(吉野弘「贈るうた」花神社刊)
吉野弘さんは薄味の詩人である。平凡な人の平凡な人生にそっと身を潜め、滅多なことでは自己主張をしない。
なにか質問をしても「うん、そうだね。まあ・・・そうだなあ」といって口ごもる。
そういう目立たない友人がいるものだが、吉野さんは、わたしにとってはそういう詩人である。うっかりしていると、あまりにおとなしいので、失礼ながら、そこにいることを、つい失念する。
たとえば宮沢賢治、金子光晴、田村隆一・・・そういった先輩たちが豪壮な伽藍のような詩的世界を構築した。そうした大詩人たちを読んだあとで吉野さんを読むと、寡黙で、素っ気なく、あまりに薄味すぎて物足りない。
そういう気分を、多くの読者が味わうだろう。
あるいは中原中也が才気あふれる私小説的な「うた」を謳ったように、自己に戯れることを滅多にしない。おのれ自身を突き放し、客観的に凡俗の世界を眺めている。
小市民的・・・ともいえる、生活の詩人が、吉野弘の身上といっていいだろう。意地悪くいえば、2DKの郊外のアパートに暮しながら、実直なサラリーマンを長年勤めあげた人の詩であろうか。
労働組合の仕事をしているとき、結核で倒れ、3年間の療養生活を余儀なくされたというが、詩はそのころから書きはじめられている。そして、川崎洋、茨木のり子の「櫂」同人にくわわる。
その仲間にあっても、才気煥発な大岡信さんや俊英として早くから地位を確立した谷川俊太郎さんらの陰に隠れ、地味な存在であったろう。
かつて吉野弘さんは「虹の足」を取り上げたことがある。
■二草庵摘録「詩人吉野弘の『虹の足』
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/9ba103caf4397cab53dbb8da7822ce17?fm=entry_awp
今回は違った詩を選んでおこう。
「短日」吉野弘
葉を落した大銀杏(いちょう)の
休暇の取り方
どこかへ慌てて旅立ったりしない
同じ場所での静かな休息
自分から逃げ出したりしないで
自分に同意している育ちの良さ
裸でいても
悪びれず
風のある日は
風を着膨(きぶく)れています
わたしが詩に目覚めたのは十五、六歳。狂騒の六十年代詩が一世を風靡していた時代だった。同人誌「凶区」だとか「ドラムカン」だとかが、「現代詩手帖」のページにあふれかえっていて、そこから少なからぬ影響をうけていた。
それに比べたら、吉野さんの詩は、あまりにおとなしく、地味な存在であった。
六十年代詩は、政治的な動機に根ざす詩であろうが、ダダイズムとシュールレアリスムの延長上の詩であろうが、性的なモチーフにこだわった前衛詩であろうが、吉増剛造さんほか数人を除くと、ほとんど姿を消してしまった。
狂騒の時代が過ぎてみると、その前の世代があつまった「櫂」の詩人たちが、ゆっくりと浮上してきた。少なくともわたしの場合は、そんな印象を抱いている。
この詩を一読すればわかるように、表現はきわめて平明で、難しい語彙はまったく出てこない。
吉野さんの詩で何といっても一番秀逸で有名な作品は「祝婚歌」である。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3606/1.html
その詩的世界は大詩人というにはマイナーなものかもしれないが、たしかな存在感をもっている。「吉野弘の小さな世界」はいぶし銀の輝きを、ひっそりと放っていて、卑近な日常の一コマから、ことばを紡ぐ腕はなかなか大したもの。
「祝婚歌」は結婚式でよく朗読された。そのために書かれた詩のジャンルの中でもピカイチの一編だろう。
五十代の終わりころから、「現代詩文庫」の三冊で親しむようになった。
いまはハルキ文庫にも収録されている。
《裸でいても
悪びれず
風のある日は
風を着膨(きぶく)れています》
上質なユーモアが、この詩を特徴づけている。
こういうこところが彼の持ち味。心情がさらっとしていて、ベトつかない。
自己コントロールの見事さ。
また、茨木のり子さんの詩にも見られることだが、生活者の倫理的な姿勢が背骨となって、表現の背後をささえている。
それは説教くさくはならず、押しつけがましくもなく、しばしば可視的な光景へと収斂していく。
それがどれほど貴重な味わいをかもし出すものか、わたしは老境になってから、遅ればせながら気がついた。
今後評価はもっと高くなるかも知れないなあ・・・このコラムを書いているうちそんな気分がこみあげてきた。
※「二草庵摘録」関連記事
最後の挨拶 ~茨木のり子の場合
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/895970bc6bb7dbf4a194ab92464aa5ef
わたしが一番きれいだったとき
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/f2ef0abd643935dbce26ffc1c5bb3b30
