マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

JNP日本風景写真協会奈良第2支部第12回写真展in奈良市美術館

2016年04月03日 17時27分09秒 | しゃしん
写真展に出かける機会が増えつつある。

この日はJNP日本風景写真協会奈良第2支部の第12回写真展。

会場はイトーヨーカードー奈良店5階にある奈良市美術館。

受付をしていたら支部長を務めるYさんが案内してくださる。

お忙しいかただから次から次へと訪れる知人たちへの挨拶だけでも忙しい。

作品は50点。すべてが奈良の景観を表現した作品だ。

地域別に分類してみた作品数。

多い方から8点の上北山村・宇陀市。

次点は奈良市の7点(月ヶ瀬が4点・田原の里は1点・平城京が1点)だ。

3点は川上村・東吉野村・下市町の南部に東部の山添村がある。

2点は下北山村・十津川村の南部に曽爾村・桜井市・天理市の東部もあれば御所市も、である。

1点は天川村・吉野町・高取町に西南部の五條市であった。

そういえば一般的に人気がある明日香村は1点もない。

大まかな地域に纏めてみた。

奥吉野をはじめとする南部地域の総数は24点。

東部・東山中では22点。

両地域で大多数を示している。

霞む風景、静かな渓谷・渓流を美しくとらえた作品はそのような地域だ。

五條市・御所市では足しても3点。

極めて少ない。

第2支部の人たちは山間に美しさを求めているように思えた。

そういった撮影地は私も存じている。

たしかにいい景観であるが私は思う。

国中の里や村にも素晴らしい景観があることをご存じだろうか。

環濠集落の佇まいや広がる田園も奈良を代表する景観をもっている。

住んでいる地域の人の気がつかない景観を是非探してほしいと思うのである。

翌週には同じ階上で奈良第1支部の写真展もある。

見比べてみたいものだと思った。

ところで日本風景写真協会が出版する遺したい日本の風景写真集シリーズに『古民家』、『道』、『駅舎』、『海岸』、『橋』、『山村』、『学び舎』、『煉瓦造』、『歴史の街並』がある。

民俗の視点からみても興味をいだく日本全国の風景写真であるが、どちらかといえば風景に佇む有形文化財的な建築構造物が多いように感じる。

私が求める被写体は『生活感』だ。

人が『営む』様相は生活文化の発展とともに著しい変化が認められる。

日本の文化は多様性がある。

定番的な風景写真に魅力を感じる人は多いが、アイの日の『生活』も大切な風景があるのでは、と思っている。

多くの風景写真家は『人』を入れては作品にならぬという考えがあるらしい。

是非とも次のシリーズに『暮らし』や『生業』、『営み』なども考えていただけないかと思っている。

(H27. 5.19 SB932SH撮影)

「私がとらえた大和の民俗―衣(ころも)―」 in 奈良町資料館写真展

2016年03月10日 09時23分15秒 | しゃしん
11人のカメラマンがそれぞれの個性豊かな視線でとらえた民俗を写真で描いた「衣」。

昨年10月末から12月初めに奈良県立民俗博物館内で展示された第5回「私がとらえた大和の民俗―衣(ころも)―」の写真が奈良町資料館<奈良市西新屋町14-2)にやってくる。

奈良町資料館館長の南哲朗さんのお取り計らいで展示されることになった。

この場を借りて厚く御礼申し上げる次第だ。



展示期間は平成28年3月2日(水)から3月22日(火)。

年中無休の資料館の開館時間は朝10時から午後4時まで。

「ならまち」を代表する一角にある奈良町資料館

入館は無料であるが、駐車場はない。

散歩がてらを兼ねて町屋景観を楽しんでいただければ、と思っている。

ちなみに当展示について県政フラッシュでとりあげてくださった。

番組は県立民俗博物館の企画展おひなさんも合わせて放映された。

期間中、展示室に置いてあった来館者用感想ノートを後日に拝見した。

訪れた人たちが書き残していただいた感想であるが、出展者への個人的な伝言話題は避けて、今後の事業のため、私のためにも役立てられると思われるコメントは記録のために列挙させていただく。

3月4日、ながいながい時とともに、こうして現在、奈良の民俗行事が伝統されているー写真の静止したカットによって、あらためて伝わってくるものがあります。<Nさん>

3月5日、参上しました。<Kさん>

3月8日、見せていただきました。写真にはそれぞれ思い思いがつまっているのが感じられた。<Mさん>

3月10日、祭の正装には、その様式の決定した時代・・反映されている。山高帽が残ってる意味は山高帽の流行った(よく被られた)時代を伝える。その時期、村もうるおい、形式も成立したものではないだろうか。日本の儀式・・成立はあった・・・明治維新前・・・後だと言われる。その地域の歴史が読みとれる。1000年以上の歴史を引き継ぐ中将姫の物語と同様に魅力的だ。<Nさん>

