村上春樹さんの旅行記「雨天炎天」を読了したので、ちょこっと感想をUPしておこう。
《「女」と名のつくものはたとえ動物であろうと入れない、ギリシャ正教の聖地アトス。険しい山道にも、厳しい天候にも、粗食にも負けず、アトスの山中を修道院から修道院へひたすら歩くギリシャ編。一転、若葉マークの四駆を駆って、ボスフォラス海峡を抜け、兵隊と羊と埃がいっぱいのトルコ一周の旅へ――。雨に降られ太陽に焙られ埃にまみれつつ、タフでハードな冒険の旅は続く!》(BOOKデータベースより引用)
要約してしまえば以上のような内容。単行本の刊行は平成2年(1990)。
順番からいえば、「遠い太鼓」の時期のあととなる。じっさいにギリシア・トルコをまわったのは昭和の終わりごろ(80年代末)、つまりいまから30年以上前ということになる。そのことを念頭に置いて読まねばならない♪
この旅行記を読みながら不思議に感じたのは、植物の名や、昆虫、野鳥の名がまったく出てこないこと。
村上さんはよく「ここは何もないところ」である、と書いている。しかし、自然に対し、これだけ無関心であったら、木や花、小動物、昆虫がその眼には見えていないことになる。
野鳥については「ハッカリに向かう」という章の中で「こうのとり一家」が登場するのみ。
犬や猫はよく出てくるのに、自然に対するこの無関心ぶりが、そのまま村上さんのフィクション(小説世界)に反映しているはず(。-_-。)
撮影やカメラに関してもほとんど関心がない。
食べたり飲んだり
走ったり(ジョギングorマラソン)
泳いだり
旅先で出会う異郷の人たち
村上さんの興味の矛先はそういったところに向かう。そしてこれはとてもハッキリしている。ご本人は否定してるけれど、好きと嫌いが明快。
記憶を遡ってみると、わたしが最初に旅行記に目覚めたのは、イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読んだことによる。
現在では講談社学術文庫(時岡敬子訳)、東洋文庫(平凡社・金坂清則完訳・全5巻)があるけれど、わたしが手に入れて読んだ「日本奥地紀行」は、平凡社ライブラリー版(高梨健吉訳)である。
このとき、ノンフィクションとしての旅行記=紀行文のおもしろさを教えられた。
さて、本書にはこんな一節がある。
《トルコに来たら何をしよう、何をしたいという希望は殆どなかった。愛想のない話だけれど、ただトルコに来て車でぐるっと回って土地や人々の姿を見てみたいと思っただけだった。でもあえて言うなら、もしできることならヴァン猫に会って、ヴァン湖で泳ぎたいと思っていた。それが僕のささやかな希望であった。でもそれもどうしてもというほどのものではない。できたら、ということである。僕の希望というのは昔からだいたいその程度のものである。》(「ヴァン猫」161ページ)
つまりそういうことである。
それが村上さんの旅の流儀。「僕の希望というのは昔からだいたいその程度」といいつつ、よくこんな地域を歩きまわった(カメラマンの同行者がいる)ものと感心せざるをえない。
本書にはギリシャ、トルコの地図が折り込みになっている。
ギリシャ、アトス半島ってどこ?
テッサロニキの南東、エーゲ海の北のはずれにある、見逃してしまいそうな小さな半島である。かなりの「秘境」だけれど、そこがどういった意味で秘境なのかは本書「雨天炎天」を読めばわかる。「遠い太鼓」は分厚い本だったけど、こちらは文庫本で212ページ。
ギリシャ編:アトス 神様のリアル・ワールド
トルコ編:チャイと兵隊と羊̶21日間トルコ一周
こういうふうに二部に分かれている。どちらもとても興味深いものがあった。草や木、鳥の名が登場することはないから、そういったところは不満が残る。情景描写はうまいのか、へたなのかよくわからない。日本の近代文学が得意とした抒情的な風景描写は、ほとんど現れない。
しかし・・・、
「マルボロ」
「国道24号線の悪夢」
「国道24号線に沿って」
あたりは、しばし腹を抱えて笑った。ギャグマンガに近いものがあるが、村上さんがまじめに書いているので、むせかえってしまう(^O^)
村上さんの長編はどうも、いまのところ読もうという気にならない。しかし、わたし的には、旅行記はおすすめ♪
参考までにキーワード“村上春樹”でYouTubeをすべて閲覧したけど、当然ながら人によっていうことが違う。いったいどれから、どう読んだらいいのか(´?ω?)
