二草庵摘録

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突き抜けていく想像力が作り出す迫力 ~吉村昭「高熱隧道」を読む

2021年12月06日 | 吉村昭
   (わたしの新潮文庫「高熱隧道」平成26年版、第60刷。ポストイットがたくさんはさんである)


■吉村昭「高熱隧道」新潮文庫(昭和42年初版/1967)


ひと口にいうと、パニック映画に勝るとも劣らない、すごい迫力。むろん映画ばかりでなく、後の小説にも影響を与えていると思われる。吉村昭の名高い代表作といっていいだろう。(ほかにも“代表作”がいくつもあるけど)。
「高熱隧道」とは、こんな小説である。
《黒部第三発電所――昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道(トンネル)を掘鑿する難工事であった。犠牲者は300余名を数えた。トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、極限状況における人間の姿を描破した記録文学。》BOOKデータベースより

Amazonのブックレビューでは371個の評価が付されている。
ドキュメンタリータッチだが、記録文学、あるいはノンフィクション・ノベルというには、やや抵抗がある。
しかし、体験者への綿密な取材が基礎にあるようで、単なる推定の域を超えている。主要登場人物は見事に描き分けられ、それぞれに確かな手応えを感じさせる人物像をむすんでいる。この種のものを書かせたら、吉村昭は第一人者。
エンターテインメントだとか、娯楽超大作だとかいった領域には属さない。あくまで“シリアス”な眼が鋭く光っている´・ω・

NHKにかつて「プロジェクトX」という番組があった。だが、あれはお茶の間で「ふうん、そうですか」と好奇心の赴くまま、余裕綽々で見ていられた。TV番組は毒をうすめて、人の心に忍び込む。砂糖でまぶして、受け入れやすいものに仕立てている。
本書「高熱隧道」はTV番組の限界を突き破っている。男たちのロマンチックな成功譚ではないし、美女もまったく登場しない。もっとはるかにどろどろした、峻烈な現実があることを、容赦なく暴きたてる。
こういう作品を読んだあとでは、日常が違って見えてくること請け合いである。本編が昭和42年(1967)に書かれたということを覚えておいた方がいいだろう。

出世作とみなされる「戦艦武蔵」が1966年、その翌年に、早くもこの「高熱隧道」が書かれる。60年代には「大本営が震えた日」「零式戦闘機」などがつぎつぎ発表されていくが、わたしはまだ手をのばすには至っていない。
文壇の大御所(そういうものがあったとしたら)から見たら、相当異色の作家と思われたはず。そのうえ、妻津村節子さんは1965年「玩具」で芥川賞を受賞。二人三脚の作家というのは非常に稀なケースであったし、作家デビュー直後の吉村さんに焦りがなかったとはいえないだろう。

三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作による「黒部の太陽」が公開されたのが1968年。吉村さんの「高熱隧道」が黒部第三ダムのことをあつかっているのに、こちらは黒部第四ダム(黒四)をあつかった大作映画。
黒部ダムというと、こちらの方が広く知られているのだろう。

ただし、黒部第三ダムの《工事は1936年(昭和11)9月に開始され、1939年(昭和14)6月に阿曽原 - 仙人谷の水路隧道が完成、1940年にダム本体が完成し、同年11月に黒部川第三発電所が発電を開始した。》(ウィキペディアは)という経過をたどる。
一方、黒部第四ダムは1956年(昭和31)に工事着手、1963年(昭和38)に完成したもので、時代背景がずいぶん異なる。
つまり黒部第三は、戦時色が強まるなかの世相を色濃く反映していて、そこが「高熱隧道」の読みどころの一つとなっている。





吉村さんは、
・根津太兵衛 - 佐川組志合谷工事事務所長
・藤平健吾 - 佐川組第一工区工事課長

この二人を主人公に据え、この二人の視点から小説を展開している。
いま風にいえば、死を賭してたたかう、タフな男たちの、黒い情熱が燃えたぎる純一なドラマである。
吉村さんの想像力は、時間と空間を突き抜け、あくまで“リアルな現実”を再現しようとする。そしてそれに見事成功している。
「思想!? 思想って何だ。そんなもの、犬に食わせてしまえ」といわんばかり。そんなものでダムや橋がつくれるなら、つくって見ろ! と。

「赤い人」につづき、この「高熱隧道」を読んで、ことばの鞭が飛んでくるような峻烈な感動を味わった。まさに吉村ワールドの本領発揮である。体験者への取材が土台になっているから、想像力の恣意的な発露ではない。それが本編を「大人の読み物」として、真に充実させている。
300人余の殉職者を出したというのだから、いまとなってはかんがえることができない難工事。土木工事屋として・・・というより、人間として深刻な苦悩をなめる。このあたりをじつにうまく書いておられる。突き抜けいく想像力とはこのことである。

悪夢のような事故で倒れ、凄惨な死体となってころがる人夫(現場作業員)の姿は、そのまま、戦場の兵士と重なる。
原子力発電が開始されるまで、水力発電が電力の中核であったし、黒部第三ダムによって、京阪神の電力需要の大半がまかなわれたというのだからすごい。
吉村さんの“事実”に寄り添い、“事実”を見極める力は、表現者として圧倒的なものがある。

これを読んだ人は、黒部へ気軽な観光旅行で出かけることなどできなくなるだろう。長くなってしまうから、本書からの引用はひかえておく。
クライマックスシーンが3か所ほどあるが、仕上げは入念で、重厚感がある。

わたしが手にしたこの文庫は平成26年版第60刷りだが、今後も粛々と読み継がれていくに違いない。
本文、あとがき合わせ258ページ(現行版)、それほどの長編ではないので手に取りやすい。
このところ、「漂流」「ポーツマスの旗」「海の史劇」「赤い人」と、その他エッセイ集等を読んできた。この一冊もまた、それら秀作群にくわわる。

「赤い人」を読んだ段階で、とにかく文庫本を中心に、吉村昭の本は、手に入るものすべてを集めることに決めた(ノω`*)
それだけの価値ある、類稀な卓越した仕事である。



くり返せば、黒部第四ではなく、黒部第三ダムの隧道工事ですぞ!


※写真はネット検索によりお借りしました。ありがとうございます。


評価:☆☆☆☆☆

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