人の後ろ姿。
そのことをハッキリ意識するようになったのは、四十代終わりころからのように思われる。
町中でふと眼に止めた、見知らぬ妙齢の女性や、中高年男性の後ろ姿。そこに、妙なエレジーがただよっている。
エレジーというのがおかしいなら、リリシズム、哀愁、寂寥感といってもいい。
ま、たいした違いはないけれど(笑)。
人の後ろ姿には、その人の過去が、長くながく影をひいている。
そういう後ろ姿を見て、ハッと虚を衝かれる。
「過去」をもたない子どもの後ろ姿には、こういった味わいはない。あたりまえですけどねぇ。
いうまでもなく、画像としては、正面から、カメラ目線をはじき返すように、ずばりと撮ったもののほうが、はるかに訴求力がある。後ろ姿は印象がうすいから、見過ごされてしまうのだろう。わたし自身がそうだった。
なぜなら、人間を撮る場合、顔が写っているかどうかが、最大のモメントなのである。
顔がもっているエロチシズムは、ほかに置き換えることのできない決定的なインパクトをそなえている。「いのちの輝き」は、まず、ここに表出されるのだ。
だから、それがない「後ろ姿」が物足りないのは、至極当然。
・・・そう考えていた。
だけど、これら数枚を見ての感想は、いかがなものだろう。
顔が語るものは圧倒的ながら、人の風貌は顔に尽きるものではないし、服装や、姿勢や、肩の線や、手にした荷物などに、「その人」が映し出されているのも、またたしかなのではあるまいか。
深読み? うん、それも多少はあるかもねぇ。しかし、役者は後ろ姿で演技ができるようになったら一人前だといわれる。
一面の真理をずばりと衝いたことばである、とおもうが、さて、皆さんはどうだろう?
そのことをハッキリ意識するようになったのは、四十代終わりころからのように思われる。
町中でふと眼に止めた、見知らぬ妙齢の女性や、中高年男性の後ろ姿。そこに、妙なエレジーがただよっている。
エレジーというのがおかしいなら、リリシズム、哀愁、寂寥感といってもいい。
ま、たいした違いはないけれど(笑)。
人の後ろ姿には、その人の過去が、長くながく影をひいている。
そういう後ろ姿を見て、ハッと虚を衝かれる。
「過去」をもたない子どもの後ろ姿には、こういった味わいはない。あたりまえですけどねぇ。
いうまでもなく、画像としては、正面から、カメラ目線をはじき返すように、ずばりと撮ったもののほうが、はるかに訴求力がある。後ろ姿は印象がうすいから、見過ごされてしまうのだろう。わたし自身がそうだった。
なぜなら、人間を撮る場合、顔が写っているかどうかが、最大のモメントなのである。
顔がもっているエロチシズムは、ほかに置き換えることのできない決定的なインパクトをそなえている。「いのちの輝き」は、まず、ここに表出されるのだ。
だから、それがない「後ろ姿」が物足りないのは、至極当然。
・・・そう考えていた。
だけど、これら数枚を見ての感想は、いかがなものだろう。
顔が語るものは圧倒的ながら、人の風貌は顔に尽きるものではないし、服装や、姿勢や、肩の線や、手にした荷物などに、「その人」が映し出されているのも、またたしかなのではあるまいか。
深読み? うん、それも多少はあるかもねぇ。しかし、役者は後ろ姿で演技ができるようになったら一人前だといわれる。
一面の真理をずばりと衝いたことばである、とおもうが、さて、皆さんはどうだろう?