二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

最後の炎 ~ベートーヴェンの弦楽四重奏曲にひたる

2020年05月25日 | 音楽(クラシック関連)
  (先日手に入れた第14番嬰ハ短調。ベルリン弦楽四重奏団/スズケカルテットのウルトラHQ盤。2017年発売)



弦楽四重奏曲というジャンルがある。
これまでモーツァルトではしばしば聴いてきたけれど、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、わたしの手には負えなかった。最後まで耳をすましていることそれ自体が、いささか苦痛だったにゃあ(^^;)
音楽をワインにたとえてみよう。

ワインの種類
■フルボディ
渋みが強く、香りも味も濃厚で、色も濃い赤ワインのことを指します。
言葉であらわすと、主張が強く、ズシッと「重い」ワイン。

■ライトボディ
フルボディと対極にあり、色が薄く、飲んだ時に渋みが少ない赤ワインのことを指します。
言葉であらわすと、主張は控えめで、サラッと「軽い」ワイン。
口当たりが軽いので、飲みやすいワインが多く、初心者に人気の赤ワインが多いのが特徴。

■ミディアムボディ
フルボディとライトボディのちょうど中間にあたり、渋みや酸味、香りがほどよいバランスの赤ワインのことです。
色もちょうど、フルボディとライトボディの中間色であることが多いです。


いささか乱暴なたとえであることを承知のうえでいうならば、
モーツァルトの弦楽四重奏曲=ミディアムボディ
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲=フルボディ

・・・といった違いがあるのではないか?
ピクニック気分でお気軽に出かけていっても、途中でへばってしまう。
ところでベートーヴェンの音楽には「三本の矢」といういい方がある。
ピアノ・ソナタ 32曲
交響曲 9曲
弦楽四重奏曲 16曲(大フーガを1曲とすると17曲)

これが3本の矢にあたる。
交響曲は若いころから何度となく聴いてきたため、耳がやや不感症になってしまった(=_=)
今季に聴いたのは、交響曲第2番(ワルター指揮 コロンビア管)のみ。
1番、2番、4番、8番は耳にたこができるほど聴いたわけではないが、それでも、一応、カラヤン&ベルリン・フィルの全曲盤(70年代の演奏)その他で何度か聴いてきた。
ベートーヴェンのシンフォニーといったとき、人びとが反射的に思いうかべるのは、3番(英雄)、5番(運命)、6番(田園)、7番、9番(合唱)といったあたりだろう。

いうまでもないことだけど、どれもが、楽隊の皆さんにとってはメシの種といえる“至宝”。
中学生時代、クラシックを聴きはじめたころ、ベートーヴェンの9曲と、ブラームスの4曲、それに、シューベルトの7番(未完成)、チャイコフスキーの6番(悲愴)、ドボルザークの9番(新世界より)あたりが、定番の名曲の座にあった。
CDではなく、LPの時代。
ブルックナー、マーラーがよく演奏されるようになったのは、1980年代に入ってからだろう。
ちなみにサントリーホールの開設が1986年。

しかし、ここにあげた人気曲からベートーヴェンの弦楽四重奏への距離がえらく遠かった、わたしにとっては(~o~)ダハ
気にはなっていたのだ。
なぜかというと、ごく単純な発想で、ベートーヴェンの弦楽四重奏こそ、クラシック音楽の最深部に横たわっている“大物”だとかんがえていたから。

聴いてみればわかると思うが、ビギナーにとっては「渋みが強く、香りも味も濃厚で、色も濃い赤ワイン」なのだ、舌がしびれてしまうような・・・。
それでも、今季は努力してよく聴いた。何度となくめげてしまって、「撤退っ、撤退!」がつづいていたが、ようやく、
弦楽四重奏 第9番ハ長調(ラズモフスキー3番)
弦楽四重奏 第10番変ホ長調(ハープ)
弦楽四重奏 第11番ヘ短調(セリオーソ)

