マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大阪で2か所の写真展を巡る

2015年04月20日 07時28分02秒 | しゃしん
往復とも自家用車で出かけた写真展。

一つは大阪市内中央区南船場にあるリコーイメージングスクエア大阪で開催されていた第2回「写楽万遊」。

写真家宮崎壽一郎さんの写真展だ。

もう一つは2014全日本読売写真クラブ展。

写友人の森川光章さんが入選した作品が展示されている。

いずれも早くに案内状届いていた。

場は2か所とも大阪市内。展示場はすぐ近くになる。

一挙に拝見できる展示期間内の日を選んで出かけた。

午後1時半に自宅を出て戻ってきたのは18時15分。

走行距離は往復で70km。

片道35kmであるが、往路は1時間40分。

復路は1時間半。

それほど差はでなかった地道走行。

奈良から生駒山を越えて大阪に入る。

山越えである。

水走(みずはい)から市内中央区まではのろのろ状態。

大阪は信号が多く、車も多い。

奈良では味わえないのろのろ走行がずっと続くのである。

計算してみれば時速24kmだった。

写真作品を観る前にかかさずしているのはタイトル読みである。

タイトルからどのような映像を期待するのか、である。

ずいぶん昔に自然観察会の先生に言われたことがある。

シャッターを切ると同時にタイトルが浮かぶ写真撮り。

グラフィックイメージが投影された被写体を瞬間に撮るということだが、なかなかそいういう状況には落ちあわない。

一期一会の被写体は、そうは簡単に現れてくれない。

逆に撮った写真からどうイメージするかである。

タイトルに拘りすぎてもよくない。

何を伝えようとしたのか判らないタイトルもあれば、説明解説的なタイトルもある。

昨今はこれが多くなっているように思える。

「そんなの見れば判るでしょ」というようなタイトルが多いのである。

先日、拝見した三郷町の芸術祭・美術展に展示されていた洋画作品のタイトル。

「・・・の海」に感動した。

画風は難しい作品だった。

何度見ても、何を現しているのか判らない洋画であったが、「・・・の海」のタイトルにふと思った。

観る人によって「・・・」は、なんでもいいから貴方がイメ-ジした海を思い起こしてくださいという仕掛けであると考えたのである。

画も素晴らしかったが、タイトルでさらに作者の思いが伝わったように眼前に広がった「・・・の海」。

果てしなく広がる「海」を見たのである。

その作品は金賞を受賞していた。

審査員の講評に「少しおさえた色彩と形のおもしろさが群をぬいて目にとまった」とあった。

写真で何を伝え、何を訴えて拝覧者に考えてもらうか。

そんなことを考えながらこの日の写真展を一つ、一つじっくり拝見した。

(H26. 9.16 SB932SH撮影)

