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しばらくmixiから遠ざかっていた。
ほとんど撮影ができなかったのがその一因だろうけれど、われながら「もしかしてこのままmixiからフェイドアウトか・・・」と思わぬでもなかった(^^;)
猛暑にめげている。しかし、それだけではない。
日記やつぶやきを頻繁にアップしていると「ため」がとれないのだ。
内容が小粒になって、ますます断片化していく。こんなにぺらぺらでどうする・・・という反省がある。小説を二編書きかけているが、ちょっともすすまない。いくら短編とはいえ、一つを仕上げるのに、何時間もかかる。その長丁場を、じっとこらえなければならない。
ところがmixiになにか書くと、それで「あとに残るもの」を少し仕上げた気分♪
それじゃだめなのよ、ダメダメ!
そういう内心の葛藤があって、mixiから少し距離をあけることにしたのだ。
400字詰原稿用紙換算で4-50枚の短編小説に挑戦しようとあがいている(-_-)
しかし、2000字くらい書くと、それがひどく「つまらないもの」に見え、筆が滞る。目標の1/10程度書いただけで、それが失敗作だと、自分で決めつけてしまう。その自意識が、集中力をますます散漫にさせてしまう。「おれはなにが書きたかったんだろう。書くべきこととは、なんだったのか?」
このクソ暑い真夏の日々、ひとり相撲をとっていてどうなる(笑)。
さてトップの一枚。
地元の古本屋で見つけた澁澤龍彦「高丘親王航海記」の初版第七刷り。
本書は現在文春文庫に収録されていて、わたしはそれで読んだのだ。
ところが、この単行本には、表紙裏に、南シナ海&ベンガル湾の地図がある。それが著者作成のものだと知り、ためらわず手に入れた。税込500円だったが、みやま書房のおやじさんが、400円にしてくれた(^_^)/~
以前書いたことがあったように、澁澤さんの本は、ほとんどすべて造本、装丁がすばらしく、工芸品に近いものがある。
帯に奥野健男さんが推薦文を寄せているのだが、わたしはこの文章にすっかり魅せられてしまった。
《この「高丘親王航海記」は、十年あまり文芸時評を続けている間に読んだ多くの文芸作品の中で稀に出会うことができた屈指のすぐれた小説、綺譚と言ってよい。
作者の古今東西に及ぶ該博な知識が奇想とも言える卓抜な想像力によって織りなされ、この世を超えた幻想的な物語が展開される。
それがブキッシュな厳密な考証に耐えると共に、現代の風刺になっているだけでなく、じつにおどろくべきことだが、作者の心身の表白にもなっていることだ。めくるめく怪奇幻想の世界に遊んでいたぼくは、終わりにいたり高丘親王と一体化して、死して天竺に向かう気持になっているのだ。
私小説ではなく綺譚において作者が直接的自己表出できるというのは稀有のことではないだろうか》(「サンケイ新聞文芸時評」行分けや文字遣いを引用者が一部変更)
まさに知己の言である。
そうかんがえて、わたしはこの一文を引用した。
本書が刊行されたのは、1987年10月25日。澁澤さんが死去したのは、同年8月5日なので、本書を見ることなく、この世を身罷ったということになる。
澁澤さんは、最後の最後、歴史的ともいえる大輪のすごい花火を打ち上げた!!
わたしはいままで読んだ幻想小説(まあ今風にファンタジーといってもいいが)の中で、本書を超える作品があることを、寡聞にして知らない。
これが初刷りであったら、わたしなどが手のでない価格であるだろう。しばらくしたら、ゆっくりと一ページ一ページ味わいながら、本書を読み返そう♪
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はてさて、三毛ネコさんの日常にはほとんどなんの変化もない。
葬儀に参列し、迎え盆に寺へいったり、ご近所の新盆の供養に赴いたり。いつもの夏、いつもの世すぎ身すぎ・・・とりたてて、ここに書きたいこともない。
ほんとうにフェイドアウトとなるのかどうか・・・そうだな、前世も来世も、夢一つをへだてて、銀貨だか銅貨だかの表と裏にすぎないのだろう。
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ほとんど撮影ができなかったのがその一因だろうけれど、われながら「もしかしてこのままmixiからフェイドアウトか・・・」と思わぬでもなかった(^^;)
猛暑にめげている。しかし、それだけではない。
日記やつぶやきを頻繁にアップしていると「ため」がとれないのだ。
内容が小粒になって、ますます断片化していく。こんなにぺらぺらでどうする・・・という反省がある。小説を二編書きかけているが、ちょっともすすまない。いくら短編とはいえ、一つを仕上げるのに、何時間もかかる。その長丁場を、じっとこらえなければならない。
ところがmixiになにか書くと、それで「あとに残るもの」を少し仕上げた気分♪
それじゃだめなのよ、ダメダメ!
