仕事のあいまに、赤城山麓や、利根の河川敷を運動がてら歩いて、秋色をさがしてみた。
紅葉前線は、まだ平地までは降りてきていない。
ようやくお天気が安定し、近隣にある県や市の諸施設では、いろいろなイベントが開催され、にぎわっている。混雑が苦手なので、そういう場にはめったに出かけないけれど。
朝晩はかなり冷え込みが強まって、一枚余分に体にかけて寝ないと朝方は寒さを感じる。
まもなく10月が終る。
秋色さがしといっても、草モミジの類。
紅葉の名所などへ出かけていくつもりはまったくない。
中判カメラと交換レンズを積んで、夜中1時、2時に日光や裏磐梯へ風景写真を撮りにいっていたような覇気はないなあ(^^;) 休暇には朝寝坊がなにより大好き(=_=)
秋色ばかりでなく、今日は利根の川原を歩いて、石をひろって愉しんだ。
高校のころ、「地学」は「生物」とならんで、わたしの得意な学科だった。
石をひろって、ちょっと洗ってよごれを落とし、写真を撮る。
どこにでもある、なんの変哲もない石・・・と、人はよくいう。しかし、同じ形、同じ色の石は二つとない。
どこでどんなふうに生まれてきたのか、眺めていると、興味がつきない。
「はあ? 石ですか」と笑われるだろう。釣りにはまったく関心がないMikenekoさん、子どものころ、利根川べりを歩くのは、おもしろい石をさがしているときだった。
まかり間違えば、鉱物学者になっていたかも(笑)。鉱物標本の類も、かつてはもっていたが、その後紛失。宝石もそれが石=鉱物というところになにかとても惹かれる。ラピスラズリやヒスイ、水晶など、ずっと子どものころから欲しかった。
なんてことないもの。そこいらに多量に存在するものは、稀少性がないから、価値がないものと見なされる。空気は無料、水だって、日本では驚くほどお安い。岩石も同じ。
枯山水の美は、はじめどういった経緯で発見されたのだろう。石組みの中に、この天地というか、宇宙を封じ込めてそれを愉しんだ。
歩いていたら、こんな一隅を見つけた。背景はさびたドラム缶。西日を浴びて、秋色が輝いている。