二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

恋の詩一編「あけがたにくる人よ」など

2011年08月12日 | Blog & Photo

このところ、立て続けに三毛ネコsyugenの難解な(・・・必ずしもそうではないのだが)詩をお見せしているので、ここいらで、平成7年に、89歳で亡くなった永瀬清子さんの詩を一編だけご紹介しよう。
正直いって、彼女の作品は「短章集」と、あとは現代詩アンソロジーで、数編知っているだけで、あまり馴染みがなかった。
これはたしか、彼女が七十を過ぎた老年になってから書いて、同名の詩集に収めて刊行し、評判をよんだ“名詩”だから、ご存じの方もいらっしゃるだろう。
(初版刊行時81歳。この詩集は、今世紀になって復刊されている)


「あけがたにくる人よ」
永瀬清子

あけがたにくる人よ
ててっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケットひとつをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ
ててっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかに来る人よ
足音もなくて何しに来る人よ
涙流させにだけ来る人よ



なんとまあ、哀切な作品だろう。
老いらくの恋・・・なんていってはいけませんよ(笑)。 「過ぎ去った歳月」を、こんなふうに回想し、いつくしみ、過不足のない一編の詩に仕立てる技に、わたしは感動している。

《私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている》

ここには、だれもが抱くような「青春への哀惜」があるが、それだけなら、なんてことはない。最後の4行が、ずしんと、胸に響いてはこないだろうか?
女性詩人ならではの、つつましやかであるにもかかわらず、なんというセクシーな「生への挨拶」だろう。だれかが、この世界の片隅で、ひとりしめやかに詩を書いている。昨日も、そして今日も。
須賀敦子さんの多くのエッセイや、茨木のり子さんの「歳月」などと通じ合う、人生の詩といっていいだろう。青春の文学はいくらでも見出すことができるけれど、「老年の文学」・・・まして、その秀作となると、寥々たるものがあったが、まもなく還暦をむかえる三毛ネコの関心は、後者のほうに集中しそうである。凡百の教訓の書たる「人生論」に向かうのではなく、詩に向かう。心に「粋なセンス」をかかえた人は、皆そうしている(^^;)
――と、わたしは信じる。






さて、今日から夏休み。
何冊かの本を、書棚の奥から引っ張り出してきた。
さてさて、どれを読もうか? 買ったことすら忘れていた本、キチンと読んだはずだが、大部分は内容を忘れている本、必要なところだけひろい読みして、いくらかは覚えている本などが書棚の奥で、ほこりをかぶっている。


※思潮社「あけがたにくる人よ」はこちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/478373058X/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4783702217&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1M5QM5VD6BPZWFBS04V7
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