吉野弘さんは薄味の詩人である。平凡な人の平凡な人生にそっと身を潜め、滅多なことでは自己主張をしない。
なにか質問をしても「うん、そうだね。まあ・・・そうだなあ」といって口ごもる。
そういう目立たない友人がいるものだが、吉野さんは、わたしにとってはそういう詩人である。うっかりしていると、あまりにおとなしいので、失礼ながら、そこにいることを、つい失念する。
たとえば宮沢賢治、金子光晴、田村隆一・・・そういった先輩たちが豪壮な伽藍のような詩的世界を構築した。そうした大詩人たちを読んだあとで吉野さんを読むと、寡黙で、素っ気なく、あまりに薄味すぎて物足りない。
そういう気分を、多くの読者が味わうだろう。
あるいは中原中也が才気あふれる私小説的な「うた」を謳ったように、自己に戯れることを滅多にしない。おのれ自身を突き放し、客観的に凡俗の世界を眺めている。
小市民的・・・ともいえる、生活の詩人が、吉野弘の身上といっていいだろう。意地悪くいえば、2DKの郊外のアパートに暮しながら、実直なサラリーマンを長年勤めあげた人の詩であろうか。
労働組合の仕事をしているとき、結核で倒れ、3年間の療養生活を余儀なくされたというが、詩はそのころから書きはじめられている。そして、川崎洋、茨木のり子の「櫂」同人にくわわる。
その仲間にあっても、才気煥発な大岡信さんや俊英として早くから地位を確立した谷川俊太郎さんらの陰に隠れ、地味な存在であったろう。
かつて吉野弘さんは「虹の足」を取り上げたことがある。
■二草庵摘録「詩人吉野弘の『虹の足』
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/9ba103caf4397cab53dbb8da7822ce17?fm=entry_awp
今回は違った詩を選んでおこう。
「短日」吉野弘
葉を落した大銀杏(いちょう)の
休暇の取り方
どこかへ慌てて旅立ったりしない
同じ場所での静かな休息
自分から逃げ出したりしないで
自分に同意している育ちの良さ
裸でいても
悪びれず
風のある日は
風を着膨(きぶく)れています
わたしが詩に目覚めたのは十五、六歳。狂騒の六十年代詩が一世を風靡していた時代だった。同人誌「凶区」だとか「ドラムカン」だとかが、「現代詩手帖」のページにあふれかえっていて、そこから少なからぬ影響をうけていた。
それに比べたら、吉野さんの詩は、あまりにおとなしく、地味な存在であった。
六十年代詩は、政治的な動機に根ざす詩であろうが、ダダイズムとシュールレアリスムの延長上の詩であろうが、性的なモチーフにこだわった前衛詩であろうが、吉増剛造さんほか数人を除くと、ほとんど姿を消してしまった。
狂騒の時代が過ぎてみると、その前の世代があつまった「櫂」の詩人たちが、ゆっくりと浮上してきた。少なくともわたしの場合は、そんな印象を抱いている。
この詩を一読すればわかるように、表現はきわめて平明で、難しい語彙はまったく出てこない。
吉野さんの詩で何といっても一番秀逸で有名な作品は「祝婚歌」である。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3606/1.html
その詩的世界は大詩人というにはマイナーなものかもしれないが、たしかな存在感をもっている。「吉野弘の小さな世界」はいぶし銀の輝きを、ひっそりと放っていて、卑近な日常の一コマから、ことばを紡ぐ腕はなかなか大したもの。
「祝婚歌」は結婚式でよく朗読された。そのために書かれた詩のジャンルの中でもピカイチの一編だろう。
五十代の終わりころから、「現代詩文庫」の三冊で親しむようになった。
いまはハルキ文庫にも収録されている。
《裸でいても
悪びれず
風のある日は
風を着膨(きぶく)れています》
上質なユーモアが、この詩を特徴づけている。
こういうこところが彼の持ち味。心情がさらっとしていて、ベトつかない。
自己コントロールの見事さ。
また、茨木のり子さんの詩にも見られることだが、生活者の倫理的な姿勢が背骨となって、表現の背後をささえている。
それは説教くさくはならず、押しつけがましくもなく、しばしば可視的な光景へと収斂していく。
それがどれほど貴重な味わいをかもし出すものか、わたしは老境になってから、遅ればせながら気がついた。
今後評価はもっと高くなるかも知れないなあ・・・このコラムを書いているうちそんな気分がこみあげてきた。
※「二草庵摘録」関連記事
最後の挨拶 ~茨木のり子の場合
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/895970bc6bb7dbf4a194ab92464aa5ef
わたしが一番きれいだったとき
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/f2ef0abd643935dbce26ffc1c5bb3b30