10月31日、11月1日と連休をとって、写真散歩してきたので、二部に分けて日記を書いておこう。
<第1日目>栃木県栃木市「大きなクスノキがある町」
先頭の写真は、栃木市で見かけた大クス。アルバムにも書いたように、これまで写真散歩で4回も出かけているのに、このクスノキを見かけたのははじめて。
到着したら天候がくずれ、あいにく小雨が降ってきた(~o~)
やむをえずポタリングをあきらめ、傘をもって歩きはじめた。
そうして最初に出会って、驚いたのがこれ。
喜多川歌麿の肉筆画「品川の月」。
http://www.city.tochigi.lg.jp/hp/page000010000/hpg000009353.htm
へええ、歌麿と栃木の豪商なんて、はじめて知りました!
様式化されたいわゆる「浮世絵美人」なのだけれど、大作だけあって、考え抜かれた構図がすばらしく、向き合いながらしばしことばを失うほど感動した。
なんというディテール描写。18~19人の人物が、隅からすみまで、ストーリー
性をもって克明に描かれ、見るものの眼を吸い寄せずにはおかない。ただし本物ではなく、高精細な複製画。
わたしの写真から、その全体像がいくらか想像できるだろうか?
さてこちらは「町の銭湯」入口に掲げられた風呂屋のペンキ絵だけれど、古色蒼然とした風情がたまらない。以前も見かけて撮影している。
もう一枚ピックアップしておこう。
これは栃木市へやってくるたびに撮影している「日星☆肥料」。
肥料という看板だけれど、じっさいは漬物屋さんで、看板のデザインや店のたたずまいがわたしのお気に入り。
観光化がすすんではいるけれど、平日の日中は人影はまばら。
地方都市には、人口減少社会と、高齢化の波が着々と忍び寄っている。町歩きしながらそういった空気を肌で感じる。
<第2日目>秋色猫と出会った秩父盆地。
さて、2日目はどこへいこうか迷ったけれど、結局2年ぶりに秩父へ出かけた。
渓谷美で知られた長瀞の石畳を歩いていたら、とてもきれいな秋色猫と出会った。
観光できている女性二人連れが近寄ってきたので、いっしょに写真を撮らせていただいた。
「猫って、どうやって抱いたらいいの?」
――で、わたしの出番となったわけである(笑)。
じつは昨日が、ポタリング・フォトの二回目。まだまだ調子が出ないなあ(=_=)
こちらは秩父市内散策で発見した3色の窓。
窓と扉はかなり意識して撮るようにしている。というか、結局撮らされている。
またこれはちょっとめずらしい「自衛官事務所」。
おそらく広報・自衛官募集などの活動拠点なのだろう。近くに基地のような自衛隊施設はない。
ところでつぎの2枚は、国道のきわにもう何年も放置されたボンネット・バスならぬトラック。
信号があるため、以前も、この同じ場所で、折りよく停車し、窓越しにパチリと撮ったことがあった。
2010年11月24日。
2012年11月1日。
約2年間の歳月が横たわっているのに、この一角だけ、時間が止まっていて、タイヤを見ればわかるが、まだなんとか現役で頑張っているらしい。老体にムチ打って(笑)。
秩父と栃木はどちらも“交通の要衝”からはずれている。そこが狙い目。
かつて・・・つまり、高度成長期の昭和のある時期には繁栄し、それなりの地方色があった町。
そういった町が、平成になってさびれてきている。衰えゆく町の風情は、中高年者たるわたしにとっては、どこか“我がこと”のように胸が疼くものがある。
町もその町の人びとも、消え去っていく。
「昭和ロマンを訪ねて」などと書いてはいるものの、そんなに・・・というか、まるで、ロマンチックなんかじゃない。
うらぶれている――少々くたびれ、ほこりにまみれて。
だけど、そういったものも写真を撮ることで、ささやかな価値が生まれるのである。
絶景スポットだとか、世界遺産だとか、そんなものにたいして関心はない。
普通の町、普通の人びと。
そこに住み暮らした住人たちが、ほぼ日常的に見てきたある種の文化を、だれかが記録していかなければならないだろう。
日常生活の延長としての「街角ウォッチング」。
カメラを手にしたわたしが愉しんでいるのは、それであると、ここではひとまずいっておこう。