二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ある写真への招待状

2010年12月26日 | Blog & Photo
ある写真・・・とは、これ。
マイミクいーさんのこの一枚である。
はじめはよくわからなくて、うっかり見過ごしてしまうところだったが、これはキャンディッド・フォトのまぎれもない秀作。
「おや、うん、おもしろいね」
「へええ、こんなものまで写っているぞ」
「なぜ? あー、そうか。そういうシチュエーションなんだ」


写真は一般的に、わずか、2、3秒もあれば、鑑賞するに十分である。
それはある「コード」(意味)に沿って、撮影者が写真を撮り、見る者がそれを理解するからである。だから、写真は現実=被写体のコピーだといっても、「いつかどこかで見たような光景」となる。いやむしろ「いつかどこかで見たような光景」である必要がある――というべきである。

ところが、そこから少しずれた世界が写っていると、それを真に理解するまでに、時間がかかる。わたしはいーさんのこの秀作を、4回、5回と見にいき、そのたび、小さな発見をした。はじめは作者が添えたタイトル(?)を無視して眺めていた。それはじつに不思議な光景であった。


4人(または5人)の人物が、絶妙な配置でとらえられている。
そして、とても印象的な窓と、窓枠。
窓の外の夜景。
一瞬にして消え去る光景を、じつに見事に切り取っていて、キャンディッドのお手本であるといえる。いーさんの説明をいただいて、ようやくこのシチュエーションの意味(コード)がわかってきた。それによって、この一枚の魅力が薄れるかというと、そうではない。

人びと(ご家族?)の話し声やその場の空気。それを見ている一人のカメラマンの感動。
「写真って、おもしろいものだなぁ」
わたしの想像は、このフレームの外にまで拡がっていく。
こんなふうに、時間をかけてじっくりと、一枚のフォトとつきあったのは、久しぶり。
それだけの内容がつまっているのだ。
むろん、狙って撮れるというものではない。いーさんの一瞬のカメラ・アイ。

ただ、わたしが熱弁をふるうと、撮影者は「しらける」という現象もあったりする。
「そうかな? 必ずしも、そうじゃないんだけどね」
つまり、褒めることによって、わたしはこの一枚を、わたし自身のものとして所有したいのかも知れない。
心理の裏にひそむ羨望、というやつである(笑)。
むろん、いーさんには、ほかにもいくつも秀作があるから、「見る者」には、それを発見するよろこびがあるはず。そういう意味では、問われているのは「見る者」のまなざしなのである。
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