
今日という日の風がぼくの皮膚をなでて
吹き通っていく。
さっき出てきたばかりの路地の奥へと。
ぼくはその路地の奥で ある人びととの密会を愉しんでいた。
そう・・・すでにこの世を去った人びととの。
あるいは去ろうとしている人びととの。
彼らの大半は幽霊ではない。
いや もしかして 一人二人の幽霊もまじっているだろう。
ホトケノザがゆれる。
「さあここへきて
小さなピンクの花弁をのぞきこんでごらん」
奥の奥に小さな格子のはまった青い窓が見えるだろう。
そこにはすてきな図書館があるのに
ぼく以外にはその存在は見えないのだ。
うっすらとほこりが積もっている。
場所によっては 深い沼のように ほこりが集積している。
もう何年も いや何十年も だれもやってきてはいない。
奥の奥に小さな格子のはまった青い窓が見える。
ぼくの図書館はその窓のあちら側に存在する。
かつてブエノスアイレスにボルヘスというすぐれた図書館長がいたが
日本に彼に匹敵するような図書館長がいた という話は聞かない。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス。
このことばはぼくにとっては 呪文のように作用する。
この呪文は ことばが神にも悪魔にもなりうることを告げている。
神との密会。
それは同時に悪魔との密会にも通じているという二律背反が
ときまたぼくを苦しめる。
ほこりの中にもぐりこみ
ほこりの中からはい出す。
ホトケノザがゆれる。
うすいピンクのカーペットが敷きつめてあるみたいに。
風が吹くと ピンクの花弁が遠くから聞こえる競技場の大歓声のようにひるがえる。
ぼくも一人の図書館長なのだけれど
利用者はぼく一人なのだ。
だれもがそういった図書館をもっているはず・・・だけれど。
今日という日の風に吹かれて どこへいこう?
図書館から表通りへ出ると ぼくはいつも途方にくれる。
迷路からは抜け出したはずなのに そこらあたりは
他人の町で 他人たちという迷路なのだ。
ホトケノザがゆれる。
「さあここへきて
小さなピンクの花弁をのぞきこんでごらん」
可憐な花がぼくをそそのかす。
二時間 三時間 ゆくえをくらまし
そうして何事もなかったかのようにぼくはぼくの日常へ復帰する。
愛するものとの密会のあとで。
何事もなかったかのように
・・・そう その通り。
手でふれ眼に見える図書館など存在しないし
じっさい 何事もありはしなかったのだから。