二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

あやしい暮し(ポエムNO.3-99)

2020年08月02日 | 俳句・短歌・詩集
   (榛名山と利根川 2015年4月)



山とか川とかは批評の対象ではない。
そのありようをうけ入れ
たたずんだり 眺めたりできるだけ。
有能な政治家とか輝かしいスターとかも

山や川とは比べることができない
大勢がたばになってかかったとしても
大河のまえではコオロギかキリギリスみたいなものだ。
山や川のそばで泣いたり笑ったり 

一年はたちどころに過ぎてゆく。
目路のはるか向こうまでつづいている時間の峡谷。
もくもく湯気をはきだしている湯治場
・・・のようなところで

きみはぬるま湯につかって生活している。
テレビが男女の内面を浸食し
日常はつねに きり立った断崖のようだ。
のぞき込むと足がすくむ。

だれやら だれやら年老いたじいさんばあさんが
もう何年も じっとうずくまって
ああ あれは何を考えているのだろう
何をしようとしているのだろう。

歩いている時間より
立ち止まっている時間の方が圧倒的に長い。
レールはぐにゃぐにゃと曲がっている。
そのレールの上を走ってゆく人たち。

目的なんてわかりはしないし
目的 なるものがあるのかどうかさえあやしい。
日常生活の底に敷かれた無数の曲がったレール。
じいさんばあさんも そんなところ歩きたくないに違いない。

ぬるま湯につかって生活しているきみも
いずれ立ち上がらなければならない。
山や川を批評したってどうにもならないのだから。
あやしい暮し。

あやしい暮し。
そうか コオロギやキリギリスときみは大差がないのだ。
さて テレビのスイッチをOFFにし
何をしよう 今日はなにを。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 感染症とどう向き合うか!? | トップ | 二つの交響曲第4番 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

俳句・短歌・詩集」カテゴリの最新記事