3月14日、学生時代に奈良のお田植まつり、勧請かけなどを見て驚いたので、とてもなつかしい風景がいきいきととられている。たのしかったです。松苗立てが一番気に入りました。<Nさん>

3月16日、資料館、2回目です。今回ゆっくり楽しめました。やっぱり奈良が大好きです。祭り1つ1つはとても味わいを感じました。<無記銘>

3月19日、二度目の参上です。<Sさん>

3月20日、大和の暮らし、行事、いつまでも残ってほしい風景です。<Tさん>

3月30日、来た!見た!」。<Tさん>

3月、主眼は記録ですかね?白黒写真が見たかった。ともあれ、量重です。ありがとうございました。<Kさん>

3月18日、マメオトシの唐箕。1943年生まれの私、子供の頃よく見た光景です。今でも残っているのに驚きました。<Kさん>

コメントを書いてくださったみなさま方に感謝し、次回作品にも精進したいと思います。

ありがとうございました

(H28. 3. 1 記)
(H28. 3. 6 EOS40D撮影)
(H28. 4.23 記)

第20回水門会写真展・一門秀作展in奈良市美術館

2016年03月04日 09時52分06秒 | しゃしん
写真展の案内状が届いた。

写真展は「第20回入江泰吉と水門会写真展」だ。

併催に一門の秀作展もある。

差出人の名前は記載されていないが5月3日の10時より会場にいるとある。

写真家集団「水門会」は昭和40年ころから写真家・入江泰吉さんの自宅で集っていた弟子・友人・親戚など。

いつしか地名にちなんだ会名で呼ぶようになった。

展示作品に入江泰吉氏、井上博道氏の名もある。

「私がとらえた大和の民俗」写真展の仲間でもある松井良浩氏もあれば、同じくFB知人でもある藤井博信氏の名もある。

お話はしたことはないが、矢野建彦氏や森本康則氏、椿本久美夫氏の名もあるが・・。

どなたか送ってくださったのか、である。

案内状に一門・秀作展入賞者名にただ一人、知り合いの名があった。

Mさんだ。

もしかとすればご仁ではないだろうかと思って出かけた写真展は奈良イトーヨーカドー5階にある奈良市美術館。

なんと、受付におられたのは著名な矢野建彦氏・森本康則氏。

思わず自己紹介をさせてもらって名刺交換した。

早速、展示作品を拝見する。

入口付近におられた、これまたFB知人のJNP奈良第2支部・支部長の吉崎喜寿さんだ。

昨今はFBで撮影地や状況などの情報交換をさせてもらっている。

昨日も来ていたという吉崎さんはこの日も。

支部の写真展の申し込みに来られたそうだ。

吉崎さんと別れて展示作品を拝見していたらお声がかかった。

声の主は先月に行われたJNP和歌山第二支部の写真展でお会いしたJNP奈良第1支部のTさんだ。

写真展も通い合うJNP繋がりは奈良に戻って再開した。

なかなか先へ進まない展示会。

入江泰吉氏、井上博道氏の特別出展辺りで20分間も経過する。

そこからは水門会の人たちの作品となる。

高畠節二氏は「日本アルプスの聖地-槍穂高」をテーマに6枚組。

さまざまな彩色でとらえた崇高の山を紹介する。

一枚、一枚がテーマ色で6枚を開設するCOLORの世界。

一門の人たちと思われる女性閲覧者とともに感動していた。

それを見て高畠節二氏がとらえたときの状況を説明してくださる。

ざっくばらん語り口で場を和ませる。

向こう側に飾ってあった「極楽寺跡」の毛筆書体で紹介するしだれ桜。

場は書いていないがすぐに判る室生小原の景観だ。

「四季折々」をテーマに紹介する矢野建彦氏の作品だ。

12年前に発見したと話す。

それは平成13年に東方出版より発刊された共著の『奈良大和路桜百選』に紹介されたと思うが、それであれば年代が逆転する。

記憶は曖昧だ。

小原のしだれ桜は平成18年4月に撮らせてもらった。

前年の平成17年6月はこの場で鉦を叩いて数珠繰りを始めに虫送り行事を取材したことがある。

そういう場であるということも閲覧者の女性に話してしまう民俗サガがついつい出てしまう。

ちなみにサブテーマに書かれた毛筆書体はパソコン文字ではなく奥さんが書いたという。

素晴らしいコンビネーションに憧れを感じる。

場を移動して椿本久美夫氏の作品を拝見する。

テーマ「上鴨川住吉神社神事舞」だ。

奈良県では見たこともない神事の在り方に興味をもつ。

上鴨川住吉神社は兵庫県加東市上鴨川が所在地。

座の儀式に配膳されるアゼマメ。

秋のマツリを象徴する食べ物だ。

県内行事に茹でたアゼマメを喰する地域が数か所あることを思い出した。

