二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

草の家

2011年05月20日 | 俳句・短歌・詩集

人間という商売を長らくやっていて
ふと気がつくと あっちもこっちも傷だらけ。
傷みがひどく だれも買い手がつかない果物か野菜 みたいにね。
箱ごとすてられそうになって かろうじて 逃げ出したキュウリ
さもなければ ナス。
きみもわたしも どこかにそんな面差しをやどしている。

今日は5月で風がすずしい。
・・・と書いて つぎのことばがつづかない。
午後には真夏日になるそうな。
その場つなぎの一汗をかきながら
畝起こしをおえて 草の家に帰る。
縁の欠けた 古い茶碗みたいな家へね。



南方からはるばる渡ってきたツバクロが 家の庇をついとかわして飛んでいく。
孕み猫のコリコリした胸乳(むなぢ)にそっとふれる。
砂時計がさらさらと 耳許で音をたてる。
さっきからブラームスの第3番のシンフォニー
あの第3楽章のチェロのすすり泣きを聴きながら
うつらうつらとして。

遠くから釣り人が騒ぐ声が聞こえる。
「おーい なにを釣ったんだ」
「出世という大魚さ。釣ったと思ったら逃げられた。
いままでで 最高の大物だったのに」

騒いでいる人の後ろ姿は 見たこともない盛唐の詩人 
李白や杜甫に似ている。
うたた寝の夢の中で そんな気がする・・・というだけのことだけれど。



わたしの草の家の周囲にも
うすっぺらな時代の ぺらぺらした漂流物が毎日吹き寄せられてくる。
映画やテレビが一日中たれ流す情報という名の――。
過ぎてしまえば なんの価値もない他人の――。

草の隣の草。
そのまた隣の草。
家は草や時代の漂流物にうもれて わたしはほとんど毎日
草の中をさがしまわって 帰宅する。
嗤いごとではないよ きみ。
深夜 ひっそりと 音楽や酒でこころに包帯をする。
蕪村の絵やグラマラスな愛人が待っていれば・・・それが包帯として役にたつなら
もっといいのだけれど。

さ もう帰ろう 帰ろう。
ほかにいくあてはないのだから。
地球は帰宅者の足許から 昏くふかあく その大部分が欠けている。


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