

ここら辺りだと思うのだが神社に入る道筋が判らない。

グルグル回った。

裁判所の前を三度も通った。

ようやく着いた天神社。

鳥居を潜っていけば初詣参拝の行列ができていた。

並んでいると声をかけられた。

なんとかぼすだちさんだ。

彼女の実家が当地にあることはブログで知っていた。

まさかここでお会いするとは、ちょっとした時間のズレで遭遇することができた。

うちは家族連れ、これもなにかの縁なのでおかんとかーさんを紹介した。

(H22. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)

伊賀上野サンピアの年初め

2010年02月01日 09時08分54秒 | もっと遠くへ(三重編)
年明けの朝は目覚めがすっきりするものの、空はどんよりと曇っている。

日の出時刻を数十分過ぎたころ、天空から静かに雪が舞い落ちてきた。

お家ならお屠蘇に正月の膳を囲んでお雑煮をいただくのだが、今年はサンピアで年初め。

バイキング形式でお正月らしくない料理で舌鼓み。

数年前は住之江のサンピアで正月迎えだった。

そのときよりも料理の内容は種類も豊富で、どれを食べても味は格別美味い。

パン、ご飯におかいさんまである。

お代わりは言うまでもない。

支度を調えてチェックアウト。

福引き券が付いていたので正月の運試し。



賞品のなかにはハクサイやダイコンまである。

当たり券を求めて列ができてしまった。

餅搗きまであったサンピアの年初めは一泊一万五千円だった。

(H22. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)

伊賀上野サンピアで年越し

2010年01月31日 08時33分00秒 | もっと遠くへ(三重編)
お正月の日は親の家に集まっていた。

子供が小さいころは狭い団地の実家に3家族が集まっていた。

成長した子供たちは大きくなった。

いつしか宿泊ができる状態ではなくなったので弟家族と入れ替わっていた。

それでも正月には顔を合わせておせちを食べてお屠蘇を飲んでいた。

成長した子供はさらに図体がでかくなって、ホテルに泊まって正月を迎えるようになった。

手頃な料金の住之江のサンピアはよく利用していたたが平成20年2月に閉鎖された。

伊賀上野のサンピアも平成21年4月に閉鎖された。が、だ。

新たに民間運営となって「ヒルホテルサンピア伊賀」として誕生した。

それならば伊賀にしようと決めてやってきた。

ここなら当家も弟家族が住んでいる地域から中間地点で絶好の地。

行事取材を終えてホテルに合流した。

早速、芭蕉の湯の温泉に浸かって身体を温める。

外気は冷たく強い風が吹いていることを忘れてしまう。

夜空に満月。

絶好日よりの今夜はホールの天井に星が煌めいた。

年越しのお料理は・・・・ずらりと一挙に公開。


鳥羽産赤生子の先付


振袖胡桃松風鳥黄金焼の前菜


氷鉢盛り造り


鰻入り茶碗蒸しの椀


甘鯛蒸飯の煮物


なんと言っても伊賀牛が美味すぎる。


サワラ馬鈴薯焼き


河豚の唐揚


地産ビール

9人の顔は満足げになって、お皿が残るテーブルを後にした。

一室に集まって紅白歌合戦にK1を楽しむ。



ホテルの年越しそばを美味しくよばれて、テレビから流れてくる除夜の鐘に耳を傾け「明けましておめでとうございます」。

(H21.12.31 Kiss Digtal N撮影)

伊賀上野へ

2009年12月04日 08時19分38秒 | もっと遠くへ(三重編)
叔父の三十三回忌で伊賀上野のお寺に集まった田中家一族。

久しぶりの本堂が綺麗になっている。

ここは名阪国道のほんの傍。

西の景色が美しく映える。

墓石を綺麗に洗って法要を待つ。

前に着たときはただ古い墓だという認識であった。

それから十年以上も経つであろう。

民俗行事の写真を撮っているせいか墓石の年号に目がいってしまう。

古い物から宝暦(1751年~)、天明(1781年~)、文化(1804年~)、文政(1818年~)、天保(1830年~)が記されている。

過去帳によれば本家は16代目。

昔し、ばーさんがもっともっと墓石があったんやでと言っていた。

整理されてしまって残ったのがこれら。

ほんまに古かったんやと再認識した。

うちは分家やけど誇りに思う。

法要を終えて「ヒルホテル サンピア伊賀」で三十三回忌の食事会。



経営が替わって名前も変わった。

当時はなかった天然温泉の芭蕉の湯に浸かって身体をほぐす。

エントランスには懐かしいミニチュア姿が並んでいる。



かわいーいーって誰もいわなんだ。

このホテルは正月を迎える日に再びやってくる。

それまであるんだろうか。

(H21.11. 8 SB912SH撮影)

一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時52分05秒 | もっと遠くへ(三重編)
毎年3月12日に行われるだったん松明の調進行。

朝日が昇る前、三重県名張の一ノ井極楽寺を出発した松明講の一団の行列。

東大寺二月堂の修二会で達陀(だったん)行法で用いられる松明用のヒノキ材を担ぎ、一路奈良を目指す。

名張川の井出橋を渡るとと奈良県境笠間の峠越えの急な山道を登っていく。

ヒノキは板状に揃えて六、七枚を扇状に組み合わせた一把。

八把を一束にしたヒノキ束は合計二十束。

てんびんのように二束ずつ担ぐ役目は五人衆だ。

春を呼ぶ会とともに参加した一般客も体験する担ぎは、峠から旧笠間小学校まで。

振る舞いのおにぎりや温かいとん汁にほっとする。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)

終着駅伊勢奥津

2007年05月03日 08時48分42秒 | もっと遠くへ(三重編)
美杉村の名松線終着駅の伊勢奥津駅。

この名松線、一日7本の運行で日中2時間に一本のダイヤ。

10年ほど前、伊勢奥津駅に来たとき田園の中にプラットホームだけぽつんと。

曖昧な記憶だが駅舎はなかったような気がする。

カラモモなのでしょうか。

添え花をあしらえて。

(H19. 4. 7 Kiss Digtal N撮影)