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本町のいしかわ魚店は、また再訪することになるだろう。
ここ本町に、ほど近い新町通りにも鮮魚店がある。
「名張八日市の宵宮蛭子祭」取材の折に調べていたお店が新町の矢の惣総合食品。
当時、時間がなく、またの機会にと思っていた。
谷出の永橋商店の女将さんに、これからそちらにも伺いたく、と伝えたら、うん、知っているという。
噂だが、鮮魚店は細々に、業態替えに錦生地区の小学校に食事を提供する委託事業に移った、とか。
仕出し専門になればトビウオはないかも・・。
期待は萎んだが、とにかく訪問してみることにした。
本町から中町へ。
そして、目的地の新町に向けて車を走らせた。
お店が立ち並ぶ商店街のような通り。
本町通りを抜けて新町に入る直角道の角に建っていた民家の軒にあった古き行燈。
蜘蛛の巣に包まれている行燈の三方に文字があった。
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三面に書いてあった「山田郡司」、「大友皇子 伊賀皇子」、「伊賀采女宅子娘」をキーにネット調べ。
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三重県環境生活部文化振興課県史編さん班が、調査、公開している県史あれこれ。
『歴史の情報蔵』にあった「壬申の乱と古代の伊賀・伊勢」によれば、「飛鳥時代に起こった壬申の乱は、天智天皇の死後、その皇位継承をめぐっての争いでしたが、この三重の地と深い関わりがありました。 天智天皇には、自分とともに政治に参与してきた実弟大海人皇子(おおあまのおうじ)があり、だれもが皇位を継ぐものと思っていました。しかし、天皇には当時21歳になる息子、大友皇子があり、大友皇子を太政大臣に任じ後継者としました。このことが内乱を起こす原因となったのです。なお、この大友皇子の生母は、伊賀妥女宅子娘(いがのうねめやかこのいらつめ)で伊賀国山田郡の郡司の娘と言われています」とあった。
なーるほど、であるが、この日は、聞き取りする時間もなく、次に訪れる機会に委ねた。
名張市の本町から中町。
お店が立ち並ぶ商店街のような通り。
角に建っていた民家の軒にあった古き行燈を拝見に立ち止まった中町の角地。
そこから西に入る道が新町通り。
目指す取材地は、新町の矢の総総合食料品店。
その手前にも見つかった民俗の一篇。
興味深い行燈に聞き取りの余裕時間はない。
急がねばならない目的地は、どこだ。
カーナビゲーションが指示する場所は、とんでもないところを表示する。
ここら辺りにあるのは間違いない、と思うが・・
お店が見つかる前に目に入った立柱に「江戸川亂(乱)歩先生生誕地」。
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昭和30年に建之された生誕の碑。
思い出した。
三重県のある情報番組で取り上げていた生誕地がここだったとは・・・。
明智小五郎に怪人二十面相。
「ぼっ、ぼっ、ぼくらは少年探偵団♪・・・(勇気凛々 瑠璃の色)」が、自然に口ずさむ世代は、今や高齢者。
のちに知った江戸川乱歩の命日。
つい数日前の7月28日に地元古書店で行われた”命日に偲ぶ読書会[乱読☆夜話]”が催されたようだ。
平成29年、三重テレビが放送していた番組「ええじゃないか」に出演していたタレントに、風体がまるで中年探偵のような恰好のガイドさんが解説していた「ひやわい」。
名張の訛り、だと伝えていた。
町内を抜ける伊勢から名張、そして大和を結ぶ初瀬街道にちょいと狭い路地を入った所にあるらしいが、この日は散策する時間もなく、生誕の碑の存在を知るところまで・・。
ちなみに、地元民がいう「ひやわい」は、狭い路地のこと。
庇と庇の間が重なり合うほど狭い路地。
伊勢弁に、隙間を「あわいさ(※間)」が語源だ、といわれているようだが、実は、奈良県民も同じく「ひやわい」とか、「あわいさ」を、口にする奈良県宇陀市大宇陀平尾の住民がおられる。
ナワシロジマイを終えたIさんらは、遅い昼めし。
その際に語ってくれた、日常に交わすさまざまな「やまと言葉」の数々。
その中に「あわいさ」、「ひゃわいさ」があった。
「あわいさ」をキーにネット調べ。
なんと、奈良県広陵町社会教育委員会議の「ふるさとの言葉」に載っていた。
また、「まほろば」ブロガーさんは「奈良県方言番付 (※)富山大学人文学部 日本語学研究室 奈良県大和高田出身・方言学・社会言語学専門の中井精一教授調査・番付」に「あわいさ」を前頭として揚げていた。
番付が前頭にランクするくらいの「あわいさ」。
