二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「下流志向」内田樹著(講談社文庫)を読み返す

2018年08月18日 | エッセイ(国内)
本書は内田樹さんの(たぶん)ベストセラーとなった「下流志向」の文庫版。
かつて単行本で読み、感心した記憶がある。
初版は2007年1月刊行。
《学ばない子どもたち 働かない若者たち》というサブタイトルがある。

せんだっては「日本辺境論」を読み返したが、最初読んだときに較べ、評価が大幅に下がった。
論旨が混乱しているというのか、あまりにもうがちすぎてややこしく、結論がよくわからない。思考の(あるいは思いつきの)アクロバットとからかってみたくなった。
読みおえてしばらくたつと、何がどんなふうに書かれていたのか、思い出すことができない(・_・?) 

ご本人も気にはされていたが、半分は梅棹忠夫の受け売り・・・とわたしは見た。一方この「下流志向」はおもしろい♪ 
いまのわが国の若年層の一部でどんな地滑り・地殻変動がおこっているのかを的確に把握したい人のための重要参考書。
ご本人が永らく教育現場に身を置いていたせいか、議論の信憑性が高く、話題がいたって具体的。「ほほう、そうか」と、つい耳をそばだててしまう。

なぜ現代の子どもたちは学ばず、若者たちは働かないのか(?_?) 
暇つぶしにへたなフィクションなど読むより、はるかに興味深い。

内田さんは、苅谷剛彦さんのことばを引用しながら、つぎのように書いている。

《<個人=自己の尊重を原則とする「個人主義」、そしてその考えに連なる「自分人にいい感じをもつこと」を重視する教育は、階級に根差した社会の本質と矛盾せざるをえない。その現実を無視して、ナイーブに自己の称揚を続けることは、階級に特長づけられた社会構造の規則性に日常的に個人をしたがわせるイデオロギーの作用を助けることにほかならない>(苅谷剛彦「階層化日本と教育危機」より)

僕たちの時代には「ナイーブに自己の称揚」を続ける若者たちがたくさんいます。「自分らしい生き方」を求めて社会の「常識」に逆らい、きっぱりと「自分らしさ」を実現していると主張している彼らの言葉づかいや服装や価値観のあまりの定型性に僕たちは驚愕しますが、それこそ「階級に特長づけられた社会構造規則性に日常的に個人をしたがわせるイデオロギーの作用」の圧倒的な影響力を証示するものでしょう》本書136ページ


内田さんは社会学者の目をもって、病状の“原因分析”をしている。ただし原因がわかったからといって、特効薬があるわけではない(=_=) 
学校現場の荒廃、権利意識のはき違え、訴訟社会における時間とエネルギーの無駄遣い。

警世の書として、じつにうまく組み立てられ、話題の書といわれたのもむべなるかな・・・だな(^^;)

わたしは教育現場に身を置いているわけではないが、不動産業を通じ、毎年大勢の人たち(大部分はお客さま)に接している。
“古きよき時代”を美化しすぎてはいけないが、つい愚痴りたくような非常識な出来事にぶち当たり、腹立たしいやら、あきれ返るやら(>_<)
そんな経験をいくらかはしている。

SNSでも、ときたま「おれさま主義」がまかり通っている。
議論は大抵の場合不毛に終るだけだから、そういう現場、そういう人からは遠ざかることにしている。

内田さんも、荒廃いちじるしい教育の現場から足を洗う(定年退職)ことができてホッとしているのではないか?
・・・そんなことまで、つい想像したくなった一冊。
心ある読者の頭をフレキシブルにしてくれること、間違いない。



評価:☆☆☆☆☆

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阿部昭「大いなる日」「司令... | トップ | 明治150年 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセイ(国内)」カテゴリの最新記事