二草庵摘録

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日本的テロリズム探求の大いなる成果 ~吉村昭「桜田門外ノ変」を読む

2021年12月26日 | 吉村昭
   (新潮文庫で読んだのだが、単行本も手許にある。)


■吉村昭「桜田門外ノ変」(平成7年刊。単行本は1990年=平成2年新潮社)


吉村昭以前と以後。
そういう括りがあるのかどうか知らないが、「生麦事件」につづき、この「桜田門外ノ変」を読んでいて、そう思わざるをえなかった。
記録文学としての歴史小説・・・これは語の矛盾のようにもかんがえられよう。しかし、吉村さんは、そういう力技を決めたのだ。

わたしはこれまで、山本周五郎、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平などの歴史・時代小説を好んで読んできた。
また、出版社では近ごろ佐伯泰英の本がシリーズ全体で何千万部売れたと騒いでいたが、「桜田門外ノ変」がもたらした記録文学の“リアル”とは目指す方向がまるで違う。
それらは従来からある剣豪小説であり、下町人情小説である。仇討ち小説であり、捕り物小説であり、浪花節であり、講談である、・・・といってはいい過ぎか(´?ω?)

「生麦事件」のときにも感じたが、吉村さんの歴史的事件に対する取り組みは、明らかにこれまでのものとは異質。
さて、いつものように、BOOKデータベースによって、本書がどう紹介されているかみてみよう。

■上巻(本文359ページ/現行版)
《安政七年(1860)三月三日、雪にけむる江戸城桜田門外に轟いた一発の銃声と激しい斬りあいが、幕末の日本に大きな転機をもたらした。安政の大獄、無勅許の開国等で独断専行する井伊大老を暗殺したこの事件を機に、水戸藩におこって幕政改革をめざした尊王攘夷思想は、倒幕運動へと変わっていく。襲撃現場の指揮者・関鉄之介を主人公に、桜田事変の全貌を描ききった歴史小説の大作。》

■下巻(本文391ページ。さらにあとがき、主要参考資料、解説あり)
《水戸の下級藩士の家に生まれた関鉄之介は、水戸学の薫陶を受け尊王攘夷思想にめざめた。時あたかも日米通商条約締結等をめぐって幕府に対立する水戸藩と尊王の志士に、幕府は苛烈な処分を加えた。鉄之介ら水戸・薩摩の脱藩士18人はあい謀って、桜田門外に井伊直弼をたおす。が、大老暗殺に呼応して薩摩藩が兵を進め朝廷を守護する計画は頓挫し、鉄之介は潜行逃亡の日々を重ねる…。》ともにBOOKデータベースより

「桜田門外ノ変」というテロリズム、暗殺事件を、襲撃者である水戸藩士の側に立って描く。それによってこの事件の真の“リアル”を記録として洗い直す。吉村昭の野心は本書においてほぼ達成されていると、わたしは思う。
ストーリーとしていくつかのピークが存在している。中でも3月3日、雪降る中での襲撃事件の透徹した描写力は圧巻で、おもわず居住まいを正したくなる。
これは純度の高い達成であり、「桜田門外ノ変」が歴史小説の金字塔(少なくともその一つ)であるのは疑いようがない。

しかし、わたしだけかもしれないが、最初の100ページほどは忍耐を必要とする。ストーリーが動いていかないのだ。
「つまらない」と投げ出してしまう読者もいるだろう。
主役に抜擢した関鉄之助が凡庸な人。彼の視点から描かれているとはいえ、本質は群像劇である。“薩摩・水戸脱藩士” 18人による群像劇。
しかも周辺人物をふくめると、登場人物は総勢100人に近いだろう。途中で名前が混乱してしまうほど多い(^^;
地名や日付けも、次からつぎ出てくるし。








後半1/3は逃走劇となる。吉村昭お得意の逃走劇である。つまらないかと思ったけど、ここも読ませる。
執拗な幕府の捕吏から逃げ回る関鉄之助。
間一髪の網を潜り抜け、潜り抜け逃走につぐ逃走である。
吉村さんには、「長英逃亡」」という長編小説もある。得意分野といってもいいのだ。
茨城県内をくまなく歩き、鉄之助の立ち回り先、九州や四国、鳥取や福井まで取材で訪れているのだから、作家的意気込み推して知るべし!
小説を書くために約30人にインタビューし、「主要参考文献」は40冊を超える。普通の作家や読者にはたいへんな労苦と思われるはずだが、吉村昭にはそれも愉しみのうち・・・だった♪

「桜田門外ノ変」は、そういう小説家が書いた、これまた“代表作”の一つである。
あとがきで著者の吉村さんは、
《江戸幕府崩壊までの史実に接しているうちに、私は、「大東亜戦争」の敗戦にいたる経過と似ているのを感じるようになった。歴史は繰返されるという手垢に染まった言葉が、重みをもって納得されるのである。
とりわけ幕末に起こった桜田門外の変と称される井伊大老暗殺事件が、二・二六事件ときわめて類似した出来事に思える。この二つの暗殺事件は、共に内外情勢を一変させる性格をもち、前者は明治維新に、後者は戦争から敗戦に突き進んだ原動力にもなった、と考えられるのである。偶然のことながら、両事件とも雪に縁がある。》(392ページ)と述べておられる、

「天狗争乱」(新潮文庫)の解説で、歴史家・北大名誉教授の田中彰さんは、こう評している。
《「それはフィクションではないんですよ」といい切れる歴史小説家がどれだけいるだろうか。この一語に吉村歴史文学の真骨頂が示されている、と思う。》(「天狗争乱」現行版549ページ)

吉村歴史文学の真骨頂!
そう・・・吉村昭は、フィクションとして歴史小説を作ろうとしたのではない。そんなものはすでに掃いて捨てるほどある。
可能なかぎり史実に寄り添って表現してやろう。
「桜田門外ノ変」は、“吉村歴史文学の真骨頂”をしめすと同時に、到達点の一つであろう。

時代の波頭のまにまに翻弄される人間。
武士という存在に、もし悲哀の歌というものがあるとしたら、わたしはこれがその悲哀の歌であることを信じて疑わない。
100人を超える登場人物の大合唱が、地鳴りのように響いている。♪



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