結論は「自分で読め!」である。読んでみなければわかりっこない。
評価は5点をつけたいところだが、さきにあげた不満点があるため、4点としておく。
※ネットの画像検索からお借りしました。
村上春樹さんもすっかりおじいちゃん(^^;
評価:☆☆☆☆
《「女」と名のつくものはたとえ動物であろうと入れない、ギリシャ正教の聖地アトス。険しい山道にも、厳しい天候にも、粗食にも負けず、アトスの山中を修道院から修道院へひたすら歩くギリシャ編。一転、若葉マークの四駆を駆って、ボスフォラス海峡を抜け、兵隊と羊と埃がいっぱいのトルコ一周の旅へ――。雨に降られ太陽に焙られ埃にまみれつつ、タフでハードな冒険の旅は続く!》(BOOKデータベースより引用)
要約してしまえば以上のような内容。単行本の刊行は平成2年(1990)。
順番からいえば、「遠い太鼓」の時期のあととなる。じっさいにギリシア・トルコをまわったのは昭和の終わりごろ(80年代末)、つまりいまから30年以上前ということになる。そのことを念頭に置いて読まねばならない♪
この旅行記を読みながら不思議に感じたのは、植物の名や、昆虫、野鳥の名がまったく出てこないこと。
村上さんはよく「ここは何もないところ」である、と書いている。しかし、自然に対し、これだけ無関心であったら、木や花、小動物、昆虫がその眼には見えていないことになる。
野鳥については「ハッカリに向かう」という章の中で「こうのとり一家」が登場するのみ。
犬や猫はよく出てくるのに、自然に対するこの無関心ぶりが、そのまま村上さんのフィクション(小説世界)に反映しているはず(。-_-。)
撮影やカメラに関してもほとんど関心がない。
食べたり飲んだり
走ったり(ジョギングorマラソン)
泳いだり
旅先で出会う異郷の人たち
村上さんの興味の矛先はそういったところに向かう。そしてこれはとてもハッキリしている。ご本人は否定してるけれど、好きと嫌いが明快。
記憶を遡ってみると、わたしが最初に旅行記に目覚めたのは、イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読んだことによる。
現在では講談社学術文庫(時岡敬子訳)、東洋文庫(平凡社・金坂清則完訳・全5巻)があるけれど、わたしが手に入れて読んだ「日本奥地紀行」は、平凡社ライブラリー版(高梨健吉訳)である。
このとき、ノンフィクションとしての旅行記=紀行文のおもしろさを教えられた。
さて、本書にはこんな一節がある。
《トルコに来たら何をしよう、何をしたいという希望は殆どなかった。愛想のない話だけれど、ただトルコに来て車でぐるっと回って土地や人々の姿を見てみたいと思っただけだった。でもあえて言うなら、もしできることならヴァン猫に会って、ヴァン湖で泳ぎたいと思っていた。それが僕のささやかな希望であった。でもそれもどうしてもというほどのものではない。できたら、ということである。僕の希望というのは昔からだいたいその程度のものである。》(「ヴァン猫」161ページ)
つまりそういうことである。
それが村上さんの旅の流儀。「僕の希望というのは昔からだいたいその程度」といいつつ、よくこんな地域を歩きまわった(カメラマンの同行者がいる)ものと感心せざるをえない。
本書にはギリシャ、トルコの地図が折り込みになっている。
ギリシャ、アトス半島ってどこ?
テッサロニキの南東、エーゲ海の北のはずれにある、見逃してしまいそうな小さな半島である。かなりの「秘境」だけれど、そこがどういった意味で秘境なのかは本書「雨天炎天」を読めばわかる。「遠い太鼓」は分厚い本だったけど、こちらは文庫本で212ページ。
ギリシャ編:アトス 神様のリアル・ワールド
トルコ編:チャイと兵隊と羊̶21日間トルコ一周
こういうふうに二部に分かれている。どちらもとても興味深いものがあった。草や木、鳥の名が登場することはないから、そういったところは不満が残る。情景描写はうまいのか、へたなのかよくわからない。日本の近代文学が得意とした抒情的な風景描写は、ほとんど現れない。
しかし・・・、
「マルボロ」
「国道24号線の悪夢」
「国道24号線に沿って」
あたりは、しばし腹を抱えて笑った。ギャグマンガに近いものがあるが、村上さんがまじめに書いているので、むせかえってしまう(^O^)
村上さんの長編はどうも、いまのところ読もうという気にならない。しかし、わたし的には、旅行記はおすすめ♪
参考までにキーワード“村上春樹”でYouTubeをすべて閲覧したけど、当然ながら人によっていうことが違う。いったいどれから、どう読んだらいいのか(´?ω?)
結論は「自分で読め!」である。読んでみなければわかりっこない。
評価は5点をつけたいところだが、さきにあげた不満点があるため、4点としておく。
※ネットの画像検索からお借りしました。
村上春樹さんもすっかりおじいちゃん(^^;
評価:☆☆☆☆