第8回フォトサークルDAN選抜写真展Inリコーイメージングスクエア大阪

2015年01月21日 13時46分31秒 | しゃしん
軽自動車はETC料金で670円の第二阪奈道路。

生駒山下を通るトンネルを抜けたらそのまま阪神高速道路。

ETCゲートを突入したときに流れたアナウンス。

領収証が発行されないから預金通帳でないと確認できない通行料金。

聞き逃すことのないアナウンスは930円だった。

ETCが高速道路を降りようとすれば指示が出る。

ゲートがどこにあったのか判らないがアナウンスが聞こえた。

「払戻金は370円」である。

差し引けば560円。

そんなシステムであったのだ。

宮崎壽一郎さんが主宰する題8回フォトサークルDAN選抜写真展の会場に向かう。

場所は大阪市内中央区の南船場に建つリコーイメージングスクエア大阪だ。

何度か訪れたことがあるが、装着したカーナビが「外れました」と応える。

案内どおりに走っていないのだ。

大阪の街は知っているようで、知らない街作り。

小刻みに信号・筋がある。

ついつい通り過ぎてしまうのである。

ぐるぐる回ってようやく辿りついたリコーイメージングスクエア大阪付近の駐車場を探す。

付近にはたくさんの駐車場がある。

至近距離にいっぱいあるが時間はない。



一番近い三井のリパーク南船場第12駐車場に停めた。

駐車場はタイムパーキング。

20分で300円だ。

選抜された写真展の作品を拝見するが、この年の1月31日に出展されていた作品よりも全般的に見劣りするのだ。

フォトサークルDAN写真展はもう一つの会場で花火写真展もしていた。

場はすぐ近くの大阪写真会館。徒歩で向かう。



数枚の花火が気にいった。

同じ作者とも思えない出来栄えである。

2カ所の写真展を拝見して支払った駐車料金は900円だった。

なぜか疲れてしまった写真展。

疲れは移動したためであろうか。

ぐったりしたので、地道で戻るつもりだった帰り路はETCの指示に従って走った。

森の宮のゲートを入れば610円のアナウンス。

距離が短いのであろう。

阪神高速道路を走ってそのまま第二阪奈道路で帰った。

(H26. 7.11 SB932SH撮影)