鼻高面を被るリョンサンの舞やビンササラを持って舞う田楽もある。

ヒラヒラの帽子を被った男たちが舞い踊る姿は県内事例には見られない姿だ。

春日若宮おん祭に出仕される田楽座の高足(こうそく)を思い起こす「高足」もあった。

写真を隣で見ていた女性にそれらの特徴を思わず解説してしまうのだ。

その場にやってきた男性。

この年の3月に仕事を退職されたMさんだ。

その月もおふくろと会っていたという。

その話は89歳になったおふくろからも聞いている。

おふくろ繋がりは写真繋がりでもある。

初めてお会いしたのは平成14年11月23日。

高取町のたかとり祭りであった。

写真撮りでもあったがその日はおふくろも連れていた。

高取でばったり会った会社の仕事仲間におふくろもびっくりしていた。

作品作りにどっぷり浸かるようになったMさんは昨年4月8日の新薬師寺のおたいまつでもお会いした。

仕事仲間は写真仲間。

いずれもおふくろが現役だったころにお世話になったと話す。

松井良浩氏のテーマは「修験」。

昨年の7月10日に拝見した「熊野古道・奥駆の祈り」から6点を展示していた。

藤井博信氏は「かたち」がテーマだ。

存知しているお二人の作品をMさんとともに拝見する。

私なりの解説を入れて一枚、一枚。話し込めば話し込むほど時間がかかる写真展の枚数は多すぎる。

気になったらついつい喋ってしまうこれもまたサガであるが、ブログでは省かせていただく。

ぐるりと回遊して一門の秀作展。

写真家集団の水門会の作品とは明らかな差がある。

プロはプロなりに切磋琢磨。

実力は大きな差が見受けられるのだ。

申し訳ないがMさんの作品もこうすればもっと良くなると話してしまった。

11時半の受付を経て2時間も経っていた。

お腹が減っていたのを察知されたMさん。

5階にある飲食街へと一旦は会場を出る。

ギリギリセーフの写真解説時刻。

並べた長椅子に何人かが座っていた。

画像を映し出す機械も持ち込んで解説される森本康則氏。

掲げたテーマを語りながら撮ったときの状況を説明される。



横で勝手支援をする高畠節二氏の語り口でどっと笑いの渦が・・・。

会場の雰囲気作りは見習いたいものだ。

30分解説されて次へ移る。

今度は「佐渡」をテーマに10枚組写真を展示していた近藤芳嗣氏だ。

開口一番に「豆腐屋の・・」ですぐに判った近藤豆腐店。

昭和25年創業の近藤豆腐店の看板をつけた搬送車は度々遭遇するどころか、大型スーパーで販売する商品も・・。

口コミで美味しさを広げる豆腐味は未だ味わったことがない。

評判は聞いているが、我が家の価格帯に合致しないので購入したことがない。

一度味わったら毎度買うようになってしまうと思えてならないので、未だに・・・、である。

さて、「佐渡」をテーマにした組写真は佐渡の風土をとらえたと話す近藤芳嗣氏。



私にとって興味をもつのは伝統的な民俗行事だ。

いくつかはMさんにも話ができるような行事であるがさっぱり判らない一枚の写真があった。

佐渡金山と思われる洞窟内部での祭りごとを紹介する一枚。

人物は動きがあるように見えるが静止状態。

眼を描いた仮面を装着した人物。

どこかで見たような図柄だ。

福岡県博多を代表する仁和加面を思い起こす仮面の人物に表情はあるようで動きがない。

Mさんは本物の人間だと思われたが、私はそうではないように見えた。

解説を終えた近藤さんに尋ねたのは言うまでもない。

やはり人形だったのだ。

解説場近くにおられた写真家・藤井博信氏。

「かたち」をテーマにした6枚組。

一枚目は菊のご紋。

思わず枚数を数えてしまう16枚のご紋。

鎌倉時代、後鳥羽上皇が好んだ菊を自ら愛用したご紋は、その後の後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇も自らの印として継承され慣例化。

十六八重表菊は皇室の紋として定着したそうだ。

いくつかの寺社で見られる16枚のご紋は八重でなく十六一重表菊。

遠目では違いが判り難い。

それはともかく知りたかったのは當麻寺護念院の中将姫蓮華座像。

聖衆来迎練り供養会式において拝見させてもらったが、それはお練りときのこと。

安置されている座像は見たことがなかった。

おおきく見える御仏。

ありがたい「かたち」を拝見して思わず手を合わす。

藤井博信氏とともに拝見した他の写真家作作品群に見惚れていたら滞在時間が4時間半。

出会いも数々、見ごたえある写真展であった。

(H27. 5. 3 SB932SH撮影)

