マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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嘉吉祭の御食調製①

2015年05月16日 06時18分19秒 | 桜井市へ
祭神藤原鎌足公に「百味の御食」と呼ばれる神饌を捧げる談山神社に嘉吉祭がある。

大字多武峰の区長から是非とも、その神饌を作るところを見てほしいと願われて伺った。

嘉吉祭に先立つ4日前から前々日までの三日間。

多武峰在住の村人が集まって作業される時間帯は夜である。

予め、お願いしていた崇敬会理事長に紹介されて取材に入った。

撮影にあたっては崇敬会理事長より「お顔は撮らんほうがいいだろう」と伝えられていた。

久しぶりにお会いする長岡千尋宮司。

著書『奈良大和路の年中行事』を発刊した折りにお叱りを受けた。

神社行事は掲載していたが「嘉吉祭が載ってないではないか」と云われたお叱り。

お詫びに伺って祭典後の神饌をブログで紹介したのは平成21年。

5年も経って「ようやく伺うことができました」と伝えたら笑顔で応えた。

始めの作業は広げたシートの上で葉をさばくミョウガ。

どれほどの数量であるのか計り知れない。



一本、一本手にして葉をもぎる。

ひと握りの束にしたミョウガの葉は麻苧(ヒモロギ)で括る。



長さを測って出刃包丁でザクッと切断する。

これが盛り御供の心棒になる。

直径10cm・高さ4cmの刳り木の土台に挿した心棒の竹をずぼっと挿し込む。

まっすぐ中央の芯に通す。



意外と難しいと話しながら挿したのは長岡宮司だ。

土台の竹製心棒の長さはおよそ32cmである。



かつて使われていた刳り木の土台が残されていた。

金粉を塗った土台であるが、やや小さくて直径は8.2cmで高さは3cmだった。

現在使われている土台は25~30年前に多武峰住民が製作・新調したそうだ。

金粉塗りの土台から想定するに、かつて仏事であったに違いない。

今では談山神社の行事になっているが、明治2年までは多武峯妙楽寺の行事であった。

神仏分離によって僧侶は還俗し神社行事に移ったのである。

なお、ミョウガの茎部分を御供の心棒にしていた処がある。

奈良市池田町・熊野神社の当家祭の御膳である。

詳しくはこちらに掲載していておいたので参照されたい。

見るものどれもこれも始めて拝見する嘉吉祭の神饌・御供盛り調製の作業。

多武峰付近の野山に植生する種や実を集めて採ってきたものだ。



ひとつずつ串に挿していく。

その作業はほとんどがご婦人。

連れ子の女児も一緒になって作っていく。

「女性や子供のお顔は写さないほうがいいでしょうね」と伝えたら「そうしてください」と返す。

出演するのは手や指先。

真剣な眼差しで丹念に作業を進める。



指先に全神経を集中させている作業の邪魔にならないように気を配る撮影である。

こまめな作業に時間が過ぎていく。



何段か積んだところでひと息つく。

僅かな時間に種・実の種類を伺った。

ムカゴ、ヤマナシ、シイ・カシ、ナツメ、イモ、エダマメ、カヤ、ギンナン、リンゴ、マメガキ、ホウズキ、コナス、スダチ、ミョウガ、キンカン、シイタケにキウイだ。

スダチやナツメは柔らかい。

堅いギンナンは底部を削っておく。

百味の御食と呼ばれる御供盛りを始めて拝見したのは平成21年だった。

お詫びを兼ねて拝見した神饌の姿に感動したことを思い出す。



飾り付けされた御供の内部構造や造りに手間がかかっていることに初めて気づく。

この場を借りて御礼申し上げる。

神饌作りの作業場は談山神社社務所の2階。

以前は神廟拝所内でしていたと話す大字多武峰住民。

集落は16戸だそうだ。

御供盛りする種・実は食べられるものであれば何でも構わないと云う。

ただ、串に挿しても崩れないものでなければと云う。



一方では男性が角材で箱のようなモノを作っていた。

弁当箱とも呼ぶ飯御供である。



幅は17cm四辺、長方は長さ52cmの箱型の四隅に半割りの竹で支える。

寄進してもらったモチゴメの藁を一本ずつ括っていく。



結び目が重なるようにした藁はおよそ60本で埋めた。

先には白・黒・赤・黄などの古代米の穂を括りつける。



崩れないように編んだ二本組の縄で締めつける。

その様子を見守る男性らからは毎年の作り方を聞かせてもらった。

撮ってはいないが、刳り木の台に挿し込む竹製のやや太い心棒。

傷んでいる心棒は作りなおしていた。

神饌作りが始まった1時間半後の午後8時半。

ぞろぞろと入室した人たち。

慣れ親しく村人に話しかける女性がいた。

民俗研究をしている女性だと思ったが、大きなテレビカメラを抱えている男性もいる撮影隊だった。

「ストロボを焚くのはやめてください」と云ったのはNHK奈良放送局の女性ディレクターだった。

なんでも飛鳥を中心に番組制作している「新日本風土記」の取材クルーであったのだ。



良い番組作りをしている取材クルーの協力依頼は惜しまない。

なくてもなんとかなるデジタルだが、フィルムはそういうわけにはいかない。

帰り際に私が伝えたのは「当方も民俗行事の記録取材。撮る時間を少しぐらいあけてくださらないか」だ。

(H26.10. 8 EOS40D撮影)