松井良浩『熊野古道・奥駆の祈り』写真展in梅田ダイビルB1Fキャノンギャラリー

2015年01月20日 10時10分39秒 | しゃしん
近鉄郡山から鶴橋経由で環状線に乗り換えて大阪梅田に行く。

電車賃は合計で740円だ。

近鉄郡山までは奈良交通バス。

最寄り停留所の木島から乗って220円。

いずれもICOKAカードでスルーできる。

片道合計の運賃が960円で着いた大阪梅田。

松井良浩さんの『熊野古道・奥駆の祈り』写真展が開催されている梅田ダイビルまでは徒歩。

5分ほどで着く。

台風8号の影響で暗雲たれる日であったが、夕がた5時半には夕陽が現れ青空が広がった。

室戸岬を通過していった台風は西日本にはまったく影響がなかった。

前日まで心配されていた松井さんの顔は晴れやかだった。

展示会場には大勢の人たちが訪れていた『熊野古道・奥駆の祈り』写真展。

これまで何枚かの写真を拝見したことがある。

松井さんがとらえた写真のなかでこれ一番と挙げたいのは吉野川で水垢離される様相である。

水面すれすれで入水される修厳者の形相に圧倒される映像に手を合わしたくなるのだ。



展示場に置いてあった淡交社刊の『山伏入門』ムック。

本屋さんでなく、ご本人から買いたかった。

ようやく手に入れたムック本は優しく書いてあるが、深みがある。

掲載写真のほとんどが本人撮影。

小さな映像でも感動するが、大きく伸ばした写真はもっと多くの情報量がある。

一枚、一枚、目を凝らして拝見する写真展示枚数は31点。

いずれもデジタル画像を最新の品質でプリントされた作品だ。

水垢離(六田)、歩く、登る、崖、覗き、石塔、集団の祈り、個々の祈り、胎内くぐり、山を下る映像。

滝に、木に、岩に手を合わす自然崇拝。

力のあるものに手を合わす。

女性も参加される修験道。思わず映っている人数を数えてしまう。

ムック本によれば、当山派醍醐寺が32%。

本山派聖護院は27%で、金峯山寺は半々だと書いてあった。

修験道は在家信仰。

大昔から男女関係なく開かれている。

この日は初日。祝いのオープニングセレモニーがある。

ご本人の解説があった。

撮影時の苦労話を聞く。

尾根道を歩く。

けもの道とも思えるような山道を歩く。

修厳の道はいつしか人の通る道となった。

ここ3、4年前に撮りためた写真に圧倒されるとともに体験談を話される。

水は1リットル持参したが、修厳者は4リットルだったことを知る。

レンズは交換しない。

こうした撮影時の苦労話を聞いて写真を見る目がかわった。

あらためてもう一度拝見する。

オープニングパーティ参加費は千円だった。



寿司盛りに数々の料理を盛ったオードブル。

箸袋に書いてあった料理の出所は「はないちばん」。

「味の大和路」の印がある。

住所を見れば、なんと、なんとである大和郡山市の馬司町。

「馬司」と書いて「まつかさ」と呼ぶのである。

パーティ会場でお話ししてくださった聖護院本山修厳宗・宗務部長の宮城泰年さん。

「動じない心」を話される。

平成16年に男性新客が滑落した事故である。

一命はとりとめたものの救出譚は体力の限界まで使った。

「行」に度々参加していた男性がいた。

ときおり木陰に隠れて休んでいることもあったし、こっそりと帰るとか、温泉に浸かっていたとかする男性だった。

奥駆けを終えて下山したが、男性は自宅に戻っていなかった。

行方不明になった男性は遭難に捜索願を出して前鬼谷を探しまわった。

八日後に発見された男性は裏行場・垢離取り場で首を吊っていた。

大きな悔いを残したと話す宮城さん。

遭遇した体験に基づく本を貴方に差しあげようと後日送ってくださった講談社刊の『動じない心』が届いた。

ありがたいことである。

お礼に著書『奈良大和路の年中行事』を贈呈させていただいた。

(H26. 7.10 SB932SH撮影)

奈良歳時記初夏と仏像二人展inクロネコならTABIセンター

2014年12月04日 09時58分47秒 | しゃしん
案内状を受け取ってこの日も拝見した二人展。

今回は初夏を描く切り絵と写真である。

切り絵の作者は大和郡山市内に住む西村氏。

写真は大和の民俗などを記録している野本さんだ。

切り絵と写真で描く奈良の歳時記は前回の花会式に続く季節もの。

この日も朝の開店と同時に訪れたのでどなたもおられなかった。

独り占めの占領で、じっくりたっぷり堪能した。

切り絵はよりシンプルな静画、写真は鮮明に映し出す動きのある描写である。

コラボ二人展は好評につき、盛夏、秋も続くそうだが、西村氏の作品は仏像である。

奈良を訪れる観光客にとってはうってつけの作品展。

見てから行くか、それとも行ってから拝見するか。

どちらであっても感動するに違いない。

(H26. 5. 9 SB932SH撮影)

時の流れ二人展inニコンサロンbis大阪

2014年10月21日 08時13分42秒 | しゃしん
ニコンサロンbis大阪で、新世界をテーマに捉えた「時の流れ」写真展が始まった。

モノクロ、カラー写真を上下二段に並べた写真展。

ユニークな取り組みに驚く。

このようなレイアウトは初めて見た。

一枚、一枚を上から下へ。

上、下を対比しながら拝見する。

上段は長岡賞を受賞された石津武史さんのモノクロ作品。

下段のカラー作品は「窓の会」会員の田坂恵子さんがとらえた。

撮影場所は大阪の新世界。

それぞれ30点の作品が横に一列に並ぶ。

見終わって眺めてみれば、遊びもブレもない一本の串をさしているような、或いは遠し矢のようにも思えた一連の写真。

活写した映像はまったく異なるが、いずれの作品もついつい引き寄せられる。

捉えた時期は同じであるが、モノクロは新世界のかつての姿を思い起こす。

まるで今昔物語を醸し出すように時の流れを感じさせる。

一枚、一枚を拝見してワード、語彙を思いつくままに並べてみた。

石津さんの作品は(漂泊)流浪の民が辿りつく定住者、人生、独り、生きる、生きるも死ぬも独り、男たち、街に生きる、生存空間、楽園だ。

田坂さんの作品は集団、団体、家族、通りすがり、ひとときの楽園、青春謳歌、楽園、いっときの空間、通過接点、移動者である。

二人展の作品は対比することなく、相乗効果が合わさって現代風情の新世界の様相を描く。

二人の視点は違っていても作品に共通するのは楽園に流れ者だと思った。

私が題したテーマは「流れモノの楽園」だ。

写真展を見終えて大阪駅に向かう。

毎度通る格安の飲食店。

地下の都会を流れる人の波に思わずシャッターを押してしまった。

(H26. 4. 7 SB932SH撮影)