第2回山の辺の道「奈良道」フォトコンテスト表彰式in奈良県護国神社

2016年02月26日 09時24分37秒 | しゃしん
この日は暑かった。

神社の樹木からハルゼミがチッチと鳴く声が聞こえた。

奈良県護国神社を訪れたのは何年ぶりになるだろうか。

椿がいっぱい咲いていた記憶がある。

平成16年3月27日に訪れた訳は昭和61年より始まったお田植祭の状況を尋ねることであった。

神社関係者の答えは中断であった。

鹿野園町にある神饌田に水を張って氏子が田植えの所作をしていた。

腰をかがめて稲苗を植えていたが、訪問した何年か前に神饌田を提供していた田主が亡くなられた。

場を失ったことから中断したと話していた。

それ以来訪れることもなかった護国神社会所で山の辺の道「奈良道」を守る会主催の第2回フォトコンテスト表彰式が行われた。

この日の表彰式は会の総会もある。

入選した写真は2月の奈良市入江泰吉写真美術館展示を皮切りに各施設で巡回展示が行われていた。

この日の表彰式に合わせて戻ってきた写真展会場。



聞き覚えのある声が聞こえてきた。

声の主は八島町で六斎念仏をされている鉦講の代表者のⅠさんだ。

平成21年3月15日に行われた涅槃の念仏の取材以来、親しくさせてもらっている。

今回、第2部門で奨励賞をいただいた6枚組の「山の辺の道の行事」のうち一枚は「八島のチャンカラカン」。

太鼓を打つ姿を撮らせてもらった。

組写真は「奈良道を繋ぐ伝統行事」をサブテーマに「奈良市山町・当家のマツリ」、「奈良市池田町・池田のタイマツ」、「奈良市古市町・古市のセンゲンサン」、「奈良市八島町・八島のチャンカラカン」、「奈良市今市町・彼岸のコネンブツ」、「奈良市高畑町・新薬師寺のおたいまつ」で締める6枚組だ。

代表がご存知の人も写りこんでいる。

話題が広がる奈良道の各地域を取材させていただいたお礼の意味もあって応募した。

きっかけは守る会の理事でもあるTさん。

山町の当家のマツリでお世話になった。

初めてお会いしたのは平成18年10月8日だったと思う。

その日以来度々お世話になっている。

初回展示会場の奈良市入江泰吉写真美術館で紹介してくださった高樋町のOさんも理事を務める。

この年の3月より高樋町の行事などもご案内してくださり取材もさせていただいた。

ありがたいことである。

指定された席に座る。

両隣のお二方も奨励賞の受賞者。

お一人は高樋町のマツリをとらえた「祭事伝承」の作者であるYさん。

もう一人のOさんは藤原町をとらえた「白山ひめ神社」のマツリだ。

組写真でマツリの様相がよく判る地域密着の写真を拝見して出かけたくなるのだ。



奈良県護国神社にあった山の辺の道を案内する名所旧跡巡りをしてみるのもいいだろう。

(H27. 4.30 SB932SH撮影)
(H27. 4.30 EOS40D撮影)

