長安寺町では大とんどのことを二ノ正月のとんどと呼んでいる。
かつては2月1日に行われていたが、いつしか集まりやすい2月第一日曜日に移った。
竹を重ねて組んだとんどは厳島神社の正月飾りも燃やされる。
神社拝殿には簾型の注連縄を取り付ける。
大晦日前日の30日である。
今回の注連縄作りは締めが甘かった。
七・五・三に編んだ注連縄に隙間ができてしまったと話す。
20年ほど前までの注連縄は七・五・三幅がもっと詰んでいた。
いわゆる簾型の注連縄であるが、あるときから適当な本数になったという。
とんど場は墓地南側の空き地。
地元有力家の所有地を借用しての実施だ。
とんど組みも火点けも自警団。
笹や竹でとんどの櫓を組む。
正月を飾った注連縄もとんどで燃やす。
火点けの方角は特に決まっていない。
適当な位置から火を点ける。
青空に白い雲が広がる朝だった。
燃え上がるとんどの火はメラメラと竹の葉を焼き尽くす。
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しばらくすればとんど内部も燃えるが、何故かてっぺんの葉が残った。
朝の光りに輝く長安寺町の大とんど。
今では9時の点火だが、かつては朝の5時か6時ころ。
子供会主体で行われていた。
子供たちはとんどの火を見て小学校に行っていたと話す。
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かつてはとんど周りに穴を掘って、そこで網を被せてモチを焼いていた。
五徳を持ちこんで焼く人もいた。
子供会がしていたころはとん汁ふるまいもあった。
公民館では焼いたモチを入れたふるまいの雑煮(ぜんざいとも)をよばれていたが、これらは昔のことである。
「天筆(てんぴつ)」の習わしはなく、習字の書はとんど内部に入れて燃やしていたようだ。
(H27. 2. 1 EOS40D撮影)
かつては2月1日に行われていたが、いつしか集まりやすい2月第一日曜日に移った。
竹を重ねて組んだとんどは厳島神社の正月飾りも燃やされる。
神社拝殿には簾型の注連縄を取り付ける。
大晦日前日の30日である。
今回の注連縄作りは締めが甘かった。
七・五・三に編んだ注連縄に隙間ができてしまったと話す。
20年ほど前までの注連縄は七・五・三幅がもっと詰んでいた。
いわゆる簾型の注連縄であるが、あるときから適当な本数になったという。
とんど場は墓地南側の空き地。
地元有力家の所有地を借用しての実施だ。
とんど組みも火点けも自警団。
笹や竹でとんどの櫓を組む。
正月を飾った注連縄もとんどで燃やす。
火点けの方角は特に決まっていない。
適当な位置から火を点ける。
青空に白い雲が広がる朝だった。
燃え上がるとんどの火はメラメラと竹の葉を焼き尽くす。
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しばらくすればとんど内部も燃えるが、何故かてっぺんの葉が残った。
朝の光りに輝く長安寺町の大とんど。
今では9時の点火だが、かつては朝の5時か6時ころ。
子供会主体で行われていた。
子供たちはとんどの火を見て小学校に行っていたと話す。
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かつてはとんど周りに穴を掘って、そこで網を被せてモチを焼いていた。
五徳を持ちこんで焼く人もいた。
子供会がしていたころはとん汁ふるまいもあった。
公民館では焼いたモチを入れたふるまいの雑煮(ぜんざいとも)をよばれていたが、これらは昔のことである。
「天筆(てんぴつ)」の習わしはなく、習字の書はとんど内部に入れて燃やしていたようだ。
(H27. 2. 1 EOS40D撮影)