・・・へ分け入ることができるようになった。

ああ、こういう曲であったかという輪郭が見えてきたのだ。
そうなると聴いていて、愉しいと感じるようになる。いつものように“わかりはじめ”が、一番ドキドキ、ワクワクする。
山歩きをしていて、靄が晴れ、見たかった風景が徐々に姿をあらわすようなもの。
こういうひとときこそ、クラシック・ファンの「大いなる歓び」のひととき(*^-^)
渋さが、コクに変化し、舌からのどへ沁みとおっていく、他に換えがたい浄福感。いや、そこまであと一歩、二歩のところまでやってきた。

ところが、この3曲のうち、ラズモフスキーセットの3番(1番、2番も聴き応えがある)は中期の曲、10番11番は「中期から後期へと架かる虹の橋」といわれている楽曲なのだ。
後期の弦楽四重奏曲は、12~16番なのである。
いまそれを聴き込んでいる最中なのだけれど、

弦楽四重奏曲14番嬰ハ短調
弦楽四重奏曲15番イ短調

・・・の2曲がなかなか味わいが深く、年取ったわたしの胸に食い込んでくるものがある。
ベートーヴェンのすごさとはこういうものなのだと、あらためて思い知る。
音と響きが大風となって砂塵を巻き上げたり、しとしとと雨を降らせたり、雷鳴を轟かせたり、さきが見通せない濃い霧になったりしている。
14番の第7楽章はめまぐるしくリズム、メロディが変化し、高度なテクニックの見せ場となっているし、第15番の第3楽章は「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と書き込みがある神への祈りと感謝の調べ。


  (左 弦楽四重奏曲、11番&12番、右14番。アルバン・ベルク)


  (弦楽四重奏曲15番&16番。アルバン・ベルク)

演奏者がたった4人しかいないとは信じがたい、厚みのある音楽である。
しかし、その一方ベートーヴェンが心底愉しんで書いていることがひしひし伝わってくる。ピアノ・ソナタの最後の3曲(30、31、32番)とはまったく違うが、この世への訣別の辞という意味では、ほの暗い、それでいて決して深刻ではない、洗練されたエスプレッシーボ(espressivo)の音楽。

https://www.youtube.com/watch?v=CtyeqI4BZXo
 (第14番第7楽章)

荘重というより、活気にあふれた、じつに見事な変奏曲。
2丁のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの合奏によって奏でられる音楽が実現している高潔な調べは稀有のものであろう(^^♪
ことばでは表現しようのない感情が、美しい雪の結晶のようなものをつくっている。
人生の秋から冬へ。
ベートーヴェンは歩み去っていく。
https://www.youtube.com/watch?v=TvRVZ6BPAkQ
 (第15番第3楽章)

晩年のベートーヴェンをみていくと、最後のピアノ・ソナタ32番が1822年、第九が1824年。しかしそのあと、
弦楽四重奏曲 12番 1825年
弦楽四重奏曲 13番 1825年
弦楽四重奏曲 14番 1826年
弦楽四重奏曲 15番 1825年
弦楽四重奏曲 16番 1827年

・・・の5曲が書かれる。死去したのは1827年3月26日。
したがって、力尽きる直前まで書いていたのは、弦楽四重奏曲なのである。
そのことを頭の片隅にでも置いて聴く必要があるだろう。これまでピアノ・ソナタ32番と第九こそ、彼のいわば“白鳥の歌”だと思い込んでいた。しかし、それを訂正しなければならない。
弦楽四重奏曲12~16番こそ、燃え尽きるいのちの最後の炎。

そう思って聴くから、というだけではないが、ここに表現されたエスプレッシーボの世界は、後世の作曲家にはかりしれない影響を与えた。
ドボルザークの14曲を筆頭に、シェーンベルク4曲、バルトーク6曲がよく知られている。ドビュッシーやラヴェルすら、それぞれ弦楽四重奏曲を1曲ずつ作曲している。
大規模な交響曲に比べると、地味でどちらかといえば玄人向きの音楽だと思われているかもしれないが、分け入っていけば、鬱蒼たる森の奥に、醇乎たる泉が存在し、そこから清冽なせせらぎが流れ出ているのである。

そのせせらぎに手をひたし、ときにのどを潤す。そんな日が近づいてきたようだ。


  (スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェン15番16番)


  (ドボルザーク、ボロディン、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲)



※ベートーヴェンの弦楽四重奏曲についてはウィキペディアに詳しい解説があるので、気になる方はどうぞ♪
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2

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