日本風景写真協会和歌山第二支部第7回写真展in和歌山市民会館

2016年02月16日 08時41分25秒 | しゃしん
和歌山県で行われる写真展に出かけるのは実に10年ぶり。

いやそれ以上かもしれない。

野迫川村立里で出会った二人の写真家に助けられた雪道。

平成15年1月2日のことだった。

二人が所属する写真家クラブは「CLUB-67」だった。

奈良も一つの撮影地。

桜景観を撮りに案内したこともある。

交遊が深まり泊りで出かけた曽爾村は同行の撮影会までも。

写真家クラブはいつしか日本風景写真協会和歌山第二支部を立ち上げることになった。

奈良支部とも交流がある団体だ。

第7回写真展示会の案内状が届いた。

京奈和道路工事が進展して和歌山が近づいた。

空けられる日を探していた。

この日しかないと思って出かける和歌山への道。

大和郡山市下ツ道から五條市北までは大和御所道路。

今年の3月に暫定2車線で開通した御所IC-御所南ICで僅かながら延伸した。

五條市居傳町を繋ぐトンネル工事はまだまだだ。

一旦国道に降りて居傳町から再び高速道路。

紀ノ川ICまで繋ぐ五條道路-橋本道路-紀北東道路は快適だ。

和歌山市内に至る紀北西道路の完成は平成28年。

一段と利便性がよくなる。

風光明媚な景観を眺めながら走るこの区間の京奈和道路は無料だ。

走行中に目につくコイノボリは少ない。

北は山間部で南は紀ノ川沿いの新町住宅。

コイノボリはあっても支柱は金属ポールばかりだ。

長男の誕生を祝う杉の葉は見つからなかった。

国道24号線でもあるき紀北東道路・紀ノ川ICを降りて地道の国道を走る。

カーナビゲーションが案内する国道は7号線。

西へ向けて走る。

どこで南下したか覚えてないが広域4車線道路にでた。

どうやら24号線でもある和歌山バイパス線だ。

そこからは道なりに西進する。

カーナビゲーションが案内する通りに走っていたら南海本線とJR紀和線の終着点である和歌山市駅に着いた。

目的地の和歌山市民会館はすぐ近くにあるが、カーナビゲーションの案内に手こずって流離った。

なんとか着いた駐車場。

そこに和歌山市立博物館があった。

我が家の息子たちが小さい頃に入館したような記憶がある。



道路を隔てた向こう側が和歌山市民会館

そこの地下2階が展示場だった。

大和郡山市の横田町から走り続けておよそ2時間半。

途中で食事をしていたので通しであれば2時間強であったろう。

距離にしてみれば94.8km。

受付にはDさんとFBで知り合えたKさんが迎えてくれた。

和歌山らしい写真もあるが県外の風景をとらえた写真もある。

数えてみれば和歌山風景が15枚。

奈良風景は7枚。

京都が2枚、兵庫は3枚、滋賀は3枚の近畿圏。

さらに西の鳥取は4枚で西日本が34枚に対して東日本は14枚。

内訳は岩手が2枚、長野が6枚、新潟が1枚、群馬が2枚、東京および埼玉、静岡が各1枚だった。

遙か遠くまで撮影地を選ぶ風景写真は3割にも達する。

和歌山をとらえた風景写真も3割だ。

地元以外に足を運ぶ写真家たちの作品に見惚れる。

この日は音楽生演奏のコラボもあった。

写真と音楽が共演する展示会は面白い試みだと思った。



「あいみちte」のお二人が演奏する二胡とオカリナ。

原曲?のエルコンドラパッソを聞かせてもらった。

心が弾むように思わず身体が跳ねる。

滞在時間は1時間半。

生演奏を聴いて時の流れを堪能する。

帰路はほぼ同じコース。

途中でコイノボリ取材もしていたので遅くなったが2時間半。

往復合わせた距離は201kmだった。

(H27. 4.23 SB932SH撮影)

応募したら・・・

2015年11月19日 09時02分29秒 | しゃしん
「山の辺の道<奈良道>を守る会」主催の「第2回フォトコンテスト入選写真展会」が入江泰吉記念奈良市写真美術館で2月10日より開催されている。

応募点数は350点以上。

入選は50点。

先日、入選された作品を審査されて入賞作品が発表された。

奨励賞に入ったこともあって拝見してきた。

応募したキッカケは地元住民の願いごと。

北の「山の辺の道」ファンを一人でも多く増やして広めたいという願い。

「2番目の写真でいいから」と云われて応募していたのだ。

2月15日までは入江泰吉記念奈良市写真美術館で展示されているが、その後は巡回展示される。

3月2日~8日までは奈良市観光センター。

3月16日~20日までは奈良市市役所ホール。

3月25日~29日までは奈良市西部公民館。

4月13日~20日までは佐保短大構内のレストラン鹿野園となる。

巡回展示会場のスペース関係もあり、入選作品の一部は展示できないらしいが、奈良道の集落や景観、行事もとらえた作品群は一見の価値ありだと思った。

(H27. 2.14 SB932SH撮影)

