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どなただったか、わたしの写真に対し、わび・さびが効いていて、ステキ・・・などと、まあ、なんというか、茶化されたというか、からかわれたことがあった。
そう、わび・さびが、いいのである。
じっさいのところ、わたしの生活の周辺には、このわび・さびがあふれている。
ただ、いままで、あえて、それにカメラというか、レンズを向けなかっただけ(^^;)
人間とは、そういうものである。
ひと目をひく派手なイベントや、カメラマンが毎日のように多数集まってくる、有名な撮影スポットや、グラマラスな若いセクシー・ギャルや、花の女王や――そういったものに、人間はいたって弱い。
それは「わたしの価値観」ではなく、世の人びとの価値観なのである。
人はとかく、行列にならびたがる。
わたしも最近までそうだった。
いや、いまも、ある意味でそうなのかもしれない。
有名な賞を獲ったようなものなら、映画であろうが、小説であろうが、カメラであろうが、それをみたがるし、欲しがる。頑固なふりしながら、じつは他人のことが気になって仕方ないのである。
三毛ネコさんは、そんなミーハーから、なんとか脱出しようと、もがいている。
本人はそのつもりでも、人様から眺めたら、やっぱりミーハーだね・・・なのかもしれない。それはわたし自身が決めるのではなく、人様が、つまり、写真を見る側が決めることだからである。‘評価’とは、そういうものである。
書いたり、撮ったり、演奏したりする本人ではなく、読者や、見た人や、観客が、評価を決める。
トップにあげたのは、D7000+40mmF2.8マイクロで撮影した「さび」の写真。
この斜光線が描き出す、もののテクスチャーに痺れている(^_^)/~
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そして、これも。
もうだれがなんといおうと「わび」ている。淋しさだの、もののあわれだのを、突き抜けて、その向こう側までいっている。
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この二枚は、父の仕事場。
はやい話が「道具置き場」であるが、この物置に一歩足を踏み入れる息子のわたしを襲う、ある種の恐怖を想像して欲しい。道具、道具、道具。現実と、人間をむすぶ、きわめて即物的な関係の縮図。これに比べたら、本などというものは、それがマルクスであろうが、フロイトであろうが、夏目漱石であろうが、どこかに「いかがわしさ」がつきまとってしまう。百冊の本と、一本のドライバーが、ちゃんと釣り合いをたもっている‘現実’とは、なんだろう。それを、学ばなければならない。
最後に、あと二枚。
これは本日のわが家の外流し。
これもまた「わび・さび」の極地であ~る、と、三毛ネコは考えるのである(笑)。
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そしてつぎは、わが家の干し柿。
白い粉をふいて、そろそろ食べごろをむかえたとおもって口に入れたら・・・おおー、おー! この甘さ! 自然の恵みは、有名フランス料理店の看板メニューにも匹敵しますぞ☆
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