
2007年の12月にblog「一草庵摘録」(当時は「航海日誌 ~本の海への旅」のタイトル)が、そして、2008年1月に、mixiがスタートした。
はじめはsyugenのハンドルネームだったが、おもうところがあって、途中から三毛ネコに変えている。
今日から4連休がスタートしたが、お二人の友人からのお誘いを断ってしまったので、予定らしい予定ははまったく組んでいない。この数年予定を組むのが、とても億劫になっているが、これは歳のせいだろうか? おそらくそうだろう。
仕事にからんだ緊急の呼び出しコールがないかぎり、の~んびりと、自由かつ気ままな時間が過ごせる。
昨日はいつもより早上がりし、BOOK OFFを散歩してきた。
買ったのは、つぎの3点。
「須賀敦子を読む」湯川豊(2009年 新潮社)
「須賀敦子が歩いた道」芸術新潮編集部(2009年 新潮社とんぼの本)
「ブルックナー交響曲第4番変ホ長調“ロマンチック”」アバド&ウィーン・フィル(1990年 グラモフォン)
アバドの“ロマンチック”は、昨夜、寝る前のひととき、ごろんとリビングに横になって最後まで聴いた。
とても現代的なクリアな感じのブルックナーで、オーケストラの各楽器が、必要十分な仕事を、きちっとこなしているのがつたわってくる。スタジオ録音特有の精緻な仕上がりとでもいうのか、むろん断言はできないけれど。指揮ぶりも溌剌とし、自信にあふれていて、さすがのウィーン・フィル、むろん文句のつけようがない。
しかし・・・なんといったらいいのだろう。ここで思い出したのが、マイミクぜんまいどむらいさんのひと言。
《たぶん、ヴァントがいちばん作曲者ブルックナーの意図に近い演奏なのではないでしょうか?》
うん、そういういい方があったのですねぇ!
ヴァントのブルックナーが、この4番でいえば、とくに第4楽章は、わたしの心の底にずしんと響いてくるような分厚い手応えを感じさせるのに、アバドの音楽は、わたしの耳には、そういうふうには聞こえてはこず、むろし、豊麗華麗に響き過ぎる。
そこでさっき、89歳のヴァント、死の半年まえのミュンヘン・フィルを指揮した4番を再度聴いてみたが、この“凄み”は、他の指揮者ではどうも表出がむずかしいような気がする。
そういったよしなし事をかかえつつ、2時間ばかり、うつらうつら♪
シエスタをだれ気兼ねなくとるための4連休となりそうだな(笑)。
さて、須賀敦子さん。mixiをはじめてから、ブルックナーと出会い、須賀さんと出会っている。このお二人の仕事は、わたしの心の最深部までとどくような、長くながく記憶に残るすばらしい出会いであった、とおもっている。
ドストエフスキーの「悪霊」再読も、凄かった。こんな体験は、一生のあいだに、そう何度も起こることではない――と断言できる。
マイミクさんのAさんやBさんと出会えたのも、幸運だった・・・といっていいだろう。
わたしには“敵”がいるので、本名はいまだ伏せているが、お許し願いたい。
出会いが、人を変え、成長させていく。
昨年のいまごろ、なにをし、なにを考えていたのか? あるいは一昨年のいまごろ。
須賀さんやブルックナーが、わたしに「老年」を意識させる。鴎外の「じいさんばあさん」も。
文学では須賀敦子、音楽ではブルックナー・・・では、フォトグラファーとしては、だれをあげたらいいのだろうか。
うーん、市橋さんかな? 日記に少しずつ書いてはきたが、わたしからみたら、娘のような年齢の市橋織江の写真と出会っていなければ、いまこの時期に、フィルムカメラに回帰することはなかったかもしれない。
今日は、興味深い写真ブログの発見をもとめ、「ブログ村 写真ブログランキング」や、「写真ブログランキング」を50件ばかり訪問してきた。
ところが、わたしの心にしみ入るようなWebサイトが、一つもない。
これはいったい、いったいどうしたことなのだろうか(?_?)
http://photo.blogmura.com/
http://blog.with2.net/rank1630-0.html
生意気なことをいうようで気がひけるけれど、わたしがいう「パーソナルなまなざし」をお持ちの方が、ほとんど見あたらないのである。写真がこんなに退屈で、無意味な消費物質であっていいはずがない・・・と、いささか暗澹たる気持に支配された。
わたしには、写真に期するものがある。
どんな機材を使い、はて・・・どんな写真をこの世に残していったらいいものか。
出会いが、人を変えていく。わたしはそういった「出会い」をもとめ、さがし、今日もさすらっているというのに。
トップにあげたのは、わたしのささやかなOMシステム。
OM-1MD、50mmF1.8、28mmF3.5、そしてアダプター&代替電池SR43。かつてはOM-2と35mmF2.8もあったけれど、失業したとき、お金に困ってライカシステム一式などといっしょに手放してしまった。
残念なことに、代替電池の電圧は本来の電圧ではなく、露出計はもう感度が落ちている。
しかし、このOM-1こそ、20代のはじめからあこがれつづけ「夢にまで出てきた」カメラなのである。