第10回美しい風景写真100人展in富士フィルムフォトサロン大阪

2015年11月01日 08時52分38秒 | しゃしん
知人のYさんが入選したと伝えていた第10回美しい風景写真100人展。

展示場は大阪市中央区にある富士フィルムフォトサロン大阪だ。

会期中は受付をしているとFacebookで伝えていた。

前日までは講演会資料作り。

レジメ、トークシナリオなどの整備で四苦八苦していた。

ほぼ出来あがって気分的に落ち着いたときの案内に飛びついた。

気分転換を兼ねて走った。

開催地をカーナビにセットして出発。

第二阪奈道路を経由して阪神高速道路。

この日はまったく渋滞に遭遇せずのスイスイ走行。

穏やかな日和も合せて心地いい。

カーナビが指示する高速道路の降り口は森の宮。

降りてまっすぐ西の国道沿い。

ここも渋滞は見られない。

ここら辺りだろうと思っていたが右折れ信号もなくさらに西へと走行していたら「ルートから外れました」のアナウンス。

やってしもた。

慣れない街道に通り抜けてしまった御堂筋。

仕方なく西本町の信号を右折れして四ツ橋線を北上する。

たぶんここら辺りで戻ればいいと判断して信濃橋信号を右折れする。

ルート案内は正常に戻った。

本町3を抜けた本町2信号左にあった建物が丸紅大阪本社ビル。

ここの1階にあるのが富士フィルムフォトサロン大阪だ。

ここまでくれば道は判る。



左折れした信号左角にある駐車場は「ヴィアーレ大阪」内にある大阪市安土町駐車場だ。

大阪市営の施設は1時間駐車で400円。

最大利用で1500円。

電車であれば近鉄郡山駅から地下鉄本町間の往復料金は1480円。

どっこい、どっこいだ。

高速料金は持ちだしだが、駅まで歩く時間を考えれば時間効率を稼げる自動車の方が勝手が良い。

安土町駐車場入り口に反対側にあった立て看板が気になっていた。

地下の駐車場に車を格納して上がった1階。



確かめてみた看板に「うな丼 500円」とある。

一杯のうな丼が500円。

「噂のワンコイン」は税込み500円ぽっきり。

見本の写真に大き目のうなぎが一切盛ってある。



左側に表示してあった「うな丼ダブル」は税込み1000円。

うなぎが2枚の盛りだ。

これってよく考えりゃうなぎが二倍だけど、値段も倍やんか。

ご飯大盛り無料とあるが、ワンコインうな丼2杯を注文したら、どうなん。

今度、訪れるときにはどちらを選択するか、腹具合で決めてみたいお店は「備長炭焼 宇奈とと」だ。

もう一軒、気になったお店の立て看板。

駐車場の南側にある。

600円の日替わり定食に650円の唐揚げ定食・チキン南蛮定食がある。

たぶん税抜き表示だろう。

600円値段はもうひとつある。

鶏のネギメヨ丼定食だ。

どれもこれも美味そうに見える見本の写真。

看板右横にあった本日のサービス品。

500円の玉子丼定食だ。

定食というから何品も付いている。

この日は2個の唐揚げ、サラダ、みそ汁、つけものだ。



税抜きであってもこれはお買い得だと思ったお店は「手造り居酒屋 たらふく」ではなく地下街の「響や」だった。

紛らわしい場所に置いてあるのは何故なんだろう。

食べ物のことは腹の中に納めて先を急ぐ展示場。

100人ものアマチュアカメラマンがとらえた日本の「奇麗」を鑑賞することにする。

受付に知人のYさんがいらっしゃった。

記念に貰った絵葉書風写真は知人の作品。

長閑な農村風景を撮っておられる。

最近は「民俗」にも傾注するような作品が多くなっているように思える。

100人展の作品はすべてがフィルム撮りだそうだ。

美しい春色景観がどっと押し寄せてくる。

春から夏、秋、そして冬までの一連を100枚の作品で季節を味わう展示会。

椅子に腰かけていた男性に声をかける。

顔馴染みの男性は和歌山の撮影隊の一人であるDさん。

出合ったのは平成15年1月2日の奈良県野迫川村の立里だ。

北今西・弓手原のオコナイがどこで行われているのか彷徨っていた。

時間帯は昼前だったか、後だったが記憶にない。

立里(たてり)の荒神さんも行ってみようと思っていたが、凍っていた急な坂道を登ることができないノーマルタイヤ。

パジェロで来られていたDさんに声をかけた。

「無謀な・・」と云われた。

ここまで来て拝見できないのは申しわけないと思ったのか、私を乗車させてくださったDさんの相棒はN子さん。

雪山の白樺林に感激したものだ。

この日を機会にお付き合いをするようになった風景写真家。

和歌山を拠点に各地の「奇麗」を撮り続けている。

かれこれ11年。お互いの年齢は11歳ずつ増えていた。

風貌も変化したが気遣いはかわりない。

つもる話しがいっぱいある。

その場で紹介された婦人。

つい最近にFacebook友達に加えてもらったKさんもおられた。

顔を合わせるのは初めてだ。

4人揃い踏みの風景写真家。

作風はそれぞれに個性がある。

みなさんはセミナー&トークに参加される。

この場で分かれて会場作品をひとつずつ鑑賞するが、どこかで見たような景色が多い。

霞、雲海、朝日、夕陽はこないに多い作品群。

たしかに「奇麗」だが・・・である。

これは、と思ったのは作品「黎明」。

富士山を捉えた写真だが、これまで見たこともないような景観だった。

デージーだろうか、画面下にずらりと並ぶ赤い花。

上空は赤く焼ける雲が浮かぶ。

色がいいんだな。

もう一枚は作品「滝行者」。

流れる滝の水が岩に当たって姿が現れる。

まるで人間のように見える。

ふっと思い出した八甲田山の死の彷徨。

軍服姿の人間が吹雪吹く大雪に遮られて雪中行軍しているワンシーンように見えたのだ。

それより手前ぐらいから作品に見惚れていた数人がおられた。

たくさんの柿の実が垂れさがる作品に、これってどの柿に焦点を合わしたらいいんだろうと話していた。

私なら、あーする、こーすると伝えたら、なるほどって。

実成りの形も横、それとも縦位置。

切り取り方次第で作品が作品らしく向上するけど、最終的には人それぞれの好みに頷いていた。

写真展でいつも感じるのがタイトルだ。

十中八九が説明的・解説的なタイトルに失望する。

地名や名所旧跡名、山名・海名そのものをタイトルにしている作品もある。

思わず関西弁的に「おもろない」と口走ってしまう。

虹があれば「虹の云々」。

千枚田の景観なら「千枚田の云々」。

夕陽に当たる納屋なんぞは「納屋残照」だ。

私なら「お家に帰ろう」かな。

「風音を聞きながら」の作品を拝見してあんたならどうタイトルするって云われたから思わず「ザワメキ」と答えた。

その場ではそう思ったが「ザワワ」にしたい。

あとで聞いた話しによれば作者のタイトル付けは「その場で思ったありのままで良い」ということらしいが、ひと工夫してもらいたいと思った。

(H27. 1.24 SB932SH撮影)