そういう内心の葛藤があって、mixiから少し距離をあけることにしたのだ。
400字詰原稿用紙換算で4-50枚の短編小説に挑戦しようとあがいている(-_-)
しかし、2000字くらい書くと、それがひどく「つまらないもの」に見え、筆が滞る。目標の1/10程度書いただけで、それが失敗作だと、自分で決めつけてしまう。その自意識が、集中力をますます散漫にさせてしまう。「おれはなにが書きたかったんだろう。書くべきこととは、なんだったのか?」
このクソ暑い真夏の日々、ひとり相撲をとっていてどうなる(笑)。
さてトップの一枚。
地元の古本屋で見つけた澁澤龍彦「高丘親王航海記」の初版第七刷り。
本書は現在文春文庫に収録されていて、わたしはそれで読んだのだ。
ところが、この単行本には、表紙裏に、南シナ海&ベンガル湾の地図がある。それが著者作成のものだと知り、ためらわず手に入れた。税込500円だったが、みやま書房のおやじさんが、400円にしてくれた(^_^)/~
以前書いたことがあったように、澁澤さんの本は、ほとんどすべて造本、装丁がすばらしく、工芸品に近いものがある。
帯に奥野健男さんが推薦文を寄せているのだが、わたしはこの文章にすっかり魅せられてしまった。
《この「高丘親王航海記」は、十年あまり文芸時評を続けている間に読んだ多くの文芸作品の中で稀に出会うことができた屈指のすぐれた小説、綺譚と言ってよい。
作者の古今東西に及ぶ該博な知識が奇想とも言える卓抜な想像力によって織りなされ、この世を超えた幻想的な物語が展開される。
それがブキッシュな厳密な考証に耐えると共に、現代の風刺になっているだけでなく、じつにおどろくべきことだが、作者の心身の表白にもなっていることだ。めくるめく怪奇幻想の世界に遊んでいたぼくは、終わりにいたり高丘親王と一体化して、死して天竺に向かう気持になっているのだ。
私小説ではなく綺譚において作者が直接的自己表出できるというのは稀有のことではないだろうか》(「サンケイ新聞文芸時評」行分けや文字遣いを引用者が一部変更)
まさに知己の言である。
そうかんがえて、わたしはこの一文を引用した。
本書が刊行されたのは、1987年10月25日。澁澤さんが死去したのは、同年8月5日なので、本書を見ることなく、この世を身罷ったということになる。
澁澤さんは、最後の最後、歴史的ともいえる大輪のすごい花火を打ち上げた!!
わたしはいままで読んだ幻想小説(まあ今風にファンタジーといってもいいが)の中で、本書を超える作品があることを、寡聞にして知らない。
これが初刷りであったら、わたしなどが手のでない価格であるだろう。しばらくしたら、ゆっくりと一ページ一ページ味わいながら、本書を読み返そう♪
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はてさて、三毛ネコさんの日常にはほとんどなんの変化もない。
葬儀に参列し、迎え盆に寺へいったり、ご近所の新盆の供養に赴いたり。いつもの夏、いつもの世すぎ身すぎ・・・とりたてて、ここに書きたいこともない。
ほんとうにフェイドアウトとなるのかどうか・・・そうだな、前世も来世も、夢一つをへだてて、銀貨だか銅貨だかの表と裏にすぎないのだろう。
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