
物心ついたころには、わが家に犬がいた。
犬が好きだった。
それから、いったい何匹の犬を飼ったことだろう。
犬は人間に比べたら短命だから、彼らの死には、何回となく立ち会ってきた。
わたしが最後につれそったのは、ムクという白い雑種で、白内障におかされ、盲目となってしまった。その犬が散歩から帰ったとたん、わたしの腕の中で突然息をひきとった。
そのときのショックを、いまでもはっきり覚えている。
はずかしい話だけれど、わたしは号泣した。
息子がもらってきた犬だった。
千葉にいた息子に、ムクの死を報告しながら、涙が、いつまでもとまらなかった。
ムクの思い出は、ムクとすごした時間の思い出だった。いっしょに歩き、いっしょに走った。朝の村や、夜の国道。サクラ吹雪が舞う日や、寒風吹きすさぶ夜。あるひとつの出来事の向こうに、ずいぶんいろいろな出来事が、積み木のように重なりあっている。
あれ以来、わが家には犬はいない。
町歩きをしていると、住人がいなくなった犬小屋が、淋しげに取り残されている光景をよく眼にする。犬は死に、犬小屋が残っているのである。



公園では愛犬家の散歩にときおり遭遇する。
家族の一員であるかのように、可愛がられている犬ばかりである。愛情をたっぷりとそそがれた犬たちは、誇らしげに輝いている。人の愛情に対して、とても敏感に反応する。人の感情をくみとる感受性という点では、猫の比ではない。
ムクが死んでから、わが家には犬はいない。
裏の木陰に、こわれかけた犬小屋がある。思い出すと、いまでも胸が痛む。わたしは彼に、ずいぶんといろいろなことを話した。
彼は辛抱強く、だまってそれを聞いている。
それから「ワン、ワンワン」と吠え、「あなたといっしょにいるだけで、ぼくは幸せなんです」とばかり、体をすり寄せてくる。
愛があるところは、あったかい。
愛をそそぐと、向こうは、その何倍もの愛で応えてくれる。
猫のように独立したアルバムをつくるほどではないけれど、犬の姿を見かけると、ときおりレンズを向ける。犬には、人間とも猫とも違う世界があり、存在感がある。そこから、人の生活の中に、ある種の光が、差し込んでいる。