いただきもののキャノンF-1

2015年09月06日 07時48分03秒 | しゃしん
キャノンが5年間もの歳月で開発したフィルムカメラのF-1。

販売されたのは昭和46年3月だったそうだ。

その時代は就職していた。

発売当時の価格はボディだけで78000円。

F1.2の55mmFDレンズセットで117000円だった。

若い時代、とてもじゃないが買えそうにもない。

同年同月に販売されたFTbがある。

ボディが35000円で、F1.2の55mmFDレンズセットは74000円だった。

2ランク落としたF1.8の50mmFDレンズセットは49800円。

私にとってはそれでも高値。

ボーナスをつぎ込んで買った。

それが始まりだった。

FTbはそれほど使うことはなかった。

カメラは持っていても撮ることはなかったのだ。

平成2年10月に発売されたEOSシリーズの廉価版であるEOS1000QL。

ボディは47000円でF4~5.6のEF35-80mmレンズ付きで69000円だった。

その後に発売されたEOS1000SQDは平成4年に発売された。

たしかFTbを下取りに買ったと思う。

F4~5.6・EF35-80mmレンズ付きで76000円だったが、50000円のボディだけにしてレンズはシグマにした。

ときおり使う程度であったが、軽さを考えて平成11年に発売されたEOSKissⅢに乗り換えた。

ボディは64000円。

レンズはタムロン28―80mmを使った。

これはけっこう使って平成21年11月まで。

その後はいただきもののEOS-3。

薄給仕事人には充分見合ったフィルムカメラ歴。

振り返ってみても今でも変わらずの薄給のカメラ歴だ。

ダイコンを干しなどの景観を撮らせてもらった天理市荒蒔町の前當家。

当主はカメラ好きだった。

何十台も買っては、育てた花や風景を撮っていたと話す。

「今はまったく使わなくなったから、あんたにあげる」と云って防湿保管庫から取り出したキャノンFDレンズの135mmF2.5(S.C.)。

当然ながら現在活動中の愛用EOS-3のマウントは合わない。

庫を覗いた当主。

これならセットできると云って持ってきたのはフィルムカメラのキャノンF-1。

「EOSレンズじゃあわんからこれも持ってき」と云ってレンズもセットしてくれた。

ずっしりと重いカメラに巻きあげ式レバーの感触が懐かしい。

さぁて、何を撮ってみるか。

数本残しておいたフジクロームfortia(フォルティア)SPがある。

今でも使えるかどうか判らないが、ボチボチ考えることにする。

フォルティアの5本セット売りはいつ買ったか覚えていないが、5600円価格のカメラのキタムラシールが貼ってあった。

1本が見当たらないので何かに折りに使ったのか、これまた記憶もデータもない。

よく見ればフィルム箱に2008.09とある。

写るんかいな?。

ところで、写真家Mさんの話しによればキャノンF-1は「ケンカの道具」の呼び名があるという。

カメラ本体が角ばっている形状からなのか。

試しはしないが、「角で殴る」例えは頑丈であるという誉め言葉なのであろう。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

