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東日本大震災は、日本国内はもとより、世界へも大きな衝撃をあたえた。
2011年(平成23)3月11日という日付を境にして、世界観、自然観、人生観が、いやおうなしに変更をせまられた。あの震災がなければ、少なくともわたしは、詩に復帰することはなかったはずである(=_=)
いや、これまでと同じ――考え方が深まっただけ、という人もいるかな?
被災者として体験をしたわけではないが、あんな巨大津波がわが国の福島・三陸地方に襲いかかるなんて、だれが予測しただろう。寝耳に水であったから、あれほどの人的被害を出したのである。
だけど・・・それでもやっぱり、地球が「奇蹟の星」であることに変わりがない。
いまのところ、地球はこの宇宙の中で、まったくの孤児である。
人類は全地球規模ではどんどん繁栄し、地球はすっかり狭くなってしまった。
しかし、火星へ、あるいは月へすら移民はできないのである。
今後、100年、200年という単位では、人間が地球外へ飛び出し、そこで暮らすなど、到底不可能だろう。
地球は循環装置である・・・といういい方がされるようになったのは、いつからかな?
大気、水、いろいろなエネルギー、そしてあまたの生命。それらすべてを、地球循環系の一端としてとらえるべきなのである。
子どものころは、毎日が感動の連続だったのに、おとなになって、そのことを忘れ、感動のない生活をだらだら過ごすようになる。
大気は汚れていない。清浄な水がいつでも飲める。安全な食料を、安価で購える。
大地は力強く道路や建築物をささえてくれる。
そういったことを、「あたりまえ」のこととして受け止めているから、それが脅かされたときの衝撃が大きいのだ。
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昨日、利根川河川敷を歩いていたら、このあいだの台風による大雨がもたらした爪痕を眼にした。
コンクリート製のテトラポッドが何十とあったのに、影も形もない。
50cmばかり厚みがあった、鉄筋入りのコンクリート護岸も、ご覧のように損傷をうけている。
このさきには、幅20mばかりの中州があって、樹木が茂っていたのに、利根の本流が、その位置を変え、このあいだまでの景観が消えているのを見て、自然の脅威、エネルギーのすさまじさをまざまざ感じる。このあいだの日記でふれたように、2011年は、いろいろな意味でわたしにとっては曲がり角の年。
トップに掲げたのは、ヤマトシジミの遺体をはこぶ蟻さん。
(あいにくD7000にマクロレンズを着けていなかった。撮影はCX4)
自分の体の何倍もある「獲物」を、えっちらおっちら、巣穴まで運び込もうというのだろう。生き残ったものたちは、これまでと同じような暮らしをいとなんでいる。
この遺体の不自然な動きを見た他のヤマトたちが、つぎからつぎへと訪れ、近々接近飛翔しては、観察をしていった。その眺めは、「仲間を救出しよう」としている光景にも見えた(^_^)/~
自然の内懐でくり返されている小さなちいさないとなみ。これもまたあたりまえの光景である・・・と思ってはいけないのである。
「奇蹟の星」のディテールは、やっぱり、奇蹟の生命の小さなちいさないとなみに満ちている。そのことに、もっともっと感動しようではないか!
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このキタテハさんは、越冬型のチョウの代表格。
まだ、しばらくのあいだ、美しい個体を観察できる。