マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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石木町登弥神社・廻り当番の燈明箱

2020年04月17日 09時38分29秒 | 奈良市へ
この日、朝から出かけた京都山城町・涌出宮の百味御食取材を筆頭に、帰路に見かけた木津の布団太鼓巡行もあれば、奈良に戻ってからご挨拶と思って訪ねた奈良市高樋町へも。

予定していた民俗探訪を終え、帰り道に買い物を済ませてようやく戻ってきた居住地。

ここからは狭い道になる。

これまでは奈良交通のバスが運行していたが、現在は奈良県総合医療センターに向かう新道(※平成30年5月開通の石木―城線)に移ったが、以前は対向車のにらみ合いに、無理して抜けようとする車がよく水路に落ちてしまうこともあった狭い道。ここは奈良市石木町。

登弥神社に向かう参道道でもある。

神社前の通りを抜けようとしたそのときである。

一人の男性が燈明箱をもっていた。

行先は、言わずもがなの登弥神社。

夕刻に火を灯す燈明番の人である。

急なことだが、ここで停車してお声をかけた。

午後4時半である。すぐさま火を点ける場所は、鳥居前に建つ石灯籠である。

土台の刻印は四面それぞれに「施主」、「木嶋屋」、「平井氏」、「源右衛門」があり、灯籠本体は「天保四癸巳(1833)九月」、「油料 自領字吉山 田地七枚 高領 壹斗 五斗」である。

燈明を灯す油料を寄進していた施主の名である。

願主氏子でなく、屋号木嶋屋の平井源右衛門が建てた石嶋大明神灯籠の火袋に灯す蝋燭。燈明番は14軒で廻しているというから旧城村の氏子中。

登弥神社は石木町、大和田町、そして大和郡山市の城町(東城)の人たち3カ大字の氏子中が守っている神社である。



現在の燈明箱は新調したもの。

薄っすら墨書文字の「垣内安全 ■十九年一月吉日」までが読み取れた。

以前、古びた燈明箱で廻していたが、玄関前に置いていたら盗人に盗られたので新調した、というⅠさん。

生まれも育ちも大和郡山であるが、サラリーマンゆえ茨城県で仕事に就いていたが、近年になってUターン。

生まれ故郷に戻ってきたそうだ。

息子の長男さんは茨城県に居るが、奥さんと次男さんとともに戻ってきた、という。

奈良に戻って奈良の良さをあらためて知り、氏子入りをした。

Ⅰさんのお兄さんは、なんでもNPO法人ならソムリエの会に入って勉強した結果、奈良検定の奈良通1級に合格した、という。

県人としても誇らしい奈良まほろばソムリエ検定(主催は奈良商工会議所)の合格である。

私ももっと学ばなければならないと思うのだが、県内行事の記録取材で目いっぱいである。

(H30.10.21 SB932SH撮影)