薬師寺花会式二人展inクロネコならTABIセンター

2014年09月24日 07時20分28秒 | しゃしん
案内状が届いた。

写友人の野本さんは写真で、西村幸祐氏は切り絵で描く薬師寺花会式の様相。

知りあってからわずか半年で実現したコラボレーション二人展である。

野本さんが表現される写真のほとんどを拝見している。

とはいってもホームページ上である。

大きな画面で観たくなる表現師。

火の行事を捉えるのが実に上手い。

白飛びしないほんまもんの火の色に見惚れるのだ。

西村幸祐氏のお住まいは驚くなかれ、僅か数kmぐらいしか離れていない地。

町名でいえば同じ町内だが、当方は東城(ひがしんじょ)。

西村氏が住む地域は西城(にしんじょ)だ。

お住まいの町内は患者さんの送迎コースに入っているだけに馴染みがある地域。

我が家もそうだが新興住宅地。

展示会場におられるのではと思って開場一番に訪れたがどなたも不在だ。

圧倒される切り絵の描写に感動する。

黒・白のモノトーンだけでなく色紙で切り抜かれた作品もある。

描く情景に合わせて紙の選択をされているのだろう。



ゆったりとした時間。

たっぷりと一枚、一枚の作品をじっくりと拝見。

堪能させてもらった。

(H26. 3.18 SB932SH撮影)

パナソニックエネループ電池

2014年09月22日 07時13分34秒 | しゃしん
ENELOOP LITE®の商号があるパナソニックのニッケル水素電池は充電式。

前年の9月に購入した同社製品のBK-3MCCは4本セット。

いつも3%割引のケーズデンキで特価1216円だった。

消費税アップまでに買っておきたかった消耗品はいつ買うか、「今でしょ」の暗示が働いて入店した。

型番BK-3MCCは1580円だった。

陳列されている上にあった型番BK-3LCC/2は2本セットで580円。

2セット買っても1160円だ。

「ENELOOP LITE®」があるから持ちは短いのであろう。

予備としてもっておきたかったので買った。

(H26. 3.17 SB932SH撮影)

第61回ニッコールフォトコンテスト入賞作品展

2014年08月17日 09時32分03秒 | しゃしん
石津武史さんが第61回ニッコールフォトコンテストのモノクローム部門で大賞に選ばれた作品は4枚組の「釜で生きる」。