巡る二つの写真展

2015年08月27日 09時17分24秒 | しゃしん
村行事の取材でお世話になった同年代の男性から申し出があって県立民俗博物館に出かけた。

私がとらえた大和の民俗写真展である。

当番の日の8日は事情があってこられなかった。

じゃぁ、特別に解説しましょうということで訪れたのだ。

1時間ほどそれぞれのカメラマンが独自の切り口でとらえた「思い」を伝えながら「食」文化を展示された写真をもとに語らせてもらった。

写真のウラ側にあるものを知る限りの情報で話した。

世界遺産の公認講師資格者でもあるAさん。

地元の歴史・文化や奈良大和も深い造詣もお持ちだ。

しかもだ。平成21年に発刊した『奈良大和路の年中行事』も買ってくださっている。

ありがたい方に、どこにでもあるような小さな「民俗」を話させていただいたことに感謝する。

伝えなきゃならないことは数多くあるが所用もあるので館を離れた。

次に訪れたのは橋本町にある「きらっ都・奈良」だ。



他界された飯田敏男さんが遺した数々の写真が展示されている。

案内されたのは関係者のみ。

案内ポスターに映し出されたお顔を拝見した。

見覚えのあるお顔だ。

近鉄郡山駅で電車を待つ姿をお見かけしたことがある。

たった2回ほどであった。

始めて拝見したのは大宇陀の野依(のより)だ。

5月5日に節句のオンダが行われている野依は平成16年に訪れた。

そこにおられたのが飯田氏だった。

お話しをする機会はなかったが、お顔や姿は記憶に残っていた。

愛用のカメラであろうと思われたカメラは一眼レフでもなく手巻きマニュアルカメラを首にぶら下げていた。

その印象が強く残っていた。

近鉄郡山駅で見かけたときもそのカメラを首から下げていた。

待つ駅は反対側だったのでお声はかけられなかった。

たぶんに住まいは地元の大和郡山だと思った。



故人となられた飯田氏が遺された写真を拝見したく訪れた写真展。

作品はすべてがモノクロ。

平成23年から25年にかけて撮られた写真プリントを展示する。

展示と云っても額縁に入れて掲げたものではない。

遺族から預かられて世話人が会場に持ちこまれた800枚のプリント。

大量な作品は机に並べられた。

マツリ、縁日、観光、街などの情景に集まる人を捉えた作品群に圧倒される。

二人連れ、三人連れもあれば群集もある。

被写体人物は高齢、壮年、若者、学生、子供までの男性、女性、男児、女児。

一見ばらばらのように見えるがそうではない。

写し込んだ人たちがまるで会話、談笑しているかのようだ。

家族、知人なのか、それともたまたま遭遇した集まりなのか判らない。

通り過ぎる人もおれば、そこに居る人たちもそれぞれに表情・動作がある。

人々が点々としているにも拘わらず、それぞれに存在感を示す被写体。

しかも空間を感じさせない。

無駄な隙間がない群像をとらえた情景は、まるで計算しつくした上で作品群なのだ。

巧みな人物配置・構成を拝見してつくづく思ったのは「人それぞれの人生を語った」作品ではないだろうか。

とらえた写真は自宅で現像してベタ焼き。

より洗練された作品をプリントする。

人生最後のプリントは何十年も通い続けた五個荘の祭りだったそうだ。

その日限りの展示会は大勢の友人たちが集まってにぎやかし。

「飯田氏からのメッセージ」は和やかに惜しまれた。

(H26.11.27 SB932SH撮影)

第14回写団やまと光彩会写真展in法隆寺iセンター

2015年04月23日 08時12分14秒 | しゃしん
“写団やまと” 光彩会写真展を始めて拝見したのは平成21年9月24日だった。

写友人に紹介されて出かけた法隆寺iセンターが展示会場。

その当時は社友人も所属していた光彩会。

展示していた作品に感動したことを覚えているが、とらえた映像は忘れた。

彼女の作品は素直な作風だったが、一部はギラギラしているように見えた。

デジタル画像を色彩塗り絵したような作品に厭気がさした。

そのときがきっかけで、紹介された男性は奈良を観光案内しているカメラマン。

同じく素直な画風に憧れた。

私も含めて今では3人そろって奈良大和で行われている民俗行事を追っかけるようになった。

3年後、会の顧問を勤めていた男性とはカメラのキタムラ奈良南店でお会いすることもあった。

そのころはすでにカメラ女史は会を辞めていた。

どうも作風が合わないということのようだったが、案内状が届くようになっていた。

知り合いはいなくとも昨年も拝見した光彩会写真展。

そのころ感じた会員の作品群。

どこかで見たような画像もあるが、刺激を受ける作品もある。

プリントは奈良県図書情報館で印刷した大版。細部も奇麗に処理されていた。

会員の話によれば3枚プリントするには1時間もかかると云っていた。

今年も案内状が届いた第14回写団やまと光彩会写真展の会場は今までどおりの斑鳩町の法隆寺iセンターの2階。

宮大工棟梁を勤めた西岡常一氏の功績伝える展示場でもある。

飛鳥時代から受け継がれてきた寺院建築の技術を世に伝えた技術は「最後の宮大工」と称された人物だが、平成7年に亡くなられた。

ずいぶん昔のこと。

テレビで放映された西岡常一氏を伝える特集があった。

著書である『木に学べ』を伝える番組だったと思う。

番組だったか、著書だったのか覚えていないが「木を育てる年数は造営する期間と一致システム」であった・・・ような気がする。

2階の展示場は小学生だった二人の息子を連れて見学したことがある。

大工が動く映像を見て喜んでいたことを思い出す。

さて、写真展の作品である。

案内状にも映し出されていた「課外授業」。

タイトルが実にうまい。

なるほどと感心する。

作品目録に印をつけた作品は「追憶」もある。

映像から何を思い起こすか。

これもまた素晴らしいタイトルだった。

写真展を見終えて会場を出る。

(H26. 9.21 SB932SH撮影)