D・キーンさんの「百代の過客」を読みおえていないのに、長谷川櫂さんの「古池に蛙は飛びこんだか」を読みはじめた。
前者は堂々たる大作、ずしりとした読み応えがたまらない。後者は気軽に読み流せるが、なかなかの好著。
長谷川さんは現代の俳人、現代俳句に関心がないため、まったく存知あげなかった。
しかし、だれもが知っている芭蕉の名句に対し、とてもユニークな説を披露してくれる。
「切れ字『や』について」「一物仕立てと取り合わせ」「「田を植えて立ち去ったのはだれか」など、瞠目に値する新解釈♪
むろんわが国第一の詩人は芭蕉だと、わたしも考えているから余計おもしろい。
「百代の過客」といい、本書といい、現代において、芭蕉の評価はますます高い。
昨日、「おくのほそ道」を読み返したくなって、岩波文庫を買ってきた。芭蕉の旅のルートが、地図にこまかく落としてある。
さらさらと読むだけなら30分。
しかし、じっくりと腰を据えて熟読・・・となると(?_?)
前者は堂々たる大作、ずしりとした読み応えがたまらない。後者は気軽に読み流せるが、なかなかの好著。
長谷川さんは現代の俳人、現代俳句に関心がないため、まったく存知あげなかった。
しかし、だれもが知っている芭蕉の名句に対し、とてもユニークな説を披露してくれる。
「切れ字『や』について」「一物仕立てと取り合わせ」「「田を植えて立ち去ったのはだれか」など、瞠目に値する新解釈♪
むろんわが国第一の詩人は芭蕉だと、わたしも考えているから余計おもしろい。
「百代の過客」といい、本書といい、現代において、芭蕉の評価はますます高い。
昨日、「おくのほそ道」を読み返したくなって、岩波文庫を買ってきた。芭蕉の旅のルートが、地図にこまかく落としてある。
さらさらと読むだけなら30分。
しかし、じっくりと腰を据えて熟読・・・となると(?_?)