大阪釜が崎で生活される情景、人、暮らしぶりを激写した作品だ。

大賞だけでなく最高賞の長岡賞までも得た作品は何年間にも亘って現地取材されてきた。

「釜が崎」という呼び名の行政地名はない。

大正11年に西成郡今宮村が大字を改編され、消滅したが、俗称としてその後も使われ続けてきた。

昭和41年から3年間、高校に通っていたときに利用していた南海電車天王寺支線。

天下茶屋-天王寺駅を結ぶ支線はたしか2両編成だったと思う。

天王寺で乗り換えた南海大阪軌道の平野線は阿倍野斎場前駅。

懐かしいチンチン電車である。苗代田、文ノ里、股ケ池、田辺、駒川町、中野、西平野、平野区間を走っていた。

たしか西平野駅で降りて学校まで徒歩。

いつしか自転車通学に替えた。

高校一年生だった昭和41年に見かけた蒸気機関車。

天王寺駅でのことだった。

平野線が廃線になったのは昭和55年のことである。

天下茶屋駅-今池駅間が昭和59年に、その後の平成5年に飛田駅を含む全線が廃線になった。

車窓から眺めていた三角公園は通称で正式には東萩町公園だった。

そんな48年前の光景を思いだしながら拝見した「釜に生きる」。

私が高校生の頃に見た男たちはもういない。

逞しく生きる風体は変わらずとも、衣服は現在の様相だ。

男性が運ぶリヤカー、逞しさは時代を越えても同じように感じた。

入賞作品は身震いするほどの新しい感覚。

刺激を受けたのは云うまでもないが、私は撮れない分野だ。

石津武史さんが次に目指す方向は未だ定まっていないと話す。

私は大阪生まれの大阪育ち。

高校の学友が住んでいた大正区や浪速区。

大阪環状線駅で云えば芦原橋駅、大正駅、弁天町駅から通学していた。

学校を終えて友人たちとともに乗った環状線を一駅ずつ降りては乗って、降りて乗ってを繰り返していた単純な遊び方。

一斉に降りるのではなく、一駅ごとに一人ずつ降りた。

次の列車が来れば乗る。

全員が集合するのは大阪駅だったような気がする。

今でも環状線に乗ればその行為を思い出す。

彼らが住んでいた町には川がある。

大阪湾にそそぐ川だ。

私は住之江に住んでいた。

大和川が遊び場だったが、彼らの地に流れる川は木津川、尻無川、安治川。

川の様相はまったく異なる。

車窓から下を見下ろせば川、舟、波止場、貯木場、渡し、店、道具、人。映画の「泥の川」を思い出す。

川に生きる人たちを描いた作品だ。

石津さんが以前、個展されたガード下の情景。

「日々坦々」は下町に生きる姿であった。

今度は大阪三部作の仕上げに大阪の「川に生きる」にされてはいかがかと提案したが・・・。

(H26. 2.17 SB932SH撮影)