大宇陀、広陵町以外にも、口にする人は多いのでは、と思った。
(R3. 7.30 SB805SH撮影)
ここ本町に、ほど近い新町通りにも鮮魚店がある。
「名張八日市の宵宮蛭子祭」取材の折に調べていたお店が新町の矢の惣総合食品。
当時、時間がなく、またの機会にと思っていた。
谷出の永橋商店の女将さんに、これからそちらにも伺いたく、と伝えたら、うん、知っているという。
噂だが、鮮魚店は細々に、業態替えに錦生地区の小学校に食事を提供する委託事業に移った、とか。
仕出し専門になればトビウオはないかも・・。
期待は萎んだが、とにかく訪問してみることにした。
本町から中町へ。
そして、目的地の新町に向けて車を走らせた。
お店が立ち並ぶ商店街のような通り。
本町通りを抜けて新町に入る直角道の角に建っていた民家の軒にあった古き行燈。
蜘蛛の巣に包まれている行燈の三方に文字があった。
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三面に書いてあった「山田郡司」、「大友皇子 伊賀皇子」、「伊賀采女宅子娘」をキーにネット調べ。
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三重県環境生活部文化振興課県史編さん班が、調査、公開している県史あれこれ。
『歴史の情報蔵』にあった「壬申の乱と古代の伊賀・伊勢」によれば、「飛鳥時代に起こった壬申の乱は、天智天皇の死後、その皇位継承をめぐっての争いでしたが、この三重の地と深い関わりがありました。 天智天皇には、自分とともに政治に参与してきた実弟大海人皇子(おおあまのおうじ)があり、だれもが皇位を継ぐものと思っていました。しかし、天皇には当時21歳になる息子、大友皇子があり、大友皇子を太政大臣に任じ後継者としました。このことが内乱を起こす原因となったのです。なお、この大友皇子の生母は、伊賀妥女宅子娘(いがのうねめやかこのいらつめ)で伊賀国山田郡の郡司の娘と言われています」とあった。
なーるほど、であるが、この日は、聞き取りする時間もなく、次に訪れる機会に委ねた。
名張市の本町から中町。
お店が立ち並ぶ商店街のような通り。
角に建っていた民家の軒にあった古き行燈を拝見に立ち止まった中町の角地。
そこから西に入る道が新町通り。
目指す取材地は、新町の矢の総総合食料品店。
その手前にも見つかった民俗の一篇。
興味深い行燈に聞き取りの余裕時間はない。
急がねばならない目的地は、どこだ。
カーナビゲーションが指示する場所は、とんでもないところを表示する。
ここら辺りにあるのは間違いない、と思うが・・
お店が見つかる前に目に入った立柱に「江戸川亂(乱)歩先生生誕地」。
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昭和30年に建之された生誕の碑。
思い出した。
三重県のある情報番組で取り上げていた生誕地がここだったとは・・・。
明智小五郎に怪人二十面相。
「ぼっ、ぼっ、ぼくらは少年探偵団♪・・・(勇気凛々 瑠璃の色)」が、自然に口ずさむ世代は、今や高齢者。
のちに知った江戸川乱歩の命日。
つい数日前の7月28日に地元古書店で行われた”命日に偲ぶ読書会[乱読☆夜話]”が催されたようだ。
平成29年、三重テレビが放送していた番組「ええじゃないか」に出演していたタレントに、風体がまるで中年探偵のような恰好のガイドさんが解説していた「ひやわい」。
名張の訛り、だと伝えていた。
町内を抜ける伊勢から名張、そして大和を結ぶ初瀬街道にちょいと狭い路地を入った所にあるらしいが、この日は散策する時間もなく、生誕の碑の存在を知るところまで・・。
ちなみに、地元民がいう「ひやわい」は、狭い路地のこと。
庇と庇の間が重なり合うほど狭い路地。
伊勢弁に、隙間を「あわいさ(※間)」が語源だ、といわれているようだが、実は、奈良県民も同じく「ひやわい」とか、「あわいさ」を、口にする奈良県宇陀市大宇陀平尾の住民がおられる。
ナワシロジマイを終えたIさんらは、遅い昼めし。
その際に語ってくれた、日常に交わすさまざまな「やまと言葉」の数々。
その中に「あわいさ」、「ひゃわいさ」があった。
「あわいさ」をキーにネット調べ。
なんと、奈良県広陵町社会教育委員会議の「ふるさとの言葉」に載っていた。
また、「まほろば」ブロガーさんは「奈良県方言番付 (※)富山大学人文学部 日本語学研究室 奈良県大和高田出身・方言学・社会言語学専門の中井精一教授調査・番付」に「あわいさ」を前頭として揚げていた。
番付が前頭にランクするくらいの「あわいさ」。
大宇陀、広陵町以外にも、口にする人は多いのでは、と思った。
(R3. 7.30 SB805SH撮影)