かつては10日が氏神祭だった椎木町の杵築神社。
神さんを仮宮で祀っていた当屋の家。
前日に分霊遷しましされた仮宮と呼ばれるお旅所で過ごされた。
この日の朝は再び神社に戻る還幸祭が執り行われる。
神送りとも呼ばれる祭祀である。
十人衆はソウ(素襖)と呼ばれる白い装束を身につけて烏帽子を被る。
十人衆は当屋の家に集まる。
次の当屋を勤める二人や東西地区の自治会長は礼服だ。
門屋に注連縄を張った当屋の家。
玄関先に設えた仮宮に並んだ。
神主が捧げる神送りの祝詞奏上。
仮宮で過ごされたヤカタの神さんを取り出す。
それを受け取る一老。
この日も三老が一老の代役を勤めた。
一老に引き続いて玉串を奉奠される人たちは二、三老の十人衆、礼服姿の若十人、アニトーヤ(オヤ当屋とも呼ばれる)、オトウトトーヤ(オト当屋とも呼ぶ)、次のトーヤ(受け当屋の兄・弟)、東西地区の自治会長、当屋子供のイナホ持ち、親族らが続いた。
こうして当屋家での神送り神事を終えればお渡りに移る。
お渡り行列の先頭を勤めるのはツユハライ。
十人衆のなかの一番若い人が勤める。
サカキの葉を水に浸けてお渡りをしながら左右に撒く。
神さんが通る道を祓い清めているのだ。
次は御神体の分霊神さんを納めたヤカタを抱く一老、二老、三老が続く。
礼服姿のアニトーヤとオトウトトーヤは大御幣を持つ。
その次はハツオとも呼ばれるイナホ持ちだ。
幣を取り付けた葉付きの笹を持つ。
笹に結い付けた穂付きの稲株二つも一緒に持つイナホさんは当屋の孫子供である。
そして受けトーヤ、神主、自治会長が後続につく。
鳥居を潜って本殿に入る際には神主は幣を振って御神体を迎える。
そうして始まった氏神祭。
本殿と拝殿の間の長床に座る一老、二老、三老。
神饌を献じるのは当屋と自治会長だ。
決められた席に着けば神主の祝詞奏上。
仮宮式を終えてたいらけくかしこみ申す。
引き続いて行われたのが「当渡し」の儀式。
現当屋から受け当屋に引き継がれる儀式である。
両者は立ちあがって向き合う。
神主の指示に従って大御幣を持つ二人の当屋は受け当屋に手渡された。
厳かに当渡しの儀式を終えた。
かつては手渡す際に御幣をぐるぐると三回廻していたそうだ。
御幣はシデが大切だと話す神主。
棒付きであっても構わないが受けた当屋は床の間に飾っておけば良いと伝えられた。
こうして神事を終えたあとは神饌を下げて長床で直会が行われる。
平成3年の10月に発刊された村の歴史を纏めた『椎木の歴史と民俗』によれば、かつては氏神祭に子供相撲があったそうだ。
祭りの間に繰り広げられた子供の相撲であった。
また、ダイガク型の12個の提灯台もあったそうだ。
東西地区それぞれの2台の三角三段の提灯台は法被ハチマキ姿の子供たちが曳いていたようだ。
(H24.10. 8 EOS40D撮影)
神さんを仮宮で祀っていた当屋の家。
前日に分霊遷しましされた仮宮と呼ばれるお旅所で過ごされた。
この日の朝は再び神社に戻る還幸祭が執り行われる。
神送りとも呼ばれる祭祀である。
十人衆はソウ(素襖)と呼ばれる白い装束を身につけて烏帽子を被る。
十人衆は当屋の家に集まる。
次の当屋を勤める二人や東西地区の自治会長は礼服だ。
門屋に注連縄を張った当屋の家。
玄関先に設えた仮宮に並んだ。
神主が捧げる神送りの祝詞奏上。
仮宮で過ごされたヤカタの神さんを取り出す。
それを受け取る一老。
この日も三老が一老の代役を勤めた。
一老に引き続いて玉串を奉奠される人たちは二、三老の十人衆、礼服姿の若十人、アニトーヤ(オヤ当屋とも呼ばれる)、オトウトトーヤ(オト当屋とも呼ぶ)、次のトーヤ(受け当屋の兄・弟)、東西地区の自治会長、当屋子供のイナホ持ち、親族らが続いた。
こうして当屋家での神送り神事を終えればお渡りに移る。
お渡り行列の先頭を勤めるのはツユハライ。
十人衆のなかの一番若い人が勤める。
サカキの葉を水に浸けてお渡りをしながら左右に撒く。
神さんが通る道を祓い清めているのだ。
次は御神体の分霊神さんを納めたヤカタを抱く一老、二老、三老が続く。
礼服姿のアニトーヤとオトウトトーヤは大御幣を持つ。
その次はハツオとも呼ばれるイナホ持ちだ。
幣を取り付けた葉付きの笹を持つ。
笹に結い付けた穂付きの稲株二つも一緒に持つイナホさんは当屋の孫子供である。
そして受けトーヤ、神主、自治会長が後続につく。
鳥居を潜って本殿に入る際には神主は幣を振って御神体を迎える。
そうして始まった氏神祭。
本殿と拝殿の間の長床に座る一老、二老、三老。
神饌を献じるのは当屋と自治会長だ。
決められた席に着けば神主の祝詞奏上。
仮宮式を終えてたいらけくかしこみ申す。
引き続いて行われたのが「当渡し」の儀式。
現当屋から受け当屋に引き継がれる儀式である。
両者は立ちあがって向き合う。
神主の指示に従って大御幣を持つ二人の当屋は受け当屋に手渡された。
厳かに当渡しの儀式を終えた。
かつては手渡す際に御幣をぐるぐると三回廻していたそうだ。
御幣はシデが大切だと話す神主。
棒付きであっても構わないが受けた当屋は床の間に飾っておけば良いと伝えられた。
こうして神事を終えたあとは神饌を下げて長床で直会が行われる。
平成3年の10月に発刊された村の歴史を纏めた『椎木の歴史と民俗』によれば、かつては氏神祭に子供相撲があったそうだ。
祭りの間に繰り広げられた子供の相撲であった。
また、ダイガク型の12個の提灯台もあったそうだ。
東西地区それぞれの2台の三角三段の提灯台は法被ハチマキ姿の子供たちが曳いていたようだ。
(H24.10. 8 EOS40D撮影)