移転した富士フォトサロンでフォトサークルDAN写真展

2014年07月10日 08時24分33秒 | しゃしん
市の施設で知りえた写真家。

DANプランニング・フォトサークルDANの代表である宮崎寿一郎氏とおつき合いをさせていただくようになって4年になる。

日本風景写真協会にも属している氏は同会が催す写真展に出展されている。

同会の奈良第1・第2支部が展示される案内状を受けとって、度々訪れる会場は奈良市内。

イトーヨーカドー5階にある「奈良市美術館」である。

自宅からはそれほど遠くない場は出かけやすい。

氏が単独で写真展を開かれた「写楽万遊」がある。

昨年の11月半ばに訪れた。

春から始まる季節感。

夏から錦秋へ繋げる作品に感動した余韻が頭の中に残っている。

年末には観覧のお礼に卓上カレンダーを送ってくださった。

カレンダーの写真は観覧した作品をあしらっている。

かーさんも喜んだカレンダーは我が家で一年間を飾る。

そのお礼も兼ねて伺ったフォトサークルDAN写真展は7回目。

着々と腕を磨いているやに聞く。

展示会場は移転された富士フォトサロンだ。

移転前は大阪市中央区備後町の富士フィルム大阪ビルだった。

いくつかの写真展を観覧したことがある。

わりあいこじんまりした場であった。

昨年の夏に移った富士フォトサロンは中央区本町の大阪丸紅ビル内。

電車で行きたいと思ったが、午後の取材に間に合わない。

そう思って有料の第二阪奈道路、阪神高速道路を利用した。

所定のビルはだいたいが判るが、阪神高速道路の降り口が掴めない。

ぐるり、ぐるりと回る大阪市内の街巡り。

心も時間も余裕がないというのに見つからない。

最寄りの「本町2」の信号が判り難いのだ。

かれこれ20分も彷徨ってしまった大阪の街。

短い区間に信号があるからなおさらだ。

奈良では味わえない大阪の道路は馴染めなくなってしまった。

会場近くの駐車場を探す。

目に入ったのが大阪市安土町駐車場だ。

「ヴィアーレ大阪」内の駐車場は大阪市営の施設。

1時間駐車で400円。

早めに切り上げればお得な料金である。

なんとか到着した大阪丸紅ビル。



展示会場は1階である。

フォトサークルの会員さんたちの作品を鑑賞する。

デキは良い方だと思った。

どのようにして作品を撮ったのか、考えさせる作品群に立ち止まる。

観覧されていた男性とともにあれやこれやの「思い」に意見交換。

こうした機会に刺激を受ける。

隣接会場にはもう一つの展示もあった。

それも鑑賞する。

「北緯20度ラインに活きる」を題した写真展だ。

北緯20度ラインが横切るインド、ミャンマー、タイ、ベトナムの街や農・漁村に生活する情景を映し出している。

写真慣れしているのかどうか判らないが笑顔で返す子供たちのアップ。

民俗衣装を着た村の人たち。

とらえるには当国で案内される担当者の承諾を受けて撮ったそうだ。

舟を出して漁をしている写真がある。

美しい景観である。

今ではそのような漁をすることはない。

それゆえ頼んでしてもらったというヤラセであると受付の人は話す。

それにしても「何故に北緯20度ラインに絞られたのか」という問いには答えてくれなかった。

ひと回り作品を観覧させてもらって氏と話す。

作品にはそれぞれの作者の思いを募ったキャプションがある。

なるほどと思える「思い」であるが、何故かキャプション後尾が「・・・撮影しました」である。

ほとんどの人がそう書いてある。

せっかくのキャプションにダメージを受ける私。

氏の個人展でもそうあった。

良い作品を鑑賞させてもらってこんなことを云うのも失礼だと思うのだが、穏やかな氏の表情につられてつい漏らした。

「それは気がつかなかった」と返す言葉に胸をなでおろす。

(H26. 1.31 SB932SH撮影)

渋谷良一・南岡誠宏写真展in神戸元町Birdiephotogallery

2014年04月22日 09時05分41秒 | しゃしん
「東北・福島からのたより そして神戸」と題して始まった二人展。

委託・受託仕事の関係で知り合った二人。

平成23年3月11日に襲った東北地方太平洋沖地震によってさらに心が繋がった。

渋谷良一・南岡誠宏は写真が共通点の二人は交流を深めた。

南岡誠宏は平成7年に1月17日に発生した阪神・淡路大震災に遭遇した。

彼は高校の後輩。

我が母校である大阪府立東住吉工業高等学校の卒業生だが、就職先も同じだった。

彼は新卒入社だが、私は途中入社だった。

その後は何人かが卒業して会社に入社した。

記憶を辿ればたしか母校の体育館の壇上にあがって会社説明したことがある。

それを聞いていたIくんが新卒で入社した。

その翌年に入社したのが彼だった。

その後に入社したYくんもいた。

道は繋がったがやがて消えた。

先に卒業していた私は4期生、彼は7期生だった母校は消滅した。

平成17年3月末、大阪府立高校の改革方針にそってクリエイティブスクール(多部制単位制)の課程になった大阪府立総合高等学校として改編され、大阪府立東住吉工業高等学校は閉校された。

