二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

猫町をもとめて(ポエムNO.85)

2012年08月31日 | 俳句・短歌・詩集

そんなに遠いところじゃないのに
ぼくにとってははじめて通る商店街を抜けて
石造りの小さな橋を渡る。
一台か二台のカメラを手にして あるいは首からぶらさげて。
いったいなにを探しているのかわからないから
仮に「昭和ロマン探訪」などといってみる。
しかし・・・しかし ほんとうにそうなんだろうか?

そんなもの訪ね歩いてなにになる?
という思いが ぎざぎざした黒い形象をともなってこみあげてきたり
緑色の巨象が横たわっているのが見えると錯覚したり
尖った乳房をゆらして とても健康的な裸の少女がすれ違っていったり
「止まれ!」の標識が点滅しながらまぶたの裏側にもぐりこんできたり
佐野にある松葉食堂を出て見あげた空を
現世を生きるものの悲しみがおおっていたり。

街角は思いがけないもので満たされているってのに
ぼくが撮影すると どこにでもあるありふれた光景に一変してしまう。
ぼくの「猫町」はどこにあるのだろう?
どこに?
っていう問いは不毛だな。
ぼくのこころの脇腹あたりに
一本の使い古されたオールがあってね。
あちこちへ漕ぎだしていかずにはいられないのさ。

現実の中の非現実。
非現実の中の現実。
眼にはたしかに見えているのに
それをことばにあらわすのはむずかしいね。
県庁が配布している古地図を手にして
友人二人と風呂川沿いをポタリングしたことがあってね。
ぼくは立ち止まるたびに五十年 百年もタイムワープしつづけ
奇妙な紳士淑女と つぎからつぎへとすれ違い・・・。
このまま戻れないんじゃないかと不安だった。

六十年も見なれたはずの上州の山なみが
はじめて眼にする山塊のように新鮮に近づいてきて遠ざかる。
遠ざかっては またしばらくすると近づいてくる。
ああ あの山が見えるこの路地に昔
ぼくはよごれた袈裟をぶらさげた乞食坊主と暮らしていたことがある。
――déjà-vuはいろいろと姿をかえてあらわれる。
さて今日は どのあたりを探そうかな。
ぼくの猫町をもとめて。



※ここでいう「猫町」は、萩原朔太郎の小品「猫町」を指しています。
※風呂川は前橋市に、松葉食堂は佐野市に実在しています。

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