私にとって寂しい閉校はもう一つある。

大阪市の住之江で勉学していた大阪市立南陵中学校だ。

平成5年、南稜中学校と加賀屋中学校の校区を再編されて中学母校は廃校となった。

母校がないのがどれほど悲しいことか。

ちなみに卒業した大阪市立敷津浦小学校は今でもあることだけは認識しておこう。

復興を願った写真展は32点。

穏やかな日常や美しい景観を映し出す福島の情景。

復興をなしとげた普段の姿を捉えた神戸の街がある。

3週間前、県立民俗博物館で開催されていた「第3回 私がとらえた大和の民俗」写真展に来てくださった南岡くん。

彼が初の展示する二人展は是非行かねばと思って車で駆け参じた。

会場は神戸市中央区元町通り1丁目11-7の「Birdie photo gallery」。

最寄りの鉄道駅は阪神元町駅である。

駅から歩いて1分間。

すぐ近くであるが、近鉄郡山から電車を利用すれば片道940円。

往復では1880円もする。

奈良交通のバス代は往復で420円。

歩き、乗り継ぎ時間がかかる。

乗車時間はおよそ1時間半だ。

阪神高速道路の東大阪線より3号神戸線を利用して最寄りの京橋出口までの片道料金は900円。

往復でも1800円である。

電車賃とほとんどかわりない。

歩き・電車の乗換を避けたほうが良かろうと思って自家用車で目指す。

土曜日であれば阪神高速道路の混み具合も悪くない。

すいすい走ることだろうと思って平日を避けた。

奈良からは地道の阪奈道路を利用する。

阪神高速道路の入り口は水走(みずはい)。

我が家からはほぼ30分少しだ。

難なく通り抜けて京橋を目指すが、魚崎辺りから混みだした。

道路情報によれば生田川までが渋滞区間だ。

少々時間がかかったが京橋に着いた。

そこから神戸元町に向かうが車が多いし信号待ちも長い。

団体観光バスが道路に停まって乗客を降ろしている。

予め探しておいた駐車場が見つからない。

ぐるり周回せざるを得なかった元町付近の道路状況は最悪だ。

なんとか停めたタイムパーキングは「デビス元町ステーション」。

そこから歩いてすぐ近くだと思っていた「Birdie photo gallery」が見つからない。

それより二本筋下は神戸元町の中華街。

元町通と栄町通に跨る通りは南京町と呼ばれているが、通称であって正式な地名ではない。

早々と中国旧正月の「春節祭」の幕を掲げた長安門が迎えてくれる商業通りの南京町。

買い物観光客でごった返す中華街には目的がない。

平成堂ビル4Fにあると聞いていたが該当するビルが見つからない。

仕方なく携帯電話を鳴らしてみれば彼が出た。

近くに居るらしいので待つ。

3週間ぶりに出合った彼の体型は・・・お腹が出すぎだろう。

おぼこい顔は歳がいったがあまり変わりない。

ギャラリーは13時から開くと云う。

それに気がつかずやって来た神戸元町。



開店するまでま近くの喫茶店の「EVIAN COFFEE SHOP」で腹ごしらえ。

注文したのは580円モーニングセット。

サンドウイッチにはハムか、タマゴか、どちらかを選ぶ。

私はタマゴにした。



彼はと言えば直前に食事を済ませたそうだ。

積もる話に花が咲いてあっという間の一時間後に店を出た。

隣の店は「金時食堂」。



うどん・そばは250円に110円の「しる」もある格安食事処。

それにしても「しり」って何、と思いながら展示会場の「Birdie photo gallery」がある平成堂ビル。



何の表示もないから判らないはずだ。

狭い階段を登った4階にあったギャラリーはこじんまりしている。

渋谷良一氏との出合い、復興の願いを込めた展示作品を一枚、一枚ごとに話してくれる。

彼の心が伝わってくる作品群はどちらかと云えば説明的なタイトルに気が向く。

見たまま、感じたままが多い。

復興に願いを込めて私ならこういうタイトルをつけたいと彼に伝える。

鉄橋を通り過ぎる写真がある。

それなら「機関車」ではなく「帰還車」にしたいと思うのである。

震災以前の姿になった町や村に戻っていく。

そう思ってタイトル名を付けた。

農作物も魚介もこんなり獲れて豊作になった。

そんな情景も加えて展示してほしい。

だるま作りの作業を撮影したことがあると云う彼。

それならラストはだるまだ。

七転び八起き。

それが復興の力添え。

負けるもんかと心情を表現するには締め括りが要る。

それにはだるまが大切なのではと思って伝えた。

そんな話をしていた1時間後、やってきた拝観者が扉を開けた。

お二人の顔を見て驚く。

上牧町に住むカメラマン夫妻だ。

旦那さんは元会社の上司。

写真心を教えてくださった師匠さんでもある。

この写真撮りになったのも、作品を通じて切り取り技の心得を伝授してくださったおかげだ。

奥さんは幾度となく大きな賞を獲得されている。

久しぶりに顔を合わしてこれまた積もり話しをしていた十数分後にも扉が開いて顔を出した写真家の野本さんは上牧町の隣町に在住する。



南岡くんとは同じ会社であるが、大先輩のご両人は親会社。

3人は親会社の写真クラブ員だったことを覚えている。

一同が揃うのは何十年ぶりであろうか。

関係会社だった私たちはお互いの近況も話しのタネ。

共通する話題は写真である。

長時間に亘って滞在した神戸元町はさらにごった返していた。

これより数時間後に点灯される神戸ルミナリエの観光客の人の波。

とてもじゃないが、見る気がしない。

阪神大震災の年の平成7年12月に開催された復興の灯がルミナリエ。

犠牲者への慰霊と鎮魂のために神戸の復興・再生を願って始められたのだ。

ルミナリエを見ることもない帰宅道中は行きも帰りも阪神高速道路。

3時間半も停めていた「デビス元町ステーション」に支払った駐車料金は土曜日料金で2100円。

スムーズな帰り路は片道1時間半。

走行距離はおよそ80kmだった。

(H25.12.14 SB932SH撮影)